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50年後の約束

故郷の味というものがある。日本人にとってのそれが、おにぎりであるならば、私にとってのそれは、祖母が作ってくれた焼き芋だった。

私の祖父は料理人で、祖父に料理を習った母もプロ並みの腕前だ。そんなふたりと対照的に祖母は料理の出来ない人だった。
そんな祖母が唯一私につくって与えてくれたのが、庭で焚き火をしながら焼いたほっくほくの焼き芋だったのだ。


「夫も娘も美味しいものをたくさん作ってくれるから、おばあちゃん、料理の腕より笑顔が上手になっちゃったわ」
ふたりの作った料理はどれもきれいで美味しい。だから、素朴で素材の味そのもののおばあちゃんの焼き芋が無駄に記憶に残っているのかもしれない。

秋になると無性に食べたくなる焼き芋は、私にとっておばあちゃんとの思い出の味だ。


「そういえば、今日はハロウィンだったなぁ。さつまいもじゃなくて南瓜を焼くべき?」
庭でお芋を焼きながら、昨年の今頃のことを思い出す。東京にいたころは友達と仮装をして渋谷に出かけていたっけ。仕事を辞めて、田舎の祖父母の家に住み着いてもう半年になる。
昨年、祖父が突然倒れて、あっという間に亡くなり、半年もたたないうちに今度は祖母が後を追うように亡くなった。両親を立て続けに亡くした母は、みるみる元気をなくし急に痩せ始めた。病院に連れて行っても検査には何も異常はなく勧められるのは診療内科。先生は丁寧に話を聞いてくれるけれど、母の様子はちっとも変わらない。
「ねぇ、お母さん。何かしたいことある?何でもどこにでも付き合うよ」
病院に通っても、ちっとも元気にならない母にそう声をかけると、母はただ小さくささやいた。
「家に帰りたい」
たったそれだけで、私は気が付いたら高卒で入った会社に退職届を出し、田舎の祖父母の家を掃除し、引っ越しの支度をし、母を連れてここに来ていた。
祖父も祖母も、あっという間に亡くして、このまま母も失うのではないかと思ったら、仕事も東京も驚くほど未練なく捨てられた。
温かい思い出のあるこの場所はなんの不安もなく私たち親子を受け入れてくれる。ただ、母はもう長くないような気がする、その一点を除いては。

落ち葉を燃やす火を眺めているとそんな息苦しさが少し和らぐ。こんな時、せめて父親か兄弟がいたら悩みも相談しあえるのにと思うのだが、いないものを欲しがっても仕方がない。それでも、何かにすがりたい気持ちが日に日に増していく。

ガサガサガサ!

背後の藪を激しく揺する音にびくりとする。火を焚いているとはいえ、野生動物に襲われてはひとたまりもない。近くにあった火ばさみを握りしめ体を固くする。

ガサガサガサぽすっ!

藪から飛び出してきたのは野生動物ではなく、お面をかぶり、ローブをまとって体に似合わない大きい鎌を持った小さな子供だった。
ホッとした反面、なんでこんなところにと不思議に思いまじまじと子供を見つめてしまう。
「あっ、れっ。えっ、うー」
私の視線に気が付いた子供は子供で、驚いて隠れようとしたり鎌を握りなおしたりと忙しくしている。そして、今日がハロウィンであることをまた思い出した。
「ふふ、トリックオアトリートのこと?お菓子はないけど、せっかくだから焼き芋をあげよう。おいで」
そう言って、さっき焚き火の中から取り出しておいた焼き芋のアルミをはがし、芋を半分に割る。火傷するといけないから、いつも祖母がそうしてくれていたように、余っていた新聞紙で持つ部分を軽く巻いてやる。
そうこうしているうちに、さっきまで慌てふためいていた子供も、焼き芋に引き寄せられるように私のそばまで寄ってきていた。
「はい、どうぞ。熱いからゆっくりふーふーして食べるんだよ」
そう言って渡してやると、素直に受け取った子供は、焼き芋をじっと見つめてから私の顔をみる。
「…食べていいのか?」
「うん、おいしいよ」
片割れの焼き芋をひと口食べてみせると、子供もほふほふと言いながら食べ始めた。その様子があまりに可愛らしかったので、美味しそうに焼き芋を頬張る子供の顔をしげしげと眺めていた。だが眺めているうちに、お面をつけたまま器用に食べる姿に違和感を覚えた。
(……お面…だよね?)
「そのお面…よくできてるね。…どこで買ってもらったの?」
子供は相変わらず口をもくもく、ほふほふさせながら首をかしげる。ごくんと飲み干した後、困ったようにおずおずと答えた。
「…これはお面じゃない。僕の顔そのもの。…死神は骨かミイラだから」
(…今、死神って言ったような)
なんとなく聞き間違いな気がして、そのまま近くにある子供の頭をローブの上からなでてやる。
「なんだ。急に」
「お父さんとお母さんは?はぐれちゃったの?」
私はなんとなくそのままこの子を迷子として扱うことにした。よくよく見ると、子供の手は骨に薄皮が張り付いているだけで、とても生きている人間の子供の手には見えなかった。もし、これが本物の死神だとしたら、この子供が迎えに来る人物には1人しか心当たりがなく、背中につーっと冷たいものが流れる。
「迷子ではない。こう見えて僕は130歳だ」
年齢詐称もいい加減にしてほしい。どう見ても小学生だ。
「……体は小さくて…。鎌だけ成長して余計に小さく見えるのだ」
しょんぼりと背中を丸める死神はより一層小さくみえる。
「……ここには何しに来たの?」
自然と声が固くなる。目の前の子供が本当に死神だというのなら、母が連れていかれるのを黙って見ているわけにはいかない。先ほど手放した火ばさみを再度つかんで握りなおし、死神をきつくにらみつける。

「…誰かいる?心配な人」
死神はさっきと同じように首をかしげる。私の心臓が早鐘を打つ。たったひとりの家族を失うことがこんなにも怖いなんて。
「心配ない。僕は半人前。人の魂は狩れない。師匠も来ない。ここに死ぬ予定の人いない」
死神はそう言って残っていた焼き芋を口に入れて食べ尽くす。
「…本当?……本当に死なない?」
火ばさみをもつ手をゆるめると、掌に痛みが走った。強く握りすぎて手が切れてしまっている。
「予定ない。でも煙の道見えた。また誰か連れていかれたら大変。……本当なら焼き芋のおばあちゃんも死ななくてすんだ。でも、僕はあの時、のばされてたおじいちゃんの手切れなかった…おじいちゃんあっという間に焼き芋のおばあちゃん連れていった…焼き芋のおばあちゃん、助けられなかった」
死神が言ってることがよく分からない。母は死ぬ予定はないのに連れていかれると言う。焼き芋のおばあちゃんが私の祖母なら、祖母を連れていったと言うおじいちゃんは祖父?なら母を連れていこうとしているのは…?考えるより先に血の滲んだままの手で死神の手をつかみ母屋へ駆け出した。
「お願い。一緒に来て!」
藁にもすがると言うのはこう言うことかと思った。死神の存在を信じることも、死神が見えていることも、そんな死神に助けを求めることも、全てが馬鹿げているのも解っている。でも、日に日に衰弱していく母はもう神に祈るしか助からない気がするのだ。助けてくれるなら、それがもう死神だって構わなかった。
ノックもせずに母の部屋へ入る。母は眠っていてこれだけ音をたてて入ってきたのに、起きる気配もない。
「……お母さんに手がのびてるなんてこと、…ないよね?」
自分の声が震えているのが解る。死神は私の手からするりと逃れると、母の枕元に近づいた。
「…っ、お願い!連れていったりしないで!」
死神はこちらを振り返りじっと見ると、鎌を構えて軽く振った。
「ごめんね。あの時鎌振れなくて。この人はまだ生きるからおじいちゃんと向こうで待ってて。…焼き芋のおばあちゃん、焼き芋ごちそうさま。美味しかった」
死神が話をする先には何もない。でもきっとそこに祖母がいるのだ。お面のような顔なのに、優しく微笑んでいるのが解る。よかった。私は縋る神を間違えなかったんだ。へたりとその場に座り込むと、急に涙が溢れ出した。
(あぁ、私、本当は疲れていたんだなぁ……)
そんな私のところに死神はぽてぽてと小さな体で駆け寄り、骨と皮だけの手で私の頭を撫でた。
「焼き芋のお礼」

私がそうしてひとしきり泣いたあと、死神はぽつりぽつりと祖父母の話を聞かせてくれた。
祖父は寿命だったこと。祖母は毎年この時期この庭で楽しそうに焼き芋を作っていて、孫の代わりにと自分に焼き芋をくれるようになったこと。昨年、泣いているその背中に祖父の手がのびてることに気がついたこと。でも『この人は私がいないと泣いてばかりで駄目だから一緒にあの世に連れていく。お願いだ、これ以上泣いている姿を見ていられない』と祖父に言われて鎌を振ることが出来なかったこと。そしてそれをずっと後悔していたこと。

私も普段話さないような話を死神に聞いてもらった。
母が未婚で私を産んだため父親がいないこと。田舎で変な噂になって祖父母に迷惑をかけないために東京で暮らしていたこと。私は一時期いじめにあって学校に行けず祖父母の家で毎日泣いていたこと。唯一の家族となった母を助けてくれて、本当に感謝していること。

それから死神自身の話も聞かせてもらう。
今は師匠について一人前の死神になるために修行中であること。本当は鎌を振ることが怖くてしかたがないこと。『この魂を狩ったら、悲しむ人がいるんじゃないか』いつもそう思いながら師匠が振るう鎌を見ていること。成人する180歳までに一人前になるためにはあと50年しかないと不安に思っていること。

「死神の世界も大変なんだね」
「僕は落ちこぼれだから」
そう言って死神は項垂れるが、母のために鎌を振ってくれた姿は、私には立派な一人前の死神に見えた。
「落ちこぼれなんかじゃないよ。私は君みたいな優しい死神に最後を看取ってほしいと思ったよ」
そう言うと死神がパッと顔をあげる。
「ねぇ、予約ってできないの?私、頑張って君が成人して一人前になるまで生きるから、私の魂、君が狩り取りに来てよ」
「えっ?あっ、うっ?」
最初に会ったときのように、死神は驚いたり鎌を握り直したり忙しくしている。私は、穏やかな気持ちで微笑んだ。
「私の魂。君にあげる。君に狩ってほしい」
名付けるなら死神教かな。私は彼を信じて確かに救われたのだ。だから、もう一度死神をまっすぐ見つめてそう言った。死神は困ったようにおずおずと答える。
「その人間の一部を食べたら、僕との間に繋がりできる。他の死神が狩り取ることはできない…はず。でも、絶対じゃない」
「一部って…目玉とか?」
小説とかでは確か悪魔とかがそう言うのを好むはず。だが目の前の死神は鎌をぎゅっと握りしめると、怯えたように少し後ずさる。
「…そういう生々しいのは嫌だ」
私だって好き好んで痛い思いがしたいわけではないのだが、そこまで引かれると少し傷つく。そこで気がついて髪の毛をすくいあげる。
「じゃぁこれは?」
「鎌で切って食べれば契約になる」
死神は困ったようにおずおずと言う。
「でも、死神の鎌で切った魂戻らない。その髪、そこから伸びなくなる。いいのか?お前の髪、きれい。勿体ない」
そう言うところだ。髪の毛1つでも心配してくれるそう言うところが気に入ったのだ。
「美容院代がかからなくて良いじゃない」

契約が済むと死神は何かを決意したように私の顔をじっと見た。
「絶対、一人前になって戻ってくる」
震える手で鎌を握っていた愛らしい死神に私は小指を差し出した。死神は不思議そうにその小指と私の顔を交互に見る。私は死神の小指に自分の小指をからませるとお馴染みの歌を歌う。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」
そうして指をはなすと死神はますます不思議そうに自分の指を見つめる。
「人間は約束事とをするときに、小指を絡ませて歌を歌うの。絶対に約束を守るんだって意味を込めてね」
死神はもう一度小指を見て1つ頷く。
「約束」
「約束ね」


あの約束から50年余り。奇跡的に結婚し、子宝に恵まれ、孫も産まれた。決して良いことばかりではなく苦労の方が多かったが約束通り頑張って生きた。縁側でひとり、日に当たっていると、大きくてごつごつした手が私の頭を撫でている。この懐かしい感触を私は知っている。あの時は小さな手で一生懸命撫でてくれたなぁ。
「待ってたよ、死神さん」
体に似合わない大きな鎌を持っていた死神は、約束通り大人になって戻ってきた。大きな体に大きな鎌、でも、優しい微笑みは昔のまま。
「お待たせ。約束、守りに来た」
死神がそう言って小指を差し出す。
「ふふ、約束ね」
私はその指に自分の小指を絡ませて、またふたりで指切りげんまんをした。








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