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百合樹 最終章漠然とした、未来の中に 終 百合

最終章
漠然とした、未来の中に

相手が選んだ答えは、時に自分に極限の選択を迫ってくる。
厄介なことに、ぶつけられる問いには選択肢を与えられていないのだ。
選択肢を得ない選択問題。
答え合わせの時にはすでに、解き直しも利かないらしい。


百合

同じ名を持った二つの植物は、大きさの変わらない花を咲かせる。

大きさに変わりはないはずなのだが、どうも咲き方に違いがあるらしい。
一方は、人の目につきやすいような背丈で、多種多様な色や形をしている。
片やどうか、高く樹木のようなそれは、咲いた花を容易には見せてくれない、気付かれぬことも多々あるだろう。

多色を見せる背丈の低い花は、あっという間にその身を咲かせ、それぞれの色に意味、感情を持たされていたりする。
良くも、その逆も。
きっと自身が気持ちの表現をしたいがあまり、花弁の色を多感に変え、その時々に多様な美しさを見出してきたのだろう。
高く聳える木は、花を咲かすのに長い年月を要する。貴重に高々と咲くその花は、見事な美しさを持ち、その開花に幸福を見るのである。

どちらも同じ名を持った植物なのだ。
同じ大きさの美しい花を咲かすはずなのだ。
ただ、同時に芽を出してしまえば、最後の時には大きな樹がただ一人立っている。

新幹線乗り場付近のカフェ、午後八時。

大きなキャリーバックと並んで小さな影。
これまで何度見つけてきたと思っているのだ。
見紛うはずもない。
黙ってすぐそばまで近づき、声をかける。
彼女はここで顔をあげ、驚いたようにして、声の主が私だと気付くのだ。
いつもと変わらない丸い目をしている。
彼女に待ってもらうのはどれぐらいぶりだろうか。
久しい感覚。

そのまま二人でカフェに入り、レジの前。
メニューを見るなり即決、バナナジュースを一つとアイスカフェオレを一つ。
番号札を受け取って、すぐそばの空いた二人席に腰掛ける。
席につき、店員が笑顔でバナナジュースを置き、歩き去って行った。

二人が落ち着いて向き合ってから八拍ほど、不自然な間が空いて始まった会話。

『そっちから呼び出すなんて、珍しいね。』

『うん・・・。』

『・・・・、・。』

『・・わかれる。』

『うん。』

会話の冒頭。
腰をかけてからここまででおよそ九十と一拍、時間にして一分ほどの出来事である。

予想をしていなかったわけではない。
少なくとも数時間前まで私は、この場面を幾度となく反芻し、答えを探していたはずなのだ。
彼女からの問いにいくつもの選択肢を持って……

本当に私に選択肢はあったか。

私は、既に何度も何度も選んできたではないか。
どれだけ迷っても、どれだけ悩んでも、ずっと同じ答えを選んできた。
『変わらない想いでいよう。』
そう決めて歩いてきたのだ。

本当にそうだろうか。

いつからか変わってしまっていたかもしれない。 目を閉じたままで、相手と向き合えているつもりではいなかったか。
本心でもない言葉で、気持ちを伝えたつもりになっていなかったか。
彼女が描く、漠然とした未来に、私は存在するのかを考えたとき、怖くなって、自分自身の大切にしがみついた。
壊したくない。
私たちは、壊したくないと堂々と言えることこそ大切なのだと自分に言い聞かせてきたのだ。

彼女の未来を想像することは、私自身の未来を想像することに等しい。
"彼女が求める未来"
この時、本当の答え合わせは、既に自分の中で終えていたのではないか。

私が、
『"彼女の幸せ"を願った先に見えている未来』と、
『"彼女との幸せ"を願った先に見えている未来』とでは、
別の姿をしている。

これが答えなのだ。
相手に答え合わせを求めなくても、自分が一番わかっているではないか。
漠然とした、未来の中に、私が望んだ瞬間は来ないのだろう。
二人の会話の空拍にそんな音を聴いてしまったのだ。
私が今選んだ答えの先で、互いに幸福でいる。
そうであってもらわなければ、彼女の言葉に有無を言わず頷いた自分を一生恨んでしまう。

冒頭の会話のその後、たわいもない会話を長々と続けながら、大事に埋め続けてきた隙間に二人で蓋をして、アイ変わらず、いつも通りに時間が過ぎた。
互いの距離が近くなったのか、遠くなったのかもわからないままだが、今、二人とも笑えている。

私は、これまでも、この先も幸せだ。
彼女もまた、これまでも、この先も幸せなのだ。
"二人"の物語はここで完結して、また"一人と一人"のお話が始まっただけのこと。
漠然とした未来の話。
その答えは、自分自身しか知り得ないことなのだ。

過去には、見落としたシアワセも、忘れてしまったシアワセも、掴み損ねたシアワセも、きっと山ほどあったのだろう。
厄介なことにシアワセは、形を変えるのだ。
重さを変えるのだ。
時には、名前すらも変えてしまう。
見えにくくなるのだ。
聞こえにくくなるのだ。
育てにくくなってしまうのだ。
大切なものであるという本質は、一切変わらないのに。
向き合っていないとこぼれ落ちていくし、噛み締めてなければ消えていくのだ。
掴んでいないと、掴もうとしないと。

二人で笑いながらカフェを後にし、新幹線の改札口。
最後の最後まで楽しい時間を過ごした。
私は、カフェでの冒頭の会話でシアワセを掴み損ねたのだろうか、失ってしまったのだろうか。
しかし、今、最後の最後までシアワセを感じている。
この大きな大きな矛盾を超えた先、目の前の改札の先にきっと彼女のシアワセが待っているのだ。


帰り道。
耳には電源を付けていないイヤホン。


私の頭の中では、大切な曲達が、鳴って止まない

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