心の中のしこり
2023年5月31日、挑戦してみた経理事務のパートを退職した。
誰にも相談せず、自分ひとりで決めて退職したため、両親からは「何で相談してくれんかったん!」と、怒鳴られてしまった。
そこで、「なぜ自分は相談できなかったのだろうか?」と、ふと疑問に感じ、自分自身を見つめてみた。その結果、まるで公園のベンチでうずくまっている7歳の頃の「じぶん」から悩み相談を受けている感覚のようだった。
7歳~長き地獄トンネルの入り口~
当時7歳の「じぶん」は、まわりの子どもより「内気」で「控え目」で、「大人しい」といった印象の学生だった。
そんな自分が同じクラス・他のクラスからのいじめから始まった。名前をバカにされ、傘を取られては返さないようにたらい回しにされ…、といったことをされてきた。この文章だけを読むと「両親へ相談したらいいじゃないか」と思う人もいるが、その当時の両親は、共働きで休みの日でしかリフレッシュをすることができなかった。さらに、自分から拒否をすることができないほど「内気」で「控え目・大人しい」性格で、親戚など年上ばかりと話すことが多かったため「空気を読むこと」にとても敏感だった。そんな性格や状況を把握していた「じぶん」は、先生や両親へ相談することができず、
「自分でどうにかしなきゃ」「『いい子』でいなきゃ」
という気持ちで心に蓋をし、ここからおよそ10年ほど「いじめ」に対する悩みを抱え込んでいた。
さらに、友人へ相談したとしても、「否定される」あるいは「かわされてしまう」かの2択だったため、悩みを外に出さず、悩みの無い「いい子」を演じていた。
11歳~大人への配慮~
11歳の「じぶん」になり、両親を観察していくうちに「家事を手伝って少しでも負担を軽くさせなきゃ」と、両親へ奉仕をしていくようになった。その結果、さらに「自分が抱え込んでいる悩みを話すタイミング」や「自分が周りよりもダメなのではないかという劣等感」を味わうようになっていった。
さらに、「心のエスケープゾーン」が無く、学校・自宅以外のコミュニティに属していないため、自ら悩みを発言・交流する場が無い状態であった。まさに、逃げ場がほとんどなかった。
17歳~少し見え始めた一筋の光~
17歳になり、
「どうしたら自分の心が少しでも軽くなることができるのだろうか」
と、抱え込んだ時に編み出した方法が“ひとり外出”であった。
家族・友人も誘わない、人に気を配る必要のない、自分のためだけの”ひとり外出”であった。しかし、「ひとり」にはなったとしても、心にある「独り」の状況は変わらないまま、心の中で蓋をしていたままであった。しかも、漬物にある重石が乗っかかった状態。人ひとりではなかなか移すことのできない、そんな状態だった。この時、
「あれ、自分にとっての『味方』ってあまりいないのでは?」と感じるようになった。
あの頃の「じぶん」と今の「自分」からの主張
・申し出や相談ごとに対して、まずは「聞く」ことから入り、「共感する」というプロセスを歩んでほしかった。自分にとって、他人からの経験談・アドバイスは正直に言うとあまり刺さらない。ましてや、否定するなんてのはもってのほか。
・相談しなかったのは「言えない」でもあり、過去の自分が肌で味わい、見て感じた影響から無意識に「言わない」と判断したからであること。
・親の価値観と自分の価値観は似て非なるもの。流行にはほんの少しでもいいから乗らせてほしかった。「流行りになるなんてダサいし」という”自我を貫き通すスタンス”は、正直に言ってしんどい。
・夫婦間の問題に対して、子どもが気を配って家事をしたとき「家事をしてくれたことへの感謝」だけでなく、「子どもに気を遣わせたことの謝罪」も欲しかった。気を遣わせたことに対してあれこれ言って正当化させないで欲しかったこと。