私の餓えは しかし あれにたどりつくことは出来ない

クルーズ版で、立原道造の「夢みたものは……」の一節を紹介したのだけど、彼の詩集では、その二つ前に、こんな作品が置かれている。

「午後に」

さびしい足拍子を踏んで
山羊は しずかに 草を食べている
あの緑の食物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だろう!

私の餓えは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もっとさびしく ふるえている
私のおかした あやまちと いつわりのために

おだやかな獣の瞳に うつった
空の色を 見るがいい!

≪私には 何が ある?
≪私には 何が ある?

ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しずかに 草を 食べている


立原は、摂食障害とは関係ないはずだけど、夭折するような人は、こんな世界を詩にすることができるんだな。八木重吉同様、摂食障害になってしまう人の感性に合う詩人という気がする。


(初出「痩せ姫の光と影」2010年8月)


なお、立原は結核により、24歳で夭折。死の数日前、見舞いに来た友人に「欲しいもの」を聞かれ、こう答えている。
「五月のそよ風をゼリーにして持って来て下さい  非常に美しくておいしく 口の中に入れるとすっととけてしまう青い星のようなものも食べたいのです」
アイスクリームを「天使の食べもの」にたとえたことがあるが、この詩人が病床で夢見た架空のゼリーこそ、まさにそういうものだったのかもしれない。


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