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エアー・スマホ(2)

 新しい年が明けた。しかし我が家は2年続きの喪中だ。昨年は娘が、その前の年には息子の妻が…、すべて癌が原因だった。「不幸は3回続く」と言われるが私の周りでは、息子の妻が亡くなった年の夏に 私の一番上の姉が 86歳で亡くなっている。もうこれ以上不幸が続かないようにしなければ…

 新年の挨拶は「喪中のはがき」で来ないはずだが、知らせられなかった人から年賀状が届く。やはり、娘の年賀状が多かった。
 私は「寒中お見舞い」として娘のこれまでを書いてお知らせした。中でも   驚かせてしまったのは大学時代のゼミの人たちだった。ゼミの先生がお亡くなりになってから同窓会が途切れがちで、そのうちついに途切れてしまっていたこともあり、知らせていなかったのだ。さぞかしびっくりされたことでしょう。お悔みのお手紙をいただいたりお花をいただいたり、そんなこんな中に一通のお手紙が私の心にささった。それは 年賀状が来たので「寒中お見舞い」を出したその返事としてのお手紙で「おかあさまとは もうとっくにお友達でいますよ」との文面で、はじめて「note」のなかのあの00さんだ!と知ったのだ。


 「娘のお友達は なんでこんなに優しい人達ばかりなんだろう!」
娘を見送って思ったことは その言葉に尽きる。 
 「長年、」と書き始めた時気が付いた。 娘のお友達はみんなみんな 「なが~い、おつきあいの人たち」ばかりだ。
学生時代、職場から何十年のお付き合いが続いている。

 駅ではじめて会った彼女と駅前の中華料理店へ案内した。
中華料理店でのお食事の間、彼女はゆっくりと私を過去の娘の世界へいざなってくれた。なんだか、初めてお会いしたと思えない自然な会話とふるまいに、私は娘と居るような、いえ、娘よりもっと穏やかな雰囲気さえ感じた。 
そういえば、今、会ったばかりの彼女も長いお付き合いだったようで、「写真表現大学」に通っていた頃に耳にしていた人の名前が 彼女の話の中から 忘れかけていたおとぎ話を思いだすように、懐かしく新鮮に浮かび上がってくる。
『あ~、娘にあんな時があったんだよなあ』彼女の話は少しも古い話ではなかった。彼女がゆっくり話始まると、私はまるで私自身の回想歴のページをめくるように懐かしく新鮮に思えた。
彼女も古い記憶を語る様子でもなく、つい最近あったことのように懐かしく新鮮に語ってくれる。それがとても自然でうれしかった。

 駅前の中華料理店の雰囲気もあったかもしれないが、ゆったりとした雰囲気の中で遠い記憶であるはずの話が ゆったりと現在の時間に引き寄せられ語られる。
それは彼女のゆったりした話し言葉にあることを私は歓迎した。
私は彼女によって 娘の過ぎ去った時間を楽しませてもらった。
そして、 
なぜ、私は彼女を家に呼んだのか?
それは娘が有名な写真家の個展を見に行った時に購入した本が何冊もあったのを、夫の古い本箱に見つけたからだった。

               エアー・スマホ(3)に続く

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