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Amazomで見た映画(2)

<風に立つ ライオン>

さだまさしの作詞作曲の歌は知っていた。それも 実話だとも聞いていた。しかし、この映画を見た後 私は しばらくの間 絶句していた。

さだまさしは この話を聞いてとても感動して作詞作曲したという。

長崎大学医学部の青年島田航一郎は 小学校の時クリスマスプレゼントに 「シュバイツァー」の本をプレゼントされたことに啓蒙され、医者になった。 そこで、恋人秋島貴子と巡り合うのだが、ナイロビへ行く時点で  父の診療所を継がなければならない貴子との運命が 分かれることになる

航一郎が ナイロビに渡って三年の月日がたち、秋島貴子が 父の診療所を継いで「私も 人生の転換期を迎えることになりました」と手紙を書いたことへの返事から、さだまさしの歌詞は始まる。

「突然の手紙には 驚いたけれど、うれしかった。何より君が僕を恨んでいなかったということが これからここで過ごす僕の毎日の大切なよりどころとなります。ありがとう。ありがとう。ナイロビで迎える三度目の四月が来て、今更千鳥ヶ淵で昔 君と見た夜桜が恋しくて、故郷ではなく 東京の桜が恋しいということが 自分でもおかしいくらいです。三年間あちらこちらを廻り その感動を君と分け合いたいと思ったことが沢山ありました。ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが 一斉に飛び立つ時、暗くなる空や キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット、何より僕の患者たちの瞳の美しさ この自然の中で病と向き合えば 神様について人について考えるものですね。やはり 僕たちの国は 残念だけれど何か大切な処で 道をまちがえたようですね。 去年のクリスマスは 国境近くの村で過ごしました。こんなところにも、サンタクロースはやってきます。去年は僕でした。闇の中ではじける彼らの祈りと激しいリズム 南十字星 満天の星そして天の川 診療所に集まる人々は 病気だけれど、少なくとも心は 僕より健康です。僕は やはり来てよかったと思っています。辛くないと言えば嘘になるけれどしあわせです。あなたや日本を捨てた訳でなく、僕は現在に生きることに思いあがりたくないのです。空を切り裂いて落下する滝のように 僕はよどみない命を生きたい。キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空 僕は風に向かって立つライオンでありたい。くれぐれも皆さんによろしく伝えてください。最後になりましたが、あなたの幸福を心から遠くから いつも祈っています。ありがとう。さようなら」

このさだまさしの歌詞が 全てを物語ってくれています。そして、これを歌いあげる激しい情熱のこもった歌声は さだまさし独特の声と旋律で語るように歌いあげられ、私の胸を熱くさせます。

ナイロビで一緒の医療従事者ワカコは 航一郎と共に孤児院を設立し、遺体のあがらなかった航一郎の帰りを待ち続け、孤児院の初代院長として10年勤めあげ「癌」で亡くなったという。その遺体はこの地に眠っているとのことだった。

確かに、さだまさしが航一郎の気持ちを代弁したように、「僕たちの国は 残念だけれど何か 大切な処で道をまちがえたようですね」そうかも知れない。「しあわせ」を求めて、人は邁進してきた けれど、「何より僕の患者たちの瞳の美しさ」は 現在の私たちに 失われつつあるのだ。

遠くの小さな村へ訪問診察に行く前に投函した秋島貴子への航一郎の手紙は 訪問診察途中、航一郎が族に襲われ手榴弾で ふ吹き飛ばされた後に届く。

「お願いだから しあわせになってください」

この一行に「航一郎の全ての想いがこもっている」と貴子は 泣き崩れた。


「命」を大事にした「生き方」このことは、航一郎の気持ちを表わした さだまさしの「この自然の中で 病と向かい合えば 神様について人について考えるものですね」と 説いている。そして「空を切り裂いて落下する滝のように 僕はよどみない命を生きたい」と。                 彼は「命」を持って 「幸せの種」をまいたのだ。その「種」は「愛」そのもの。「痛みを伴う愛」ほど 人の心に残るのだと… 私は痛感した。

「事実は小説より 奇なり」ではなく「事実は小説より 貴なり」とつくづく思い、この「風に立つライオン」を 私たちに知らしめたさだまさしは なんとすばらしい人なのか! 伝えることの大切さを目の当たりにした作品でした。

<あとがき> 

さだまさしさんを 敬称抜きで書かせていただきましたこと お許しください。私たちはそんな彼をとても尊敬し親しみをもって敬称抜きで書かせていただきました。 ご了解いただけたら 幸甚です。



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