ほしになるひ(6)
デボラの出産予定が数週間後に控えていた。彼女は大きなお腹で大変なのに、丁寧に私の世話をしてくれる。年をとってきたせいで、私は足腰が弱くなりお腹もすぐに壊すようになってしまっていた。 彼女は独自に考え出した手作りのごはんを1日2回つくってくれるようになり、そのおかげで、最近は随分と体調が戻ってきたが、昔のようにアークと駆けまわることもできず、散歩やトイレ以外は家の中で過ごすことが増えていった。
ア―クが仕事へ行っている間、彼女とふたりで過ごしているときは、家で一緒にテレビやビデオを観たり、彼女が本を読んでいるときはその足元で私は眠った。天気のいい日には、庭に出てマグノリアの木の下にピクニック用のシートを敷いて日光浴をしたり、毎晩、庭に水やりする彼女のそばをわたしは離れなかった。彼女が何かにつまづいたりして転倒しないように…。 そして、散歩のときはお腹の大きい彼女の歩調に合わせ、ゆっくりと歩くことをわたしは覚えた。
昔はアークといっしょにスケートボードで走ることが楽しくて仕方がなかったが、あれからいくつもの季節がめぐると わたしの体は時間と共にますます早く年をとることに気づいた。
今はデボラと道草を楽しみながらの散歩がうれしくて、尻尾をゆらして歩いていると 尻尾が彼女の太ももにあたって、彼女のそばにいることを実感する。そして、彼女もわたしが喜んでいるのがわかるようで、わたしたちの歩調が重なることで彼女とわたしの心は一体となった。 お腹の大きなデボラのそばにぴったりと付き添っている姿を見て「よくしつけがされた犬ですね」などと声をかけてくる人もいたが、そもそも、わたしの中に「しつけ」という概念などなく、ただ好きな人のそばにいて、誠実に思いやりをもってその人たちを守りたいと思っているだけのことだった。
わたしがカペラと共に暮らしていたときが幸せだったのと同様に、生まれ変わったわたしはとても幸せで、生れてくるかわいらしい赤ん坊といっしょに、これから暮らせることが何よりも楽しみにしている。これ以上、何をもとめようというのか。わたしは守られていると同時に彼らを守りたいと思っている。
今、カペラに会えるのなら、「生まれ変わったわたしは、いま、あの時のように幸せに暮らしているわ。だから、安心してね」と、伝えたい。
デボラが珍しくソファーで昼寝をしている。 わたしは彼女を守るように足元に横たわっているうちに、眠ってしまっていたようだ。知らない国の言葉がラジオから流れていた。
夢をみた。 カペラにふたたび会う夢。吹雪が止んだ青い空の下で、遠くにがっしりとした男性の後ろ姿を見つけた。その姿はわたしが憶えている懐かしい彼の姿だった。「カペラ!会いたかったよ」わたしが走り出すと彼の体は、真っ白い新雪の上にバッタリと倒れた。天を仰ぎ見るように目を見開いたまま、彼の体はピクリとも動かなかった。わたしが何度もなんども彼の頬を舐めたが、彼が起き上がることはなかった。そして、強く抱きしめてくれることも永遠になかた。 ただならぬ気配を察したわたしは、近くに住んでいるアルデバランを呼びに行かなくてはと思い、走り出したが突然、首が後方に引っ張り返された。 知らぬ間に、わたしの首には重い首輪がはめられ鎖が鉄のフェンスに繋がれていたのだった。 走ることを許されない鎖を引きちぎろうとわたしは何度も抵抗をしたが、鎖はそれを許さなかった。わたしはアルデバランのところにいる仲間たちに知らせるため、合図を何度もとどくように遠吠えをし続けた。そして、目を開けたまま眠ってしまったように倒れているカペラを起こそうと、必死で彼の衣服を引っ張ったり、懸命に体を起こそうとした。そうこうしているうちにさっきまでの青い空の色は再び鈍い鉛色に変わり雪が降り始めた。カペラの体に止むことのない雪が降り積もる。このままではカペラが雪に埋もれてしまう。わたしは雪から守るために彼の上に被さるようにして身を守った。しかし、彼の体はみるみるうちに冷たい塊となっていった。わたしはこのまま大好きな彼と離れてしまうくらいなら、共に雪に埋もれてしまってもいいと思った。大好きなカペラのそばから二度と離れたくなかったから。もう一度手をはなしてしまったら、別々の人生を歩まなければいけなくなるから! わたしは、二度とその手を絶対に、絶対に、離さないから…。 わたしは泣いていた。
「いつの間にか寝てしまっていたわ」というデボラの声で、わたしも眠りから覚めた。悲しい夢だった。一体、カペラとは何時出会って、いつ別れたのだろう。それから、どれくらいの月日が経っているんだろう…。わたしにはもう思い出すこともできなくなってしまっていた。けれども、わたしの記憶の中には はっきりとカペラと共に暮らした記憶が刻まれている。それが夢を通して何かを訴え続けているのだ。わたしにはデボラとアークと暮らすようになったころの記憶しか持っていない。ただ夢に出てくるあのリゲルという腰に沢山の鍵をつけた老人のことも、いつの時代に出会ったのか思い出すことができないけれども、何度も夢に出てくるたびに彼の生きた時代にも わたしは生きていたのだと確信するのである。わたしは眠り、夢を見ることで、そして、夢の中でわたしはいくつもの人生を生きているのかもしれないそして、遠い昔の、わたしの体にながれている血が持つ記憶を生きる。
わたしが今、ここにいること。そして、わたしが見る夢はそれに繋がっていると。
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