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「京都の平熱(鷲田清一)」を読んで

 京都に生まれ育った私だけれど『京都の人ほど郷土歴史に希薄な人種は珍しい』と。

 全くもって私にも当てはまる。京都のことは、当たり前の日常として受け入れてしまっているから、深く知ろうとも思わなかった。

 鷲田先生の文章は 哲学という分野がそうさせるのか、情景や物事を的確に表現され、思わずのめり込んでしまう。

このわずかな10×16㎝のポケットサイズに なんと濃い中身が詰まっていることか!

 子供の頃、京都の町や人に対して;いわゆる大人のちょっとした言葉に 違和感や不快感をかんじていた記憶の裏に こんな濃い背景があったとは… 驚きを越して感動している。

 京都の一番嫌な面を身に染みて 京都を離れた私だが、思いもよらず他県から来た学生さんを通して改めて京都を見直すことになった。

「京都の平熱」と言う題もこの内容を的確につかんだ粋な言葉で私は好きだ私の知らなかった京都の反面が、この本を通して心ならずも私を又京都に引き戻しつつある。

 レトロでノスタルジアな写真も
「鈴木理策さんや!私、この人の写真すきや~」と言った娘の一言で尚一層身近なものになる。                                    
 自分の好きな文章を 書きだしていた私だが、この本は書き出していたら ほとんど書きだすことになるので、マーカーで線を引いてしまった。    「お母さん、本に線を引いたん?私も読ませてもらおうと思ったのに~」と口を尖らせて抗議された。けれど、これは私の本だ。

いつの日にか、ポケットに入れて206号線のバスに乗って辿ってみたいと思っている。

 この本を渡してくれた人は 今 東京在住の京都の大学に通っていた学生さん。仕事で関西出張の際、乗り換えで立ち寄った近鉄の高架下の本屋で 何気なく手にして、帰りの新幹線で読もうと買ったのだと言う。     京都の本屋には こう言う出会いが時々あるそうです。

 鷲田先生は哲学者とは思えない柔らかさがあります。
読んでみて最も優れた京都のガイドブックですね。
  
偶然、何十年振りかで出会った京都の町角の貴重な懐かしい思い出の本です


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