見出し画像

ラスボスのはなし

お片付けの仕事は、実際は掃除もしながらのお片付けになるのだけど

これから話すのは、散らかり具合や汚れ具合が、かなりかなり激しいおうちの場合の話だ。

大抵、1日がかりで、黙々と作業を進めていくのだけど、ある時点でそのおうちの「親玉」もしくは「ラスボス」みたいな箇所と対峙することになる。

その箇所を発見した瞬間「来た!!!」みたいな感覚がある。雷に打たれたように、何というか、分かるのだ。ここだな、ということが。

ある時は、それは得体の知れない誰かの遺品だ。またある時は、何十年も掃除されたことのない、異臭を放つ排水口。実家の場合は、真っ黒の分厚い層ができた窓だった。

何と表現したらいいんだろう。「見つけたぞ!ここを救ったらもう大丈夫だ!」みたいな気持ちになる。

全身の毛が逆立つみたいに、私の中の生命力が、その瞬間沸き立つ。何だか分からない、ただのお掃除のはずなのに、まるで命懸けの人命救助、もしくは除霊、あるいは全身全霊の祈り、みたいな感覚なのだ。

何かそれは多分、その家の主がそこまで空間を大変な状態にしてしまうに至った原因であるところの、何らかの痛みのようなもの、そのかたまりを取り除くような作業みたいなんだよね。

私が触れるのは空間であって人の心じゃあないから、間接的であるように見えるのだけど実はかなり直接的に、私はどうやらそのかたまりに触れて、それを洗い流す。

誰からも見られることがなく、触れられることもなかったそれに、手で触れてきれいにする作業は、命を削るような感じもありつつ「私はこれがしたかったんだ」と毎回深いところから込み上げてくる。

だからちゃんと見て、手で触れて、感じながらきれいにしていく。きったねーな、なんて思わない。これは私自身だ、とも思う。

地獄の底まで一緒に行くぜ、というんだろうか。誰のことも絶対に見捨てないぞ、というんだろうか。そんな強いびりびりした思いが込み上げる。

その箇所がきれいになると、うそみたいに空間が軽やかになる。そして家主の表情が明るくなってくる。よし、もう大丈夫だ、と思ってそこからはただただ楽しくサクサクと作業を進める。

そう、実はラスボスに辿り着く前は、まるで樹海に迷い込んでしまったかのように、空間がモヤモヤしてうまく見えないのだ。

いや、見えてはいるのだけど、何だかなかなか「本当のこと」に辿り着けないような奇妙な感覚の中で作業を進めている。浴槽の栓を抜かないまま少しずつ手で水を掬い出しているような、まどろっこしい心地悪さだ。

ラスボスに辿り着くと、スポンと栓が抜けるのだ。そして急に家の中の様子がくっきり見えてくる。

いやはや、なんて仕事を始めてしまったんだろう。

お片付け好きだから、やるよー♪なんて軽いノリで始めたつもりが、実は半分くらいがこのクラスの、ヘビーな案件だ。こんなに魂かけて向き合う仕事になろうとは。

ただ見て、触れて、洗い流す、それだけでこんなに自分が震わされることになると思わなかった。とても神聖な仕事をさせていただいている、と思うようになった。

そういえば最近気付いたのだけど、ヘビーな感じのおうちには実は共通点があって、皆様、部屋の中がすごく寒いor暑いまま作業するのだ。

一応エアコンはついていたりするけど、弱いのね。私はお片付けに向かう時、季節に応じてかなりの寒さor暑さ対策をしていくようになった。

まだこれがどういう法則なのかはっきり掴めてはいないのだけど、

多分、多分だよ?

空間に「見たくないもの」がたくさんあるまま、感覚を麻痺させて暮らしていると、どうやら温度感覚も麻痺してしまうんじゃないだろうか。

空間を快適にすることを諦めてしまっていると、寒くて不快であることも、自分がそれを我慢していることも気付けなくなってしまうという。。

なんせお片付けはあまりに興味深く、やればやるほど日々勉強になることばかり。

応援してくださると、とってもとってもよろこびます♡