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居場所がなかった日

岡野です。

本当はきれいな文章だけ書いていきたかったのですが、どうにもこうにも、最近よく思い出すことがあります。

母です。

今はもう一人暮らしをしている大学生なのですが、時折急にフラッシュバックをするのです。

私は中学生の時に抑うつ状態だと診断され、そこから細々と、時に駆け込むように精神科に通っています。

無意味に不安になることも多いし、人混みは苦手だし、複雑な音が沢山する空間は耐えられません。

それが自分でどうにかできる性格の問題なのか、それとも症状がゆえのものなのか、中学生の頃から今まで、結局わかったことはありませんでした。

実家にいた頃は、たとえ身体が動かなくなって学校に行けなくても、母と口論になって逃げるように自室にこもっても、母は私の布団を引き剥がしてよく怒っていたものでした。

もう怒っていた内容まではよく覚えていませんが、「逃げてるばかりじゃどうにもならないんだよ」みたいな話だったと思います。

枕元にある隠してた薬を引っ張り出しては、こんな薬に頼って!!(両親は薬剤関係の職業でした)と、どなられたものでした。

高校生になると、その分家にいる時間を減らして、門限ぎりぎりまで遊んでから帰って来ていました。私に寄ってくる人なら誰でもよかった。

大学生みたいな性観念の高校生だったと思います。

家にあまりいない私を見兼ねてか、母は30分単位で私の行動を把握したがるようになります。いつ誰と遊びに出かけて、いつ塾に行って、何時に帰ってくるのか。一週間の予定を書かされました。リビングのよく見えるところにある、大きなホワイトボードに。

夕飯がいるかどうかはLINEで連絡していたのにも関わらず、です。

両親から離れた今でも、辛い時に薬を手にするとまた思い出してしまうのです。逃げているんじゃないか、とか、普通の人は飲まないでもやっていけてる、とか。

私はだいぶ構われてきた長女で、下に歳の離れた妹がいます。足元が崩れるまでは世間一般でいう、よくできた子でした。

だからその分、今は誰にも見えない場所で必死こいて普通かそれ以下を取り繕っているにも関わらず、帰省した時に言われる、なんでやらないんだ、だとか、どうしてできないんだ、なんて言葉が酷く傷口にしみます。

もう生きてるだけで精一杯なんです。本当に。

元気なときは、この昔の話をせずに自己紹介ができたらいいなぁ、なんて思うのですがまだまだかかりそうです。

また書きたくなったら書きます。

fuina.

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