日に日に気が立ってきてる実感がある。
「我慢する」よりも、「我慢させる」の方が辛い。
「腹が減る」よりも、「腹が減ったと泣かれる」の方が精神的に擦り減る。
「苦しい」よりも、「苦しそうにしている姿を見る」の方が堪え難い。
親というのは、そういう生き物だと思う。
だから、子どもを守ろうとするときには気が立ってしまう。
そんな自分に気づいてしまったので、正直に言うと、買い占めをする人の気持ちもわからなくはない。
人間という動物には(少なくとも僕には)、やっぱり家族を守るという本能が備わっている気がするからだ。
そして、それは社会秩序よりも強く僕の心理に働きかけてくる。
ブレーキは理性と社会性。
それも、何かの拍子で機能しなくなるかもしれない。
もちろん、自分たちだけが無事ならいいとは思っていない。
その先に待っているのが孤独と後悔であることを想像するのは容易だ。
だけど、自分たちの身は自分たちで守らねばと、本能が強烈に呼びかけてくる。
きっと、人は奪おうとするときではなく、守ろうとするときに理性を失うのではないだろうか。
それも、感情的にではなく、極めて冷静に。
新婚旅行で行ったマサイマラ国立公園のガイドさんも言っていた。
子連れの母ゾウが一番凶暴だって。
思いがけず本能と向き合う日々だ。
気が立てば立つほど、折りたたまれていた自分の全容が見えてくる。
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