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【ラジオ教材①】日高晤郎ショー

もうすぐお盆ですね。
晤郎さんが亡くなって2年4ヵ月。

radikoプレミアム開始(2014年4月)以降は、毎週土曜になると、朝8時から夕方5時までは、家に居ようがクルマで出かけようが…「ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショー」を聞きながら過ごしていたものです。
2018年3月24日”最後”の放送の後、吉川アナが「フォーエバー」として1年担当し、昨年3月23日に終える迄、丸5年ずっと”土曜のお供”でした。

最近は、TBSラジオや文化放送等、あちこちのラジオを渡り歩いて聞いて過ごしてました。が、久米宏さんも終了し…最近は迷走しっ放しです。

実は晤郎ショーは…

ファンの方がYoutubeに大量に過去の放送(本当は著作権的にNGですが)を上げているので、今日はそれを聞きながら過ごしています。あの当時を思い出しながら。
過去音源って、今聞くと懐かしさや古さが浮き上がってしまうものですが、ボーっと聞きながら過ごしていても、違和感無いんですね。だって以前は、普通に土曜のお供でしたから。ニュースや芸能の話題になると、やっぱり時代を感じてしまいますが、中継先とのやり取りとか、レポーターへの”いじり”とか、普通に笑って聞いています。
道民の方には、同感頂ける方がいらっしゃるかも知れませんね。

緊張感

普通に聞いてる分には楽しい9時間の生放送ですが、同じ業界として”現場”を想像すると、これだけ緊張感ある番組は無いと思います。
リアルに聞いてる当時も有りましたが、放送中であっても、アシスタントが凡ミスしたり、リスナーでさえ”ちゃん”としないと「公開説教」があったり、怒鳴ってスタジオが凍り付いたままCMに落ちたり…。
だから、批判的な人、アンチ晤郎の人も多く存在しました。

晤郎さんは、自らをラジオ”芸人”、リスナーを”お客様”と表現していました。常にSTVラジオ1スタに雛壇を設け、20~30人のリスナーを入れての公開生放送スタイルで放送していました。文字通り”ショー”だった訳です。
話によると8時に番組が始まる前もCM中も、目の前のリスナーを相手に喋り続けたと言います。

以前Youtubeで、こんな音源を見つけました。
普段、お昼12時からの30分は、別のパーソナリティが出演する外からのレポートコーナー「サテスタ歌謡曲」で、メインの出演者・スタッフはお弁当タイムですが…放送が突然途切れました。マスターからのフィラー(放送事故時に流れる繋ぎの音声テープ)が数分流れた後、息を切らせた晤郎さんが登場。事情を説明します。中継回線が切れた訳ではなく、1スタ自体の機器故障でダウン、予備のスタジオも調子が悪く、マスター(心臓部の主調整室)付属の小さなニュース用ブースから喋ってると言います。1,2分経って落ち着いた晤郎さん、いつもの穏やかな声で時間を繋ぎます。原稿も何もないフリートーク。途中ドアの音がしてスタッフがメモを置いてゆきます。今、こうです。と隠さず状況を話し、クスっとさせる事も忘れない。やがて1スタが復帰。あたかも演出だったか?のように颯爽と本来の1スタに戻ります。途中で放送が切れた取材先スポンサーへのフォローもサラッとこなし、午後の部へと突入する…そんな音源でした。

きっとスタッフは大騒動だったでしょう。でもその雰囲気は一切出さず”お客様”のお相手をする…まさにプロ。そんなプロが求めるのは、完璧な9時間…ではなく、常に「生」で起こる出来事に瞬時に対応して”面白さ”にする「技」でした。放送当時、毎週映像生配信でスタジオの様子を見る事が出来ました。淀みなくトークをしていたかと思うと、唐突に左手を高く上げます。
いわゆる逆キュー。その瞬間に次のコーナーBGMが入ったり、次の曲が入ります。生放送を聞いてる時、一度、こんな事が有りました。
逆キューから一瞬「間」が空いて曲が出たんです。
「だめだめ。こんなんじゃ次に行けないよ。何やってんだよ」
そこからやり直すのか?と思ったら、そのまま喋りながら機嫌を直し、お客の笑いを出して、次のコーナーへ進行しました。

完璧主義という訳じゃないんですね。常にキャッチボールをしたいんですね。ふと1人が気を抜くとボールが落ちる…それが嫌なんですね。目の前にお客様が居る限りそこが舞台。トラブルが起きようとエンタメに徹する。だから高度な技じゃなく瞬時の対応力を求めていたんですね。時に緩く下ネタを喋っていても9時間集中を切らせる事が無かった人…それを支える側も、9時間集中する必要があった…と。

最後期、アシスタント無しになりました。
ランラン号のレポートも無しになりました。
恐らく、求める事が高すぎるという声があったんでしょう。
晤郎さんにとっての”必要最小限”が、若手には”最高難度”だったんでしょう。ならば、そんなのは要らない。無くてもやれる。そう言った事は容易に想像出来ます。でも、残った人々(とついさん、ようへいさん、ミホ隊長、のりおアナ)は優れた”対応力”あるラジオ”芸人”ばかりでしたから、厳しい環境でも、育つ人はキッチリ育った訳です。今もそれぞれ番組を持って活躍している事を想うと、ある種納得出来る「生放送”学校”」だったんですね。

長時間ワイド

放送時間が9時間になったのが1987年4月。そこから31年間(最後期の春~夏はプロ野球中継が入り短縮になっていましたが)毎週9時間完走し続けた事には脱帽です。
大阪育ちだと、長時間といえば802の「Friday Amusic Island」が有りました。ヒロTがワンマンスタイルで朝6時~夕方7時まで、こちらは毎週13時間の生放送。朝起きてから仕事に出かけ、帰りの車の中でもまだ放送してる(笑)ってことです。
今、手元に最新の「ラジオ番組表”春”」(三才ブックス刊)が有りますが、こういった超ロング生ワイドは無くなりました。唯一、NACK5で金曜放送中の「Funky Friday」くらい。こちらは朝9時~夕方6時の9時間です。
来年3月で80歳を迎える超ベテラン!小林克也さんですね。
いつまで続くんでしょうね~(笑)。(79歳の爺さんが「ミッキーだよー」って言ってるというのも面白いですが)

「Funky Friday」の場合、それほど区切りを意識させないシームレスな構成が特徴です。一方、ヒロTも、晤郎ショーも「時間帯」を意識してコーナー化、ゾーニングをクッキリ意識させた構成が特徴でした。晤郎ショーの場合…営業的事情から多くのスポンサーが付くのでコーナーで区切ったという面も大きいとは思いますが、9時間で20~30のコーナー枠がありました。
その全てを1人のカラーで貫いたから、1日流して聞いていても成立するし、飽きないし、途中の一部だけ聞いても成立した…という事です。

いや、首都圏のラジオでも平日の生ワイド、特に午前中は5分~10分の提供枠がギッチリ詰まってます。でも、ぶつ切り感は否めません。多分、各コーナーごとに担当の放送作家さんが構成していて、それに沿って進めてるんでしょう。となると、1つ1つの鶏肉を串で貫いた時、全体的に”たれ”をかけて「1つ」にまとめる喋りの技が、DJの皆さんには無いんでしょうね。
その「たれ」を持っていたのが晤郎さんだったと言えそうです。

とにかく、ボーっと聞いても、耳をそばだてて聞いても、いつの間にか…東から昇ったお日様が西へ傾き、気付けば…心がしみじみする「北の出会い」が終わり拍手に包まれ…競馬の払戻し情報を経て「街の灯り」が歌われて(お世辞にも上手とは言えませんでしたが(笑))…午後5時前、札幌時計台のノイズマイクが拾う街の雑踏と溶け込んで番組が終わりました。

平日とは違う週末の1日を丸ごと演出しつつ、暮らしの邪魔はせず、気付けば心に残る場面が幾つかある…見事な番組だったと思います。

無くなって寂しいラジオ番組の1つですが、今、あれを復活させようと思っても無理でしょう。あれだけのエネルギーと緊張感のオーラを出せる人は、もう居ないのでは無いでしょうか。ただ、あのDNAを持った人が沢山居るという意味ではSTVラジオの大事な財産だった事は確かです。
きっと晤郎イズムは、ずっと引き継がれる事でしょう。

リスナーとして聞いていた当時、何度か、他地方、他局のDJ,アナ、スタッフが見学に来てるという場面がありましたが、そういった皆さんが訪れた時の思い出話も伺ってみたいな…と思いました。

うん、1回でいいから見学したかった。
出来れば1サブから、背後からガラス越しに晤郎さんの背中を見たかった。雛壇の”お客様”たちの笑顔を観察したかった。

正直、心残りです。

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