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引越し1週間(新潟→大阪)個人的記録①「さようなら新潟」

16年過ごした新潟から大阪へ引越して1週間のこのタイミング。誰に伝えるという訳では無いけれど、こんな1週間も暫く経験しなかったなあ…という事で、記録として残しておきたいと思います。

■10月28日(水)

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既に段ボールは殆ど詰め終わっていたので、ギリギリ迄使っていた物を詰めて早朝から荷造りは完了。最後の”包装プラスチックごみ”出しも済ませた。ゴミはもう出せないから近所の牛丼屋で朝食。そして引越しスタッフの到着がお昼なので午前中は掃除に充てる。と、電話が…。「すいません、到着が午後1時~2時頃になりそうです」引越しスタッフから…まあ自分の移動は夜行バスなので急ぐ事は無いし、抜け殻のような部屋で待つ。元々日中のTVは見ないからradikoで伊集院など聞いて待機…。
午後1時半、やっと引越屋到着。3トンと聞いてたのに大きな4トントラック!前後の別仕事の都合だそうで、追加料金無しと聞きホッとする。
スタッフは3人。一番年上っぽい人は職人肌であまり笑顔を見せないが若い1人がニコニコと応対してくれる。テキパキと指示しながらバイト君を使い、あっという間に搬出が終わった。ニコニコ君は新潟担当で、運ぶのは職人さん1人らしい。大阪ではあっちの補助スタッフと現地合流で搬入をするそう。トラックを見送って空っぽの部屋に戻ると、急に実感が湧いてきた。

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16年の生活…喫煙もするので壁紙は汚い。空けた窓の外はアパの建設よりも、〇〇生命ビルと”長崎ちゃんぽん”跡の取り壊しが煩い。部屋の中でパンと手を叩くとすごく響く。コレが空の部屋か…。大家さんへの引き渡しも有るので感傷に浸る暇無く、最後のふき掃除!腰に来る。拭けば拭くほどに雑巾が黒くなる。幾ら掃除してもキリが無い。気付けば外は夕暮れ…と携帯が鳴る。大家さんから「そろそろ?」と。空の部屋をチェックして頂き、掃除道具や身の回り品をスーツケースに入れて一緒に外へ出た。鍵を渡した。
ついに新潟の住まいとお別れ。
夜行バス迄の予定を全く考えて無かったので、徒歩5分でひとまず新潟駅へ。ロッカーへスーツケースを預ける。ココまでの1週間程、心残り無いように…と新潟馴染みの味1つずつとお別れしてきたが…最後の最後は蕎麦にした。

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下戸の悲しさよ。普通の人ならお燗でもチビチビやりながら過ごせるが、空腹を満たせばやる事は無い。バス迄まだ数時間。仕方なく店を出て徘徊。自然と足は信濃川へ向いた。完全に日常の風景のはずの万代シテイの街が愛おしい。感傷に浸りつつ”やすらぎ堤”へ。古町方面のイルミネーションが川面に揺れる。が、アベック(死後w)の邪魔なので移動する(笑)。

一番ベタな角度…萬代橋越しのホテルオークラ(一番上の写真)。
ふと、もっと綺麗な夜景を撮りたくなりメディアシップ20Fへ上がる。

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他にもあちこちの夜景を撮った。バスセンター方向。元自宅マンション方向。数日前に朱鷺メッセの上にも上がったが…やはり少し低いこちらの方が街が近い。幼子の頭を撫でるように街の夜景を愛でる事が出来る。1Fへ下り、馴染みのコンビニ店長にお別れの挨拶。再び駅方向へ戻る。

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月に照らされるロゴ…いつまで残ってるのやら?(送信アンテナも撤去していない)

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数年後はアパの影に入ってしまうのだろうか?

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数年後訪れた時には確実に失われている風景。バスが空なのが残念。

撮れば撮るほどに、別れが惜しくなる。16年の長さだ。
いや、これから向かう大阪も、この16年大きく変貌した。
ひと昔半は長い。
今見れる風景は残すべきなのだ。

ロッカーから荷物を出し、ファミマ前のバス停で夜行バスを待つ。
雨じゃなくて良かった。小さなブース1つで長距離客を捌くには狭すぎる。
数年後にバスターミナルは高架下へ移設され、もっと快適になるだろう。
そんな事を想っていると、てもみんの向こうから紫色のバスが現れた。
新潟交通と阪急バス共同運行路線で多客時は数台連ねて来るが、コロナの影響も有り客も少ない。今夜は阪急1台のみ。荷物を預けて乗車した。

一面に張られたカーテンのボタンを1つ外し…外の夜景をチラ見しながら新潟にさよならをした。

(「2」へ続く)

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