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大きなスクリーン~シネコン以前

今、毎週新作映画の情報をNoteにUPしていますが、今はロードショー作品というと全国のシネコンで公開されています。週末になると家族でクルマでお出かけして、買い物の”ついで”でシネコンに立ち寄って…丁度良い時間の上映のチケットを買って、それまでは、買い物や食事で過ごして…時間になればシネコンへ戻って…チケットに書いてある座席を探して座れば快適に映画が観賞出来ます。それが当たり前。
でも、シネコンが登場する90年代以前は、お目当ての映画は特定の映画館に1日掛けてお出かけするものでした。映画がメインでした。

東宝作品なら東宝の映画館、松竹なら松竹の映画館…目指す映画館は絞られていました。その代わり、その映画館にさえ行けば1日中お目当ての作品が掛けられていました。座席指定などは無く、入口のチケット窓口で購入したら「もぎり」のお姉さんに薄っぺらいチケットを無造作に半分ちぎってもらい、中に入れば…待つしか有りませんでした。早いもの勝ちなので、上映開始直後に入場して…約2時間、通路で待ちました。後ろの扉だと前方の座席が確保できにくいので両脇の通路前方の扉の直前で待つ訳です。中から音が漏れますが聞かないフリをして(笑)黙々と待ちます。最後、賑々しくエンディングテーマ曲が流れだすと、扉が開いて中からドッと観客が出てきます。子供の自分はそれをかき分けて前方真ん中の席をキープするのが役目(笑)。切り込み隊長の重責を担うのです!エンドロールが終わる頃には既に勝ち負けが決まるのでした。

そうやって1本のヒット作を見に行くのは1日掛かりのレジャーであり、家族一丸となっての戦争でした(笑)。
そりゃ今のシネコンのシステムの方が快適ですが、アレはアレで映画1本の印象は深く焼き付くモノでした。

さて本題。

今のシネコンだと、今の鬼滅の刃のような大ヒット作だと大きなスクリーンが割り当てられますが、それほど公開規模の大きくない作品だと当初から小さなキャパのスクリーンになります。折角観に行ったのに期待外れな小さな映像ということも少なくないはずです。大きなスクリーンといっても、キャパは300~400でしょう。
シネコンが登場する迄は、大阪市内の主要映画館だと1000前後というキャパが当たり前でした。スターウォーズシリーズ等のヒット作になれば、満員+立ち見で、その熱気は凄い物。上映が終わって外に出たら行列と人混みで凄い物でした。

「映画は是非大きなスクリーンで」と言われても”当時”の熱気を知る昭和民としては、今のシネコンの雰囲気だと魅力半減なんですね。IMAXだとお化けみたいな巨大スクリーンが出迎えてくれますが、全国的には少ないですし、割高な分”元が取れた”かどうか…位なものです。1000人前後の仲間と共に同じ空間で巨大なスクリーンを見上げて興奮するあの空気感、今の子供たちにも経験させてあげたいなあ…とも思います。

前述したように、今のシネコンは東宝だろうが東映だろうがワーナーだろうがユニバーサルだろうが、メーカー、配給に関係無く色んな作品が掛けられていますが、当時は、メーカーと興行がリンクしていましたから目当ての映画館はおのずと決まったんですね。
まず新聞(!)の映画欄で作品と上映館、上映時間をチェックします。見たい時間から逆算して出かける準備をして、電車で出かけます。もちろん見たい時間引く2時間(笑)…元から並ぶ覚悟です。お食事、お茶は映画を”無事”見終わってからです。まずは、より快適で見やすい座席を確保すること。先の上映のエンドロール中に座席を確保(荷物や上着を席に置く)したら、素早く売店へ向かいパンフレットを購入。飲み物を買って戻ってきます。
そういえばドリンクホルダーなんて無かったし、荷物掛けのフックなんて有りませんでした。席の前後の間隔ももっと狭かったですねー。子供の自分は、通路前の列が必須でした。通常席だと前席の大人の頭でスクリーンが見えないんですから。だから「スターウォーズ」は実質映画の半分しか見てない訳です(笑)。
そんな面倒な事は多かったですが、今も見た作品は記憶に鮮明です。本当に大きなスクリーンの満足感は半端無かったです。

■思い出の映画館

昭和当時…まず初めて巨大スクリーンで見たのは「近映大劇場」。
あべの近鉄横、近鉄南大阪線阿部野橋駅隣接の映画館でした。
確か小2春休みシーズン「東宝チャンピオンまつり(ゴジラ対メカゴジラ)」を見たかったのですが近所の女の子家族が一緒ということで「東映まんがまつり」に無理やり決められて残念だった記憶が…。(ウィキで調べたら1974年春でした)メインは「きかんしゃやえもん」、TV作品では「キューティーハニー」が上映されていました(笑)。

ちゃんとした長編映画を見た最初は「シンドバッド虎の目大冒険」(1977年)。「千日前国際劇場」でした。ハリーハウゼンのコマ撮りSF大作でしたね。古い劇場でしたから狭い座席だった記憶が有ります。

そして子供心にSF映画に目覚めた2本。「スターウォーズ」と「未知との遭遇」。実際制作されたのはSWの方が先ですが日本公開は「未知との遭遇」の方が先でした。これは確か近映大劇場そばの「あべの地下」だったような。忘れもしない「スターウォーズ」は「南街劇場」。今は難波駅前の丸井ですが、あそこにでっかい映画館の建物がありました。コレは親ではなく、近所の魚屋のおばちゃんが一緒に連れてってくれるという事で付いて行きました。とにかく満員で暑かった記憶が。そして”見えにくい”!!さっきも「半分しか…」と書きましたが、こういうことです↓

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スクリーンの位置が低い!!そりゃ満員の館内、前の大人の頭が邪魔になるはずです。多分、それ以来…南街では殆ど見てないと思います。

手塚治虫作の「火の鳥」というとアニメの印象が強いでしょうが…当時”実写版”の「火の鳥」(1978年)を東宝が作りまして…今やおじさんバイプレイヤーの尾美としのりが”子役”で出演してましたよ。主演は若山富三郎、草刈正雄(!)、ヒロインが由美かおる(!!)。さらに大原麗子、高峰三枝子、仲代達矢…豪華なキャスティング!主題歌は松崎しげる(!!!!)。
で、アニメと実写の合成よりも印象的だったのは…犬神家の一族でも出てきた市川崑独特のL字明朝体のオープニング(笑)。なんじゃこりゃ!?と子供心に刺激を受けました。で、それを観たのが「アポログリーン」。あべのにアポロビルというショッピングビルがあって、その中に「アポロローズ」と「アポログリーン」2館並んで映画館があったんですね。外観もスマートな細いビルでしたから館内も細長くて、あまり広くもなかったですが…。多分現在、あべのアポロシネマのスクリーン1と2が…元ローズとグリーンです。

とりあえずSFにハマって…「2001年宇宙の旅」(1968年製作)のリバイバル上映(1978年)がある!と知って観に行ったのが「千日前スバル座」。今はラウンドワンになってて1Fがゲーセンです。あのビルの上、エレベータで上がった5Fに有りました。シネラマOS劇場と同じオーエス系列ということで階段状の座席と湾曲したスクリーンがとても見やすい映画館でした。

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当時は本当に宇宙SFブーム。便乗して制作されたのが「007ムーンレイカー」(1979年)。ボンドが宇宙にまで飛んでいきました(笑)。コレを見たのが「シネラマOS劇場」。確かお正月興行でしたっけ。通常自由席ばかりの当時の映画館の中でOS劇場だけは全席指定で、厚めの紙のチケットが新鮮で暫くコレクションとして置いてた記憶が有ります。
どんな感じだったか?は…こちらのゾンビマンさんの記事をどうぞ。

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ナビオ阪急から道を挟んで南向かいにあったのですが、ナビオがデカイ分、外観は小さく見えるんですよ。ところがロビーを通って館内に入ると、ズドーンと階段状に掘り下げてあるんですね。で、1F最前列からスロープ状に地続きで巨大湾曲スクリーンが広がっているという独特の形状!
映画館というと縦長な印象ですがOSは完全に横長でした。こりゃ割高でも納得!と子供心に感じました。
(OS劇場は1991年2月閉館されましたが、最後のお別れ興行では「2001年~」と「ベンハー」を観に行きました。「ベンハー」は古いプリントを使用したので所どころ画面が痛んだり黄ばんだりしたシーンも有りましたが、途中に休憩(インターミッション)が有る長尺作品を見る貴重な機会でした。勿論満席で階段通路に座って観る人たちも居たのが印象的でした。)

その後、高校から大阪市内へ通学するようになると…親と一緒に…というより自分で映画を見に行くようになる訳です。そうなると…新しくて綺麗で大きいという訳で「北野劇場」になるわけです(笑)。

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見えますかね。天井に丸いシャンデリア的な照明が付いてて豪華なんですよ。内装自体は東宝系お馴染みの赤と金でまとめられたゴージャスさは慣れてましたが、ナビオ=船の舳先へ向けて台形にレイアウトされた客席、これが遠近法的効果を出して、実際以上にすごく広さを感じられました。
真ん中の白い部分が指定席ですが、普段は空いてたので、この指定席エリアの真後ろが頭が邪魔になりにくいので人気だったような気がします。
個人的には視角いっぱいにスクリーンが来るようにしたい派なので、前方ブロックばかりでしたけど。「レイダース」も「バックトゥザフューチャー」も北野で見た記憶が有ります。ヒット洋画といえばココでしたね。

北野劇場・梅田劇場・梅田スカラ座3館は全て、ナビオ阪急8Fに揃ってました。エレベータを出ると、煌びやかなロビーで右手に3館のチケット窓口が並び、正面奥にカフェ。左手に3館の入口が有りました。梅田劇場は殆ど入りませんでしたが一番手前の「梅田スカラ座」はよく入りました。80年代半ば、角川映画の第二全盛期”3人娘”時代ですよ。薬師丸ひろ子&原田知世2本立てが夏休み興行のお決まりでした。中でも時かけ翌年、1984年公開の「愛情物語」は何度も見ました。時かけで”おしとやか”だった知世ちゃんが躍動感一杯に踊るんですよ。夢中になりました(笑)。
北野劇場が1フロアのみだったのに対して梅田スカラ座は後方に2階席が有りました。3館共、基本フラット床だったので少し割高でしたが2階席だとスクリーンが丁度正面なので快適に”推し”の姿を観れた訳です。(現在は2F部分のみ分離して、相当せせこましい小さなスクリーンになってるそうですが…)
1998年「踊る大捜査線」1作目はココで見たと思います。後追いだったのでハマったのは2以降。2の時は前夜祭にも参加しましたが、興行側のはからいで、北野劇場の座席を開放して翌朝まで仮眠させてもらった貴重な体験をしましたっけ。

殆ど東宝系ばかりでしたので、他の映画館の思い出も少々。

梅田東映会館…梅田エリアでは他より少し離れて行き辛い感じでしたが…大阪駅前から第3第4ビルを通過、梅新交差点を渡った所に有りました。
確か1Fがメインの邦画系「梅田東映」で、大階段を上がった2Fに洋画系の「梅田東映パラス」、エレベータで上がった上の階に「東映パラス2」があった…と記憶しています。アニメイト等のショップが無かった当時珍しかったアニメショップ「ペロ」がその上の階にあったと思います。建物自体古かったので、本編1本見ると結構尻が痛かった記憶があります。

うめちか(現・ホワイティうめだ)東端「泉の広場」を上がったところにあったのが梅田松竹会館。新御堂筋の高架が目の前でしたし、繁華街のガチャガチャした中にあるビルだったので、入口も上に上がったロビーも狭かった印象です。一番上、10Fが一番大きい「梅田ピカデリー1」。座席は緩い階段状だったので見にくい事は有りませんでしたが縦長レイアウトだったので、余り観に行った機会は有りませんでしたね。

あと…ミナミでは、道頓堀松竹座。今は演劇用ですが以前は映画館として使っていました。レイアウトは基本同じってことで、スクリーンは舞台上。座席はメインのフロアを三方囲むように2階席が有りました。レトロな装飾があって…不思議な感じでした。もちろん音響は悪かったです(笑)。

今はシネコン全盛になって、映画館自体の特徴というのも感じなくなりましたね。あの頃を体験している世代は貴重だと思います。
もちろんシネコンの方が観賞環境は向上しました。
実際、1993年、本格的なシネコン黎明期、全国2軒目にオープンしたワーナーマイカルシネマズ東岸和田がオープンした当時は、クルマで15分、電車で2駅、自転車でも30分で家から行けたので、しょっちゅう通ってました。多い時は1日で4本見た事も(笑)。何よりもポップコーンが美味しかった。せっかく初期からのシネコンだったのに閉館になって残念です。(ユナイテッドは海側にあるので実家からは遠いし…)

シネコンだと1施設で多くの作品を掛けるシステムになっていて、公開週は1日4,5回上映あっても2週目以降一気に減って昼間1回、レイトショー1回という作品も少なく有りません。
いつ行っても1日中上映していた昔のシステムを知ってる人間には残念な時代です。「シネコンで見逃しても半年も待てばソフトが出るし配信も有るし」という人も多いでしょう。でも公開した週末の成績が良ければ、上映回数もキープされると聞きます。数十人、数百人同時に楽しみ興奮し感動する貴重な空間ですから、是非、映画館の大きなスクリーンで映画を楽しんで、映画を守りましょう。

ちなみに…今週末公開作も、週末記事をUPする為にリサーチしていますが、今週末(11月13日)公開作はちょっと多めですよ。お楽しみに。
(了)


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