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【翻訳】Taylor McCue さん インタビュー

ここに翻訳したのは、先日日本語化をお知らせしたゲーム『彼は私の中の少女を犯し尽くした(He fucked the girl out of me)』の作者、テイラー・マッキュー Taylor McCue さんがウェブメディア Game Developer で受けたインタビューです。冒頭でも説明されていますが、このインタビューは『HFTGOOM』が IGF の Nuovo Award にノミネートされたことを受けて行われました(Nuovo Award はのちに『BETRAYAL AT CLUB LOW』が受賞)。
翻訳に際して、テイラーさん及び聞き手の Joel Couture さんから許可を頂いています。元の英語版はこちらから読むことができます:https://www.gamedeveloper.com/road-to-igf-2023/-how-he-fucked-the-girl-out-of-me-takes-players-through-traumatic-memories 
記事中、角括弧[]内は訳者による補足です。

聞き手:Joel Couture

このインタビューは「IGFへの道のり」シリーズの一部として行われました。IGF(Independent Games Festival)はゲーム開発におけるイノベーションの奨励を目的としており、ゲームというメディアを拡張するようなインディーゲーム開発者を取り上げています。Game Developer では毎年GDC[Game Developers Conference。IGFはこのカンファレンスの一部として開催されている]に先立ってIGFファイナリストの開発者にインタビューを行い、ノミネート作のテーマやデザイン思想、ツールなどについてうかがっています。

なお、今回取り上げる『彼は私の中の少女を犯し尽くした(He fucked the girl out of me)』では以下の要素が描写されています:同意のないセックス、疑わしい同意、性的暴行、性的行為としての女装の強要、トランスフォビア、デッドネーミング、性別違和、年齢差の大きい関係、虐待、希死念慮/自殺企図、流血表現

彼は私の中の少女を犯し尽くした(He fucked the girl out of me)』は自伝的なビジュアルノベルで、トランス女性がセックスワークに従事した際のトラウマ的な経験を扱っています。

作者のテイラー・マッキューさんは本作で IGF の Nuovo Award にノミネートされました。今回、そのテイラーさんが Game Developer のインタビューに答えてくださいます。過去のつらい記憶をどのように再構成して語ったのかや、自らのトラウマ的記憶に長時間向き合うことの精神的な困難、そして自分自身を世界にさらけだし、他人にその経験を追体験してもらうということにまつわる非常に複雑な思いなどを語っていただきました。

まずは自己紹介と、本作の開発においてどのような役割を担われたかを教えて下さい。

私の名前はテイラー・マッキューです。自分が何者かを説明するのは難しいですね。仕事や過去作、受けた賞などを列挙すればいいのでしょうが、私は仕事はしていません。私はひきこもりです。ゲーム開発者として多くの賞を頂きましたが、いまでも皆さんの期待に応えられていないという感覚があります。

私生活についてもっとお話ししたい気持ちはありますが、いまそれをすると不必要にしゃべりすぎたり、自分を必要以上に責めたりしてしまいそうです。

『彼は私の中の少女を犯し尽くした』の開発では、私は文章を書き、ほとんどのアートワークを描き、コーディングもしました。このゲームは2022年のクィア・ゲームズ・バンドル[クィア当事者の開発したゲームを集めたバンドル。テイラーさんもオーガナイザーの一人としてかかわっている]に入れるために作りました。その締め切りがあったので、できる限り努力はしましたが、最後のほうは少し急いで仕上げることになってしまいました。

ゲームを間に合わせるために、友人のキンバリー・カールソン[Kimberly Karlsson(visiface)]が手伝ってくれました。キンバリーはいくつかのアートワークを私の代わりに描いてくれました。ゲーム中、テキストボックスがポップアップする直前に一瞬だけ「K」の文字が見えるアートワークがありますが、それがキンバリーの描いてくれたものです。

この「Kタイプ」のアートワークはおもに「すきなひと」とプレゼントのセクションに出てきます。あそこはとくに苦労した個所でした。好きな人や友人を表現している、ちいさなコウモリとネコの姿をしたゴーストのデザインもキンバリーによるものです。

それから、自分の書いたものを客観的に見ることが難しかったので、スクリプトに関してはプロの人を雇いました。手伝ってくれたのはソフェリア・ローズ [Sopheria Rose] で、ソフェリアはビジュアルノベル『Spare Parts』シリーズの開発者として優れた実績があります。もしゲームのスクリプトに関してプロの意見が欲しいのなら、ソフェリアはほんとうにおすすめです。

『彼は私の中の少女を犯し尽くした』のスクリーンショット
「はんのうの しかたは さまざま だった」のシーン

いままでのゲーム制作の経験を教えてください

私は以前、健康上の問題を抱えていました。細かくは立ち入りませんが、そのせいで私はかなりめちゃくちゃになっていました。激しい苦痛に苛まれ、その苦しみを紛らわすために大量の鎮痛剤を飲んでいましたが、なにも効いているように思えませんでした。痛みはそれほど強かったんです。あのころはほんとうにつらい時期で、ホラー映画じみていました。

とにかく、その状態はかなり長いあいだ続き、その時期には私はずっとこう考えていました:「ああクソ、何もかもがつらいしくるしい。私は死ぬんだ」

そういう風に、ただじっと自分は死ぬんだと思いながら、考えました。私は賢しらにも大学院に行ったし、そのあと、なんというか、社会正義系の仕事にも就いた。世界を救おうとする人がやるようなやつです。それがいまではこんなことになっている。なにが心残りか考えてみると、見る人みなを引かせるような、心の底から痛々しい作品を作れなかったことが残念でした。

それまで私がやってきたことといえば、慈善活動をオーガナイズしたり、大学に行ったり、そして時々二次創作をしていたくらいです(これは恥ずかしいのでこっそり隠しました)。けっきょく、気づいたのですが、私はただ、誰もがドン引きするような負け犬オタクとして、ただオタクっぽいものを作りたかったのです。だから、私はこう考えました。もし生き永らえることができたら、私は全力を尽くして負け犬になろう。なりうるかぎり最低の、何の価値もない負け犬になろうと。

それから少し体調がよくなって、それなりの作業ができるようになった段階で、誰が見ても引いてしまうようなゲームを作りはじめました。最初に作ったゲームはどこにも公開しませんでした。その頃は絵もかけなかったので、出てくるキャラクターはぜんぶ TinierMe [オンライン上のアバターコミュニティ]で作りました。ほんとうにひどいゲームでした。ですが、私自身もその頃はほんとうにひどかったので、当然と言えば当然でした。

そのうち、みんなが引いてしまうような痛々しいゲームを作るためには絵が描けないとだめだと気づきました。それでdeviantArtで勉強を始めましたが、ほんとうに恥ずかしい経験でした。deviantArtにはものすごく才能のある人がたくさんいて、10歳の神絵師みたいなのまでいるんです。私はすぐに悟りました。あらゆる自尊心はかなぐり捨てないといけないと。それに、あらゆる言葉と絵を、ただひとつの目的のためだけに組み立てないといけない、ということも認識しました。その目的とは「どうすればプレイヤーを飽きさせないか?」ということです。

いまではプロが丹精込めて作り上げたアートを好きなだけ眺めていられます。なのになぜ私が作ったものをわざわざ見なければいけないのでしょう? とてもよくできたスクリプトを書いて、最後まで読めば誰もが涙するものを作ったとしても、最初の5分ですべてのプレイヤーがゲームを放り出してしまっていたら――なにをしても無駄なのです。

そういうことを考えながら、いくつかゲームを作りました。できはとても悪く、開発期間もシビアだったので不完全なものでした。そういうひどいゲームをだいたい13個くらいは作ったと思います。いくつかはまだネットの海を漂っています。誰もプレイしない、謎のごみみたいな存在ですが、それでも私は自分の作ったゲームが好きなので。

健康上の問題を脱して、いよいよ本当に生きていけるようになり、イタいゲームも作れるようになりました。そして段々と、ナメクジの這うようなペースで、ゲームの出来も最悪を脱してきました。最初の「まじめな」ゲームは『Saving You From Yourself』というもので、このゲームではプレイヤーはセラピストになります。そのセラピストはやってくる人がトランスジェンダーかそうでないかを判断する役割を担っており、ある女性がホルモンにアクセスできるように紹介状を書くかどうかを決めることができます。このゲームはメルボルン・クィア・ゲームズ・アワーズ 2018 で銀賞をもらいましたが、同時に、めちゃくちゃ叩かれました。

左翼の人も右翼の人も私の考えが気に入らず、私が二度とゲームを作れないように叩き潰そうとしてきました。左右両派ともに、私があらゆる政治的立場の人を怒らせたのには驚いていました。製作から5年たった今でも[2023年]、両方の立場の人からネガティブなコメントをもらうことがあります。評価もしてもらいましたが、正直言って、攻撃を受けてゲーム作りはもうやめようかと思いました。

人生のほとんどの時期において、私は社会から求められる通りにふるまおうとしてきました。いい人であろうとしていたのです。それが突然、無数の人から大量の怒りを向けられました。200年前なら街を追放されて野垂れ死んでいたことでしょう。ほんとうにやめてしまおうと思っていたまさにそのとき、ナタリーがツイッターでメッセージをくれました。その時の会話はだいたいこういう内容でした:
ナタリー「あなたのゲームほんとうに良かった。とても気に入ったんだけど、ポジティブなコメントするのは失礼かもって思ったんだ」
私「う~~~……誰もポジティブなレビューしてくれないし、みんな私のことが嫌いみたい」
ナタリー「は??? そんなことある!!??」
表現は正確なものではないですが、とにかくこういう会話が行われました。その後、ナタリーはいまだかつてないほどアグレッシブなレビューを書き、なぜ私の作品がこの世に必要なのか、そして私がどういう意義のあるデベロッパーなのかということを熱弁してくれました。

そういうことがあって、私の脳はなんというか壊れてしまい、負け犬をやっていくのなら他人に罵られるのもしょうがないと考え、受け入れるようになりました。なれる限り最低の負け犬になろうと思うのなら、嫌われたくらいで世界の終わりみたいに考えているわけにはいきません。ナタリーは私がもっとも必要としていた瞬間に、闘い続けるための力をくれました。

その次に、『Do I Pass?』を作りました。このゲームでは、トランス女性が自分の魂を体から分離させて、体をバスの座席に残したまま、ほかの人が何を考えているかを覗いていきます[プレイヤーキャラは、自分が女性として見られているかを確かめたいと思っている]。

いまでも攻撃的な人から「おまえはパスしてない、死ね」式の反応をもらうことがあります。こういうことを言う人は自分が頭がいいと思っていて、こんなことを言うのは自分が最初だと思っているようですが、私はキモいオタクなんですよ。美人のトランス・ゴッデスみたいな存在がこんなゲーム作ると思ってるんでしょうか??

それはともかく、その後もいくつか作ったものはありますが、いよいよ私を苦しめ続けている事柄に取り組む必要があると気づきました。それが『He fucked the girl out of me』製作のきっかけです。

『彼は私の中の少女を犯し尽くした』のスクリーンショット
アン:「なんで あんなこと いったの!?」のシーン

『He fucked the girl out of me』のコンセプトはどのようにして出てきたのですか?

最初期に作ったゲームでもトラウマは重要なテーマでした。最初は健康上のトラウマを扱っていました。私が長いあいだ経験していたのはそういうものでしたから。その健康上のトラウマがほかのトラウマも呼び起こしました。それにはかなり打撃を受けて、多くのフラッシュバックが起こりました。かなりしんどかったです。

『Saving You From Yourself』には アール Arle という名前のトランス女性と、その親友のデニーズ Denise が出てきます。ホルモンを処方してもらえなかったので、二人は農場用品店まで長い時間をかけてドライブし、動物用のホルモンとシリンジを買います。その店で、アールは去勢バンドを見つけます。

去勢バンドというのは、金属製の爪でゴムバンドを引っ張るようなつくりになっています。ゴムバンドを広げてから睾丸を中に入れて、そしてゴムを締めると血流が止まって睾丸が壊死するというしくみです。若い動物にこれを使うと、死んだ睾丸はただ落ちるか吸収されるかして、理想的に運べばとくに何の問題も起きません。人間に使うとそうはいかないのですが、これは複雑かつ難しい問題ですし、今は話にもそれほど関係ないので深くは立ち入りません。

この話はフィクションとして描いていますが、多くの人が私のゲームをデマとして攻撃しました。このゲームは私の実体験に基づいていて、私の経験を再構成して作っています。私は実際に友人と農場用品店に行きました。そこにはほんとうに去勢バンドがありました。

この経験がトラウマ的なのは、レジに行ったときに、私たちはネコのブリーダーか、と聞かれたせいです。インタビューで細かく説明はしませんが、このことは私を深く傷つけました。それまでの私は、人生を通じて、どんなにそうではないと感じられてもけっきょく自分は人間であり、ほかの人と平等なのだと考えていました。その店で店員と話し、ブリーダーのふりをせざるを得なくなった時に、私は自分が人間ではないのだと気づきました。動物ですら獣医に行くことができるのに、人間の医者は獣医よりも冷たいことがあるのだと。

とにかく、話を進めましょう。『He fucked the girl out of me』では主人公をモーテルで去勢してあげようというメールが来ます。これは実際にあった出来事で、これをほかの経験と組み合わせて去勢バンドのエピソードにしています。あるトランス女性の友人がいて、その人が私と一緒にやりたいといってきたことがあります。やりたいというのはセックスではなくて、去勢バンドを一緒に使おうということでした。私はそれを断り、その人はバスタブで一人でやり、その後もとくに問題はありませんでした。

私たち[トランスジェンダー]のほとんど全員が、世の人々とはまったく違う存在なのだということに気付いて、衝撃を受けました。ただし、これがジョージ・ブッシュ政権時代の話だということには注意してください。いまでは事情が違います。さいきん、私は何人かの医者にかかっています。その人たちはミスジェンダリングしたり、法的な性別を示してもそれを無視してまでミスジェンダリングしてきたりします。それでも、私はちゃんとした医者からホルモンを処方されているのです。私のことをごみのように扱うとしても、治療はしてくれます。それには感謝しています。

『Saving You From Yourself』の去勢バンドのシーンに興味がある方は、ここで見ることができます。

話を進めましょう。『He fucked the girl out of me』の最初の構想は『Saving You From Yourself』の続編というものでした。プレイヤーはアールになって、去勢バンドを使うことを拒否したあと、デニーズに「じゃあセックスワークはやってみたことある?」と言われるのです。そうして二人は、気の滅入るような、100%フィクションの物語に出ていきます。(ここで自分を守るように自分の体を腕で包む)

その構想のもとでゲーム全体のスクリプトは書いたのですが、そうしていると自分に嫌気がさしてきました。恥ずかしさが捨てきれず、自分をフィクションの壁の向こう側に隠していたのが嫌になったのです。それで、数年間かけた作品を捨てて、一からやり直すことにしました。

そこで問題となったのは、ゲームは動詞的なものだということでした。ゲームと他のすべての媒体とを隔てているのは、観客がなにかをやるということです。過去はすでに起きてしまっているのだから、いまさらなにをやる余地が残っているでしょうか? そう考えていた時に、BagenzoのMadotsuki’s Closet をプレイしました。これはゲーム史上もっとも優れた二次創作ゲームのひとつです[『ゆめにっき』と作者自身(Bagenzo)をテーマとしている]。まだプレイしたことがないなら、ぜひやってみてください。

Madotsuki's Closet のすごいところは、過去がすでに起こったものとして存在することです。窓付き[『ゆめにっき』の主人公]はすでにバルコニーから飛び降りています。このゲームは、私が作ろうとしていたゲームの、デザイン上のモデルになってくれました。過去はすでに起こってしまっていますが、その過去をどのように体験させるかはデザイナーである私にかかっているのです。

このアプローチについて、私はディズニーランドの乗り物のようなものとして考えています。プレイヤーはローラーコースターに乗って、あらかじめセットされた見せ場を通過していくのです。このゲームも同じです。プレイヤーは最初から主人公がセックスワークをすることを知っています。プレイ体験は、その経験がどのように語られ、そしてその後に何が起きたかを見るところにあります。

これはどうでもいいことかも知れませんが、最初の構想ではサリーの名前はデニーズで、キャラデザインも前作のデニーズと同じにするつもりでした。最後になって、名前をサリーに変えて髪を黒くし、主人公のほうをブロンドにしました。変更した理由は、フィクショナルな自伝を作っているとはいえ、主人公の髪を黒くすると現実の私がこのキャラクターだとばれるんじゃないかと不安になったからです。だからサリーと逆にしました。ゲームフェス以外の場でこのゲームをプレイした人に偶然出くわすというのは、考え得る限り最悪の事態です。

『彼は私の中の少女を犯し尽くした』のスクリーンショット
「サリー:あいつが まってる なかで あいましょう」のシーン

開発にあたってどんなツールを使用しましたか?

構想段階ではTwine1.4.2を使っていました。Twine1.4.2は画像のドラッグアンドドロップが可能で、かつ完全にオフラインで機能する最後のバージョンなので、それを使っていました。
画像作成には Clip Studio Paint と Aseprite を組み合わせて使っていました。クリスタはドット絵制作にはぜんぜん向いていないのですが、トーンなどいくつかのエフェクトはクリスタでしか使えないので、クリスタ上で作業してから仕上げに Aseprite を使いました。ゲームエンジンとしては GB Studio3.0.3 を使いました。

ペンタブは Wacom Intuos Pro を使いました。テストプレイには NeoGeo arcade stick pro を使いました。ターボボタンが付いていていろいろと楽なので。

ゲームで個人的な経験や感情を扱おうと思ったのはなぜですか? 個人的に経験した苦しみをゲームにしたことで、あなた自身にどのような影響がありましたか?

おたずね頂いたことの一部にはすでにお答えしてあると思いますが、もっと説明しようと思います。10年ほどの時間を経て、恥が私の心を深く蝕んでいました。そのせいで私は気が違ったようになっていて、どんどん希死念慮が強くなっていっていました。

その頃私は、もう誰ともコミュニケーションできないと感じていました。自分がかつてセックスワークをしていたことがばれたら軽蔑されるだろうと考えていたのです。それに、いくつもの複雑な理由から、もう一生だれも愛することはできないと感じていました。自己肯定感が崩壊した状態で何年も過ごし、あらゆる他者を恐れ続けるというのは拷問のような苦しみでした。それがあまりにも辛かったので、この恥の感覚を解消するために私に残された最後の手段は、私を苦しめているものがなにかを万人に向けて宣言することでした。ひとりの人間を相手にそのことについて会話するのはトラウマ的になったことでしょう。

それで、ゲームが私に及ぼした影響ですが、それについては三つの期間[と、公開後の二つのイベント]に分けて説明したいと思います。

制作中:この時期は恥の感覚や希死念慮が強まり、事態は悪化していました。ゲームで扱う経験についてむかし書いていたことを読み返したり、当時のことについてじっくりと、不快になってもなお考えなおしたりしましたが、そういうことをしているととても辛くなりました。当時の自分を振り返ると、昔の私はばかげていて醜く思え、自分に対する怒りがこみ上げてきました。

ゲーム制作のせいで私の状態がどんどん悪化しているのは友人たちの目にも明らかで、このゲームの制作をやめるよう言ってくれたひともいました。そのころの私は自分勝手で思いやりも欠けていて、いまよりもしょっちゅう泣いていましたし、我を失うこともしばしばでした。なにをやっているにせよ、とにかく今やっていることはやめて別のことをしろ、とあらゆる友人に言われました。

それでも、だんだん落ち着きを取り戻してきました。作業を続けて一番つらい部分も作り終えましたし、クィア・ゲームズ・バンドルも近づいていました。そのころは脳が溶けてきていて、とにかく締め切りに間に合わせることしか考えておらず、ほかには何も感じなくなっていました。私はあまりにもあせっていたので、友だちのキムが手伝おうかと言ってくれたとき、とにかくスクリプトをまるごとキムに送りつけました。疲れすぎていてもう何がどうなろうと構わないような気持ちになっていたのです。キムはスクリプトを読んで、「なるほど。手伝うよ。で、これは何が書いてあるの」という感じでした(表現は正確ではありません)。

そういうことがあって、なんとかクィア・ゲームズ・バンドルに間に合うように公開できましたが、三分の一ほどはカットせざるを得ませんでした。骨身を削って作ったものからどこをカットして闇に葬るか決めるためには、長いあいだじっくりと考える必要がありました。それでも創作のためには必要なことです。なにもかもできるわけではありませんから。

公開した日:こわかったです。後悔ばかりがやってきて、やっぱりやめようかと思いました。あらゆるコメントが心臓に突き付けられた短剣のようでした。震えが止まらなかったので、毛布をかぶっていました。なんとか気分をそらして、ゲームについたコメントを見ないようにしていました。

テストプレイヤーの反応から、このゲームは100%炎上して叩かれるだろうと確信していました。これで私の人生は終わりだが、それでいいのだと思っていました。でも同時に、そうなってほしくない気持ちもありました。奇妙な感覚でした。数日間はそういう状態だったと思います。

公開からしばらく経った後:このゲームはおおむね好意的に迎えられ、ヘイトメールや中傷コメントもそれほどありませんでした。他のゲームと比べてもその量は少なく、無限のヘイトが押し寄せてくることを覚悟していただけに、驚きでした。わずかに寄せられたヘイトも、脳内で自分に対して向けていたものよりはよほど穏やかでした。

プレイした人はみな私に優しくしてくれて、最初は全てのコメントに返事をしていました。残念ながら、コメントがあまりに増えたので私は壊れたレコードみたいになってしまいました。心を込めた返事ができなくてつらい気持ちになりました。

コメントで自分が経験したトラウマを赤裸々に語ってくれる人もいました。私はメンタルが弱く、良いセラピストにはなれません。最近では自分の面倒を見るので精一杯です。時には、自分の面倒を見ることさえわざと放棄することがあります。そういうメッセージをもらっても私にはどうすればいいのかわかりません。私の処理できるレベルを超えていました。

もらったメッセージはすべて読んでいますが、今は返事はしないようにしています。どれかを選んで返事したら、すべてに返事しないといけない気持ちになるからです。もらったメッセージを読んで、泣いたこともあります。心が暖まるものもあります。どうしようもなく辛い日に暖かいメッセージをもらうこともあり、そういう時には生きる支えになってくれます。メッセージが怖くなることもあります。数時間のあいだ、私の気分を完全に変えてしまうような影響力を持っているからです。

ゲーム開発者のコミュニティで経験したネガティブな経験についてはあまり語りたくないのですが、ほかのインタビューでうっかりそのことを話してしまったので、ここでも触れておきます。ある開発者コミュニティは、警告付きであっても私のゲームに言及することを望みませんでした。「傷つきやすいユーザーのメンタルヘルスを保護するため」とかいうことでした。だいぶ疲れてきたので正しく要約できてはいないですが、ともかく、メンタルヘルスに問題を抱えたユーザーを守るためにストレスとなりそうなものはだめだということでしたが……どうなんでしょう……その同じ場所ではポルノゲームや暴力的なゲームは評価されていたんですが……

エッチなゲームが評価される一方で、安全なスペースを守るというレトリックが抑圧のために用いられたのは正直言ってシュールな体験でした。これはエッチなゲームを批判しているわけではありません。私はそういうゲームは世界にとってポジティブな存在だと考えています。

上で触れた別のインタビューが気になる方は、ここで読むことができます。

IDFA:それから、アムステルダムで開催されたIDFAに招待されました。

オンラインでもらった言葉が助けとなって、恥の感覚はかなり弱くなっていました。同時に、どこかしっくりこない感覚もありました。

アムステルダムで、私は生まれて初めて安全な空間にいられました。アムステルダムには赤線地帯があり、セックスワークをしていたことがある人も普通の存在でした。

普通だったのです。

そこでは私は、誰よりも奇妙な異常な存在ではありませんでした。

直接出会った人から、人間として扱われました。私がかつて何をしたかを知っている人から、それにもかかわらず人間扱いされたのです。

インターネットでコメントをもらうことも助けにはなりますが、実際の場所において安全で普通だと感じ、ほかの人から人間として扱われることがどのような感覚か、説明することはできません。それでも、ほんとうにはそこに属してはいないのだと感じる瞬間もありました。私は相変わらずのコミュ障だったわけですが、本当に自分が人間なのだと思える瞬間もあったのです。

そこにいた人々は私のことを裁かず、人間として扱ってくれました。私は安心できました。

人生が変わる体験でした。

IGF:IDFAを終えると、私はゲーム開発者が人生で望みうるすべてを体験したような気持ちになっていました。多くの人が私のゲームをプレイし、私のことを理解し、さらには私を人間として受け入れてくれさえしたのですから。好かれるか嫌われるかはともかく、すべてのゲーム開発者が望む最大の願いは自分のゲームがプレイされることです。それでも、自分のゲームがプレイされている瞬間というのは多くの場合見る機会がありません。私はその機会にも恵まれました[IDFAを含むいくつかの展示会では実機の展示が行われた]。

こうして、私はゲーム開発者が人生で望みうるすべてを体験しました。健康上の問題をくぐり抜けて以降、私が生きるすべての瞬間は恵みとしてあります。ですが、これだけのものを受け取るというのは法外なことです。私は気分が悪くなるほど運がいいと思います。

IGFにノミネートされた時、私はすでにだいぶ前から次のゲームの制作に取り掛かっていました。ノミネートされたことで、落ち着いていた生活は突然中断され、IGFに参加したりPR活動をしたりと多くのことをやらねばならなくなりました。それにはインタビューを受けたり、不安に苛まれたりといったことも含みます。そういったことが嬉しかったと言いたいところですが、私には過ぎた親切でした。こういったポジティブな注目をどう扱えばいいのかわからないのです。

怖くなってしまうのです。なんだか、私の知らないところで私のトラウマを人々に吹き込んでいるゴーストがいて、そのせいでみな私に優しくしてくれているように思えます。ですが、私はもうゲームを作った時の私ではありません。私はトラウマを乗り越えて、人間になりたいのです。だから混乱してしまいます。トラウマはこれからも私の一部ではあり続けますが、同時に……(なんなのでしょう。わかりません)

IGFは少し不安です。精神を病んだどうしようもない人間として、ビデオゲームという窓を通じて世界とコミュニケーションをとることはできましたが、飛行機に乗って全然知らないところに行くというのはまったく別のことです。

IDFAは赤線地帯のようなもので、アート系の人たちだったから良かったのですが、IGFには不安があります。よりビジネス的なプロの世界で、精神を病んだどうしようもない人間がそういうビジネスの世界にうまくなじめるかわからないのです。

『彼は私の中の少女を犯し尽くした』のスクリーンショット
「わたしが せつめいできる ことには げんかいがある」のシーン

制作過程において、つらい記憶や感情に踏み込まねばならないという問題にどう対処しましたか?

昔、セラピーに通っていた時に、脱感作療法的なものがありました。正確な描写だとは思わないでほしいのですが、それはだいたいこういうものでした。まず、できるかぎり正確に出来事を思い出してmp3プレーヤーに録音します。そしてそれを何度も何度も聞き返します。何度も聞き返して、退屈で、何も感じなくなるまで聞き続けるんです。

ゲームの制作は次のように行いました。まず、下書きを作ります。そして、次の日、そこになにも付け加えないまま、ゲーム全体をプレイします。そうすると何度も何度もトラウマに触れなおすことになります。

脱感作はうまくいったと言いたいところですが、完全にというわけではありませんでした。いまでもひるんでしまう部分があります(主に男性のアパートの個所です)。その部分を飛ばすために、目を閉じてターボボタンを押すようにしたこともありました。

多くの場合、実際には私はただ泣きまくっていました。他よりも手が込んでいたり、ギャグっぽいテイストになっていたりする絵があるのはそのせいです。文字通りずっと泣き続けていたので、なにか気分転換になるものが必要でした。そうしないと、ただひとつの恐ろしい出来事についての、気の滅入るような画像が次から次に出てくるだけになっていたでしょう。そんなゲームは耐えられません。変化を作ったおかげで私自身も制作を続けられましたし、プレイヤーにも息をする余地ができました。

ゲームの文章は直接的ではっきりしていますが、アートワークは象徴的です。このテーマを扱うにあたってこのような表現方法を選んだのはなぜですか?

プレイヤーになにかを伝える必要があるときは、できるかぎりはっきりと伝えるようにしています。このゲームだとメールの個所がそうです。

より抽象的な事柄を説明したいときには、メタファーのほうが便利です。最初から最後までずっとリアルに記述していたら、感情的なインパクトは減っていたでしょう。感情はファクトベースではありません。人間が常に完全に理性的であったなら、トラウマは存在しないでしょう。

ゲームデザインの裏側を示すために、ゲームのオープニングを分析してみましょう。プレイヤーはまず内容に関する注意を与えられ、そのままいきなり開けた空間に投げ出されます。奥にはゲームの最後の場面のエリアが遠くに浮かんでいます。これは、ゲームを終えて戻ってきたプレイヤーに、トラウマは終わりのないサイクルなのだということを示すためです。

しばらく進むと突然、頭のないゴーストと出会います。そのゴーストはオナニーをしています。操作キャラクターもゴーストですが、もっと記号的でかわいい感じで、性的な特徴はないように描かれています。ここで出会うゴーストは実際の人間の体格をしています。このシーンの目的は、このゲームで怒ったり傷ついたりするだろう人――とくに内容に関する注意をスキップした人――を振るい落とすことです。プレイヤーに私がふざけているわけではないことを理解してもらい、これからどのような体験が待っているのかを完全に理解してもらう必要がありました。

このシーンのもう一つの目的は、性的なことについて考えるうえで落ち着かない気分になってもらうことです。セックスワーカーを人間ではなくただの性的対象と見るような考え方を乗り越えてもらうために、このシーンでプレイヤーを微妙に不快にさせ、突き放す必要がありました。プレイヤーの脳内の「エッチなことを考える」部分のスイッチをそっとオフにして、これから続くゲームの内容に適したマインドセットにしておく必要があったのです。

純粋なリアリズムから象徴的な表現に移行すると、プレイヤーは落ち着かなくなってストーリーから注意が逸れてしまいます。象徴的な表現から始めてプレイヤーを現実的な描写へと導いていくほうが、より自由に表現を変化させることができます。

『彼は私の中の少女を犯し尽くした』のスクリーンショット
セックスワークを終えて家に帰るシーン

このゲームで使われているアートワークは苛烈なリアリズムと漫画的な記号表現をのあいだを行き来していますが、それにはどのような考えが反映されていますか?

絵のスタイルが変化していることにはいくつかの理由があります。ひとつは、制作中は感情が動転していたので、くだらない絵を描くことで気分転換していたからです。もうひとつの大きな理由は、ゲームの制作期間がかなり長いことです。違う日に描いた絵は、その時間の違いを反映してトーンも大きく変わることになりました。ある絵を描いている時には動転してくたびれ果てていても、他の絵はぜんぜん違う日に描いていてハッピーな気分だったということがあります。


私が一日に描ける絵は最大で3~4枚なので、制作者としての観点から言うと、4枚ごとに違う日になっているわけです。プレイヤーにとっては絵と絵のあいだにはミリ秒単位の違いしかありませんが。

3つめの理由は、ずっと苦痛に満ちたものを流し続けていても、同じようなものの連続になってしまうからです。休みなく苦しみ続ける必要はありません。ちょっとしたコメディタッチの絵柄で、一息つけるように考えています。

最後の理由は、私が境界性パーソナリティー障害を患っていて、極端な思考をしがちということです。恐ろしいトラウマについて考えて底なしの暗黒にはまり込んでいたかと思えば、突然スイッチが切りかわって「なにもかもうまくいきそう、イエイ!」といった感じになるのです。だからこそいままで私は生き残ってこれたのだと思います。このことについて多くのセラピーを受けてきましたが、私は常に精神を病んでいてどうしようもありませんでした。もうこのことは受け入れています。

このゲームをゲームボーイやゲームボーイポケット向けに開発したのはなぜですか?

当初スクリプトはTwine上で書いていました。Twineは非常にユーザーフレンドリーな言語で、私はほとんど第二の天性言えるほどに身につけていました。これは大変重要なことで、泣いたり、気分が動転したり、人格が分裂したりしている時はまともでなくなっているからです。気分が完全に動転している時はまともに言葉も使えなくなり、文章を書いたりはっきりと考える能力も影響を受けます。Twineのすごいところは、たとえそんな状態になっていても、深く体に染みついているので作業を続けられるということです。

当初、このゲームはTwineで制作して最後にUnityで仕上げるつもりでした。これが実現しなかったのは、Unityは認知能力に制限がある人には難しかったからです。Unityで望み通りの結果を得るためには全力を捧げないといけません。危機的状態にある人にはそれは無理です。

それに対して、ゲームボーイはGB Studioという非常に使いやすい開発環境があります。フレンドリーで、楽しい環境です。制限はありますが、やりたいことが拡散するのを防いでくれますし、あまりにも制限されすぎているというほどではありません。その日にやりたいと思ったことがあったとして、やる気があればその日のうちに終えられます。うまくいかないことがあったときのトラブルシューティングも簡単で、頭が働いていなくても可能です。シンプルなので問題も少なく、それはこういった感情的な題材を扱う上ではクリティカルに重要でした。

このゲームはプレイヤーの心を揺さぶるような体験を提供し、セックスワークについて非常にリアリスティックな描写があります。これほど苦痛に満ち、不愉快にさせるような、現実的なセックスワークの描写を世に送り出そうと思ったのはなぜですか?

NCITEが2015年に出した Injustice at Every Turn Report というレポートによると、トランスジェンダーの人の11%が非合法な経済活動に関わったことがあり、その経路としてセックスワークが突出しています。これはつまり、10人トランスジェンダーの人がいれば、そのうちひとりは私のような経験をしているということです。

私の経験は特殊でもなければ、人と違うところもまったくなく、他人と比べて特別な経験ではありません。ゲームの初期版をテストプレイしてもらって改善点のフィードバックを受けたとき、あるテストプレーヤーは大変怒っていました。彼女によると、私が語っていることはぜんぶめちゃめちゃで、なぜこんなことを書く人間がいるのかわからないということでした。

彼女にとって、私がやっていることは、自分のトラウマと苦しみを機械に乗せて世に送り出し、私が死んだあとでも数えきれない量の人びとを苦しめ続けるようなものでした。彼女は間違っていませんでした。何千人もの人が私のゲームをプレイしましたから。私は自分のトラウマを抱えたまま死ぬことを選びませんでした。私のトラウマはネット上に存在し続けて、私だけでなくほかの人を傷つけ続けるでしょう。か弱い、トラウマを抱えた人々に大量の精神的ダメージを与えたのです。

その意味で彼女は正しかったのです。私はこのゲームを世界をよりよくするために作ったわけではありません。この行動は純粋な利己的目的に基づいています。恥の感覚のせいで私は自殺へと近づいていっていました。10年の時をかけて、私の内側にじわじわと忍び込んできていたのです。健康上の問題を抱えて以降、私の状態は悪化する一方でした。精神的には、自己認識の上に錆が広がっていくような感覚でした。

恥を乗り越えるもっとも良い方法はその恥に向き合い、公然とそのことを語り、そうしても大丈夫なのだと知ることです。残念ながら、ある一人の人間に伝えて話を聞かせるというのは双方にとってひどく消耗する経験になります。そんなことを、社会に向かって公言できるような日が来るでしょうか。自分がむかしセックスワーカーだったことがばれるのが怖くてデートもできないのに、そのことを人に伝えるなんていつになったらできるでしょうか。私のように臆病な人間にとって、ベストな解決法はそもそもデートしないことでした。

私が回復するまで自分のトラウマを説明し続けるという戦略は非現実的でした。何度も何度も告白を続けていれば、その告白は自動化します。一度だけ告白し、それで終わりにする必要がありました。というわけで、純粋に利己的な動機から、何千人泣かせることになろうとも、私はトラウマ・マシンを作り出したのです。

私の希死念慮はあまりに強く、苦しみを止めるためなら何でもできたでしょう。それでも、直接手を差し伸べて私を助けようと苦労してくれた人々にこの自殺的な苦しみを振り向けようと思うほど冷酷にはなれませんでした。その代わりに、何人傷つけても構わないから、ただ私が助かるためだけに、このトラウマ・マシンを作りました。自分の心地良さを守るためなら、人はどんな邪悪なことでもするものです。トラウマを克服するための険しい道のりと思えたものが、実際はそのトラウマを世間に広く押し付ける、卑しい利己的行為に過ぎませんでした。

そうして今では、私は自分がセックスワーカーだったことで拒絶されることを恐れる必要は無くなりました。もう心配する必要は無いのです。恥じることもありません。私はこの行為を通じて怪物になったのです。ですが、恥の中に生きるよりは、怪物となって生きていく方が簡単です。

あなたがゲームで提示したストーリーは簡単には飲み込めません。それでも、私としては、可能なら最後までプレイされるべき作品だと思えます。このストーリーを通じて、プレーヤーにはどのような影響を与えたいですか?

自分のゲームが他人に与える影響については、なんの期待もしていません。私が望み得るのはただ、他人に理解され、人間として扱われたいということだけです。

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