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20歳になりました。休学します。

 タイトルにも書いた通り、1年間休学します。理由は単純に、疲れちゃったからです(病気ではないです)。留学も世界一周もしないし、起業もしません。本を読んだり、音楽したり、街歩きしたり、ギリギリ扶養を外れないぐらいの労働と丁寧な暮らしを生活の軸にして、のんびり過ごす年にします(「日本でワーホリをやる」的な感じで捉えてもらうとそれが正解かも)。あ、でも普通に楽しく暮らしたいので、楽しいことあったら誘ってください。
詳細はまた長々書いてしまう気がしますが、何でも許せる方だけ読んでいってください。




ネコチャン


 毎年同じことを言っている気はするが、19歳の1年はなかなかに激動だったと思う。たくさんの良い出会いがあり、素敵な人たちに囲まれて、やりたいことを叶えさせてもらって、本当にありがたい1年だった。

 その一方で、明らかに動き過ぎな自分を自覚するようにもなった。若い感性や体力とやらが期限付きのものなら、めいいっぱい腕を広げて、今のうちに世界の全てに触れておこう、みたいな気持ちでいた。
 しかしもちろん時間と体力は有限で、時間と体力が削れると感性も死んでくる。そして当然ながら、大切にしたいものを大切にしきれなかったり、何を大切にすべきなのか/大切にしたいのか、わからなくなってくる。



 2023年度の夏休みと春休みは、それぞれのおおよそ半分ずつぐらいを費やし、北は北海道から南は鹿児島まで、日本のほぼ全ての都道府県を訪れた。大学生をやっていると、やれグローバルだの海外経験だの、日本の外のことに目を向けさせられる。それもそれで必要だが、もっと足元のことを、自分の国のことを、まずは表層的にでもいいから知りたい、自分にはそっちの方が必要だと思った。

 日本は大きくて美しい国で、線路伝いに行けば特徴ある街や集落にいくつも出会う。人間が立ち入ることを許さないような自然や、暮らしと自然が混ざり合った風景も存在する。自分の住む街と地続きの場所には、これほどまでに豊かな環境が広がっているのだ、とまあ考えればわかることではあるのだが、自分の目で見たものは強烈に記憶に焼き付いていて、前より実感を伴って、自分の国について語れるようになった気がする。


 20歳の目標は、ゆっくり、足元を見ること。まず自分の国を知ろうとするのと同じで、今ある自分をもっともっと知ろうとすること、今いる場所で自分を育ててみること。本当に大切にしたいものを丁寧に選び取って、大切にすること。それ以外は勇気を出して手放してみること。見たものや聴いたもの、読んだものをゆっくり咀嚼すること。無理をしないこと。

「今は手放すことで、今本当に大切にしたいものを守って、またいつか手放したものも拾って、もっとずっと長い時間をかけて、全部大切にできる世界を作りたい」と言っていた人がいた。私は強欲だから、全部を知りたいし、全部を作りたいし、全部を大切にしたいと思ってしまう。けれどそれは同時並行である必要はないし、たくさんあって一度に抱えきれないなら、少しずつ拾って長い時間をかければいい。最近やっとそんなふうに考えられるようになった。

 人生ってもう加速する一方なんだろうか、と思っていた。そんなことはない、きっとアクセルを踏み続けているのは自分で、自分でブレーキを踏めないせいで、止まれないだけなのだろうと思った。今、ようやく一時停止できそうだ。学生のうちに何かを成し遂げようとか、大人になるとあれができないとかこれができないとか、それは正しいのかもしれないけど、何かをおもしろい/楽しい/美しいと感じる、あるいは寂しさ/悲しみを見出す感性や思想は、いつでもいつまででも育てていけると信じたい。そう信じられれば、止まることは怖いことではない。

 「ジャズは一生かけて登りたいお山」という言葉を急に思いついたことがある。働いていても歌い続けている人に、歳を重ねても歌い続けている人に、今年はたくさん助けてもらったし、力をもらった。人生のだいたい1/4の時間は過ぎたかもしれないけれど、そうやって人生を切り分けて、詰め込んだり諦めたりするのは、全く意味のないことだ。若いうちに、とか働いたらできないから、とかではなくて、一生かけて、おもしろおかしく生きていこうとしていたい。

 いつもありがとうございます。ゆっくりでいい、自分のペースでいい、そう言ってくれる人や自分の言葉を信じて、また1年がんばります(あんまりがんばらないけど)。よろしくお願いします。


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