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時系列倒置の研究 1・「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

時系列グジャグジャ系の物語の研究をします。最初に取り上げるのは先日読解をした「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」です。

倒置回数

本作の構成はこうなっています。

時系列通りに組み替えると

こうなります。ここだけの倒置回数は5です。
倒置回数というのは、「最低何回操作をすれば元の順序に戻るか」です。

1〜4を上にあげて、末尾の5を、冒頭の5とドッキングすればよいです。ところが冒頭の5の中身にも倒置が含まれています。冒頭のみ表にするとこうなっています。

イブ射殺と、ヌードルスがアヘン窟に行った時間、前後判定が難しいのですが、作中ではマックスたちが連銀襲撃している時間に、ヌードルスは酒運びをする予定です。実際酒運びに行ったのかどうかは定かでありません。多分行かなかったと思います。行ったにしては事件直後にマックスたちの死体を見ている。仕事をサボって連銀近辺にスタンバイしていたはずです。事件直後仲間の死亡を確認して、その後アヘン窟に直行します。

殺し屋は、イブの自宅で待ち構えています。イブと一緒にヌードルスが来るものと期待しています。ヌードルスを殺すためです。実は連銀襲撃前にマックスはヌードルスに、「今日はイブのところに居ろ」と勧めています。マックスと殺し屋はグルです。

殺し屋にとっては探す手間がいりませんから、優れた計画ですね。しかしなぜかイブだけが帰ってくる。肝心のヌードルスさんは来ない。まだアヘン窟から出てきていないのです。イブは、ヌードルスとの最後の時間の時と、

殺された時では服が違います。

つまり別の日付です。イブはヌードルスと別れて家に帰って寝て翌日別の服を来てヌードルスを探し回ったけど居なかったから一旦帰宅すると殺し屋が居た、わけです。ヌードルスは最低でも半日程度はアヘン窟に居ると類推できます。実際連銀事件の新聞を阿片窟で見ています。阿片吸引は結構な時間を消費するのです。
話し戻します。元の表の2と1を上にあげて、そのすぐ下に番組末尾のアヘン吸引シーンを挿入すれば連銀襲撃前後の時系列完成です。倒置回数2プラスです。作品全体で倒置回数7になります。

倒置したままの全体図をご覧いただくとおわかりのように、

老人時代は順序倒置がありません。分割されても時系列通りに進行します。少年時代も長いワンセクションのみになっています。時系列通りです。

そして連銀襲撃、仲間たちの死、自身のバッファロー逃亡あたり、特に警察に電話するあたりが、集中的に倒置されています。ここらへんの不明な点を全編を通して解明してゆきますから、最重要ポイントを倒置させていると理解してよいと思います。つまりこの作品では、倒置の目的は強調です。特定部分を強調するために時系列倒置をしています。

全体構成

倒置の研究としては以上です。以下表をいじっているうちに発見したことです。時系列復元すると、全体はかなり綺麗な構成になっています。

3と4は青年時代が連続しますから、本当は分割する必要はないのですが、

分割して書いているのは3と4の間にintermisson(休憩)入っているからです。

つまり

つまり

です。前後の時間がほぼ等しい。時系列倒置がなければ正統的に構成されているのです。しかし時系列倒置しますので実際映像では、

となります。なんのこっちゃ。時間が前後で大幅に不均等になる。いっそintermissonを削除すればいい気がしますが、倒置していない場合の内容整理には役立ちます。

倒置してない本来のこの映画は、

前半はデボラ覗き見から始まり、列車に乗ったデボラを見送ります。
後半は王座に座ったマックスの部屋に入り、マックス邸から退出して終わる、という内容ですね。

しかし監督セルジオ・レオーネが十数年間構想練り上げた作品ですから、これだけでは終わりません。細かく見ると

となっています。なんと前半と後半とが、ゆるやかにですが対応している! 反復構造なのです。反復構造というのは、物語の構造の一種で、私の研究では物語はなぜか鏡像(対称)構造か、

反復構造になります。

作中の対句の配置によって、鏡像か反復かが決定されます。もっともこの見方が正しいのかどうかは私にもまだ確信が持てません。構造分析しているとこうなったというだけです。たとえば夏目漱石ですと、草枕は鏡像(対称)構造、

こころは反復構造になります。

なんとなく歴史的な物語は反復構造になる確立高めの感触がありますが、本作も歴史物です。

図の赤文字のところ、

実際の映画では見ることができませんが、劇中でこのシーンが語られます。連銀襲撃後の阿片窟シーンとは別です。デボラを見送り傷心で阿片窟に沈んでいるヌードルスをコックアイが探してゆくと、ヌードルスはデボラと勘違いしたのか、まだ夢を見ていたのか、デボラという言葉を発したようです。そもそもレオーネ監督の原案では3時間の映画2本立て構成だったそうで、それはおそらくこの表のような、時系列倒置がない年代記形式だったはずです。
老人時代のフリスピーのシーンも非常に謎なのですが、赤ちゃんルーレットシーンと対応と考えるとそれなりに納得がゆきます。ただ実際にデボラのクレオパトラ上演舞台も撮影されたようなのですね。原案では赤ちゃんルーレットに対応しているのは(ロッシーニ使った演劇的シーンなので)、クレオパトラなのかもしれません。そうなるとフリスピーが浮きますが、それ以上は謎です。

更に表を見てみると、前半と後半それぞれ鏡像的になっています。

但し非常にゆるい鏡像です。私が見れる資料ではそろそろ解析の限界なので、ここでやめます。もしも原案できっちりした鏡像つくっていたとしたら、狂気の構成能力ですね。鏡像の作品を2つ並べて反復構造になっている。映画史上まれにみる構成力のはずなのですが、私の考察では残念ながら綺麗な証明にはなっていません、あしからず。いずれにせよ原案の構成がしっかり練り込まれているからこそ、時系列倒置を施して意味不明になってもなんとなく説得力のある作品に仕上がっているのだ、とは言えるのではないでしょうか。灰色の辺りとか見事ですね。

最初に章立ての一覧さえ作成しておけば、難解な作品でもこのようにある程度までは解析できます。表作成の手間はかかりますが。

次回は「市民ケーン」の倒置研究の予定です。


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