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「こころ」解説【夏目漱石】

「先生」の妻は静という名前です。乃木大将の妻は静子です。つまり先生=乃木2号です。となるとKは吉之助です。西郷隆盛です。「こころ」は明治の歴史物語です。

西南戦争

有名作品ですからあらすじは省略します。乃木大将の殉死に影響受けて「先生」は自殺します。ところで乃木の遺書にはこうあります。

「しかるところ明治十年の役において軍旗を失い、其後死所を得たく心がけ候もその機を得ず」

西南戦争で敗走して軍旗を失ったから、責任とって死にたかったけど機会がなかった、という意味です。しかし乃木は西南戦争では政府軍に属し、最終的には勝っているのです。負けたのは西郷軍です。西郷は自刃しました。なんで勝ったほうの乃木が責任ズルズル35年も引きずって自害するのか。

全体構成

三章に別れます。

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「中・両親と私」を間に挟んだ反復構成です。

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反復構成は同じ展開を繰り返します。ですから折り返すと「上」と「下」が対応しています。

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漱石は冒頭集約+鏡像構成を基本に書いてきました。

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形式的に最高度に完成した「三四郎」以降徐々に構成はゆるくなってゆき、前作「行人」で全く別の反復構成に到達しました。可哀想な女性→旅行の報告という流れを2回繰り返します。

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本作「こころ」も反復構成です。

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「上」と「下」はきれいに順序よく反復されますが、諸般の事情で「下」の後半引き伸ばしたので量的には少々アンバランスになっています。

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最大のポイントは「暗い過去」です。

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「上」では植木屋で先生が親族に裏切られた感情を語り、
「下」ではKとの関係、およびKの自殺を語ります。山場です。

Kの自殺シーンで最高にインパクトがあるのは、襖の血潮です。ビジュアルイメージが鮮明に浮かびます。小説も書ける詩人、夏目漱石の情景描写能力炸裂です。しかし実は伏線あります。「上」で対応する植木屋シーンです。

「上」で先生と私は植木屋に入ります。誰も居ませんので勝手にずんずん進みます。

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 植込みの中をひとうねりして奥へ上のぼると左側に家があった。明け放った障子の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先に据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が動いていた。

「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」
「構わないでしょう」

 二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色の丈の高いのを指して、「これは霧島でしょう」といった。
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燃えるようなつつじは、無論赤い色です。襖の血潮に対応します。先生は縁台にねそべります。

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細い杉苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。
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帽子は首です。「こころ」では頸動脈切っただけですが、西南戦争では西郷は介錯されて首が落ちます。

薩摩

植木屋にゆく際、私は芝笛を鳴らします。

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私はかなめの垣から若い柔らかい葉をもぎ取って芝笛を鳴らした。ある鹿児島人を友達にもって、その人の真似をしつつ自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。
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先生が植木屋で指摘する「霧島」というのはつつじの種類です。無論薩摩原産です。

植木屋の庭に勝手に入ってくつろいでいると、家の男の子が注意しに来ます。

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後ろの方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。
 縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍に、熊笹が三坪ほど地を隠すように茂って生えていた。犬はその顔と背を熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十ぐらいの小供が馳て来て犬を叱り付けた。小供は徽章の着いた黒い帽子を被つたまま先生の前へ廻って礼をした。

「叔父さん、はいって来る時、家に誰もいなかったかい」と聞いた。
「誰もいなかったよ」
「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」
「そうか、いたのかい」
「ああ。叔父さん、こんにちはって、断ってはいって来るとよかったのに」
 先生は苦笑した。懐中から蟇口を出して、五銭の白銅を小供の手に握らせた。
「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」
 小供は怜悧そうな眼に笑いを漲ぎらして、うなずいて見せた。
「今斥候長になってるところなんだよ」
 小供はこう断って、躑躅の間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾を高く巻いて小供の後を追い掛けた。
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犬を連れた頭がよく礼儀正しい男の子は、西郷です。

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家の中の二人の女性、植木屋の母と姉は、軍人未亡人と娘(のちの先生の妻)です。

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周到な文豪の仕事ですね。こういうところを見つけてあげることが、文学鑑賞の基本です。本作では法学的な間違い探しの努力が学界の中心のようです。たしかに不適切な表現は多いです。諸般の事情で無理して引き伸ばしていますから。でも「こころ」は文学なのです。

明治時代物語

先生と出会うのは鎌倉の海水浴場、先生は西洋人といっしょです。ペリーが浦賀に来て明治時代は始まりました。
先生は叔父に財産を取られます。土地を換金して都会に住みます。叔父は実業家です。封建制度が終わり、富国強兵の貨幣経済になりました。
Kは実家から養子に出ます。養父の意図に反して好きな学科を専攻します。西郷は島津の意図に従わず明治維新を実行します。
先生とKの千葉旅行は、長州と薩摩の戊辰戦争です。Kは日蓮に興味を持ちますが、先生は持ちません。つまり革命家・西郷には哲学があった。
西郷は明治政府の意図にも従いません。下野し、西南戦争を起こして敗死します。

なぜ乃木は西南戦争での失敗をそこまで気にしていたのか。乃木が本当に気に病んでいたのは、日本が偉大な精神を喪失したことではないのか。西洋列強の圧迫によりやむを得ず過ごした明治時代だったが、大事なものを失ったのではないか。大事なもののの象徴が、西郷さんです。西郷死去の報に接し、盟友勝海舟が歌を詠んでいます。

「ぬれぎぬを干そうともせず子供らがなすがまにまに果てし君かな」

軍人未亡人の娘への失恋、すなわち幕府崩壊後の軍事権の獲得失敗が理由で、西郷は死んだのではありません。それはぬれぎぬです。国家を個人の欲望充足の場としてとらえるのではなく、理想探求の場としてとらえた人物が西郷です。

長州欲望トリオ

西南戦争以降、西郷がさかんに称揚されるのは、早く言えば明治の元勲たちに品格がなさすぎるからです。

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伊藤博文は病的なレベルの女好きで、鹿鳴館の庭でいたしておったそうです。明治天皇に「いいかげんにしろ」と怒られたという話も残っています。

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井上馨は物欲の権化で、人の持ち物を強圧的に借り、かつ絶対に返しません。要はカツアゲです。明治天皇が井上の屏風を借り上げ、かつ返却要請を拒絶する、ということをしました。人々は内心喝采したそうです。無論明治天皇の、周りの人々のストレスを緩和させる作戦です。

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山県有朋は権力の亡者で、いい年して「なぜ人間には権力が必要か」秘書相手に演説をはじめて、相手を呆れさせた逸話が残っています。明治天皇は影でキリギリスと呼んでいたようです。

いずれもろくでもないのですが、言い換えればそれだけパワーがあるということで、欲望トリオの色欲、物欲、権力欲、三者が合体して渦を巻けば日清戦争も日露戦争も勝てちゃう。便利ではあったのです。

しかし平和な時には鼻につく。うんざりする。高潔な人格が欲しくなる。そこでどうしても民衆は西郷を恋い慕うのです。無論明治天皇も西郷が好きです。漱石も長州欲望トリオは嫌いだったはずです。そこにひっついている長州人の乃木も好きではなかったはずです。でも遺書に西南戦争が書いてあるのを見て、少し評価を上げたのでしょう。乃木は偉大な精神の喪失に、気付いたのではないかと。作品中に師弟コンビが登場するのは、「三四郎」の広田先生・与次郎以来ですが、「こころ」の先生・私コンビは彼らよりも少しだけ上の扱いしてもらえています。称揚されているのはあくまでK、吉之助、西郷隆盛なのですが。

日本近代文学

日本近代文学売上一位が本作で、二位が「人間失格」です。いずれも歴史物語です。

漱石作品としても、「猫」を除けば本作と「坊っちゃん」が人気双璧でしょう。いずれも歴史物語です。

日本近代文学は存在したのでしょうか。書き手にとっては確かに存在しました。読者にとっては、存在したのかどうか正直怪しいです。読者が欲しかったのは近代文学ではなく、歴史物語だったのではないでしょうか。三島「豊饒の海」も実は歴史ものですし、手塚「火の鳥」も実は歴史ものですね。いわゆる事実を積み重ねる歴史研究ではなく、歴史をどう考えるか、歴史哲学のような物語を読みたがっていたように思います。

解釈について大量の論争が繰り広げられてきた本作ですが、論争量は理解と比例しません。理解に比例するのは、構成研究です。「上」と「下」の「暗い過去」の対応を見なければ、本作の意味は取れません。乃木の殉死の批判をして潰された人が当時はいました。本作も乃木を西郷の下に置きますから、漱石としても安全策としてわかりにくくする必要があったのです。

構成を見るには、面倒ですが「章立て表」作成するしかありません。本漱石シリーズすべて作成しています。「こころ」の場合はA3で2ページ弱になりました。

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作るのは手間です。ただの肉体労働です。嫌になります。しかし慣れます。制作して何度も読めば、評論家学者たちが、単に五月雨式に記憶しているだけで、全体内容を順序立てて把握できていないことに気づきます。それでは解釈論争は終わりません。把握できていないことをいくら論評しても仕方がないのです。まさに群盲象を撫でる、です。

先生の家に到着した「私」の目撃するのは、手紙の内容と異なり、先生と、奥さん静の遺骸です。先生=乃木ならそういう展開になります。その後私は、実父の死に目に会えなかったことにより居心地が悪くなり、実家を出て作さん(父の友人、妻子なし)の養子となります。Kと「私」の家族構成比べるとそうなります。

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先生はKも好きでしたが、「私」も好きでした。だから大量の遺書を書き残した。これからの「私」がなすべきことは、Kのようになること、Kの道を歩むことです。その道は明治10年の西南戦争で途絶えてしまった道、本来日本が歩むべきだった道です。

作品解釈する人は、まずは表を作って欲しいです。こんな小さな表でもよいのです。思考が一気に整理されてゆきます。




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