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「豊饒の海」解説【三島由紀夫】

三島由紀夫の「豊饒の海」は表面的には複雑な小説です。しかし要素に分解すれば簡単です。主に三つの要素、羽衣伝説、仏教、政治経済で成立しています。要点押さえて攻略してしまいましょう。

「豊饒の海」は、

「春の雪」
「奔馬」
「暁の寺」
「天人五衰」

の四部作です。
「天人五衰」の最後に

「豊饒の海」完。
昭和四十五年十一月二十五日

と書いて、三島はそのまま市ヶ谷自衛駐屯地へ行き、切腹しました。才能のある作家が、死ぬ日を確定させ、その日に仕上げた作品です。物凄く力が入って、複雑怪奇な物語になっています。一本の主題の物語というより多くの要素をぶちこんでありますので、非常にわかりにくくなっていますが、構成要素を分解して考えれば明快になります。

構成要素1:羽衣伝説

登場人物は全て「羽衣伝説」にもとづいてネーミングされています。
このことを見つけ出すのに私は二年半かかりました。これさえわかればスムーズに読めるようになります。

漁師の白龍は松に衣がかかっているのを発見します。天女が来て返してくれ、そうしないと天上の月の世界に帰れないと言います。白龍が返すと、天女はお礼に舞を見せてくれた後、昇天します。

これが羽衣伝説です。「豊饒の海」では第四巻「天人五衰」に登場します。

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そして「豊饒の海」の主な登場人物一覧表です。この作品は、実は登場人物が羽衣伝説にもとづいて組み立てられています。

月族、布族、植物族、水族、観客の5族に分類できます。
布族には「綾」「絹」という文字、
植物族には「松、椿」など、
水族は「沼、川、河、沢、佐和、浜、汀」など、
よく考えられています。

「月族」はタイの王族です。
「布族」は、つまり天の羽衣ですから、月の世界に登る交通手段です。綾倉聡子と絹江です。綾とは文字通りアヤのことですから、布族です。聡子は最後に、世界は心次第であるとの趣旨を発言しますが、それを悪い意味で実践しているのが絹江です。
「植物族」は、松族、その他樹木族、草族に分類されます。メインはもちろん松族でして、つまり天の羽衣がかかっている松です。布族と、その布を使って月の世界に行こうとする人を、この世に留める働きをします。樹木族と草族はそれを助けます。
「水族」は、世俗の人間です。羽衣を奪うのは漁師ですから、月の世界にあこがれながら、天女を地上に止めおきたいと考えています。
「その他」は、主人公本多、北崎、蔵原、今西、安永です。名前に月も布も植物も水も含まれていません。「羽衣」を鑑賞する観客です。俗物集団です。本多は松族や水族の力を借りて、蔵原、今西、安永を潰します。

構成要素2:仏教思想

唯識思想という大乗仏教の思想を元に組み立てられています。簡単に言えば、世界の全ては認識の過誤によるものである、とする思想です。

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主人公の本多の友人である松枝は、左脇に三つの黒子を持っています。お釈迦さまは母の右脇から生まれました。その逆ですからのっけから解脱の境地から遠い設定です。友人の松枝は早くに死にますが、本多は18年後、同じように三つの黒子を持つ若者に出会います。「こ、こ、これは、松枝が輪廻転生した人物だ」、本多は飛びつきます。このパターンで四部作が組み立てられるのですが、段々パターンがぐずぐずになってゆき、最後にすべては単なる認識の過誤と判明します。

パターンがグズグズになってゆく発端は、第二作目「奔馬」の後半で、輪廻したとされている飯沼勲の発言です。彼は自分の行動の結果に幻滅し、「幻でないものが欲しい」と言います。ここから輪廻転生自体が混濁してきます。

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第三作「暁の寺」第一部では、輪廻のしるしである黒子のない女の子が、
私は生まれ変わりだと主張します。黒子がないのは変ですが、前世の記憶は正しいのだから混乱してしまいます。

「暁の寺」第二部では、成長した女の子が、双子の姉(黒子がある)と来日し、くるくる入れ替わりながら主人公を幻惑します。

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実は「豊饒の海」作中で上演される三つの歌舞伎も、すべて人物を取り違える内容である、といった念の凝りようです。​ようするに世界は過誤です。

記憶のある妹と、黒子のある姉、どちらが輪廻したのかさっぱりわからず、とりあえず妹が死んで第三巻「暁の寺」は終わります。輪廻が破綻しているのです。第四作「天人五衰」では、輪廻のしるしの三つの黒子があるのに、観察者本多そっくりの性格の安永を養子にします。安永は要するに観察者である本多の偽物です。もはや輪廻の主体も定かでありません。

「天人五衰」には覗きをする本多の目の前でナイフを使って女性を傷つける、黒いベレー帽の男が出てきます。年の頃60くらい。この年齢でナイフが使えて身のこなしが軽い人物は、飯沼勲しかいません。死んだ勲の偽物が出現しているのです。落ちたもんですね。飯沼は強い敵に身を挺して立ち向かいましたが、偽者は無抵抗な女を傷つけて喜ぶだけです。

また「天人五衰」には本多邸の前に本多と同年齢の老人が通ります。老人は野菜くずと、鳥の死骸を落とします。鳥の死骸は女の髪にも見えます。女の髪は当然剃髪した聡子の髪です。野菜くずはお寺で精進料理を食べる聡子のもの。つまりこの老人は死んだ同級生、松枝清顕の偽物です。これも、落ちたもんです。貴族松枝が、残飯持ってうろつくようになっています。

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そんな感じで全てのキャラがぐちゃぐちゃになった挙句、それらが幻であると最後に明かされ、結局輪廻転生は認識の過誤にすぎない、という仏教のままの結末になります。

しかし従来の仏教に比べ、海を加えたのが三島の工夫です。インド思想は、ガンジスという大きな川の思想です。しかし、日本は海の国です。ですから「天人五衰」は海の情景から始まります。「阿頼耶識」という意識の流れは、単に川の流れに過ぎない、より大きな海の存在があるはずだ、という三島なりの仏教批判です。

第三部「暁の寺」を見てみましょう

「世界を存在せしめるために、阿頼耶識は永遠に流れている。世界はどうあっても存在しなければならないからだ! しかし、なぜ? なぜなら、迷界としての世界が存在することによって、はじめて悟りへの機縁がもたらされるからである。世界が存在しなければならぬ、ということは、かくて、究極の道徳的要請であったのだ。」

簡単に言えば「仏教教団の商売のために阿頼耶識ゆうもんを設定したんやないの?」と言う意味です。「そないなもんは、所詮は川の考え方や。ワシは川の先、おおきな海を考えるで」。三島はもっと品の良い言い方をしますが、意味としてはこんな感じです。

構成要素3:政治と経済

恋愛やらテロやら色々内容がありますが、根底にあるのは軍事を含む政治と、経済との関係です。いかにも三島な主題です。

主人公本多は法律家の家系に生まれます。堅い家族です。友人の松枝は維新元勲の孫、貴族で金持ちです。だから美しい女性と恋愛できます。本多は金が欲しいと思います。

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本多は裁判官をやめて弁護士になります。「奔馬」では、松枝の分身である勲に、財界の巨頭、蔵原を暗殺させます。蔵原はデフレ派、経済成長を阻害する要素です。

「暁の寺」で本多はインドに行きます。インドは「西牛貨州」といわれているくらい、牛を貨幣としていた所です。そこで本多は、牛と目が会います。貨幣の神に魅入られるのです。日本に帰って、日本は戦争に負けるのですが、本多は大金持ちになります。

お金はお金を呼びます。しかしそれは、政治と経済という人類社会の二大要素の結婚ではなく、経済の経済による増殖、単に同性愛的な自己増殖にすぎません。ですから、輪廻三代目のジンジャンは、同性愛者になります。なにもせず、庭で遊んでるだけの存在です。

第四作目「天人五衰」では本多は、膨大な財産を抱えながら、養子の安永に反逆され、いじめられます。政治(法律、軍事)を軽視し、経済のみに特化してきた人間の末路です。日本の経済的反映の裏で、軍事にたいする認識の不足を嘆いた、三島らしい日本に対する警鐘が描かれています。

構成要素4:「ワーグナー」ニーベルングの指環

「豊饒の海」の3つの要素を説明しました。
羽衣伝説=古い伝承
仏教思想=宗教
政治と経済


この3つの要素を、同じように持つ作品が、
ワーグナーの「ニーベルングの指環」です。
「豊饒の海」は「ニーベルングの指環」の派生作品なのです。

ニーベルングの指環は、
羽衣伝説=ゲルマン伝説
仏教思想=キリスト教思想
政治と経済
の3つの要素を主に持っています。

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ニーベルングの指環の主役は、主神ヴォータンです。
ヴォータンは槍に契約を刻んで世界を支配しています。
契約とは法律ですから、
ヴォータンは豊饒の海の主人公、法律家の本多です。

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ヴォータンはやがてさすらい人になって世界を彷徨います。
本多はのぞき魔となって公園をさすらいます。

ヴォータンは片目です。
本多は一つ穴から隣の部屋を覗きます。

ヴォータンは指環の強奪で金を得ようとします。
本多は黒子の輪廻を働かせることで、金を得てゆきます。

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「指環」では、最初に3人のラインの乙女が、黄金を守っています。
「豊饒」では邸宅の小島に三羽の鶴の像が置かれています。その鶴が、松枝の脇にある3つの黒子に変化します。

3つの黒子とは、「指環」における指環のことなのです。金による世界支配を約束するものです。

「指環」での指環の持ち主は、指環の呪いで死にます。
「豊饒」での黒子の持ち主は、20歳で死にます。

「指環」では最後に鳥が飛び立って、ヴォータンの世界が終わります。
「豊饒」でも月修寺で、聡子に再会する直前に、
「壁にぶつからんばからの羽ばたきが本多を振り向かせた。渡り廊下から飛び入った雀の影が、城壁に乱れて去った」とあります。

「指環」では世界樹(トネリコ)が枯れ果て、薪にされて燃え上がり、世界が終わります。
「豊饒」では、「春の雪」に、飛ぶ鳥を打ち、落ちてくる鳥が樹木になる夢が描かれます。樹木は世界存続の象徴、鳥が飛ぶのは世界終了の象徴です。ですからのこの夢の内容は、鳥を撃ち落として、世界(というか本多の王朝)を存続させようとする行為です。

「指環」では最後にヴァルハラ城が炎上します。
「豊饒」でも第三部「暁の寺」で本多の別荘が炎上します。

「指環」では指環は最後に炎で清められます。
「豊饒」では指環も、夢日記も最後に炎で清められます。

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「指環」で一時期指環を持っていたのは、ファフナーという巨人が大蛇になった姿で、洞窟の中に住んでいました。
「豊饒」で一時期指環を持っていたのは、洞院宮という宮様です。

「指環」ではジークフリートは大蛇ファフナーの血を舐めます。
「豊饒」では松枝は恐れていたスッポンの生き血を飲みます。

「指環」では名剣ノートウィングは粉々の破片になります。
「豊饒」では勲は日本刀をいくつかの小刀に分割します。

「指環」では隠れ頭巾でジークフリートとグンターが取り替えれれます。
「豊饒」では輪廻の乱れからから、ジンジャンと姉が取り替えられます。

「指環」では隠れ頭巾を作って人々を混乱させたのは金物職人のミーメ
「豊饒」ではジンジャンと本多を引き合わせ、結局混乱させたのは偽芸術家の菱川

「指環」のラインの流れは
「豊饒」で言う阿頼耶識です。

他にもあるのでしょうが、解読としてはこのへんで十分かとおもいます。
明治以降、日本は西洋文明の消化と吸収に努めてきました。絵画、演劇、文学などは、元々の日本のものから類推して、十分消化できました。問題は、音楽でした。日本の音楽とは違いすぎて、ただ圧倒されることしかできませんでした。三島は、西洋音楽の最大の作品に挑みました。巨大なオペラを吸収し、内容を完全に置き換えて表現して見せたのです。

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そして書き終え、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に行って、ブリュンヒルデのような自己犠牲の道を選びました。ブリュンヒルデは全てを背負って火の中に飛び込み、世界を浄化します。三島も同じ気持ちだったのでしょう。頑張りましたね。少々頑張り過ぎのような気がしなくもないですが、たいしたものです。

通貨発行権

「ニーベルングの指環」の主題は、通貨発行権です。世界の富を集められるマジックアイテム、それがニーベルングの指環です。たとえば日本でいえば日本銀行が通貨発行権を行使すれば、失業率が改善し、経済も成長します。しかしそれは巨大な国家権力が背景に必要であって、国家権力の正体とはフィジカルなパワー、軍事力です。

戦後日本は軍事力の強化を忘れて、経済成長にいそしみましたが、経済成長だけの追及が、やがて長期停滞を招きました。国家権力を強化せずに、経済だけ強化することは、土台無理だったのです。無理に気づいた三島は偉いですね。


参考動画です。三島由紀夫原作、監督の「憂国」より切腹シーンです。三島はワーグナー好きなんですね。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に乗って血まみれになります。濃すぎます。なんぼなんでも濃すぎます。しかし一度は見ておきましょう。ちなみに演じているのも三島本人です。上手いです。間違いなく言えるのは、三島は切腹の才能があるってことです。



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