「小僧の神様」解説【志賀直哉】
「抑えた筆致で丁寧に描かれた上質な作品」なんてことをよく言いますが、抑える以前にそもそも芸風が驚異的に地味な人もいるようです。なにを書いても地味、超人的に地味、「小僧の神様」も優れた小説なのですが、中身以上に地味です。小津安二郎が志賀直哉を大変尊敬していたようですが、おそらく人類史上最高レベルの地味な師弟コンビです。
作家は誰しも、「俺が一番才能あるんだ」とばかりに鋭いことを言いたがります。志賀直哉も全く同じです。エグい自己顕示欲の塊です。しかしどれほど露骨に自己顕示しても、「自己顕示している」と誰も気づいてくれません。「さすが志賀は落ち着いている」と言われるのです。よいことかわるいことかわかりません。
あらすじ
表見てもらったほうが早いですが、、
番頭の寿司談義を聞いて食べたくなった小僧・仙吉が4銭持って寿司屋にゆきますが、6銭だったので食べれません。その場に居合わせた若い貴族院議員Aは、その後秤屋で仙吉を見かけ、外に連れ出します。たっぷり勘定を払って仙吉に寿司を食わせ自分は食わずに帰るのですが、後に変にいやな、寂しい気持ちが残ります。一方小僧は、あの人は神様なんだと信仰に近い気持ちを持ちます。つらいことがあるとあの人を思い出します。
ここまで書いておいて、作者が顔を出します。
「作者は此処で筆を擱く事にする。実は小僧が「あの客」の本体を確かめたい要求から、番頭に番地と名前を教えてもらって其処を尋ねて行く事を書こうと思った。小僧は其処へ行って見た。ところが、その番地には人の住まいがなくて、小さい稲荷の祠があった。小僧はびっくりした。
とこういう風に書こうと思った。しかしそう書く事は小僧に対し少し残酷な気がして来た。それ故作者は前の所で擱筆する事にした。」(終)
メタフィクションもの
読者に気づいてもらいたくて最後の文を書いたと思われます。そうしないと地味な話なので誰も気づかない。これはメタフィクションものなのです。
1、番頭たちの寿司物語に小僧は取り込まれる
2、Aも知人の寿司物語に取り込まれている
3、可愛そうな小僧を見たAは寿司物語を完結させてやりたく思う
4、おごってやったことで、新しい「足長おじさん物語」のようなものが発生していることに気づく。そこに小僧仙吉を取り込んでしまったことに気づく。
5、案の定小僧仙吉は物語に取り込まれてAを崇拝しだす。
6、「小僧が稲荷の祠を発見する」ところまで書くと、小僧を完全に物語に閉じ込めるので、作者は残酷に感じて筆を擱く。
番頭と、小僧自身と、Aと、最後に作者も顔を出して物語を作る物語です。Aが寂しい気持ちになっているのは、物語作者の志賀と、幸福な小僧の中間に自分を位置させてしまったからです。小僧を物語世界に閉じ込めると、自分は物語世界から離脱しなきゃいけません。退場の時なのです。小僧の勤め先が秤屋というのが、大変示唆的ですね。
読者は番頭になっても作者になっても小僧になってもAになっても良いのですが、役割を色々めぐった後で
「作者志賀を上から見下ろして頭の中で志賀の心の逡巡物語を描く」ことと
「小僧仙吉に会いに行って小僧創作の物語の登場人物になる」こと、
極大と極小二つを終えるとだいたいこの作品のポテンシャル出しきった状態になるかと思います。神話創造物語なので「小僧の神様」という題名なのです。
想像
このネタを筒井康隆あたりに書かせたらどうなるでしょうか。秤屋の奥から正義の女神が登場してきて、それは作者の奥さんで、番頭は編集者で、貴族院議員Aは直接作者に文句を言い出して、収集のつかないドタバタになるかもしれません。そうなると読者は全員、「ああ、メタフィクションものだ」と気付きます。しかしその作品は大学の授業で扱われることはないでしょう。真面目に解析してくれる学生さんもいないと思います。笑えますけど品格にはやや欠ける作品になりますからね。公的機関で取り組むべき課題でもないという気も確かにします。
逆に言えば、「真面目な読み解き」は作者のキャラの反映であって、読む態度そのものとしては単独では成立しづらい、ということになります。
だから文豪は偉人ということになり、なんらかの人格的長所を持つことになります。そうでなければ研究に力が入らないので、嘘でもなんでもそうしてしまうのです。鴎外、漱石なんかそういう理屈から人格者にされていますね。
がしかし、
研究のために人格的長所が必要
↓
作者の長所を作り上げる
↓
作った人格的長所に引きずられる
↓
読めない。研究できない。
悪循環も極まっていると思います。
鴎外は責任とらなかった医学戦犯、漱石はただの神経衰弱、芥川はオカルト思想家、太宰は弱すぎて連続殺人鬼になれなかった男、三島は手首のかわりに腹を切ったメンヘラ、そう見た上で、それでも余人に代えがたい素晴らしい才能の持ち主と考えたほうが、よく読めると思います。現に作者でさえ、小僧を稲荷崇拝させすぎるのは残酷と感じているようですので。
ええそうです、小僧とは、作者を神格化しすぎるあなたのことです。
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