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それぞれの憂国忌(ゆうこくき)

潮騒へ

真青(まさお)の榊 

憂国忌


身を切るは

流言か飛語か

憂国忌



おとなには

なれなかったな

憂国忌


昭和45年11月25日。中学三年生。午前中の技術家庭の時間に、ゲルマニウム・ラジオ(一石の鉱石ラジオ。電池がなくても音が出る。ラジオの原型)を作っていました。授業中には終わらずに、昼休みまで、コイルを巻いていました。ガ―ガーピーピー。ようやく音が出ました。ニュースが聞こえました。三島由紀夫が、市ヶ谷の駐屯地に投入して、切腹したらしい。不思議な内容を、なんとか理解することができました。しかし、わけがわかりません。女子の同級生からもらった新潮文庫の『潮騒』を読んだばかりでした。あの物語と事件との関係が、どうにもつかめません。五里霧中という状況にいたことを思い出します。あるいは、今でもそうなのかもしれません。

三島由紀夫の言葉を引用します。

「私は、日本人の感情に溺れやすい気質、熱狂的な気質を誇りに思ふ。決して自己に満足しないたえざる焦燥と、その焦燥に負けない楽天性を誇りに思ふ。日本人がノイローゼにかかりにくいことを誇りに思ふ。どこかになほ、ノーブル・サベッジ(高貴なる野蛮人)の面影を残してゐることを誇りに思ふ。そして、たえず劣等感に責められるほどに鋭敏なその自意識を誇りに思ふ。」

『荒野より』「日本人の誇り」147頁

(原文は旧漢字)

中央公論社 昭和42年

#日記 #俳句 #憂国忌 #三島由紀夫




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