マルグリット・ユルスナール『火』
マルグリット・ユルスナール
『火 --散文詩風短篇集-- 』
多田智満子訳
白水社 1983年
ユルスナールの「緒言」にあるように「或る内的危機のこの報告書」です。作者は32歳となっていました。
作品中の短いアフォリズム風の章句から引用します。
「あなたに逢うと、すべてが澄み切ってくる。私は苦しむことを受け容れる。」105頁
「死と私たちの間には、時としてたった一人の存在の厚みしかはさまっていない。その存在がとりのぞかれたら、あとには死があるばかりであろう。」151頁
「私は自殺するまい。死者はすぐに忘れられる。」171頁
恋によって自殺を考えるまでに追い詰められ、からくもとどまったことが、読み手に伝わってきます。
その過程は、素直な心境の告白とは、なりえませんでした。
三重になっています。
作品の形式については、「散文」であり「詩」であり「短篇」でもあります。
愛については、「異性愛(男と女)」であり、「同性愛(女と女)」であり「少年愛(男と男)」という形を取ります。
時間と空間は、「過去」であり「現在」であり、「未来」でもあります。
作者は「緒言」にあるように「神話が、個人的体験を、可能なかぎり遠くへ、できることならそれを超えるに至るまで、導いていく媒介としての力をそなえている」と考える人なのです。『火』からは、後年の『ハドリアヌス帝の回想』までの道筋が、すでにはっきりと見て取れます。
ただ、この時代は、「神話」を、いったん「逆説」という通路を経ることなくして、「個人的経験」へとつなげることは、作者には、できなかったようです。屈折があります。
「異性愛」が敗北したあとで、「少年愛」の美しさを賞揚することによって、「同性愛」が、かろうじて許容されて行きます。
この作品の、とっつきの悪さの原因となっています。が、三重の構造を、一度、そういうものだと飲みこめば、最初の違和感は、ひとまずは克服できます。けれども、恋や愛が、すっきりと割り切れるはずはありません。迷宮をさまよう時が、読者を待っています。
『火』は1936年の作品です。第二次世界大戦のはじまる前の時代です。女性同性愛への嗜好をあからさまにすることは、ユルスナールほどの高い知性と誇り高い自己を持つ女性にとっても、容易ではありませんでした。作者の悩みと苦しみを追体験することになります。
ユルスナールと同様な「知性の透徹した眼光」を持つ多田智満子という訳者によって『火』が翻訳されたことは、読者にとっての幸運でした。
恋と愛に悩む、すべての人に対して開かれている作品です。まずは九つの少年愛をめぐる珠玉の短篇集として、お楽しみください。
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