安彦良和先生の神技ーー漫勉の感想
1・安彦良和先生
浦沢直樹の漫勉neoを見ました。毎回、楽しみにしています。第9回は、安彦良和(やすひこよしかず)先生でした。『機動戦士ガンダム』のアニメーターでありアニメの監督であり、『アリオン』などの多くの重厚な長編を持つ漫画家でもあります。小説家でもあります。70歳をこえて、外見は丸顔のやさしい好々爺という印象でした。しかし、いざ原稿の執筆が始まると、峻厳の姿を目撃することになります。漫画家の仕事場にカメラを持ち込み、現場を直接に体験できるというのが、この番組の楽しさであるのですが、今回ばかりは、眼前に展開される先生の神技に、恐ろしささえおぼえました。
2・『アリオン』
若き安彦先生は、ペンという筆記用具が、自分に向いていないので、漫画を描くことは無理ではないかと、考えていたようです。しかし、偶然の機会に、松本零士さんから筆の存在を示されます。漫画を描き始めます。『アリオン』の時期には、すでに画風が完成していました。(先生の仕事場の背後の壁には、アリオンのポスターが貼ってあります。)『アリオン』は、雑誌の掲載時から圧倒されて読んでいました。何よりも絵の速度にびっくりしました。動いているのです。今回、先生のコマ割りが、時間の単位になっていることを、知りました。大小で時間の流れを表現しています。小さくなるほど早くなります。
3・下書き無し
白いケント紙に向かいます。驚いたのは、いわゆるネームを作る、コマ割りをする、などなどの通常の準備の過程が、いっさい存在しないことです。すべては脳内でなされます。そして、コマの線を、一見すると無造作に引いていきます。登場人物の顔も、いわゆる十文字を描いて、あらかじめ目鼻のアタリをつけるというようなことをしません。Bのえんぴつで眉から描き始めます。イメージが、頭の中で細部まで、できあがっています。難物だと思える俯瞰の場面であっても、コマの中に、一枚の絵として的確にまとめていきます。めったにできないことです。一切の推敲の必要のない文章を、いきなり書ける人は少ないと思います。
4・削用筆
先生の筆記具は筆です。ペン入れではなくて、筆入れと呼ぶのでしょうか。削用筆(さくようふで)を使われています。面相筆(めんそうふで)と同じように、細い線を引くのに適しています。しかし、より腰が強いようです。中国製の一本百円ぐらいの筆。それを30頁の漫画で、3~4本は、使い潰してしまいます。穂先の感触が、すぐに劣化してしまうのでしょう。漫画を筆で描くというのも時代の流れから大きく逸脱しています。
5・「ホワイトは使い方がわからない」
筆の線はペンのように押すのではなくて、主に引くことによって記されていきます。集中力が必要な作業です。先生には、速度があります。自分の爪よりも小さな登場人物の顔も、細密な表情が付与されていきます。ベタも削用筆で塗ります。雪片は塗り残すことによって、白く夜の虚空に舞います。先生の「ホワイトは使い方がわからない」という言葉は、修正の必要がないという意味でしょう。ほとんどの人には、不可能な執筆の作法です。
6・冒険活劇の世界
筆で線を描いてきた長い歴史が、日本の画家にはあります。安彦良和先生は、その先端に立っています。天性の資質が、アニメの制作現場という多忙の中で、鍛え上げられていったのでしょう。ある意味では、手塚治虫以前の絵物語の世界が、現代の意匠をまとってよみがえっています。政治の季節を生き抜いてきた先生の、体制に順応することを拒否する気概を、感じました。浦沢直樹さんは、番組のおしまいで、安彦先生の作品は、すべて活劇であると指摘されていました。アクション・シーンが描けるので、エンターテインメントとして成立するのです。冒険活劇の周囲に、歴史や人間の物語が重厚に造型されていきます。筆の線は、過去の木造の日本家屋の木のぬくもり、どてらの温かい質感、左右の履物の異なる貧しさ等々のすべてを、深い懐に許容していきます。(もちろん筆で、ガンダムなどのメカも、自由自在に描いていったわけですが。)
7・おわりに
何度も見返す回となることでしょう。安彦良和先生の本棚の資料は、静止画で詳しくチェックするつもりでいます。私達は、時代の流れから飛び抜けている才能を、天才と呼んできました。安彦良和先生の筆は、現代に生きる天才の技であると思いました。これほどの円熟の境地にある安彦良和先生が、『乾(いぬい)と巽(たつみ)』を最後の長編漫画にされるというのは、寂しいことです。けれども、小説や伝記や歴史の研究などを執筆する計画も、あるいはお持ちなのではないでしょうか。ご健康をお祈り申し上げます。
photo/holiday16