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そろそろ実年齢を受け入れたいっていう話。

今日は結構暗い話になってしまうかもしれないので、
共感しすぎちゃう方などはお読みにならないほうが良いかもしれません🙇‍♀️
苦手だと思ったらふたつめの***までスクロールしちゃってくださいね。
なるべくフランクに書く努力はします📝



***


私は、20歳を過ぎた頃に一度精神的に病んでしまったことがあります。

うつ病(非定型)・統合失調症・パニック障害・自律神経失調症など、行く先々で色んな病名が与えられました😅
自分にとっては診断名などはどうでもよくて、
ただ毎日、呼吸がうまくできない(息が浅かったり、過呼吸になったり)、夜眠れない、電車に乗れない、自分で自分の太ももや腕などを殴ったり、髪の毛を抜くのがやめられなくなったり…
日中はわけもわからず泣いているか、死んだように寝ているか、何もやる気が起きず、文字情報なども頭に入ってこなかったです。


当時は大学生だったのですが、
サークル活動や一部の講義への出席、バイトなど、自分の好きなことや何かしらの責任が伴うことには前向きに取り組める日が多かったので、最初の2年ほどは病院へ行くという発想が全くありませんでした。
自分が怠惰だから朝起きれなくて1,2限はサボりがちになっちゃう、夜疲れてても眠れないのは日中寝ちゃってるせい、そんな自分にイライラして、自分を虐めたくなっているんだ、と。そんな風に思っておりました。


同時に責任感を発揮しまくってしまう面があり、バイトには這ってでもいかなければいけないって思っていたし(笑)、サークルで任された係の仕事なども張り切ってやっていました。


きっかけは多分、とっても些細なこと。
サークルにしろ、その他の大学生活にしろ、バイトにしろ、
誰かと比べられることが心底イヤだったのだと思います。

いえ、もっと言うと、
比べられたときに、自分のほうが下になるのがイヤだったのかもしれません…


今思うと異常なんですけれども😅
あの子のほうが楽器が上手だからアンサンブルに誘おう♪とか、
あの子のほうが仕事がはやいからコレを任せてみよう!とか、
あの子は⚪︎⚪︎について詳しいからグループワーク一緒にやってもらおう。とか。

小さい頃、何かで一番になったり、100点を取ったり、表彰されたり、委員長などの目立つポジションにつくととても喜んでくれた両親。

中学3年生の時に、部活の部長や副部長に私は立候補をしませんでした。
親から見れば、誰よりも朝練もしていて部活外でも色々熱心に楽器のことばかりやっているのに、なぜ?!と思っただけだったんでしょうけど、
「なんで立候補しなかったのか」を疑問ではなくお叱りと捉えてしまった私は、そのことで親と大喧嘩をしたことがあります。

私はただ楽器を長く吹いていたいだけだから部長みたいな面倒なことはしたくないのに、なんでそんなところでも一番を強要されなければならないの、そもそも部長が一番うえって誰が決めたの、部長にならないと私は親にとって部活にいる意味がないの?あんたのために部活やってるんじゃない!!
といった具合です。


いわゆる毒親ではないので誤解しないでいただきたいのですが、
親が同級生と私を「学校での目立ち具合」みたいなもので比べる度に猛反発していた背景も関係していたかもな、と今では思います。


色んなものが、積もりに積もってしまったのでしょう。

そして、病院を訪れる引き金となったのは就職活動
誰かと比較されることの最たる事象でしょうか。

大氷河期で、どこも内定を出してくれなくて大苦戦。数えたことはありませんが、エントリーシートだけでも200〜300社くらいは余裕で出していたのではないかと思います。
なんせ卒業論文を提出して、成績上では卒業が確定したあとも内定もらえていませんでしたから・・・💦
就職のために留年や進学を選択した同期もたくさんいました。


ある日、リクルートスーツを着て、新宿で集団説明会のようなものに参加していたとき、
鞄も含めて同じような格好をして、似たような髪型とメイクをする就活生の大群の中に自分もいると気がついたときに、何かの糸がぷつんと切れたことをよく覚えています。


この人たちと私の何がちがうんだろう。
全く同じ見た目をして、面接で似たようなことを言って・・・何をもって選ばれているのだろう。


急に自分の実態が消えたような感覚になって、
「大勢の就活生」を形成している女その1でしかないことに気付いた途端、物凄く気持ち悪くなってしまったのでした。



「私」はどこへ消えてしまったんだろう??



そこから先のことは、正直記憶が曖昧です。
世の中の沈んだ雰囲気も相まって、余計に気持ちが落ち込みました。
辛うじて内定をもらった会社がこれまた超絶ブラックで、更に追い討ちをかけられることに…


ストレスで過去一にお肌が荒れ狂い、今もなおその跡が若干残っていることが、なんとかその苦しい期間を生きていた証みたいになってしまっております😅


***


なんとか会社を辞めることに成功し、病院通いも一区切り。
記憶の曖昧な学生生活をもう一度やり直そうと、新しい人生を始め直したのがちょうど10年ほど前のお話。


歳はしっかりとっている一方で、
自分にとっては病気だった数年間はなかったことになっているといいますか、
めちゃくちゃ都合の良い解釈ではありますが、気持ち的にはまだ実年齢マイナス5〜7歳くらいしか生きていない感覚なんですよね(笑)
コロナ禍の3年間も歳をとった感じがあんまりしないのは私だけでしょうか…その3年を足すとマイナス8〜10歳という年齢感覚になっちゃいます😂


気持ちが若いのは良いことかもしれませんが、
他人に自分の年齢を伝える時に、あれ、思ったより歳いってたな…😱😱って思うことが多々あってw
一応病気から10年経ったし、色んなことをなかったことにするんじゃなくて、しっかりこの紆余曲折も自分の一部として認めてあげなきゃ、とこの間ふと思ったんですよね。


それに、病気しないに越したことはありませんが、
病気して良かったことも結構あるんです。


今は個人事業主として生計を一応たてられていること。
読書と勉強が大好きになったこと❣️
こういう経験をしないと理解が難しい他人の苦しみに、ほんのちょっとだけ寄り添えること。
イヤなものはイヤだと言えるようになったこと。
そして、これ以上の怖いものがあんまりないこと(笑)


日常的に浮き沈みしてしまいやすい側面はまだまだ残っているんですけど、
頑張り過ぎず、他人と比べず、
自分が大切にしたいものを大切にする日々をこれからも送っていきたいと思っています。



なーーんと、2,600文字超え❣️
ここまで読んでくださり、心より御礼申し上げます🫶

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