人の尊厳をかけたギャンブルを楽しんでいるおじさんについて思うこと
男性実業家が飲みの席で若い女性にテキーラを一気飲みさせ、彼女が亡くなった事件を知りました。まずは被害にあった方のご冥福をお祈りします。そして特定の件についてではなく、権力を持つ男性から女性への加害(意図的ではないにしても)という一般的な現象に関して、ちょっと言わせてほしいことがあります。ここからはタメ語で失礼します。
高学歴で高収入で人望がある、社会的に成功しているちょっとやんちゃな「おじさん」っているよね。(特定のおじさんや、中年以降の男性全員についてではなく、権力を持つ人間の象徴として「おじさん」という意味で敢えてこの言葉を使います) なぜ彼らは奥さんも子供もいて女性には不自由していないにも関わらず、次から次へと女の子に手を出したりハラスメントするのかずっと不思議だったんだ。個人的な見解だけど、彼らは自分がどれだけ倫理的にダメなことをしても許されるのか、許される社会的地位があるのかを証明するために、女の子をいじっているように見えるんだよね。社会的立場を失わずに、人の尊厳をどこまで傷つけられるかって言う、ギリギリのギャンブルだよね。彼らは頭がいいから、どんな行為がセクハラやパワハラに当たるか、どんな制裁を受けるか、全部分かっているんだよ。そのギリギリのラインを攻める危険な遊びをしている自分を、周りの男たちに見せつけている気がするんだよね。「俺はこんなにヤバいことしちゃってるんだぜ。だけど許されてるんだぜ。俺は男の中の男だろう。」ってね。
よく仕事では、限界ラインをギリギリ攻める=上等でかっこいいみたいに言われるよね。彼らはその価値観を遊びの場にも持ち込んでくるんだよね。「自分の限界を超えろ、もしできたら俺はお前を認めてやる」って、たかが遊びなのにね、「遊びは仕事」とか言っちゃうんだよね。
彼らにとってお店で働く女性は、お金を払って訴えられるリスクなしでセクハラやパワハラできる相手なのかもしれないね。でもお店の女性だけじゃなくて、仕事で自分より弱い立場にある女性とか、同僚の女性とか、果てはお客様や目上の女性までターゲットになることがあるんだよね。立場的に許されなければ許されないほど、リスクがあればあるほど、そのギャンブルに興奮してしまうんだろうね。自分の社会的地位と女の子の尊厳をリスクに晒しながら遊ぶギャンブル。スリルがあって楽しかろうねえ。じゃあその大胆なギャンブルを目上の人をターゲットにやってみたらどうですかね?そっちの方がスリルありますよね。なぜわざわざ若い子、それも女の子にするんだろう?
残念なことに彼らへのお供え物になる側も、それを楽しんでることがあるんだよね。絶対的権力者の無茶振りに答え続けるのって、どこか気持ち良いもんね。とんでもない要求に応え続けてるだけで、無茶振りに耐えているだけで、自分が有能になったかのような気がしてしまうしさ。たしかに忍耐力はつくかもしれないけど、それ以外の能力は大して向上していないのにそう錯覚してしまうのよねえ。日本の女の子の自尊心はデフォルトで低めに設定されているから、内心は嫌だったとしても、偉い人にNOとは言えないしね。周りの男の人が止めればいいんだけど、見てるだけで何も言えないんだよね。だってその人に逆らったら仕事なくなる可能性あるからね。そうやっておもちゃにされた女の子が長続きするわけもなく、舞台からいなくなったら、「ああ、あの子いなくなっちゃったのね」でおしまい。
過去には「おじさん」も若者だったし、若者の味方でいたかったと思うし、「おじさん」なんて呼ばれたくなかったんだと思うんだ。でも若い時に先輩「おじさん」がやってた人間の尊厳をかけたギャンブルを見て育ってきてるから、自分もやりたくなっちゃうんだろうね。上級者になるとさ、もう「おじさん」であることを隠さなくなってくるんだよね。若い子が自分の無茶振りを嫌がってたり、嫌がりながらニコニコしているのを見て、征服欲が満たされて喜んじゃってるように見えるときがある。知らんけど。
さらに私が許せないのは、そういう人たちが若者の未来とか語ったり、若者ウケする仕事をしたり、時にはジェンダー関連みたいな仕事をしていること。卒倒しそうになるよ。彼らはそうやって成功を積み重ねて、さらに若者から人気者になっちゃうわけ。で、さらに若者が集まって、その中には次のターゲットが含まれている。若者を使い捨てにして、若者の才能を潰している人たちが、若者に崇拝されている。地獄だよね。少子化だとかうちの業界には若者が少ないとか、若者が定着しないとか言われているけど、ご両親が大切に育ててきた若者を湯水のように消費しているのは誰なんだって話。私はもう若者じゃないけど、ねえ、うちら本当にそれでいいの?彼らがやってることは「闇金うしじまくん」の悪役がやっているような、ど定番の悪役仕草だよ。本当にかっこいい?尊敬できる?もう彼らとは距離を置いていかない?とても難しいことではあるけれどさ。
残念なことに、私はもう「おじさん」から距離を置いているし、コロナだから宴席に行くこともないので、若者が変な遊びやハラスメントのターゲットにされてるのを止めることができないかもしれない。でももし偶然そう言う現場に出くわしたら、ターゲットにされてる子を、それがお店の子であっても同僚であっても、さりげなく逃してあげるようにしようと思う。そもそも「おじさん」は持ち上げる人がいなくなれば元気なくなっちゃう生き物。コロナ禍で密も避けなきゃいけないことだし、そう言う人たちからは距離を置いていこう。あと自分の中にいる「おじさん」的な価値観をもう撲滅させていきたい。人の尊厳をリスクに晒すくだらないお遊びは、私たちの世代で終わらせよう。
最後に、概念としての「おじさん」を描いた小説「持続可能な魂の利用」おすすめです!
自分の社会的地位を証明するためにパワハラする動機、「男が痴漢になる理由」にすごく似ている気がしました。