『きみが死ぬとき思い出す女の子になりたい』あとがき続編
まず創作大賞2023にエントリーをさせていただいた「きみが死ぬとき思いだす女の子になりたい」が中間選考を通過いたしました!
読んでくださった皆様、スキやコメントをくださった皆さま心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。
中間が出る前からずっとソワソワしておりました。好きな人から電話がかかってくる前のソワソワと似てました。
中間発表のページを恐る恐るスクロールするとき、ここ何年も感じたことなかった緊張感を覚えて手が少し震えていたのを覚えています。
恋かと思いました。
自分の名前と作品のタイトルを見たとき真夜中に「おっしゃー!!」と叫びたいくらいでした。受験に合格した気持ちでした。
大人なので叫ぶのを我慢しましたが母親に電話したくなりました。
何よりも中間選考であり、これで終わりではありません。
ただ賞をいただくということはご縁だと思っています。
ここから新たに自分の名前を出していただけたら、作家冥利につきますが本当にこればかりは分かりません。
だとしても、書き物を一つ作り上げたという事実は私にとって大きな自信にはなりました。
たとえ今回の結果がこれ以上のものでなくても、これからも書き物を続けようと思います。
今回の作品、たくさんの感想をいただいてます。
涙が止まらなかった、共感します、など私の言葉が皆さんの心の隙間で泣いているような気になりました。
生きてると友達や知り合い、尊敬してる人たちが先に逝ってしまうことがあります。それは病気だったり言葉にできない理由だったり。
この件に関しては深く言葉にしたくもないし、するべきでもないと思っているけど、その度心に抜けない矢みたいなものがずっと刺さり続けているんです。
痛いです。誰かの死があるたび矢は刺さっていきます。
二度と抜けない矢です。
でもその矢は抜いてはいけないものだと思っています。
時折、その痛みを思い出して、その人のことを思い出す。
そうするとまた辛くなるけど、刺さった頃の傷がまた強くなる。
そんな刺さった矢を忘れないためにも作った作品が「きみが死ぬとき思い出す女の子になりたい」かもしれません。
もしも世の中にファンタジーが存在するなら、せめて物語の中でくらい誰かの死を防ぎたいなと思ってしまったのです。
現実の私は魔法も使えないし誰かを救うことも助けることもできません。
でもこの物語が誰かにとって、何かのキッカケになれば書いた意味があります。
「言葉」とは私が生きてきた中で一番最初に自信を持てると気づいた武器です。
国語の成績は悪かったです、テストで「物語の中で主人公の気持ちを25文字で答えよ」なんて当てたことがなかったです。
主人公の気持ちが25文字で分かるわけないと思っていたから。
それでも詩を書く授業は好きだったし、替え歌を作るのも好きだったし
言葉に自分が宿す力があることは思春期で気づきました。
だからまずは作詞を始めたんだと思います。
そこから音楽家となり、作家となり、もっと言葉に特化したいと思い文筆家になりました。
これからも思春期の頃に感じたあの得体の知れない自信とドキドキを抱きしめて書き続けたいと思います。
明日の役に立てるかは分からないけど、あなたの心の隙間に寄り添うことはできるかも知れません。
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