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『裁判にかけられたソクラテスの反論』〜いちばん読みやすい「ソクラテスの弁明」(中編)

ソクラテスによる反論(2)

 さて、それでは二番目の「新しい告発」への反論に移りましょう。3人の告発者の代表であるメレトス君の言い分に対して反論します。このメレトスという人は、自分のことを「善意の人であり、愛国者である」と言っています。彼の告発状の内容はこうです。
「ソクラテスは悪いことをしている。若者を堕落させ、神々を信じず、別の神霊のようなものを教えている」
 メレトスはこう言っていますが、わたしは「逆である」と言っておきましょう。メレトスこそ、真面目で熱心なふりをして、まったく興味もなにもないことについて、人を安易に裁判にかけてからかっているのです。これこそ悪いことでしょう。

 さあ、メレトスくん、こちらに出てきてくれたまえ。君に聞きたいのだが、若者をよりよく導くことは大切だと、そう思わないかい?
「もちろん、思うとも」
 じゃあ、彼らをよりよくするものは誰だと、君は思うんだ?
 黙っていちゃわからないじゃないか、メレトスくん。君は、わたしが若者を堕落させる、といって訴えたんだろう? だったら逆に、若者をよりよく導く人とは誰なんだい? まさかそれに関心がないなんて言わないだろうね? 関心がないことについて、人を裁判にかけたりしたなんてまさか言わないだろう? さあ、言ってみてくれ、若者をよりよく導く人は誰なのかを。
「……法律だ」
 そんなことは聞いていないよ。わたしは「誰か」と聞いているんだ。法律が大事だと言うならそれをよく知っている人とは誰なんだい?
「ここにいる裁判員のみなさんだ、ソクラテス」
 なるほど、それでは君は、この人たちが若者をよりよく導くことができると言うんだね。
「そうだ」
 ここにいる全員がかい?
「全員だ」
 それはいい話だ。こんなにもたくさん、若者をよりよく導いてくれる人がいるなんてね。ところで、裁判を見に来ている観衆のみなさんはどうなんだい? 彼らも若者をよりよく導いてくれるのかい?
「この人たちもそうだ」
 では、評議員の議員たちは?
「議員たちもだ」
 なるほどなるほど、そうなるとこのアテナイの市民すべてが、若者をよりよく導いてくれると、君は言うんだね。このソクラテスを除いて。
「まさに、そのとおりだと断言する」
 君の言う通り、堕落させるのはたったの一人だけで、あとはみんながよく導いてくれるのだとしたら、若者はなんて幸せなことだろうね。
 もう一つ聞きたいんだが、メレトスくん。他人から恩恵を受けることより、害を加えられることを望む人なんていると思うかい?
「いないだろう」
 ところで、君はわたしが若者たちを堕落させていると言ったが、それはわたしが「意図的に」やっていると考えているのか? それとも無意識に知らないうちにやっていると?
「あなたが意図的にやっていると主張する」
 それはおかしいのではないか? 先ほど君が言ったとおり、他人から害を加えられることを望むものなんていない。だからわたしが意図的に若者を堕落させようとしたりしたら、わたしはその人から危害を加えられるだろう。
 だから、わたしは若者たちを堕落させてなどいないか、あるいは、知らず知らずのうちに堕落させている、ということになるはずなのだ。そしてもし知らず知らずのうちに堕落させていると言うなら、若者たちを堕落させないようにしたかったら、わたしを裁判に引き出すのではなくて、個人的にわたしをつかまえて間違っていると諭すべきじゃないか。なのに君は、わたしに教えるのではなく処罰させようとしてここに連れてきたのだからね。

 さて、もう一つの訴え、「神を信じない」というものも、まったくバカバカしい。メレトスくん、君は私のことを、神を信じない無神論者だと主張するのかい?
「主張する。ソクラテスは一切の神を信じない無神論者だ」
 だとしたら、この告発状が完全に矛盾していることになるね。ここにはこうある。「神々を信じず、別の神霊のようなものを教えている」一切の神を信じない無神論者だと主張しておきながら、一方で別の神霊のようなものを教えている、というのはおかしいだろう。
 こんなおかしな告発状を書かなくちゃならなかったのは、メレトスくん、君たちがわたしを告発するための事実がなにひとつないので、しかたなくこんな文章をでっちあげたからだろう。

 さあ、この告発についてはもう十分でしょう。これ以上の反論なんてまったく必要ありません。「ソクラテスは悪いことをしている。若者を堕落させ、神々を信じず、別の神霊のようなものを教えている」という新しい告発に対しては、まったく事実ではないのです。
 でも残念ながら、多くの人々がわたしのことを憎んでいることは事実です。もしわたしが殺されるとしたら、メレトスたちによってではなく、世間の妬みや悪口によってでしょう。それらはこれまでも多くのよき人を殺してきましたし、これからもそうでしょう。

 わたしに、こう言う人がいるでしょう。「そんなふうに人の反感を買って、命を危険にさらすようなことばかりして恥ずかしくないのか?」
 それに対してわたしはこう答えます。
「少しでも世の中の役に立とうと考えたら、自分が生きるか死ぬかなんかを気にするべきではありません。考えるべきことは、自分が正しいことをするのか、不正をするのか。善い人間となるか、悪い人間となるか。それだけなのです。神話の英雄たちも、よいことのために命を落とすことなど気にもとめず、むしろよいことを成せずに劣った人間として生きることをこそ恐れたはずです」
「あなたは死を恐れないのか」とわたしに聞く人がいるかも知れません。でもね、みなさん。死を恐れるというのはそもそも、知らないことを知っていると思い込むことにほかならないのです。死というもののことは誰も知らないのに、勝手に悪いものだと思いこんで恐れているのです。もしかしたら、死は人間にとって最大のよいことなのかもしれないんですから。
 だからわたしは死刑になることを恐れはしません。それよりもむしろ恐れているのは、わたしがこういう条件付きで釈放されることです。
「ソクラテスよ、お前を釈放しよう。ただし、もうこれ以上、決して知を愛し求めることをしてはならない」
 これはできないことです。わたしは、息の続く限り知を愛し求めることをやめませんし、金銭や名誉ばかりを気にして、魂ができるだけ善くなるように配慮しない人がいたら、それを指摘して問いただすことをやめないでしょう。それがわたしの使命なのです。

 アテナイのみなさん、どうかこれだけ聞いてください。
 もしあなたたちがわたしを死刑にしたら、わたしではなく、みなさん自身を害することになるのです。わたしは、自分のために弁明しているわけではなく、むしろみなさんのために、みなさんが有罪に投票することで大きな過ちを犯してしまわないように弁明しているのです。
 わたしは、神によってこの国にくっつけられた、必要な存在なのです。たとえるなら、わたしは神様がこの国に遣わしたアブのようなものです。国は巨大な馬のようなもので、あまりにも大きいためにのろまで、ほとんどねむってしまっています。だから、アブであるわたしがあらゆる場所であなたたちにつきまとって、あなたたちひとりひとりの目を覚まさせる必要があるのです。
 あなたたちは、むりやり起こされて怒った馬がアブを叩き殺してしまうように、わたしを死刑ににしてしまうことは簡単にできるでしょう。でもそうしたら、残りの人生はずっとねむったままで過ごすことになるのです。神様が新しいアブを送り込んでくれない限りは。

 わたしが神様からの使命として、国中でこのようなことをずっと続けてきたというはっきりとした証拠がひとつあります。それはわたしの「貧乏」です。自分のことは顧みず、みなさんの魂のお世話ばかりしてきたので、こんなふうになってしまったのですよ。

 そんなに国のことを考えているなら、公的な仕事につけばいいじゃないか、という人もいます。でも、もしわたしが政治に関わっていたら、わたしはずっと前に破滅してしまっていたでしょう。この国では、正義のために戦おうとする人は、公的な立場になってしまうと生きてはいけないのです。実際、わたしが一度だけ議員になったときには、ある審議においてわたしは議会の中でただ一人だけ反対票を投じました。それが不正であるとわかっていたからです。そしてそれは、わたしの命を危険にさらしました。もしそのときの政権がすぐに崩壊していなかったら、わたしはとっくに命を落としていたでしょう。

 わたしは、公的な立場でも私的な立場でも、行動をいっさい変えることはありません。わたしは正式に弟子をもったことはありませんが、誰かがわたしのもとに来て話を聞きたがったら、若者だろうが年寄りだろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、決して拒みません。だれでもわたしに問い、答え、聞けばいいのです。わたしは決して教えているわけではありませんから、その結果悪い人間になろうが、いい人間になろうが、その結果をわたしのせいにするべきではないのです。
 それなのになぜみんながわたしと話したがるのかといえば、みんな、賢いふりをしている人たちが尋問されるのを楽しみにしているのでしょうね。ここにそんなふうにしてわたしのもとに集まった人たちが大勢来ています。メレトスたちの言い分によれば、「堕落させられた若者」と、その身内の人々が。もし彼らがわたしに堕落させられたと思っているなら、わたしを訴える証人としてここに立つといいでしょう。でも、事実はそうではなく、彼らはわたしを助けるつもりでここに来てくれているのです。
 これこそが、メレトスの言うことが間違っていて、わたしの方が真実を語っている証拠と言えるでしょう。

 さて、わたしの弁明はそろそろおわりにしましょう。
 みなさんの中には、「裁判の弁明と言えば、ふつうはできるだけ裁判員に哀れんでもらえるように、友人やこどもたちを登壇させて、たくさんの涙を流して、罪を軽くしてくださいとお願いするものなのに、どうしてソクラテスはそういうことをいっさいやらないのか」と憤っている人がいるかもしれません。
 わたしは、裁判員に懇願して無罪放免してもらうのではなく、むしろ、教え諭すことが正しいと思うのです。裁判員の役目はわたしを哀れみ、私情で判断することではなく、法律と正義に従って判決を下すことなのですから。
 ですから、わたしにとってもみなさんにとっても最善になるように、判決を下されるよう、みなさんにお任せします。


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