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近況報告:いつの間にか、フリーランスになっていました。

5月に、勤めていた職場を辞めて、2か月が経ちました。
ものすごく心配していた資金繰りもどうやらギリギリ間に合って、しばらくはお金に心配しすぎず生きていけそう。
(しかし本当にギリギリの綱渡りなのはいつものこと)

わりとすぐにもう少し都心の近くに引っ越して、新しい職場でも探そうかと思っていたのだけど、予想外にいろいろなところから仕事の話をもらえていて、あれ、ちょっとしばらく、フリーランスでもいいんじゃない?って気持ちになってきた。

僕は怠け者なのでフリーランスには向かないと思っていたけど、今のところはなんとかやれていて、むしろサラリーマンよりストレスが少なくて向いていたかもしれないな。
これからずっと続けていくつもりではないけれど、人生のうちでこんな時期があってもいいかもしれない。というわけで、寒くなるまでは、長野でフリーランス生活をしようかな、と今は思ってる。

僕という人間が社会に向いているか、ということを考えると、例えば誰もが当たり前だと言われてしまう「週5、1日8時間のフルタイム勤務」がつらいとか、かなり致命的なところも多いのだけど、今みたいに自分のペースで休み休みやる仕事なら、逆に他の人にはできないことをどんどんやれたりして、想像以上に僕に声をかけてくれる人がいるんだなぁ、って思ったし、無理になれないサラリーマンをして週4勤務でお給料的にも半人前として扱われてしまうよりは、僕ならではの働き方を考えた方がいいな。
これまでは単純に「いろいろなことを知っていてすごいね」「好奇心がいっぱいでおもしろい」と言われるだけだった僕の特性が、今ではぜんぶ仕事につながっていて、ちゃんと評価されていると思うとこんなにありがたいことはない。

かなり長い時間、家の中にいる生活になったけれど、やっぱり僕には「ていねいなくらし」みたいなことは全然向いていなくて、家事も大してやっていないけれど、食器洗い機とか、乾燥機付きのドラム式洗濯機とか、家中にあるスマートスピーカーとか、そういう技術の結晶に助けられて、快適な日々を過ごせている。
技術よありがとう。文明よありがとう。

僕は、時代や場所が変われば、「社会不適合者」の烙印を押されて、早死にをするしかなかったかもしれない。
にもかかわらず、こうして今楽しく生きられているからこそ、社会の「これでいい」を広げていく役割を果たしていきたいと感じるようになった。
しあわせのあり方はひとつじゃない。世の中の普通になんて合わせなくてもいい。僕には僕の、あなたにはあなたの、しあわせの形がある。第三者にそれを邪魔されることなんて、あるべきじゃないよね。

今の僕は忙しいけれど、とても自由だと感じている。
いつ仕事をしてもいいから、ふわりと軽い足取りで、どこにでも飛んでいける。
オリンピックとコロナがなければ、もっと自由なんだけどね。早く終わってほしいなぁ。

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