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『裁判にかけられたソクラテスの反論』〜いちばん読みやすい「ソクラテスの弁明」(前編)

こんにちは。「ソクラテス」っていう人知ってる?

「そりゃ知ってるよ! 古代ギリシャの哲学者でしょ!」って答えが返ってきそう。知名度で言ったら、おそらく世界一の哲学者だもんね。

でも、「ソクラテスに関する本を読んだことありますか?」と聞いたら「いや、そこまではないな……」って人がほとんどだと思う。哲学者の本ってだけで、ものすごくハードル高く感じるもんね。

でも実は、ソクラテスの考え方ってかなりシンプルで、わかりやすい言葉で説明してもらえれば、中高生にもしっくりくるようなことだと思う。
実際、僕は高校の倫理の授業でソクラテスの考えにはじめて触れて「なんか悔しいけど説得力あるな」と思った記憶がある(この悔しさは、後で考えてみると同族嫌悪みたいなものだったんだろうなぁ)。

特に、ソクラテスの弟子のプラトンが、おそらくは最初に書いたと思われる「ソクラテスの弁明」という本は、ソクラテスが実際に市民たちに向けて話した、裁判所での演説(告発への反論)を元に書いたものだから、複雑な専門用語も使っていないし、内容も単純でとてもわかりやすい。(あの有名な「無知の知」ってやつも、この演説の中で説明されている)

何より、ソクラテスの言う、
「世の中には何にも知らないのに、自分は何でも知っているようなふりをしている人だらけだ」という主張は現代においてもまったく変わらずに存在しているし、
「わたしはあなたたちの同情を誘って、無罪にしてもらおうとは少しも思っていない」「わたしは自分のしてきたことに後悔はないから、死刑はわたしにとって害悪ではない。でも、わたしを死刑にしたらあなたたちの名誉が傷つくでしょう」
と主張するソクラテスの「うまく生きていくために主張を曲げるようなことはしないぞ」という態度は、僕自身に重なるところが多くて、とても他人事に思えない。

そんなわけで、僕がずっと気になっている哲学者ナンバーワンのソクラテスのことをみんなにも知ってほしくて、「ソクラテスの弁明」をわかりやすく読みやすい文章に書き直してみたよ。もちろん、ギリシャ語の原典からではなくて日本語訳からだけど。
ぜんぶの文章を正確に書き直すんじゃなくて「わかりやすさ第一!意味が通じればいい!」ということでまどろっこしい部分はばっさり削除したり、言いかえたりしてるので、真面目な人には怒られちゃうかもしれないですけど。(でももう書かれてから2000年以上経ってるんだし許されるよね)

原文としては、クリエイティブ・コモンズとして公開されている永江良一氏のこちらの文章を利用させていただきました。

前・後編に分かれていますが、合わせても1万字ちょっと。おそらくは全部で30分もかからずに読めるはず。
めざしたのは「中学生にも(たぶん小学生にも)読める!ソクラテス」
本を読むのは苦手、という人も、ぜひ読んでみてね。

序・状況説明

 今からおよそ2400年前。古代ギリシャの多数の都市国家のうちで最大の国のひとつ、アテナイ。
 日本ではまだ米づくりさえはじまっていない時代に、アテナイではゼウスをはじめとするギリシャ神話の神々を信じる市民たちが、議会や裁判所での議論によって政治や社会制度を決める「民主政」を実現していた。
 文化的には当時「世界で最も進んでいた」アテナイだったが、決していつも平和だったわけではない。ギリシャの他の国々、特にアテナイと同じくらい強大な国であるスパルタとは常に争っていたし、国内の政治家の権力争いも激しく、ライバルに無実の罪を着せて陥れたり、襲撃や暗殺も少なくなかった。

 そうしたなか、アテナイ市民の一人ソクラテスは、自分が権力やお金を得ることには見向きもせず、その生涯をかけてただひたすら「本当に賢いとはどういうことか」「善く生きるにはどうしたらいいか」を追究し続けたため、周囲の人々から「賢者先生」と慕われ、多くのファンや信奉者に囲まれるようになっていった。
 一方で、彼は相手が権力者であっても決して媚びず、自分が正しいと思うこと以外は決してせず、間違っていると思う相手を厳しく批判したので、彼をよく思わないものも多かった。
 そしてついにソクラテスは、政治家アニュトス、詩人メレトス、弁論家リュコンの三人から訴えられ、裁判にかけられてしまったのだった。三人の告発者によれば、「ソクラテスは、正しい神々を信じず、若者たちに誤った考えを信じさせて堕落させている。よって、その罪によりソクラテスを死刑にするべきである」。

 当時のアテナイの裁判では、くじによって選ばれた市民が「裁判員」となり、有罪か無罪か、有罪の場合はどのような罰を与えるかを投票で決める。まず被告人を訴えた「告発者」が裁判員の前で、被告人がいかに罪を犯しているかを演説する「告発」を行い、その後で被告人がその内容に「反論」する。それを聞いた裁判員たちが投票し、その結果で刑罰が決まる。2000年以上前にこのような民主的な裁判の方式がとられていたことは驚くべきことだが、この方式には問題もある。弁護士も検事もおらず、告発者も被告人も自分自身で演説をしなければならないため、演説が巧みかどうか、そして告発者や被告人が市民に好まれているかどうか、そうしたことがときに「真実かどうか」よりも、判決に影響してしまうということだ。

 これは、ソクラテス自身が「告発」を受けて裁判員の前で行なった「反論」。このときソクラテスは70歳。記したのはソクラテスを尊敬する若者の一人で、裁判にも臨席していたプラトンである。

ソクラテスによる反論

 ああ、アテナイのみなさん。どうでしたか、今の演説は。
 なんとまぁ、説得力のある見事なプレゼンでしたねぇ。わたしなんか、あやうく「あの人たちが罪を犯したと主張しているソクラテスというやつはなんておそろしいやつなんだ」と信じちゃうところでしたよ。
 でもね、みなさん、確かに説得力はありましたけど、まったくウソばっかりでしたよ。
 なかでもあのウソはひどい。「ソクラテスはとんでもなくしゃべるのがうまいから、ダマされないように注意したまえ」ってやつです。
 いったいどこのだれが、とんでもなくしゃべるのがうまい、ですって? そんなの、わたしがちょっと話しただけで全然うまくないことがバレちゃうじゃないですか。そんなすぐバレるウソをつくなんて、なんて恥知らずなんでしょうね。
 あ、それともあの人たちの言う「しゃべるのがうまい」って言うのは、「本当のことを言う」っていう意味なんでしょうかね? もしそうなら確かにわたしは、「しゃべるのがうまい」ってことになりますね。だってわたしは、本当のことしか言いませんから。
 というわけで、わたしはこれからみなさんに、『本当のことだけ』をお話しします。あの人たちみたいに、うまい言葉で飾ったり、立派なプレゼンを披露したりはしません。ただ心にうかぶ言葉をそのまま伝えるだけです。わたしは、自分が話すことが正しいと信じていますから、それで十分なんです。
 だいたい、わたしはもう70歳ですよ。それにこうやって法廷に立つのは初めてで、こういう場には慣れていません。だから、あのギラギラした若者たちみたいな、きっちりとマナーにのっとった演説を期待したりしないでくださいね。わたしは日頃からいつも、広場やまちの店先で、いろんな人たちとざっくばらんに話しています。ここでもそのときのような言葉づかいで話しますから、どうか怒らないでください。
 そしてどうか、わたしのその話し方や態度は気にしないで「わたしの語ることが正しいかどうか」それだけを考慮して、判決を決めてください。
 演説している者が本当のことを話しているかどうか。それを見極めることこそが、「正義の裁き手」である裁判員の「徳」なんですから。

 さて、さっそくわたしへの告発に対する反論をはじめるわけですが、実は、わたしへの告発には2種類あります。ひとつは、先ほど告発者が演説した「新しい告発」。もうひとつは、それよりもずっと前から長い間わたしに対してなされている「古くからの告発」です。わたしにとっては、先ほどたいそう立派な演説がおこなわれた「新しい告発」よりも、「古くからの告発」の方がずっとこわい。なぜなら、告発をしてくる人たちはみんな匿名で姿が見えず、数も多く、長い時間をかけて、わたしに対するデマを広めて回っているのです。
「ソクラテスという知恵のある者がいて、神々の世界のことを知っていると主張し、その教義を他の者に教えてまわっている」というウワサです。
 このウワサは、おそらくここにいるみなさんがまだ子どもだったころからずっとささやかれて、みなさんを説得し続けています。さきほど告発をしたアニュトスたちも、それを信じ込んで「新しい告発」をしたのです。
 ですからわたしは、まず、この「古くからの告発」に対して反論しなくてはなりません。

 まず告発のうち「神々の世界のことを知っていると主張し」という部分に反論しましょう。
 この前アテナイで上演されたある喜劇の中では、ソクラテスという人物が宙づりで登場し、「わたしは空を飛ぶことさえでき、天上のことも地下のこともなんでも知っているから、神々なんていないのだ!」などと馬鹿馬鹿しいことを主張していました。
 アテナイのまちなかで、わたしが誰かと対話をしているのを聞いたことがある方はどうか思い出していただきたいのですが、わたしが神々の世界のことを話しているのを少しでも聞いたことがある人がいますか? きっとひとりもいないでしょう。なぜならわたしは、神々の世界のことなど、ひとつも知りはしないのですから。

 次に「その教義を他の者に教えてまわっている」という部分ですが、これもまったくのデマです。世の中には確かに、都市を渡り歩いて人々に「優れた人間になれる教育をしてあげましょう」などと言って多額のお金をとるコンサルやら教師やらがたくさんいます。その人たちは「自分には、人間を立派で優れたものにする技術を持っている」と言って荒稼ぎをしています。残念ながらわたしは、自分にそんな技術があるとは少しも思っていませんので、そんなことができるはずもないのです。

 さてここまでお話しすると、みなさんはこう思うかもしれません。「神々の世界のことも知らない、誰かに教育もできないとしたら、どうしてこんなウワサが出てくるんだ? そもそもソクラテスは一体何をやっていて、どうして知恵のあるものなんて言われているんだ? それを説明してくれないと、納得できない」と。
 わたしがもっている知恵というのは、たったひとつだけです。それを今からお話ししましょう。

 あるときわたしの友人が、神様のお告げを聞くことができるところとして有名な「デルフォイの神殿」を訪れました。そこでこんなことを神様に尋ねたのです。
「ギリシャ中で、ソクラテスよりも知恵のある者は誰かいますか?」
 すると神様は、このように答えたというのです。
「ソクラテスよりも知恵のある者は誰もいない」
 それを聞いてわたしは困惑しました。わたしは、自分が知恵のある者だなんて少しも思っていなかったからです。
 かと言って、神様のお告げが間違っているはずがありません。だから「きっとこれは神様からわたしへの謎かけのようなものなのだ」と思いました。そこで、わたしは神様がどのような意図でそんなことをおっしゃったのか確かめるために、ギリシャ中を旅することにしたのです。

 わたしが思いついたのは、自分より知恵のある人に会いに行く、ということでした。明らかにわたしよりも知恵がある人を見つけ、神様に「ほらここに、ソクラテスよりも知恵のある者がいるではないですか。一体どういう意味であのようなお告げをなさったのですか?」と聞いてみようと思ったのです。そこで、ギリシャでも評判の知恵者として知られる、ある政治家の元を訪れました。
 ところがわたしはそこで、予想とはまったく逆の結果を得たのでした。多くの人から知恵のある者と思われ、自分でも自分のことを賢いと考えているその政治家と話してみると、どうしても「この人は本当は賢くない」と思わざるを得ないのです。彼もわたしも、世界の真実など知っているとはとても思えない。ただちがうのは、彼は何も知らないにもかかわらず自分は何でも知っていると思っていて、わたしは自分が何も知らないということを知っている。ただその一点だけ、わたしは彼よりも物を知っているのだ、ということに気づいてしまったのでした。わたしがそのことを彼に伝えると、彼と彼の支持者たちはわたしのことをひどく憎むようになりました。
 それからわたしは、ギリシャ中を訪ねてまわりました。政治家の次は詩人、その次は職人。どの人も有名なインフルエンサーたちでしたが、結果は同じでした。詩人は詩の書き方を知っているだけ、職人は仕事の仕方を知っているだけなのに、なぜか「自分は何でも知っている」と思ってしまっているのです。わたしは自分より知恵のある者を見つけることはできず、ますます敵を増やすばかりでした。
 こうしてわたしは結局、神様のお告げ通りだと確信するほかにありませんでした。みなさん、勘違いしないでください。神様のお告げは「ソクラテスは誰よりも知恵者である」ということを言っているのではありません。そうではなくて「人間の知恵など取るに足らず、このソクラテスのように自分が知恵のないものだと知っている者が、人間の中ではまだしも最も知恵のある者だと言えるのだ」と言っているのです。
 わたしは今でもなお、神様のお告げを証明するためにギリシャ中を歩き回って、知恵があると思われる者を見つけ出しては本当に知恵があるかどうか、それとも本当はそうではないのか、確かめ続けています。忙しいうえに敵を作るばかりのつらい仕事ですが、真実を明らかにすることこそ神様の意思にかなうことだと考えて、他の仕事もせずに人生を捧げてきました。おかげでわたしは、こんなに貧乏になってしまいましたよ。

 わたしがそんなことを続けているといつの間にやら、暇を持て余したお金持ちの若者たちが自らわたしの元に集まって、わたしの真似をしはじめました。つまり、世の中で知恵があるようにふるまっている、実際には何も知らない人たちを、次々に見つけ出してしまったのです。
 そうやって見抜かれてしまった人たちはひどく怒り、わたしを憎むようになります。自分たちが何も知らないのに知っているふりをしてしまったことがバレてしまうから。でも彼らはソクラテスが一体どんな悪いことをしたのか、若者に何を教えたのか、さっぱり知りません。だからありきたりの、あらゆる哲学者に向けられる非難をくり返すだけ。つまり「自分が何でも知っていると主張し、神々を信じず、間違った教えで若者を堕落させている」というやつです。
 プライドの高い彼らが大勢で、長い間ずっとそのようなウワサを流したものですから、多くの人たちがそれを信じるようになりました。その結果が、アニュトスやメレトス、リュコンたちのような新しい告発者なのです。
 アテナイのみなさん、これが真実です。そしてわたしは、まさに「真実を話す」ということによって多くの人から憎まれているということです。逆に言えば、わたしがここまで憎まれ、ひどいデマを流されているのはわたしが真実を語っている証拠とも言えるのです。


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