見出し画像

「誰かに必要とされないと生きていていいと思えない」からの卒業。

好きな人と話していて、僕、いい感じに歳を取って38歳まで来たなぁ、ってあらためて話した。
若い頃からわりと、メサイアコンプレックス気味でつらそうな人を助けてあげたくなるんだけど、それって誰かに頼られて必要とされていないと自分が生きていていいって思えなかったから。

要はそれって、「自分を削って誰かを助けていることに、生きている意味を感じる」ってことで、破滅的なんだよね。
自分の手の届く、できる範囲を超えて手を出して、共倒れしてしまう。

どうして「誰かに必要とされないと生きていていいと思えないのか」と言われれば、そう育ってこなかったからで、典型的なアダルト・チルドレンというやつなんだよ。
「あなたはただ生きているだけで十分価値があるんだよ」って言われてこなかったから。
だから、大人になってから誰かに甘える「生きなおし」が必要だったんだよね。

今の僕は「自分が生きていていいと思えるため」ではなくて、自分を削りすぎず、依存せずさせずに、好きな人の手助けをすることができるように、少しは、なれたと思う。
好きな人を依存させるのではなく、好きな人に安心してもらえる存在に、僕はなりたいと思う。

38歳になって、僕はおそらく自分の血のつながったこどもはつくらないだろうと思うけど、誰かの「生きなおし」を手助けするような機会はこれまでに何度かあったし、これからもあるかもしれない。
それをしたいと思うのはメサイアコンプレックスに近い欲かもしれないけど、破滅的ではないんじゃないかな。
あくまで、「助けるんじゃなくて手助けするだけ」。
そういうスタンスがいいな。

僕は40歳も近くになって、ようやくここにたどり着けた。
こんなのはきっと世の中にはゴマンとある話で、たいして特別なことじゃないんだと思う。
でも、それを自覚して、乗りこなして生きられるようになるのはなかなかたいへんで、そうなれたことは誇らしいことだな。

文章を読んでなにかを感じていただけたら、100円くらい「投げ銭」感覚でサポートしていただけると、すごくうれしいです。