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徳島県神山町にて

西村佳哲さん主催のイベントに参加し、神山町へ
神山町についてはここを見てもらうのが一番いいか
神山のことを知って神山進化論で読んではいたけれど、まちを歩いてグリーンバレーの方のプレゼンテーションでまちの歩みを聞いて、神山つなぐ公社がどのような活動をされて来たかを聞いて、大埜地の集合住宅がどう企画されてどのように出来たかを聞いて、集合住宅を実際に訪れた。
本を読むことで知れることはほんの少しであることを実感していて、情報の解像度が上がるだけでなく、身体で感じるように知ることができた。
Uターン移住して2年のこのときに、このイベントに参加することができて本当によかったと思う。

神山町の課題
個別のことは別に書きたいと思うが、まちの印象を。
グリーンバレーが人を受け入れることをされてきて、つなぐ公社がまちにとって考えるべきことから事業案をつくりまちづくりが進められている。大元の課題設定は人口減少解決にあるという。20〇〇年(不確か)の推計で将来的に1学年あたり3人という数字が出たまちの人口を減少させずに定常状態にする。この目標設定をもとに色々な「こと」が起こってきた。この目標について「ただ数字を追えばいいということではない」と西村さんは仰っていて。当たり前におもえるけど大切なことだと思った。
この課題は私が住む場所、地域にも当てはまる。娘の学年は1学年7人。児童数が減って小学校がなくなることは避けたい、シンプルに。


「人を迎え入れる」風土
神山で起こってきたことを学んで、大切なことは「人を迎え入れる」活動だと感じているが、なぜそれができたかに関心がある。僕が感じたことは、神山の風土に元々その良さがあって、グリーンバレーやつなぐ公社の活動がその風土とうまく混じり、増幅させているということである。ぼくは建築屋なので空間にその風土を求めると、「オブタ」という言葉を知った。

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(↑はあまりいい写真じゃないけれど)これは神山町の民家によくある軒下空間で、ここで作業をしたりものを干したりしてきたのだという。まちを歩いて気になった空間形式だったのだが、道や外に対して開かれた空間を作って暮らす、それは迎え入れるという目的ではなかったのかもしれない、気候風土に対してどう生きるかという知恵だったのかもしれない、でも開かれたこの空間形式に「人を迎え入れる」風土を感じる。

大変なことを実現する
仮にこうした風土があり、町に住む人にその感覚があってもそれだけで人を迎え入れるのは難しそうに思う、グリーンバレーが時間をかけ、つなぐ公社がさらに加わってきたからこそ、これまでとこれからの変化が生まれているように思う。言わずもがなだけれど、想像を超える大変さだったのだと思う。といっても想像できていないと思う。話を聞いていてもなぜここまで出来るのだろうと思うことばかりだった。
この地域のこれまでと今後の変化に注目して学びたい、そしてそれを自分の地域に少しでも活かすことができたらこれ以上の喜びはない。

神山町HP
in Kamiyama

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