牧凌太に見る「自分を大切にするということ」

牧凌太に見る「自分を大切にするということ」

今回の記事は、僕がドハマりしている『おっさんずラブ』の牧凌太に関して思うことをつらつら書きますが、作品の考察というよりも、どちらかと言うと、自分の内面分析に近い内容になると思います。いつもみたいに、浮かれた小ネタも挟みません(笑)。読んでいてそんなに楽しいものではないと思うので、「あれ、何か違った……」という場合は遠慮なくバックしていただいて大丈夫! どちらかと言うと、自分への備忘録です。

それでは、行きまーす。



牧凌太についてどんな人間かと聞かれたら、「イケメン」「エリート」「家事が万能」「ドS」「健気」「チワワ」と、いろんな言葉が出てくると思う。そのどれもが間違いなく牧の魅力で、多くの人がそんな牧凌太に夢中になっている。

でも、今、僕が牧凌太を説明するなら「圧倒的に自己肯定感が低い子」ーーその一言に尽きる。牧はその人も羨むハイスペックぶりとは裏腹に、自己評価が著しく低い。そう確信したのが、第6話のちずとのシーンだった。

風邪を引いているにもかかわらず、春田の夕食のための買い物をすませた牧を見て、ちずは「完璧だね、牧くんって」と言う。だが、牧は「買いかぶりですって」と恐縮した上で、さらっとこう付け加えたーー「俺なんて欠陥だらけですから」と。

この一言を聞いたときに、どうして牧をこんなにも応援したくなるのか、その理由がやっとわかった気がした。もちろん演じる林遣都という俳優が昔から好きだったというのもあるし、自分の心の傷は内に隠して春田の力になろうとする献身的な性格に惹かれているところもあるけれど、きっと僕は牧の隠しきれない心の暗がりに、どうしようもなくシンパシーを覚えているのだと思う。

牧は、自己肯定感がめちゃくちゃ低い。そもそも自分の幸せより相手の幸せを優先してしまう性格も、相手に対する愛ゆえなところはあるけれど、それ以上に自分のことをあまり大事にできないという気質がそうさせているように思えてならない。彼は、たぶん自分の幸せにそこまで執着していない。いや、できないと言った方が近いのかもしれない。どこかで自分なんて幸せになれるはずがない、と最初から匙を投げている節さえある。

普段はそんな様子はおくびにも出さない。仕事は有能だし、人当たりも良い。特に人から嫌われるタイプには見えないし、合コンだって如才なくこなす。いわゆる自己肯定感の低さゆえに、社会からはみ出しているとされる人たちとは対極にいるキャラクターだ。

でも、それはここ数年、恐らく社会に出てからの何年かの間で彼が身につけた生きるためのノウハウであって。事実、まだ大学生の頃に武川のもとへOB訪問にやってきた牧は、自分が何をやりたいのかも満足に語れない、ひどく内気で自信のなさそうな青年だった。たぶんあれが、牧の生来の性質なんだと思う。

だからこそ、牧は春田と付き合った後も、春田の本心を試すような発言を繰り返す。第5話で「牧と一緒にいることは、俺にとって全然恥ずかしいことじゃないから」とこれ以上ない肯定の言葉を春田からもらってもなお、第6話で牧は再び「春田さんは本当に俺でいいんですか」と確認する。これだけ確たる言葉をほしがるのも、牧が自分に自信がない証拠だ。

見た目も良くて高学歴の牧が、じゃあなぜそんなに自己評価が低いのかと言うと、いろいろ理由はあるだろうけど、その最大の要因はやっぱりセクシャリティなんだろう。「男性を好き」という自身の性的指向について、恐らく長く葛藤する時期があった。同年代の男友達が異性に色めき、猥談にふけるのを横目に、彼はそこに関心を持てない自分に対して、「欠陥」であると認識するようになった。牧が自分の幸せについて主体的になれないのは、「欠陥」を抱える自身について肯定感を持てないからだ。

そして、そんな牧の欠落感を埋める唯一の方法が、好きな人から愛されることだった。牧があんな当事者性のない大学生からわずか数年で表面的には堂々とした姿を見せられるようになったのも、武川との恋愛経験が幾分か影響していると推測できる。まだ付き合って数週間の春田を実家へ招いたのも、本人曰く「安心したかった」からだが、それは自信を持ちたかったからという意味にもとれる。どうしようもなく自分に自信がないから、はっきりとした証拠や形になるものを求めてしまう。

妹の発言から、それなりに恋愛経験をこなしていることも伺えるが、クールに見えてちょっと恋愛に依存するタイプなのかもしれない。そう思うと、第4話の居酒屋のシーンで、テーブルの下で武川に手を握られているのを拒否しなかったのも何となく理解できる。あのときの牧の表情は拒絶というよりも、艶っぽい色を帯びていた。春田という相手がいるからこそ武川の再アプローチを頑なに拒んでいるが、実のところで言うと、非常に自己犠牲的なように見えて、愛することより「愛される」ことに極端に飢えているのが、牧という人間なのでは、というのが、僕の今の見立てだ。

だとしたら、以前のnoteで、『おっさんずラブ』は春田の成長物語だと書いたけれど、本当の意味で変わらなければいけないのは、牧の方なのかもしれない。いつまでも自己肯定感に欠けている限り、牧は幸せにはなれない。そして、その自己肯定感の穴埋めを他者に求めている限りは、真の意味で自立できない。誰かの役に立ったり肯定してもらうことで、自分の存在意義を確認するのではなく、牧自身が、牧凌太という人間をあるがままに受け止めること。今の牧にはそれが必要なんじゃないだろうか。

あれだけ春田に「勝手に決めるなよ」と言われながら、春田の幸せを勝手に決めつけて身を引いてしまうのも、彼が自分の中にある「あるべき幸せ像」に固執して、それを満たせない自分を否定しているからに他ならない。


それは僕も同じで。僕は自己肯定感が全然ない。いまだかつて自分に自信を持てたことなんてほとんどないし、自分が幸せになれるイメージが想像もつかない。というか、そういうことを望んじゃいけない類の人間だと大袈裟じゃなく思い込んでいる。

小さい頃からずっと迫害と揶揄の対象になり続け、社会や集団というものにまるで馴染めず、だけどそれなりに立ち回りは上手くできるから、仕事や人間関係はそこそこ順調で。ただ年を追うごとに自分の中にある孤独は人知れず深まって、誰かと分け合うこともできず、いよいよ自分でも手に負えないくらいの空虚が、いつも胸のうちでざあざあと気味の悪い音を立てている。

僕が牧を見て、たまらなく共感しているのは、牧の抱えている脆さや生きづらさに自分をシンクロさせてしまうからだ。もちろん僕は牧みたいにイケメンでもなければ家事も万能ではないし、完璧には程遠い人間だけど、それでも牧の孤独や自分を全然大切にできないところは、自分のことのようにわかる。牧の幸せを願うのも、同じように自己肯定感の低い彼が幸せを掴むことで、僕自身がこの暗がりから抜け出す方法を知りたいからだ。


モテ要素だらけでありながら、自分を「欠陥」と蔑む牧。彼が本当に自分を認められるようになるには、何が必要なのか。それは春田の「好きだ」という言葉のような気もするし、そうじゃない、もっと別の何かな気もする。でもどんな結末であれ、牧にはどうか自分のことを「欠陥だらけ」なんて言わないでほしい。

牧凌太は、十分に素敵な人だ。それは決してイケメンだからでも高学歴のエリートだからでも家事が万能だからでもない。人に気を遣えて、誰かのために必死になれて、でも時々ひとりで抱え込んで煮詰まってしまう。そんな今のままの牧凌太がとても魅力的だからだ。

たとえ牧の思う「あるべき幸せ像」は実現できなくても、ちゃんと春田を幸せにする力を持っている。そう自分で自分のことを信じてあげてほしい。僕が願う最終回の牧は、牧自身がまずは自分自身を大切にする、その姿を見ることだ。

そして、そんな牧凌太を見ながら、僕も僕の人生をもう一度ちゃんと見つめ直せたらいいなと思う。誰かに肯定してもらうのではなく、自分で自分の人生を肯定すること。そうしないと、人は前に進めない。それができたときに、僕はこの自己否定ばかりの人生からようやく解き放たれるんだと思う。そんな詮無い望みを、牧に託している。


追伸、文中で牧の性的指向について「欠陥」と言及していますが、これは牧の胸中を推測しての表現であり、様々な性的指向を持つ方を否定する意図は一切ありません。何卒ご了承くださいませ。

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横川良明

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フリーライター。演劇・テレビドラマ・映画まで幅広く取材。著書に『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)、『役者たちの現在地』(KADOKAWA)。