「筆先三寸」日記再録 2005年1月


2005年1月2日(日)

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。

 例によって、年末年始は家族で実家へ帰っておりました。
 田舎といっても今の家よりずっと都会ですので、正月とはいえ、ショッピングも映画も不自由することはありませんでした。
 それで、昨日の元日には姪っ子もいっしょに、『ハウルの動く城』なぞを見に出かけました。
 いやもう、面白いです、立派です、宮崎駿。個人的には、もっと走り回ったり、飛び回ったりしてもよかったとは思うのですが、「アニメの快楽」を存分に味わえました。おかげで思わず、ゼンマイ式の「動く城」のおもちゃを買ってしまいました(これは動作も塗装も実に秀逸。おすすめ)。あ、ついでにキムタクの声優仕事は意外と優秀でしたよ。
 物語は、いくらなんでも説明なさすぎの感は否めませんが――なにしろ、誰と誰がなぜどんな戦争してるのかも、魔女の役割は何なのかも、ハウルと火の悪魔の契約とは何かも、ソフィーがばあさんにされた理由と元にもどった理由も、なーんの説明もない――そんなのもう宮崎駿にとってはどうでもいいのでしょう。メッセージどころか、ストーリーもろくにないくらいですから。
 とにかく、軍艦が空を飛んで、爆発もあって、空と水と町と草原が美しいアニメです。それでいいのです。


2005年1月3日(月)

 年末に、ゆうパックが届いた。差出人は学生時代の同級生。
 ずっしりと持ち重りのする包みを開いてみると、古ぼけた大学ノートが17冊。どれも見覚えのあるものばかりである。そして、タイトルはすべて「328ノート」とある。
 それは、大学時代の研究室においてあった、クラブノートのようなものである。学部生のたむろする研究室が「328号室」であり、そこにおいてあったノートだからそんな名がついている。ゼミやコンパの連絡事項はもちろん、日々の泣き言から笑い話まで、みんな好き勝手に書き散らしていた。
 そのノートの、ちょうど私がゼミにいた4年間の分がすべてそろっていた。どうやら、物好きなAが持ち帰って保存していたものを、仕事の関係で渡米するのを機に(それにしてももう5年にはなるだろう)、同じくマメなBに預けていったということらしい。それがなぜか、今になって私の手元に届くとは。
「えらいもの送ってきやがった。ていうか、よくこんなの残してたな」
 そう思いながら、ぱらぱらと読み返した。
 最も古い一冊の最初の記述は、1984年の卒業式の前日とある。2年上の先輩たちが、卒業間際ということでいろいろ書いている。
 私が3年生になって講座に入るのはその年の4月なのだが、ノートデビューは6月5日だったようだ。二十歳のときの文章であるが、記念すべき最初の記述でもあるので全文引用する。

 演習当たってるのに予習もせずに寝てしまう。実習の準備もせなあかんのに何もせずに寝てしまう。本も読みかけては寝てしまう。日記もためこんだまま寝てしまう。好きなTVも見ずに寝てしまう。風呂もたまに入らず寝てしまう。かけたい電話もせずに寝てしまう。授業中もあたりまえの如く寝てしまう。たまに、歩きながらでも寝てしまう。病気である。
惰眠の日々を送る 虫丸

 く、口調も内容も、今といっこも変わってへん!
 二十年もたつねんから、ちょっとぐらい成長しとけよほんま。


2005年1月4日(火)

▼今日は朝から雨の中を仕事始めで初出勤。
 1月4日といえば、昔はもっと職場の空気も正月っぽかったように思うのだが、今はもう普通の休み明け程度の雰囲気しかない。関係者が現れるたびに、おめでとうございますおめでとうございますと立ったり座ったりしたおしたことをのぞくと、まるっきりの通常業務。
 面白くないので昼から休んじゃった。

▼朝、未読本の山からカバンに放り込んで出かけた伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』(東京創元社)は、行きと帰りの電車だけで読み終えてしまった。うまい、面白い、なんか爽やかで、定価分の元は十分取れる。
 でもこれ、ミステリってことにしていいのかなあ。「このミス」じゃ2004年度の2位ってことだけど。犯罪も出てくるし、叙述トリックといえなくもない小技がポイントで効果を上げているけれど、私としては「去年出た最良の推理小説の一冊」として他人に紹介するのははばかられる。吉田修一の『パレード』をミステリとは呼ばないのと同じ理由で。
 いつかの高村薫みたいに、伊坂幸太郎も「私はミステリを書いているつもりはない」と言い放ってくれないかな。そうすればもっと自由になれるだろうに。

 蛇足だけど、この小説の第二の主人公でもある「琴美」って人のイメージが、なぜだか「セミビキニ」の中の人のそれとかぶって困った。

▼テレビをつけたら、「ザ・ドリームマッチ '05」というのをやっていたので、思わず最後まで見てしまった。
 ぐっさんは相変わらず器用で面白かったし、優勝した三村・田中組は、いつもの三村といつもの田中で(緊張していた部分を除けば)抜群に完成度の高いネタを見せてくれたし、やっぱり人気とキャリアのあるプロってのはそれなりの裏打ちってのがあるもんだなあというのを再確認した。
 でもいちばん笑ったのは、ウド・川田組。ネタのありふれ具合も、台本の素人くさい台詞も、呼吸や間の中途半端なところも、受けずにキョドってしまうところも、「こんなもん、高校生のお楽しみ会やがなー」と、テレビを見ながら呼吸が苦しくなるくらい腹を抱えて笑った。見てて気の毒だった。


2005年1月5日(水)

大森望・三村美衣『ライトノベル☆めった斬り!』(太田出版/1480円)
 ライトノベルというものを、実はほとんど読んだことがない。
「十二国記」も「ブギーポップ」も「スレイヤーズ!」も「マリみて」も「キノの旅」も「ドクロちゃん」も田中芳樹もあかほりさとるも、ぱらぱらと立ち読みしたことがあるに過ぎない。けれども、本屋へ行くたびに棚の前に引き寄せられてしまうし、どうも私の趣味と親和性が高いような気がして仕方がないので、本格的に手を出す前に標記の本を買ってみた。
 挿画家や萌え要素への言及を慎重に回避しつつ、小説好きに向けた非常に充実したブックガイドになっていて感心もしたし、とても面白く読んだ。的確な引用と魅力的な紹介文による100冊に及ぶブックレビューは、どれもこれも読んで見たくなるようなものばかりだし、周辺分野としての、SFやマンガ、アニメ、ゲーム、映画などに関する時代ごとの動きをきちんと踏まえた二人の対談だって読みごたえがたっぷりある。
 しかし、いちばん驚いたのは「前史」から80年代前半にかけてのブックリストである。
 あらためてリストにされると、私はそれらを半分以上読んでいることがわかった。知ってるのまで入れると、「ほとんど」になってしまうくらい。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」や「アルキメデスは手を汚さない」なんかから始まっていて、「オヨヨ島の冒険」「ブンとフン」「超革中」「ウルフガイ」あたりはもちろん読んだし、「佐武と市捕物控」や「宇宙戦艦ヤマト」のノベライズから、「グイン・サーガ」(の初期分)、「クラッシャー・ジョウ」に「ダーティ・ペア」、新井素子のコバルト文庫全般、菊地秀行の「D」や「トレジャー・ハンター」のシリーズ、夢枕獏の「キマイラ」シリーズ、「クララ白書」「アグネス白書」まで、ばっちり押さえていた自分をほめてやりたい。ほめていいのか。
 そら親近感も持つわ。
 おかげで、これほど出版点数が増えている現在、ライトノベル方面にまで本気で手を出すのは危険過ぎることが事前に判明して助かったのであった。くわばらくわばら。

 あと、三村美衣による「おわりに」であるが、1行目が「えっと、あとがきです。」で、最終行が「この本は絶対におもしろい。」だというのには、思わず笑わされてしまった(その笑みが、すでにライノベ親和ホルモンの血中濃度の高さを物語ってるような気がして微妙)。


2005年1月6日(木)

 裏の家に住むピアノの先生が産休をとることになったので、なおちゃんとともちゃんの練習も春までお休みになった。
 その代わりということでもないのだろうが、年末にいくつかの練習曲の課題(なおちゃんはいまだにバイエル。ともちゃんはそれのまだ手前)とプリントの束をもらってきた。
 プリントといっても、五線譜にト音記号を書いたり、音符を並べたり、並んだ音符の音名を書いたりする子ども向けのものである。三か月分ということで枚数はそこそこある。
 とりあえず、正月休みのひまな時間に取りかからせてみた。
 なおちゃんはまあ、めんどくさそうながらこつこつとする。ともちゃんは初手からやる気がない。でも、遊んでるとお母さんに怒られるので、「3ページ? 3ページ?」と強引に念を押しながら、こたつにむかって鉛筆をにぎった。見てる間にぐにゃぐにゃになって、お兄ちゃんにちょっかいを出したり、ひとりごとを言ったり、横なってじたばたしたりして、お母さんに叱られるんだけど。
 それでも、ほっとくとプリントに向かい出して、なにやらこりこり書いている。
 やがて、ともちゃんから、おかあさんできたでーの声。
 どれどれとのぞきこんだサイが、いきなりぷーと吹き出したので、私も見せてもらった。
 はじめのほうにはいくつか「ド」やら「ソ」やら書いてあるが、途中からいやになったのだろう、そこから先は問題そのものに上から大きくバッテンを書いて、いちいち横に小さく「0てん」と書いてある。
 いや、ちがうし。そういうのて、ぜんぜんできたとはいえへんし。自分で採点までしてもあかんし。
 ともちゃんは、両親に大受けして得意げであった。顔中でニコニコしていた。

 もちろん、笑いのおさまったサイに叱り飛ばされて、半泣きで消しゴムをかけるはめになってたけど。


2005年1月7日(金)

川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』(新潮文庫/400円)
 生きている作家で誰がいちばん好き? と問われたら、今なら迷わず川上弘美と答える(たぶん)。
 この本はエッセイ集だけれど、いつものとおりの柔らかな調子は本当に心地いいし、取り上げる本のセンスと読みのスタンス、おいしそうな食べものの話、日常生活のあれこれなど、ユーモアも上質で、どれをとっても極上の文章である。
 好きな作家は数多いが、その文章だけで、いつまでも読んでいたい、いくらでも読みたいと思わせる作家は他にない。
 春風駘蕩とか、気持ちいいぬるめの風呂のようなという印象もあるが、実はぜんぜんちがう。すべての言葉はほんとうに慎重に選び抜かれているし、文章のなめらかな手触りは、するすると流れるままに書くせいではなくて、鑿の跡も見えないほど丁寧に施された彫琢の故だろう。
 川上弘美の文章を読むのは、初雪のころ、小春日和に出会ううれしさに近いかも知れない。冷たかったり厳しかったりつらかったり怖かったりする日々の中で、それらから決して目をそらさないまま、ほっとする何かを届けてもらうような。決して、桜の咲く春のような、いろんなものを脱ぎ捨ててこれから明るい方へ向かうだけという、気持ちの上向き方とはまったくちがう。
 一度でいいからこんな文章が書ければな、とも思うけれど、あたりまえながら私には無理。絶対無理。才能はもちろんとして、なんか「きびしさ」のようなものが、ぜんぜん足りないように思う。


2005年1月9日(日)

 だれだったか、洒脱なエッセイで知られる人の文章で読んだような気がするのだが、ずっと印象に残っているものがある。原文はもとより記憶にない。内容は、西洋のホテルと日本の旅館の違いについて、何かのついでにほんの少し述べたものだった。
 それは、「訪れた客を、西洋のホテルは主人として迎えるが、日本の旅館は主人の客として遇する」というようなものだったと思う。
 私はそれを読んで丁と膝を打った、なんていうと昔の人みたいだけれど、ずいぶんいろんなことが腑に落ちた。
 まず、いちばん違うのが食事のサービスである。
 ホテルだと、うるさいほどあれこれ聞かれる。食前に何を飲みますか、オードブルはどうしますか、スープは、メインは肉ですか魚ですか、肉なら焼き方はいかがしますか、ワインもいろいろございますが、デザートのお好みは。うるさいっちゅうねんと言いたくなるが、これが館の主人と雇われ給仕であると考えると合点がいく。自宅のワインセラーに数百本のヴィンテージものを持ち、屋敷に料理人を抱えているような貴族なら、もちろん食事の好みもうるさいだろうし、今日はあれ飲んでこれ食ってと、自分で決めて使用人に用意を命じるはずだ。
 一方、旅館の場合はほとんど何も聞かれない。せいぜい食事中の飲み物をビールにするか日本酒にするかを聞かれるだけだ。その日手に入った最上の素材を、贅を尽くした料理にして次々と運んでくる。これも自宅への来客をもてなす手法であると考えればうなずける。屋敷の主人が、ホスピタリティの発露として、自分の客にあたうかぎり最上の料理を出すよう板場に命じたという体である。
 宿泊に訪れたときの対応も然り。ホテルだとボーイが飛んでくるや、客の荷物やコートを取り上げて部屋へ案内してくれるが、基本的な態度は、腰を低くして命令を待つという感じである。旅館でも仲居が飛んでくるが、ここでは来訪を得た喜びを示すことが第一とされているような気がする。そして部屋に入ると、女将があいさつにやって来るが、これは客間に通した客へ、家を預かる夫人が亭主に代わって来たということだろう。今はそんなニュアンスも薄れつつあるが、「主人にはのちほどご案内いたしますので、それまでごゆるりと」ということである。だから床の間の掛け軸の説明も喜んでしてくれるし、世間話にものってくれるし、観光名所の案内もうるさいぐらいしてくれる。ホテルだと、客と使用人の地位が懸絶しているという形なので、世間話には適さないし、観光の相談もコンシェルジュに聞かないといけない。その代わり、多少のわがままにも、コンシェルジュは必死になってくれる。
 そう考えると、スタッフへの接し方に迷うこともなくなるだろう。ホテルでは、主人が下僕に接するように振舞えばいいのである。少しくらいの尊大さやわがままは、ここでは罪ではない。ただ、やさしくて優雅で気品のあるジェントルマンとして振舞うことが要求されるだけである(とはいえ、これが素人には難しい)。だから、クレームをつけるようなことがあっても、「客に迷惑をかけやがって」とスタッフをののしるなど下の下である。ここは、「我が家の使用人がそんなことでどうする」と諭す方向で行くべきだろう。
 旅館では当然、スタッフは「他家の家婢」となる。たとえこちらが主人より高位の賓客であるという形だとしても、招かれているという立場を忘れるべきではない。むろん、スタッフに対する言動には、奥底に主人への敬意がこめられている必要があるので、ここではむやみな尊大さやわがままは野暮の骨頂である。したがって、クレームも、「お前は自分の主人に恥をかかせるのか」という態度でのぞむことになる。

 上に書いたようなことは、別に歴史を調べたわけでも専門家に聞いたわけでもないので、私の勘違いという可能性が大いにある。
 しかし私自身としては、ほんの数行の文章を手がかりに勝手に考えたわりには、それなりに納得しているし、宿泊先の格が上がるほど妥当するように感じるので、アップしてみることにした。
 そりゃちがうよ、という方(特に本職方面で)がおられましたら、お気軽にご一報ください。過ちを改めるのに憚ることなどありませんので。
 (そんなの当たり前じゃん、大人ならみんな知ってるよ、と言われるほうがずっと恥ずかしいけど。)


2005年1月10日(月)

 またもや十年以上前の話。年をとると昔話が多くなっていかんのう。

 小さいころは兄弟のように仲のよかった従兄弟が高校を中退した。朝になってもどうしても一人で起きられない性質で、中退も結局それが原因だったらしい。おかげでその後についた仕事も長続きしないという。
 今なら、「睡眠障害」という言葉もあるし、光刺激や薬を使った適切な治療法もあるようなので、なんとかなったのだろうが、当時は「だらしない」と決めつけられて本当につらそうだった。
 その従兄弟がうちに来たとき、私は母に命じられた。「まだぶらぶらしてるみたいやし、ちょっと話聞いたって」と。
 わざわざ言われなくてもそのつもりだった。というより、そんなえらそうな話ではなく、久しぶりに会ったのでいろんなことを話したかった。
「ちょっと行こか」
 私は彼に声をかけて、駅前の喫茶店に向かった。
 母になんと言われようと、私には説教じみた話をするつもりはなかった。そもそもそんな立場ではないし、そんな能力もない。
 彼の好きだった長渕剛の話をしたことを覚えている。ちゃんとせなあかんと思うねんけど、という言葉はもちろん本物だった。家族に対する愚痴もあった。詳細はもう忘れたし、仮に覚えていてもここに書くような話ではない。ただ、彼は両親と折り合いが悪かった。真面目な姉と小さい弟妹の間で、いろいろと思うこともあったのだろう。
 私たちは、コーヒー一杯でずいぶん長く話した。かた苦しい話や暗い話もしたけれど、笑っていた時間の方が長かったはずだ。
 喫茶店を出ると、すでに日が暮れていた。今ならきっとそこから酒になるのだが、彼は未成年だったので、隣の本屋に誘った。
 怪訝な顔でついてくる彼を尻目に、私は自分用の文庫本と、ハードカバーのミステリを一冊買った。ハードカバーは彼に差し出した。
「これやるわ。ぜったいおもろいから、いっぺん読んどけ」
 彼は、要領を得ない表情のままうなずいた。
 彼にやった本とは、そのころ大好きだったロバート・B・パーカーの『初秋』である。私にはできない説教を、スペンサーに任せることにした。
 家族との関係に困難を抱え、自分に自信をなくしている少年に、この本は今でも最良の選択だったと思っている。
 私たちは肩を並べて本屋を出た。彼は翌朝実家に帰った。

 月日は流れ、今はまったく連絡もない。年賀状を出そうにも住所さえ知らない。母に聞くと、京都のほうでぼちぼちやってるらしいで、ということだった。
 あの本読んでくれたのかなあ。いつか会うことがあれば、それだけを聞こうと思っている。


2005年1月11日(火)

 今朝の通勤電車のことである。途中の駅で、オリーブ色のダウンジャケットを着た二十代後半くらいの女性が乗ってきた。栗色のセミロングの髪もつやつやとして、きれーなひとやなーと思わず見とれた。
 それが、快速電車との乗り継ぎ駅ということもあって、私の隣の空いた席に座ったのである。これはべつにありがたくない。隣だからといって、くっつくわけでも話すわけでもないので、顔が見えなくなった上に無駄に緊張を強いられて(小心者)、どちらかといえば損な話である。仕方がないので、胸元に鞄を抱えて眠ることにした。
 駅を二つ三つ過ぎたところでふと目を開いた。隣の美女はひざの上になにやら本を広げて熱心に読んでいた。視界の隅に入った様子では、A5版くらいの大ぶりな本で2色刷り、何かの実用書らしい。朝の通勤電車では、仕事で必要なのだろうか、資格試験の参考書やらエクセルの解説書やらを広げているサラリーマンやOLがたしかに多い。
 何を読んでいるのかちょっと気になって、顔は動かさずに視線だけを向けてみた。大きな特太ゴチックの見出しが目に入った。ひと文字が親指の先くらいあるので、楽に読み取れた。その見出しにはこうあった。
「性生活はどうすればいいの」
 ぎっくう。なんの関係もないのにわけもなくどぎまぎして、思わずひざをそろえて目を閉じなおした。いや、あの、あんたそれ、満員電車で何をまじまじ読んでんねんな。あ、あ、あれかな、よくある実話系とか、なんとかレポート系の本かな。それとも、『ジョアンナの愛し方』みたいな真正面からのハウツー系の本かな。喜ばせたい恋人でもいるのかな。旦那のことかな。本人が美人なだけに余計に想像がふくらんでしまう。
 おそるおそる薄目を開けて、もう一度本を持つ手元に視線を向けた。隣の女性は、まだ同じページを開いて、一生懸命読んでいる。
 と、そのとき、隣のページの「妊娠中に」とか「注意すべき」という文字が目に入った。
 私は即座に合点して、もう一度目を閉じた。もう目は開かなかった。そして心の中で胸をなでおろしながら、自分の下卑た想像をわびた。

 彼女に元気な赤ん坊が授かりますように。

 ていうか、そんなページは家で読め。


2005年1月12日(水)

法月綸太郎『生首に聞いてみろ』(角川書店/1800円)
 こういうのを読むときは、頭の中が下のような「本格モード」に切り替わる。

  • 「伏線センサー」にスイッチが入る(いかに些細でも、伏線と思われる文言に出会うと、ピッと鳴る。結構当たる)。

  • 予想はしても推理はしない(伏線を拾っても気にせずずんずん読み進む。謎解き部分で驚きたいのに、万一推理が当たったら災難である)。

  • 「ミスディレクション回避装置」も働く(早い話、時系列の説明や悪人の描写の部分では斜め読みになる)。

  • ストーリーより、プロットにばかり頭が向かう。

  • 「味読装置」と「日本語検証機」のスイッチは切れる(そんなものが作動してるとたいてい読んでいられない)。

 大きくはこんな感じである。
 そしてこの作品は、いかにも王道の本格推理小説で、入り組んだ人間関係に、魅力的な謎、謎を彩るペダンティズム、いくつもの伏線とエレガントな解決、しかも事件に関わる家族や人間の複雑な心理を描いて、実に面白く読める。世間で評判がいいのもよくわかるし、人に勧めて恥じるような作品ではない。

(以下、ネタバレにはなってないと思うけど、この本読んでない人は読んでも仕方ないですよ)
 しかしながら、どうしても私には受け入れ難かったのが、序盤のこの一点。
「彫刻の首が切り取られたのは殺人予告」
 えー、ふつうそんなの悪趣味な嫌がらせか、ただの盗難事件だと思うだろう。
 でも、全員それで納得するところが不思議だった。
 それが、ずーっと心に引っかかったまま読んでたので、ぜんぜん乗り切れなかった。
 いやまあ、最後まで読むと、その「殺人予告」が作者の(この作品のプロットの)目玉だったことがわかるんだけど。
 それで、当然のことながらなんだかごちゃごちゃした事件の謎が、ミスディレクションや伏線に対する読者の驚きを伴いながら、論理的かつ鮮やかに解明されるんだけど、これも一点、「そんなことだけで、だれもかれもそんなふうに思うかよ」というのがあって、なんとも納得がいかなかった。
 でないと、小説が成り立たないってのもよくわかるんだけど。「魔法が使えるとか、おかしいやん」って言ってたら、ハリポタ読めないのといっしょで。ちがうか。
 うーん、やっぱり、現実にはありえないほど無能な警察と、現実にはありえないほどうまく真実に突き当たる探偵によりかかった本格ミステリってのは、性に合わないや。いくらあちこちで「ロスマクばりの」とか言われてても。事件の奥に人の心を描いたロスマクと、人の心をこんなもんだろとして複雑な事件を組み立てるこの作品は、同じ「家族の闇」に手を出してるといっても、ありようが正反対だろう。
 まあそれでも、そんなのはイチャモンに過ぎなくて、新本格の読めない私が悪いんですけどね。
「そんなあほな警報機」も切っとけばよかった。


2005年1月13日(木)

 こないだテレビで見たのだが、何かのニュースだったか、クラシック・コンサートの情報紹介だったかは忘れた。そのキャスターの後ろのスクリーンには、こんな文字が出ていた。
「チェロリスト」
 もちろん、「チェロ奏者」の謂である。でも、すっごい違和感がある。そのLだかRだかはどっから来たんだ。ふつうはチェリストだと思うぞ。
 「あの人はチェロリストでちゅ~」って、おまえはタラちゃんか! あの人って、ウサマ・ビンラディンか!

 でも、「チェロリスト」でググってみたら、いっぱい出た。

 パブロ・カザルスとヨーヨー・マに謝れ。


2005年1月15日(土)

前田建設株式会社『前田建設ファンタジー営業部』(幻冬舎/1480円)
 最近多くなってきたインターネット発の書籍のひとつである。
 有名なサイトなので知っている人も多いと思うが、本を買わなくても、ここへ行けばほぼ全文(加えて、新プロジェクトも)がフォローできる。
 でも買ってしまった。今度は、いつか子どもたちに読ませてやろうと思ってである。
 それでこの本(サイトでもいい)の感想だけれど、もう、ほんと、コタツの中でのたうちまわるくらい面白い。

 話は、大手ゼネコンが「マジンガーZの格納庫」を受注したらどうするか、からはじまる。
 もちろん、実現(受注-建設)に向けて突き進む。自社の部長連や、大型機械の製作会社に本気で検討を頼むのである(いい年のおじさんが真剣に検討するところが楽しい)。
 空想の世界を現実の技術で実現しようというのだから、これは科学理論をあれこれひねくり回して、アニメや特撮がいかにバカげているかを笑う柳田理科雄の『空想科学読本』とは正反対の行き方である(あれはあれで面白い。山本弘の批判は言いがかりだと思う)。
 建設会社の仕事の大変さや細かさがいろいろわかるのも面白いし、最後には、見積書もきちんと出される(72億円でほんとにできるらしい。工期の6年5ヶ月も驚きだけど、「機械獣の襲撃期間を除く」という但し書きがおかしい)。
 そして末尾の、(発注があれば)「実際に施工させていただきます」の一言には、賛嘆を禁じえない。
 それとそれと、付け加えると、ファンタジー営業部のみなさんがカワイすぎる。
 インターネット発の本では、『反社会学講座』(サイトはこちら)と並んで、屈指の一冊だと思いますよ。


2005年1月16日(日)

 最近ネットで盛り上がっておりますが、「NHKの長井氏、安倍・中川両議員、政治介入、女性国際戦犯法廷、番組改竄」の件ですが。
 あちこちで言及してる方々に対する、私の感想は、「みんな無邪気だよなあ」につきます。あるいは、「いっぺん公務員やってみろ」。
 ま、朝日新聞の報道はむちゃくちゃだったと、これは私も思います(モノホンの捏造であるとは思わないが、証拠やソースを示しきれないという脇の甘さが)。ついでに、「女性国際戦犯法廷」の、そらないやろ感も。
 それらをふまえて、私の中では、架空の真相ストーリーが出来上がっています。詳しく書くと、いろいろ差しさわりがあるのであれですが、結局のところ、「こわがるNHK」と「うるさい保守」の構図を(長井氏をネタに)朝日がつついたら、口裏合わせた反撃を食らって朝日のボロ負け、というストーリーだと思います。

 それはともかく、この件に言及しているウヨ気取りの連中は、どうしてどいつもこいつも、「朝日と長井はアカで嘘つき」~「NHK幹部と安倍、中川は中立で正直」ってことにするんだろう。どうせならどっちも疑えよ。気に入った方だけ鵜呑みって、ほほえましすぎるぞ。

 というわけで、いろいろ集めてて(手がかりとして)参考になるのは、やっぱりこちらだったり。情報収集の丁寧さが何より。と、こちらには官僚系ブログへのリンクがあって(これとこれ)、コメントも含めて読むと勉強になりますよ。


2005年1月17日(月)

先週の話。

 iPodに入れてある分もたいがい飽きてきたので、松任谷由実の「リインカーネーション」を買ってきた。
 これは、サイと出会ったころ、彼女に初めて借りたLPレコードである(だから今、うちには当然レコードもある)。
 たぶん大学一回生、十九歳だった。同い年のサイとはサークルが同じだったというだけで、のちに結婚することになることなど夢にも思わなかったころだ。
 早速取り込んで、今朝、駅から職場へ向かう道を歩きながら聞いてみた。当時は、それこそ録音したカセットテープが伸びるほど聞いたアルバムだが、改めて聞くのは本当に二十年ぶりぐらいである。
 1曲目のイントロが流れてきたところで、あっと思った。その場に立ちつくして、ビルの間に広がる青空を見上げた。カーンと冷えきった冬の空は、意外と朝の日差しがまぶしくて、思わず目を細めた。
 目を閉じたわけではない。だからその光景が広がったのはまぶたの裏ではない。
 目の前の、大きなビルの並ぶ都会の風景に重なって、昔通っていた大学の風景がパノラマのように広がった。
 正門から理学部の前を通る広くて明るい道路。駅から裏門を経て教養部に至る池と林の脇を通る道。生協と学生会館の裏にあった、掘っ立て小屋のようなサークルの部室。図書館下の食堂。
 ちょっと待ってくれよ。思わず独りごちた。
 そんな私の狼狽などおかまいなしに、ユーミンの歌声が耳から流れ込んでくる。ついで、そのころ持て余していた感情と、胸苦しいような楽しいような自由なような不自由なような不安なような満ち足りたような貧しいような豊かなような、なんでもできるようななにもできないような、手っ取り早くいうと青春の感覚というようなものが渦を巻いてよみがえり、たちまち胸を一杯にした。
 ちょっと待ってくれよ。
 私は意識的に大きく息を吸い込んで、ため息をついた。いったん高い空を見上げて、わざと大またで歩き出した。
 目の前の昔の風景はすでにない。感覚の渦も、少しの動悸を残して潮が引くように去っていった。
 古い音楽を久しぶり聴くと、忘れていたその当時の感覚がよみがえるというのは珍しい話ではないが、こんなに威力のあるのは初めてだった。
 もうちょっとで、道の真ん中で泣き出すかと思った。

 つぎはホール&オーツでためしてみよう。


2005年1月18日(火)

▼夕食を終えて、みんなでテレビを見ていると、ひとりインスタントコーヒーを飲んでいたサイが突然、私に向かって言った。
「うすいやん」
 知らんがな。お前が勝手に作って勝手に飲んでるんやろ。
「おれ関係あれへんがな」
「ちゃうねんちゃうねん。これ、ネスカフェのカプチーノやろ」
 せやからお前がなに飲んでるかなんか知らんっちゅうねん。それて、一杯分ずつパックに入ったインスタントコーヒーで、結構うまいのは知ってるけど。
「うすいのはおれのせいとちゃうぞ」
「せやからー、これお湯入れすぎたらうすいやん」
「ほなそない言えっちゅうねん。なんで、“うすいやん”からはじまんねん」
「そこまでは頭の中やったから。とちゅうから言うてんけど」
「途中からはやめてくれ、頭の中の会話までわかれへんし」
「わかってくれやなあかんわ」
 それはムチャだと思います。
 で結局、
「うすかったら、普通のインスタントコーヒー足したらおいしいで」
 てことが言いたかったそうです。
 そらそやろけど。

▼ともちゃんが保育園から、「マフラーつくってん」と持って帰ってきた。
 見せてもらうと、細くて短くて継いだ毛糸が千切れかけてて、マフラーとはとうてい呼べないようなものを見せてくれた。でも、ちゃんと4つ5つの目でざっくりと段を重ねて、50センチほどのものを編んである。よく考えるとすごいぞ6歳児。お父さんなんて、かぎ針でも鎖編みしかできないのに。
 サイに聞くところでは、保育園で指を使った編み方を教えてもらったらしい。しかも、ともちゃんは一度で覚えて、クラスのみんなに教えてまわってたとか。ともちゃんに確認すると、なるほど鼻高々である。
 それをふまえて。
 サイがお迎えに行ったときの話。
 ともちゃんは、迎えに来たサイを見つけるなり、「おかあさんこーしてみ」と、深々とお辞儀をしたという。
 それで、サイがともちゃんにうつむいた頭を差し出すと、ともちゃんは手の「マフラー」をサイの首にかけて、
「おかあさん、ほら、マフラー。ともちゃんつくってん、あげる」と言ったとか。
 お前は、そういう手管をどこで覚えてくるのか。普通の幼児なら、「おかあさん、こんなんつくったー」と手渡すのがせいぜいだと思うぞ。

 わが子ながら、ともちゃんは先々、かなりモテるようになるような気がする。
 そのときは、かわいい女の子をしょっちゅう家に連れてくるように。お父さん入れて合コンでも可。


2005年1月20日(木)

 酔っ払ってるので、適当更新。

▼昔は(江戸とか明治とか)、日本人の平均寿命は五十歳ぐらいだった、というのはよく聞く。
 たまにそれに続けて、「四十歳ならいいかげんおじいさん」(あるいは隠居にふさわしい)といったり書いたりする人がいるけれど、ほんとうに四十過ぎたら腰が曲がってしわだらけになってとか思ってるんだろうか。それなら、当時九十歳を超えたという高僧や武芸者は、今でいうと百五十歳くらいだ。そりゃないだろう。
 よく知られるように、「平均寿命」とは、「0歳児の平均余命」のことだ。その年齢で老衰を迎えるということではない。
 新生児死亡率が高く、抗がん剤も抗生物質もない社会では、若年層の死亡者数が多いため、平均を取るとそんなことになる。
 ヒトという種が無病息災のまま、老衰で死ぬまで生存するポテンシャルは、昔も今もほとんど変わらないだろう。よく報道される青少年の運動能力の低下や、初潮年齢の低下に見られるような成長の加速傾向を考えると、昔の方がポテンシャルは高かったかもしれない。

 ウェブをうろうろしてるような人には常識だと思うけれど、世間にはあまりにも誤解してる人が多いようなので書いてみた。
 これからはそんな言葉を見聞きしたら、ぷーと吹き出すこと。

▼あとそれとちょっとおしえて。
 Media Player Classic って、軽いからいいって話をよく聞くけれど、XPの「ファイル名を指定して実行」に「mplayer2」って入れたら出てくるのと、どうちがうの? いや、文句言ってるんじゃなくて、前者の噂を聞いただけでインストールとかしてないもんで。


2005年1月23日(日)

津原泰水『綺譚集』(集英社/1700円)
 やっと買った。やっと読んだ。とても面白かった。
 でもこういう短編集って、最近ならどうしても乙一と比べてしまうな。どちらが上という話ではないのだけれど、RPGのパラメータ風にいうと、「すばやさ(アイデア)」と「こうげき力(インパクト)」は乙一が上、「かしこさ(文章力)」と「ぼうぎょ力(構築力)」は津原が上、という感じかな。でも、そんな言葉遊びはナンセンスだ。
 で、この本だけど、どの一篇も、新しさをめざしながら、どこか昔懐かしい(ホラー、なんてのとは無縁な)怪異譚の香りがして、私には実に好ましい。いろんな文体実験はそれはそれでうまく行ってるし、旧かなの古めかしい文体だったり、今風の女性の独白体だったり、どこの国とも知れぬ異国(異世界か)の悪夢のような物語だったり、さまざまに表現上の工夫を凝らしている。
 ただ、読んでる間中ずっと感じていたのだが、この「いっぱいいいっぱい感」はいかがなものか。漢字の誤用なんてのはご愛嬌だとしても、いかにも「文学的でしょ」といわんばかりのくだりを目にすると、そこだけ浮いてるとかじゃなくて、どうしても全体に背伸びしてるような感じが付きまとう。こういった小説の文章なら、「持てる技巧を抑制しつつ書いて、それでもあふれる才能と美しさ」を感じさせないとダメだろう。
 それと、わざわざ奥付に著者検印をつけるというのは、この短編集自体が、それが普通であった時代の作家(鏡花や綺堂や百閒や谷崎や川端や、村山槐多も)と彼らのすぐれた怪異譚に対するオマージュであることを明らかにする意図だと思うが、それもなんだかいっぱいいっぱいな感じだ。そういう遊びこそ、もっとゆとりを感じさせてほしい。
 才能あると思うんだけど、そのへんが津原泰水の限界なのかなあ(龍之介も基次郎も太宰も中島敦も三十代で死んだことを思えば、比べて申し訳ないが「若さ」とはいうべきでない)。
 でもでもでも、やっぱりこの短編集はおすすめ。怖くはなくてもぞくぞくする。こういうの大好き。

▼うわー、この「コレジャナイロボ」っていうの、すっごくほしー気がする。気がするじゃなくて本気でほしい。
 今度の誕生日、ともちゃんにあげたい。めっちゃあげたい。自信満々の態度であげたい。

 うーん、でも、「先行者」を超えたとの誉れ高い、こっちのロボット(中国製)には負けるかも。


2005年1月24日(月)

▼サイが言うには、今日お迎えに行ったところ、ともちゃんの担任である保育士の先生に大変ほめられたという。
「もう、ともちゃん、すっごくかしこいんですよ~」という感じで。
 余談ではあるが、この担任の先生はマジで山川恵利佳に似ていて、明るくてすごくカワイイのである。何かというとすぐ抱っこしてもらうともちゃんが、お父さんはとてもうらやましいのである。だからなるべく、お父さんもお迎えに行きたいのである。
 閑話休題。
 聞くところでは、このところ保育園では大なわとびが流行っているらしいのだが、今日、ともちゃんは、下級生が喜ぶというので、ひたすら回す方に徹していたという。また、いつもの仲のよい友だちが週末にちょっとした怪我をしたらしく、大きな絆創膏を貼っているのを見て、一日中世話を焼いたりしていたらしい。
「ともちゃん、ずっと、かんくんのことかばってあげてるんですよ~」と、これもヤマカワエリカ先生の談話である。
 私は夕食を食べながら、サイにその話を聞いて、思わずともちゃんに言った。
「おおおー、めっちゃええやつやん、おまえ」
 ともちゃんはすかさず言い返した。
「おまえっていうな」
「なにー。ほんなら、めっちゃええやつやん、おまえちゃん」
「ちゃんはいらんねん、ちゃんは」
 うむ。打てば響くようなツッコミも、ずいぶん身についてきたようではないか。お父さんはうれしいぞ。

 え? あれ? そんな話ではなかったような気が。

▼その怪我をした友人に関して、ともちゃんが言った。
「わるい子がおんねんで。○○ちゃんと□□ちゃんな、かんくんに、へんやーとか、おっちゃんみたいーとかゆうねん。かんくん、泣いとったって、先生がゆうてた」
 その子の怪我は口元らしいが、そこに絆創膏で、なんで「おっちゃん」なのかは判然としない。が、とりあえず、私も同調した。
「そら、わるいよなあ。けがした子つかまえて、それはないよなあ」
 で、とりあえず聞いてみた。ともちゃんが、そんなことを決して言うことがないのは百も承知である。
「ともちゃんは、そんなこと言えへんやろ」
「うん。言えへん。だってな、ともちゃんな、おともだちきずつけたくないもん」
 えー、なにそれ「きずつけたくない」って。意味わかって言ってるのか。
 思わず突っ込みかけたところへ、横からサイが口を挟んだ。
「でも、ともちゃん、いっつもお兄ちゃん傷つけてるで。横からゲーム取ったり、勉強のじゃましたり」
「んーと、おにいちゃんは、ちょっとだけええねん」
 そばで聞いていたなおちゃんは、苦笑するばかりである。
 それを見た私は、なおちゃんに注意した。
「なおちゃん、ちゃうやろ。そこはすぐに、『なんでやねん』やろ」
 ボケもツッコミも、不断の反復と研鑽が大切だというのに。なおちゃんは、近ごろ向上心がたるんできておるのではないか。

 え? あれ? これもそんな話ではなかったような気が。


2005年1月26日(水)

「鉄血くだらな帝國」の下条さんが、私の1月20日の日記への言及と思われる文章を書いておられます(1月25日付のくだらな日記)。なんだか面映いようなありがたいような気がします。
 直接の言及のおつもりでなければ以下の文章は失礼なのでお詫びしますが、ただ、とても対照的な内容なのでちょっと思ったことを書いてみます。

 これはもともと整理もせずに書いた私が悪いのですが、「昔の実態」(事実)と「ヒトの生物学的なポテンシャル」と「文化」(年齢に対する認識や通過儀礼や呼称など)の話が、入り混じってしまって、どうもややこしくなってしまったような気がします。
 とりあえず、下条さんは歴史にとても詳しい方のようですし、事実を挙げて論理的な推論を述べておられるので、とくに私などが反論すべきような問題ではありません。

 でも、明治の半ば生まれで九十過ぎて死んだ私の母方の祖父は、貧しい農民だったのですが、百年前から続くような食生活で(なんか煮物漬物と茶粥ばっかりで、肉は口にせず魚も干物程度)、耕地が狭いせいで田んぼも畑もオール人力で(昔は牛が一頭いたらしい)、それでも死ぬ直前まで矍鑠としていました。
 同じく後に九十過ぎて亡くなった祖母も、六十歳を過ぎるまで農婦であるとともに風呂も勝手も薪で焚く暮らしでしたが、とくに腰は曲がっていませんでした。
 そして、父方の曽祖父母はまだ少し上の世代なのですが、貧乏漁師だったせいで蛋白質もカルシウムも豊富だったのか、これもとんでもなく長生きしていました(じいさんの方は百まで生きた)。
 もちろん昔の人とは違って、死ぬまで「過酷な労働」で生計を立てていたわけではありませんし(いや、昔でも子どもが成人すればちょっとは楽できたか)、戦後になってからは三度三度白いご飯を食べることができたという点では、やはり「現代」の(しかも特別な)例に過ぎないのでしょう。それでも私は、そういう人々を見て育ったということもあって、一般に言い慣わされている「昔の人はすぐ年寄りになって平均寿命で老衰直前」という言説を受け入れ難く感じるのかもしれません。
 そもそも、そんな個人的な話より、室町時代は平均寿命が十五歳くらいだったという研究があるらしいのですが、だからといって十五歳で老け込んでたはずはないだろう、という方が話は早いような気もします。
 こういう問題は、実証的な研究によらず、大雑把な例と論理だけで考えるのはやはり難しいです。
「過酷な労働や不便なくらし」についても、「昔の人はどこへでも歩いていったし、体を使って働いていたから年を取っても丈夫だった」とか、「貧しい食生活」についても、「無農薬有機栽培添加物なしの新鮮な野菜根菜や雑穀主体という、今よりはるかに健康的な食生活を送っていた」とかいう人もありますし。まあ、いくら私でも、それはひいきの引き倒しだと思いますが。

 相変わらずいろいろ混乱したおした文章になってしまいました。結局こちらの文章の前半のようなことを書きたかった気がします(「ひらしょー」といううちより古くからあるテキストサイトのようです。あれこれググってて、初めて知りました。不明を恥じたいと思います)。[すでにリンク切れ。2023年8月26日註]


2005年1月27日(木)

 たとえば「ヤンキー」のように、関西生まれの若者言葉が、全国的に用いられるようになることがある。
 最近では、いつの間にかみんな使うようになった「ヘタレ」である。私のなんとなくの記憶では、山崎邦正あたりを中心してにダウンタウンなどから使われ出したように思う。この記憶自体はイメージに過ぎないので自信はないが、全国的に広まるきっかけが関西芸人だというのは、まずまちがいないと思われる。
 もちろん、私などは幼いころから使っていたし、さほど品のいい言葉ではないとはいえ、今もよく使う。

 その「ヘタレ」の語源であるが、私自身は、これは「うんこたれ」や「しょうべんたれ」、「はなたれ」と同じで、「屁たれ」がもともとの意味であろうと思っていた。大小便に比して、やはり屁そのものはずいぶんと儚くも頼りないものなので、とくにそういう性向の人間を指していうのであろうと。まあ、今の関西人なら、大方そんな風に思っているのではないだろうか。
 ところが、どうもそうではないらしい。手元の『大阪ことば事典』(牧村史陽編/講談社学術文庫)を開いてみても、「ヘタレ」の語はない。「ションベタレ」はあるにもかかわらず(ちなみに、この見出し語の表記が、大阪ことばを愛する編者の良心を物語っている)。
 あらら、古くからある大阪の下町言葉もしくは幼児語だと思っていたのに。それで、この事典をパラパラ見ていると、気になる語を見つけた。

ヘゲタレ(名)  意気地なし。だらしない人。活気のない者。無気力者。ヘコタレ(凹み垂れ)の転であろう。

 とある。しかし、私はこの言葉を知らない。両親はもちろん、祖父母が口にするのも聞いたことはないし、上方落語の中でも聞いた記憶はない。ただ、事典によると、この語は、『桂川連理柵』(菅専助)から、『膝栗毛』(一九)、『浮世風呂』(三馬)にまで出てくるらしいので、かなり古くから使われていたようである。
 そんなこんなで、昭和の後半にはすでに「ゲ」が落ちてしまったところへ、よりイメージの喚起力の強い「屁たれ」の語感が混入してしまって現代に続いている、と見るのがどうやら正しそうだ。

 次回は、「関西人以外は、みんな『Go ! Go !』だと思っている『イケイケ』について」でお目にかかりましょう。


2005年1月28日(金)

 「イケイケ」についてであるが、これも明らかに関西方言が起源である。
 今は、「行け行け」とも表記しうるゆえか、「考えるより先に動く」とか「向こう見ず」、あるいは「非常に積極的」というニュアンスで用いられることが多いようだ。「イケイケの部長のおかげでえらい目にあった」とか、「昨日の合コンはみんなイケイケで盛り上がった」というふうに。
 ここで私は、「もともとはそんな意味じゃなかった」ということを書こうとしているのだが、実はそんなに違和感を感じていない。意味の変容を起こしながら全国的な言葉になっていく過程を、その責任の一端を担う世代のひとりとして、つぶさに見てきたからかもしれない。

 まず、原義から挙げる。これも昨日の日記と同じく『大阪ことば事典』からの引用である。

イケイケ(名) 相殺。感情が差引きなしになる。「行き行き」であろう。多く、飲食・遊覧などの費用計算の相殺の場合などにいう。
 《例》 今日の勘定イケイケにしとこ。
 また、隣家との境界に何の設備もなく、互いに行ったり来たり出来るような場合にもいう。

 もうひとつ、手元にある――これはパンフレットに近いものだが――『南河内ことば辞典 やぃ われ!』(富田林河内弁研究会編)にはこうある。

いけいけ(行け行け) (1) 通り抜けが可能な状態。(2) 情報が筒抜けあるいはコミュニケーションが良好であることを指す。

 もちろん、いずれの本にも、冒頭に書いたような意味では載っていない。
 最初の意味は、今はほとんど耳にすることがなくなった。私も、聞けば理解することはできるが、自分で使うことはない。私の回りでも同世代以下の人間には、ほとんど通じないのではないだろうか。
 一方、後二者はまだ十分通用する。若者はもう使わないようだが、私はふだんでも、これらの意味でなら使うことが多い。
 「そのビル入ったら、裏の道とイケイケになってるから近道でっせ」とか、「うちの課長はおたくとこの所長とイケイケやからその話は大丈夫」という感じである。

 さて、その「イケイケ」が、現在の意味で使われるようになったきっかけであるが、これははっきりと覚えている。
 1980年代前半、毎日放送ラジオ「MBSヤングタウン」の金曜日では、谷村新司がメイン・パーソナリティを、ばんばひろふみがサブを務めていたのだが、ある夜の放送での雑談中に、ばんばひろふみ(だったと思う)が、
 (ディスコとかに遊びに行ったら)「イケイケのねえちゃんとかおるやん」というような発言をしたのである。
 前後の内容はまったく記憶にないが、私はあまりにうまく言い当てているその表現に一人吹き出したので、そこだけ妙に覚えているのである。
 実際に、その深夜放送の発言がきっかけになったのかどうかは根拠があるわけではないのだが、たしかにその時期を境にして、一気に「イケイケ(のねえちゃん)」という言い方が広まった。
 このとき用いられた「イケイケ」は、むろん「Go ! Go !」の意味ではない。「声をかけるだけですべてをわかってくれるような」というコミュニケーション面での「イケイケ」、あるいは「羞恥心や貞操観念に大きな穴が開いている」という構造面での「イケイケ」、もしくはその両方を含んだ表現である。当時でもすでに古くさくなっていた関西言葉を用いて、一部の女性たちをあまりにうまく表現しているように感じられたので、私は笑ってしまったのである。

 今は、「イケイケのねえちゃん」から「ねえちゃん」が消えてしまって、「イケイケ」だけが使われるようになっている。それも、「非常に積極的」という、本来の語義を離れた意味をまといながら。
 それでも、「イケイケ」のお姉さま方は、たしかにいろいろと「非常に積極的」だったので、その誤解もあながち不自然ではない。むしろ自然な変化のようにも思う。
 いずれどこかの国語辞典に載るようなことがあれば、四つ目の語釈として書かれることになるだろう。

 だから今日の日記は、決して、昔からの関西言葉が誤って使われているという文句などではありません
 私がふだん使う方の「イケイケ」の意味を、みんなに知ってほしかっただけなのです。


2005年1月30日(日)

 土曜日は朝から仕事に出たあと夕方から特急列車に乗って職場の旅行に合流したのだがすでに風邪の気配は濃厚でその上宴会ではしこたま飲んで温泉に入って仲間の卓球を冷やかして幹事の部屋でまた飲んでたらいよいよ風邪は胸腔と咽頭のあたりで巨大化してきて今朝起きたら露天風呂行くどころじゃなかった。
 それでもせっかくの旅行ではあるし職場の和というものもあるので雪の降る中を見物に出かけて泉鏡花記念館なぞを見たりしたのだが案外歩いているうちは風邪を意識することもなく大きな寿司屋の座敷で昼飯を食べたときもこりゃこれで逃げ切れるかなと思うくらい食欲もあったのだが帰りの特急を待つ間に土産を物色してたら喉の痛みと寒気がぶり返してきた。
 そういうわけで帰りの列車では大方二時間半ばかり気持ちの悪い汗をかきながらひたすら眠った。

 だから、あの、隣に座るハメになったのがいやで、寝たふりとかしていたわけではないのです。ほんとにしんどかったのです。
 だから、あの、気を悪くしないでくださいね、課長。


2005年1月31日(月)

 関西弁あるいは大阪弁について書いていて、ふと気がついたのだが、もともとの意味の「イケイケ」なんて、私以外に誰も使ってない。職場は思いっきり大阪人ばっかりなのに。
 そういえば、「てれこ」という言葉も、私以外の人間が使うのを聞いたことがないような気がする。「まどう」なんかも。それでも、私が使う分にはなんとか通じているようなので、「すでに誰も知らない」という言葉でもないらしい。

 そんな私が、もうずいぶん前に、そのコマーシャルが始まったときから気持ち悪くて仕方がないのが、「京阪乗る人、おけいはん」という京阪電鉄のCMである。こんなのいくらなんでもコピーに苦情が来てすぐ終わるだろうと思ってたら、人気が出たらしい。季節ごとに変わるシリーズもののCMなのだが、主役の「おけいはん」とやらも、すでに二代目か三代目で、数年前には『出町柳から』(歌:中之島ゆき)という企画モノのCDまで出た(京阪電車は京都出町柳と大阪中之島を結んでいる)。
 それでなにが気持ち悪いのかというと、「おけいはん」はないだろうという話である。なんでも「はん」をつければ関西風だと思うと大間違いだ。生粋の関西人であれば、仮にケイコという名前に対してなら「おけいさん」としか言わない。それを、「京阪」と無理やりダジャレで結び付けようとするから気持ち悪いのである。
 みんなもうそういった違和感とか感じなくなったのかなあ。「オジサン」を「オジハン」って言うのと同じくらい違和感あるんだけど(オバサンはオバハンっていう)。

 今日はもうほんと、他国の人間にはわからん話ですまん。ひょっとしたら大阪の人間でもわからん話ですまん。

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、創作活動の大きな励みになります。大切に使わせていただきます。