「筆先三寸」日記再録 1999年11月


1999年11月2日(火)

 たとえば、車に乗ったら豹変する人っているよね。普段はおとなしいのに、すっごく攻撃的になったり、急ぐ用事もないのに、右へ左へ他の車をかわしながらかっ飛ばす人とか。
 あれはやっぱり、車の魔力っていうか、人間の能力をはるかに超越した「モノ」を手に入れることによって生じた「全能感」や「万能感」にとらわれちゃってるんだろう。自分の力と車の力を錯覚してるっていうか。
 パソコンやインターネットだって似たようなところはあると思う。いつでもどこでも全世界とつながってしまえるというのは、すでに人間の認識能力の限界を超えている。おまけに匿名。
 そりゃ超自我もゆるむって。自己拡大感に錯覚起こすって。
 ついでに、そこには文字しかないのにそれ以上のものがあると誤解もするって。

 何を書いてるのかというと、こないだそんな話を聞いたところなわけです。精神科医の先生に。
 その先生は、ずっと以前に精神科医としてホームページを持っていて、掲示板やメールでの相談にも乗っていたということで、その辺のネットワークに漂っている人々の心のことにくわしいくわしい。掲示板でもフレイミングで苦労したらしいし。

 たしかに「お前は何様のつもりか」というような日記や掲示板の書き込みに出会うことは多いし、いちゃもん系の「荒らし」なんてしょっちゅう目にする。ろくなスキルのない厨房なんてのもうようよいる。
 超自我がゆるみきって「なんでもやってやるぜ、ヘイ!」なんてのは論外だけど、「自意識過剰」も一種の錯覚、「アクセスが増えて人気者気分」てのも錯覚、「ネット恋愛」なんて最悪の錯覚、というところあたりは気に留めといても罰は当たらないと思う。
 って、自分に言ってるんだけど。


1999年11月4日(木)

 ここにいたってなんか日記も、テンション落ちてる上に途切れがちなわけですが、なにもYahoo!登録挑戦3連敗がこたえてるとか、それでヘコんでるとか、そういうのではありません。決してYahoo!に登録してほしいとか思っているわけではありませんので。そんなことは思ってもいません。誤解しないで下さいね。
 なんか目玉のバカテキストもぜんぜん書けないまま、Yahoo!にも載らんのに日にちばっかりたって、毎日の更新にうんざりしてきたというわけでもありません。Yahoo!に黙殺されるようなホームページづくりもたいがい飽きてきたとか、そんなんでもありません。Yahoo! 3連敗でへそを曲げてるとかでもありません。仕事が忙しいせいってのはちょっとあります。だからYahoo! 3連敗にこだわっているとかではないのです。こだわってないってば。
 実は、飽きたのは飽きたでも、このページのツラにはたしかに飽きがきています。
 それに、しもひろさんにも前に言われたのですが、《むしまるのページ》というのもやはりタイトルとして芸がなさ過ぎるような気がしています。それでYahoo!に3連敗もするのかもしれません。いや、3連敗したところで別に、ぜんぜん、ちっとも、かまわないのですが。気にしてないし。
 それで今、新装開店を計画しています。タイトル込みで。
 トップページをおしゃれにしたらYahoo!に登録してもらえるかもとか、そんなさもしい根性で計画しているのではありません。あまりに芸のない表紙なので、自分のとはいえ毎日見てるのがいやになってきただけです。Yahoo! 3連敗とはどこをどう押しても関係ありませんから。
 それで毎晩トップページをいじったりして遊んでて日記が書けなかったりしているのです。どんなのがYahoo!好みかとか、考えてるから時間がかかるとかそんなことは決してありません。繰り返すようですが、Yahoo! 3連敗だって気にしてませんから。
 なにもサーバを引っ越すとかそんなんじゃないので、タグをコチョコチョいじったり、バナーを作りかけたりしてるだけなのですが、どうも時間がかかります。Yahoo!サーファーおすすめのページとかいうのをあちこち見て、傾向と対策を練ったりしているわけではないのに、です。そんなこと考えたこともないのに、です。
 ツラは変わっても中身はおそらくぜんぜん変わらないと思います。テキスト類の手入れは多少するつもりですが。狗肉をかかげて狗肉を売ってたのを、せめて羊頭だけでもかかげようかと。ついでにリンク集を豪華にしとけば、Yahoo!のサーファーさんもだまくらかせるのではないか、とかは決して思っていませんから。3連敗にこだわってるわけではないので。何度も言いますが、そんなのぜんぜんこだわってないので。
 まあ、今月中にはコジャレたトップページを、なんとか皆様のお目にかけたいものです。
 で、今年中にはYahoo!に登録と。ひつこいっちゅうねん。


1999年11月6日(土)

 今日の更新:マジエッセイ「守礼門でいい」を追加。

 今日はちょっと眠すぎます。日記は勘弁してください。


1999年11月7日(日)

 いやー、やっとのことで「森のくまさんの謎」をアップすることができました。
 今回もかなり長くなってしまいました。四百字詰め原稿用紙換算で40枚を超えています。なんとこれは私の卒業論文より長いではありませんか。
 もし読もうとおっしゃる奇特な方がいらっしゃるのでしたら、なるべくテレホの間か、電話を切ってからキャッシュのを読むようにされたほうがよろしいかと。
 内容は、面白いかどうかはともかく、自分でも驚くようなものになりました。童謡の「森のくまさん」にそのような恐ろしい事実が隠されていようと誰が思いましょう。詳しくは本文をあたってください(予告編みたいですまん)。

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 最近、子どもとの「大貧民」(トランプゲーム。別称は「大富豪」)に凝っています。毎日させられている、というか本気で相手をしています。
 息子もはじめの頃は、所詮は保育園児ですから、ジョーカーを後生大事にして全然使えなかったり、勢いよくAや2をばらまいたまま、3や4を抱えて玉砕していました。しかし、このごろはコツがわかってきたのか、ずいぶん手ごわくなってきました。
 今日も、終盤でダブルやトリプルを駆使されて、逆転負けを喫してしまいました。
 サイもまた、同じゲームが異様に強いので、なんだか口惜しいものがあります。
 だから余計に、二人して「大貧民しよう、大貧民しよう」と寄って来るのかもしれません。

 その証拠に、私が勝つことのできるゲーム(五目並べとか、オセロとか)をしようと言っても見向きもされません。
 そんな私は家族に愛されているのでしょうか。


1999年11月8日(月)

祝! 新装開店「筆先三寸」

(でもなんか中途半端なところが私らしい。ほっとけ)


1999年11月9日(火)

 昨夜遅く、新装開店したら、掲示板の書き込みが立て続けにあってとてもうれしい。みなさんありがとう。
 大作「森くま」のアップも効果があったのかとも思うけれども。うれしいうれしい。
 やっぱりテキスト勝負で云々っていう以上、がんがん雑文を書いていかないとね。
 で、ちょっと今、考え中。どのへんに力を入れていくかって。

 で、日記なんですが、今朝仕事に向かう電車の中で、背中に「What are Doing?」と大書されたトレーナーを着た若者がいました。
 「なにがしていますか?」ってどういうことなんでしょうか。「“すること”ってなんですか?」てんなら“is”だろうし。「What are you doing?」のつもりだったのでしょうか。それでも「あなたはなにをしていますか?」って、大きなお世話だと思います。そんなの背中に書いて歩くのはいかがなものでしょうか。
 男は背中で語るものだ、と北方謙三先生あたりはおっしゃってそうですが、その若者は背中で変な質問をしていたのだといえます。いや、いえませんが。
 でも、普段着に買っただけのトレーナーなのに、見ず知らずの他人にこうして全世界に向けて文句をつけられる方にしてみれば、はるかに私の方が大きなお世話なんでしょうね。


1999年11月10日(水)

 今日、仕事帰りに、久しぶりに気合いの入った二人組のコギャルを見た。黒い顔、白茶まだらの髪、白い唇、こてこてのアイメイク、なんかきらきらした頬。大阪にしては異様に短い制服のスカートは、アンダースコートはいた方がよさそうなやつ。ケータイにはジャラジャラとストラップ。お前らそれ本体よりついてるもんの方が重たいやろ! 特に左のお前、なんぼちっこいていうたかて、ぬいぐるみはやめとけ!
 それはさておき。
 私はずっと誤解していた。彼女たちはあれを本気でかわいいと思っていると。だから、鏡の前でモデルや芸能人の写真とともに説得して誤解を解けば、悔い改めるのではないかと思っていた。だいたいどう見ても見苦しい。私はいつも彼女らを見るたび、「あ、アダモちゃんや」とつぶやいてしまう。どうせなら、身体をつっぱらかせて腕を振り、「ペイッ!」とか言ってほしい。
 だいたい彼女らの信奉すると仄聞する芸能人だって、ぜんぜんちがうじゃないか。SPEEDのシマブクロ某なんてぺたんこの素に近い顔で髪も黒いぞ。鈴木あみ然り、大神いずみじゃなかった浜崎あゆみ然り。その昔、松田聖子全盛の頃には猫も杓子も聖子ちゃんカットだったのに。
 なのになぜ? どこに準拠してあれをかわいいと言う? 全員同じでどう個性的なんだ?
 などと思っていたが、今日彼女らを見ていて気づいた。
 あれは立派な主張のためのスタイルなのだ。「私たちは外部の規範から自由でありたい」という。
 一般社会の基準からはどう考えても理解しがたいファッションを身にまとうのは、「この価値の流通する内部にしか関心はない」ということでもある。
 それは、「大人の社会」や「学校」に対する反発ではない。反発はその対象に依存する行為である。メタレベルから見ればいずれ解消や止揚さるべきものにしかすぎない。
 彼女たちの姿は、すでに「コミュニケーションの拒絶」を意味している。私たちの(たとえば芸能人の)かわいい/かわいくないという評価の軸は、彼女たちのそれとは当然重ならないし、そもそも外部の基準に照らすことさえ拒否している。
 おそらく今の社会は、彼女らにとって、とんでもなく抑圧的なのだろう。「かわいくあれ」「かしこくあれ」「よき生徒/娘/女であれ」「個性的であれ」「努力せよ」等々と。今までの非行は、それらに対する反発で成立していた。だから、「金八先生」などという記号が機能したのであろう。
 反発する、否定する、破壊する、ような積極性ではない。拒絶でもまだ積極的なニュアンスがある。
 むしろ何事においても「関係ないしー」とか「うぜー」という形での否定である。外部のモラルや基準をを理解する気などまったくない。
 そうだったのかと考えると、私たちがこちら側に属している限り、コギャルはどんな非難も受け入れずにがんばっていくのだろう。
 がんばってほしいね。(あー、でも今日のはもっときちんと書いてマジエッセイに書けばよかった)


1999年11月11日(木)

 パソコンをさわり出して1年もすると、もう1台ほしくなるのは理の当然である。ハードディスクの容量だの、CPUのクロック数だのは、1年経てばほぼ2倍になってしまう。
 しかしまあ、私の場合はメールとインターネットをともに少々たしなむ程度なので、2台目といっても処理速度やストレージデバイスにこだわるわけではない。
 ノートがほしいのである。それもサブノート。いや、モバギなんかでもよい。キーボードがちゃんとしてて、軽いやつ。
 いつでもどこでも速攻で文章の打ち込める端末がほしいと切に思う。
 本当にほしい機能はそれだけなのだ。このサイトに上げてるようなばかげた文章を、喫茶店や電車の中、いつでもどこでも電池を気にせず打ち込めるようなのがいいな、と。
 とくに携帯につないでまでメールやインターネットの世話になろうとも思わないので、それで十分である。
 で、今日の本論はここから。だれかサブノートください。ちっがーう!
 いくらコンピュータが便利でも、予定表は手帳の勝ちだろうと思う。てなこと。
 第一に、手帳は軽い。普通のならエンピツをつけても100gいくかいかないかだろう。それに、起動が早い。ノートPCがカリカリウンガウンガいってる間に、スパっと取り出してキュキュっと書き込んでしまいである。他にも、電車の中で立ってても使える、落としても壊れない、切符や名刺をはさんでおける、黒いやつなら「太陽にほえろごっこ~聞き込み編~」ができるなど、利点は数え切れない。
 たとえば、会社の廊下で、同僚に、来月の忘年会の予定を聞いたとしよう。
 手帳ならば、その場でポケットから取り出して、日時と場所を所定の欄に書き込めばよい。余白があれば略図を書き込むのもよい。そして、再びポケットに放り込めばおしまいである。
 一方、ノートパソコンは勝手が違う。おおよそ、下記程度の手順を踏まなければならない。だから私はノートPCを、手帳代わりに持ち歩くことは決してないと思う。
(1) カバンからノートパソコンの入ったカバンを取り出す。
(2) ノートパソコンと電源コードを取り出してコンセントをさがす(なぜかいつも電池の残量が不足しているため)。
(3) 傘立てとごみ箱をずらせてコンセントにつなぐ(廊下なので)。
(4) 片足を上げて膝の上にノートPCを載せる(フラミンゴのポーズ)。
(5) 起動する。時間がかかるので、「コンピュータは起動時間がいやだねえ」と、いいわけともネタフリともつかぬ話をする。
(6) デスクトップの目指すアイコンにポインタを持っていこうとするが、不安定な姿勢とタッチパッドのため、なぜかエクセルが開く。
(7) エクセルを閉じて、なんとか予定表を開く。
(8) 忘年会のデータを入力する。
(9) 「一度入れるとさあ、いろんな使い方ができるんだよね」と、週単位や日単位の予定表やアクションリストを開いてみせる。
(10) 正確な地図を入れようとして、携帯電話をつないでマピオンにアクセス(一応お気に入りの中味についても通ぶっておく)。
(11) 必要な地図をコピー&ペースト。「こうしとけばよくわかるだろ」と自慢する。よく知ってるビルの地下2階であることは伏せておく。
(12) 画面に「このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます」というメッセージが出る。
(13) 再起動。「再起動も時間がかかるからねえ」と、うんざり顔の相手にもっとうんざりした顔で対抗する。
(14) 「それで、忘年会いつだったって? もう一度おしえて」という。
(15) 舌打ちして立ち去る相手を見送りながら、(6)~(11)を繰り返す。すると(12)も繰り返される。
(16) 膝を上げっぱなしの片足に限界が来る。
(17) よろけて自慢のノートPCを落としそうになる。
(18) あわててキャッチして電源コードがひっぱられ、傘立てとごみ箱が倒れる。
(19) 一生懸命、散らかったごみを片付ける。弁当の残りなんて捨てるなよとか思う。
(20) 半べそでノートPCを小さいカバンに入れて、小さいカバンを大きなカバンに入れる。
(21) さっきの相手に、忘年会の日時と場所を聞きに行く。


1999年11月12日(金)

 この日記ってば、このごろもう全然日記になっていなくて、日々コラムみたいになっている。それはそれで仕方がないとは思っているんだけれど。たぶんその方が読みでもあると思うし。
 若い人の夢を奪うようで申し訳ないけれど、社会へ出て家庭なんか持っちゃうと、本当に毎日の出来事なんて限られてくる。もちろん、仕事のあれこれや、家庭のあれこれ、趣味のあれこれなんかはいろいろとあるんだけれど、つらつらと日記に書いて公開するほどのことはないのである。三十代の社会人ってもっと金があってカッコよくて洒落てると思ってたのに。
 そういう勘違いは昔からあった。
 たとえば中学の頃、高校生になればクラブ活動とかがんばって、受験勉強も大変で、でも男女交際とかがあって、バイク乗ってみたり、等々と想像をふくらませたりしていた。いわゆる少年マンガのラブコメ、あるいはコバルト文庫の世界である。
 でも帰宅部でした。受験勉強はほとんどしませんでした。男女交際は、あの、その、なんちゅうか、不調でした。原付免許はとりましたがバイクは兄貴のでした。
 そんな高校時代には、今度は大学生活にあこがれた。バイトで稼いで、夜遊びしまくりで、日曜日は彼女とサーブで国道2号線(大阪から神戸以西へ海沿いを走っている。当時湾岸線はなかった)っていう感じ。いわゆる「ポパイ」や「ホットドッグプレス」の世界。
 実際は、バイトには追われたが、夜遊びは麻雀以外向いてないことがわかった。日曜日はたいてい家でゴロゴロしていた。どういうこっちゃと思ったね。雑誌てのはウソばっかりかい、て。
 でも懲りずに、社会人はさすがに違うやろと期待した。仕事帰りにはおしゃれなバーでグラスを傾け、週末はテニスを楽しんだり、連休には海外旅行とか。今度は「ブルータス」である。マガジンハウスの思う壺の人生といえよう。
 しかし、そんな世界はやっぱりどこにもありませんでした。
 それでも、三十代は違うだろうと、心のどこかに甘い考えがあった。だって、あの小説の主人公も、この雑誌記事のインタヴューイも三十代だから。結婚して落ち着きも出て、財布にはお金が十分にあって、若い女の子とも遊んだりして。今度は「課長 島耕作」路線で。
 やっぱり勘違いだった。見てのとおり落ち着きはない。5歳の子どもと並んで正座してお母さんに叱られている。財布に万札が入ってることはめったにない。今日だって、二百円のガチャガチャを5回やって、3回にしとけばよかったと悔やんでいるのである。当然、若い女の子には見向きもされない。
 なんでやー、全然テレビとかとちゃうやんけー。

 ここでお願い。「僕は/私は、ファッション雑誌やトレンディドラマみたいな生活をしています」という人がいれば教えてください。ほんとにそんなのがあるとはどうも信じられないのです。箱根の向こうは崖になってて海水が滝のように流れ落ちてるというのはウソであることが最近わかりましたが、そんな暮らしを営む連中が本当にいるというのはどうも疑わしいのです。日記サイトでもいいのでご存知の方はご連絡を。

 でも、五十代になったら「失楽園」があるかもとか思ってたりして。……大人ってフケツ。


1999年11月14日(日)

 土日は特に予定はなっかたのだが、土曜日の夕方に上の息子が突然、「おおばあちゃんのお見舞い行けへんのん?」とか言い出したので、実家へ帰っていた。だから土曜の晩はパソコンに触れていない。
 実家へ帰っていたからといって、日記に書くようなことは何もない。私の実家では、相変わらず子どもたちはのびのびと楽しそうで、私たちもくつろぐことができて、私の祖母は惚けて入院したままである。

 前回も同様だった実家帰りの折の日記では、本の話でお茶を濁した覚えがあるが、今回はそれもかなわない。なぜなら、最近読んだ本として指を折れるのは、柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』(講談社学術文庫)と永井荷風『日和下駄』(講談社文芸文庫)くらいしかないからである。
 たとえば、前者から引用してみよう。

 個と一般者との回路を切断するためには、個と個との関係の外面性、いいかえれば個と他の個との差異性が保持されなければならない。そのことだけが、一般者と特殊、場所と個という円環をさまたげる。それだけが、真に多数性・社会性あるいは歴史性を可能にするのである。(「ライプニッツ症候群」)

 ぜんぜんわっかりーまっせーん。
 荷風散人のは、まことに軽い読みものではあるのだが、固より東京(江戸)の風景になじみがないのと、該博な教養に圧倒されてなかなか読み進めない。

 隋の煬帝長安に顕仁宮を営むや河南に済渠を開き堤に柳を植えること一千三百里という。金殿玉楼其の影を緑波に流す処春風に柳絮は雪と飛び黄葉は秋風に菲々として舞うさまを想見れば宛ら青貝に屏風七宝の古陶器を見る如き色彩の幻惑を覚ゆる。蓋し水の流に柳の糸のなびきゆらめくほど心地よきはない。東都柳原の土手には神田川の流に臨んで、筋違の見附から浅草見附に至るまで?々として柳が生茂っていたが、東京に改められると間もなく堤は取崩されて今見る如き赤煉瓦の長屋に変ってしまった。(「第三 樹」)

 というような名調子ではあるが、なかなか読む方のページ数がはかどらない。ただ、東京在住の方には、一応必読であろうと申し添えておく。

 これらの柄にも似合わぬ本を手にしたのには重大な理由がある。
 小遣いが不足しているのである。給料日までずいぶんと残しながら。
 ではなぜ、これらの書物と私の懐具合に関連があるかといえば、私はいわゆる活字依存症なので、どんどん本を買っては読み買っては読みしていたら、財布がもたないのである。
 通勤時間もそこそこあるので、たいていの本は一日二日で読んでしまえる。
 だから、私は金がなくなると、面白いかどうか、自分に理解できるかどうかを考える前に、「安くて日持ちのする本」を買ってしまうのである。
 その点、岩波文庫の白帯・黄帯は抜群である。あと岩波文庫では、青帯、赤帯、緑帯と続くが、この辺は数段落ちる。
 他には、やはり講談社学術文庫やちくま学芸文庫の難解批評系や、中公文庫の世界の歴史、文庫クセジュなどもよい。
 そして、最もよいのが英語のペーパーバックである。先日買ったのは、割と平易な英語ではあったが、千五百円で1ヶ月以上もった。おかげでその月は本代が大変助かった。
 読みたい本やほしい本は常にあるのだが、今はそうして苦行のような読書をしている。


1999年11月15日(月)

 小さい子どもがいると、障子などはたまったものではない。我が家も居間には障子が使われているが、見るに耐えない様相を呈していた。
 おもちゃを振り回しては穴を開ける、走り回ってすっ転んでは突き破る、親がよそ見している隙に指でぷすぷす穴を開けてみる、それはもう妖怪マンガの荒れ寺の障子みたいになってしまっていた。
 私は年末の大掃除の時期に張り替えてしまうつもりでいたのだが、妻はとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
「悪いけど、張り替えてくれへん。もうなんか、破れかぶれやし」
 それはちょっと、言葉の使い方がおかしいぞ。
 そんなわけで、今日は午後からの出勤でもあり、午前中に障子を一生懸命張り替えたのである。それも四枚分。
 自分でも惚れ惚れするできだったね。真っ白の障子紙が隅々までピシッと張られているさまは、まことに気持ちがよい。向こうの見えない、まっさらな障子がこれほどすがすがしいものだとは、長らく忘れていた。
 そして、今日は11時過ぎに帰ってきた。
 すると、まるでそれが当然であるかのように、張り替えたばかりの障子に大きな穴が何ヵ所か開いていたのである。
 とほほのほー。


1999年11月16日(火)

 こんなホームページを開いていて今さらこんなことを言うのも恥ずかしいのだが、インターネットの世界には雑文界とでも呼びうるほど、雑文を志向したサイトが数多くあることを最近知った。
 私の尊敬する「それだけは聞かんとってくれ」しかり、(そしてそこを手がかりに知ったのだが)「補陀落通信」しかり、「森で屁をこく」しかり。そして、それらのよき道案内であり、自身もハイレベルな雑文サイトである「雑文館」。
 どれもこれも、本当に面白い。むろん筆者はみなアマチュアである。そして、抱腹絶倒というに値するよく練りこまれた文章に、そこここで遭遇することができる。
 いま、プロで、笑えるような雑文を書くといえば誰だろう。メジャーどころでは、原田宗典、土屋賢二、スタパ斎藤、宮沢章夫、リリー・フランキー、デイヴ・バリー、といったところか。それらの雑文は私も好んで読みはするのだが、ネットの住人たちの文章も、笑える点では勝るとも劣らない。
 たしかに、もちろんすべてがすべてすばらしい雑文家というわけではない。何か勘違いをなさっておられる方や、文章に対する熱意だけで底の浅さはいかんともしがたい方もおいでになる。夷斎石川淳の、「一般に、随筆の家には欠くべからざる基本的条件が二つある。一は本を読むという習性があること、また一は食うにこまらぬという保証をもっていることである。本のはなしを書かなくても、根柢に書巻をひそめないような随筆はあさはかなものと踏みたおしてよい。また貧苦に迫ったやつが書く随筆はどうも料簡がオシャレじゃない」(「敗荷落日」)という文章は、今日でも妥当するようである。
 それでもやはり、それらのサイトのリンク集をたどるのは、「日記猿人」や「Read Me! Japan」を手がかりに面白い文章を探すより、はるかに効率がよい。
 もうおそらく私は、これから先、笑うためだけのエッセイ集を本屋で買うことはないと思う。
 ネットで読めるのて、ほんまににおもろいねんから。


1999年11月17日(水)

 私は、いわゆるタッチタイピングができない。ブラインドタッチとも呼ばれる、キーボードを見ずに胸のすくようなスピードで文字を入力してゆくあれである。
 パソコン歴は1年少々でも、ワープロ歴は二十年近いのだから、も少し打ててもよさそうなものだが、なにぶん使うのは右の人差し指と中指、左の中指の三本のみという体たらくなので、胸がすくというより胸のつかえるようなスピードでしか打てない。おまけに、キーボードを見ながらである。
 キーボードを見ながら文字を打っていると、ふと画面を見たとき半角英数字がずらずら並んでいることがある。なぜそんなことになるのかはわからない。きっと小さな妖精が、私の隙を見て、「半角/全角」キーを押しているのだろう。
 同様に、フォームのウィンドウごとにいちいち英数モードに切り替わる掲示板がよくある。一体何のためにそんなプログラムにするのかよくわからないのだが、ハンドルを入れて、メアドやURLを入れて、さあ、書き込みだと思って一生懸命キーボードを見ながら頭の中の文章をずらずらと打ち込んで、ふと顔を上げると書き込みがぜんぶローマ字になっている。
 俺は石川啄木かっちゅうねん。で、泣く泣く書き直すのである。
 チャットなどでも、具合の悪いことは多い。人数が多いところなんかだとログ流れまくりで話が弾んでるのに、自分が全然参加できない。一生懸命、相手とか質問とかに対するレスを打ってるのに、送信する頃にはすっかり話題が変わっていたりする。まったく「おとといの夕刊」状態である。
 たとえば、

「ゆみ:そう、私きのうUFO見ちゃった。ちょうど大学の上空あたり」
(もちろん私は、ここでレスを書き始める)
「タッチー:え、すげー。葉巻型? アダムスキー型? 大きさは?<UFO」
「ガバス:しかし、なんですなあ、UFOと幽霊は見たい人間の前へは決して現れないらしいですな」
「ゆみ:えー、そんならいつまでたっても見れないじゃん(T_T)」
「ともりん:こんばんわ。はじめまして>ALL」
「タッチー:こんばんわ>ともりんさん。はじめまして」
「ゆみ:ともりんさん、こんばんわ♪」
「ガバス:こんばんわ>とも。東京の人?」
「タッチー:まさか僕の知り合いじゃないよね>ともりん」
「ともりん:ううん、山梨>ガバス」
「むしまる:え、うそ、空飛ぶ円盤?>ゆみ」

 こんな感じである。
 で、とうとう本日、タッチタイピング練習ソフトの「特打」を買ってしまった。近所のコンビニで、それも1,980円のコンビニ価格である。明日あたり、会社のPCでひとまずいじってから、役に立ちそうかどうかを確かめてみようと思う。
 しかし、こんなのでほんとうに身につくのだろうか。結構、評判のいいソフトではあるが、いずれにせよ画面見ながらアルファベットを打つだけであろう。横に竹刀を持った鬼コーチがいるわけでなし、あわてだすと適当になるのは目に見えている。こつこつ繰り返しすればよいとでも言うのだろうが、そんなことどだい私には無理である。だいたい、私の日々の仕事ぶりがそうなのだから間違いはない。いかんがな。
 仕方ない。もっと外的な圧力、動機づけ、誘因、を導入しよう。
 そこで、今年中に、タイピングが身につくかつかないかで、誰か賭けに乗ってくれないだろうか。
 もちろん私は、「そんなもん身につくかいな」に3000点。


1999年11月18日(木)

 今村荘三『笑いのゆくえ』(東方出版 1,500円)という本が出た。前作『笑う大阪人』の続編ともいうべき本である。内容の濃さについては別に述べるつもりなので、今日はそこに引かれているお笑い芸人のネタをいくつか孫引きしてお茶を濁す。もちろんたくさんある中の一部である。
 丸谷才一によると、批評家の腕は引用を見ればわかるというが、さすがお笑いが好きで好きで長年見つづけてきた著者の引用は、鋭い批評眼のあらわれといえる。

《りあるキッズ(たぶん天才の中学生漫才)》
長田「先生に親切なことせぇ、いわれるやろ。それで道にへばりついてさがしてた人のコンタクトレンズ一緒にさがしてあげた」
安田「俺もや、この間、コンタクトレンズを2時間くらいさがしてあげたら、三つしかみつからんかった」
長田「どこにつけんねん」

《二丁拳銃(「取調室」のコント)》
食堂のおばちゃん「カツ丼もってきたで。大衆食堂ハレー彗星いうねん」
犯人「誰も頼んでへんわ」
食「ほんまか。そやけど、取調べでカツ丼ってベタやな。もっとなんか、水炊きとか頼めんのか。うちにはないけどな」
犯「そんならいうな」
食「もう。そんなこというてたら、カツ丼のびるわよ」
犯「のびるわけないやんけ」
食「カーーーーーーーーーーツ丼」
犯「なにっ」

《大木こだま・ひびき》
こだま「デパートのスーツ売り場をやっとさがして、スーツ見とったら、そこの店員が寄ってきて『あの、スーツをお探しですか』やて。あたりまえやないか。スーツ売り場で何さがすねん。わし、たこ焼きさがしてまんねんって、どこで焼くねん。あたりまえなこと聞くなっちゅうねん」

《笑福亭仁智(新作落語「大阪弁講座」》((笑)等は上演時の客席の反応)
……じゃ、印象的なアイサツに移りたいと思いますが、これは久しぶりに会った友達同士のアイサツですね。VTRスタート。
「おい、山田、久しぶりやんけー」
「え」
「あいかわらず、お前、アゴしゃくれとんのう」(笑)
 大阪では、久しぶりに会った人間にでも、いきなり、相手の欠点をつく(爆笑)、えーこれで、二人の友情を確かめあうわけでございますが、東京でやりますとけんかになりますが(笑)、大阪では笑いでうけてくれるわけですね。VTRのつづきをどうぞ。
「おい、山田、久しぶりやんけー、あいかわらず、お前、アゴしゃくれとんのう」
「毎朝これで、ごはんよそって、食うてんねん」(大爆笑)
 これが、大阪人の芸人根性というもんじゃないでしょうか。

 孫引きを続けてると、著者にも失礼だしきりがないのでもうやめるが、抜群の引用と的確な批評は読んでてうなってしまう。
 関西の若手のお笑いと上方落語のお好きな方は必読。


1999年11月19日(金)

 このごろバカ親子のネタが出てこないとお嘆きの貴兄に。貴兄ってだれや。
 たまには私も書きたいのだが、このごろ仕事が忙しくて、あんまり子どもと遊んでないのである。いや、遊ぶも何も、毎日朝の30分くらいしか顔を見ていない。まるで立派な社畜さんである。かっちょいいっ。
 なぜなら、明日明後日と、私の勤め先で年に一度のイベントがあって、まあその担当が私ということもあり、なんだかんだで忙しいのである。そのわりには(テンション低いけど)日記毎日更新してるやんけ、とかは言いっこなし。これは立派な現実逃避&ストレス解消の手段なのである。
 それで、そのイベントの話なのだが、内容はさておき、当日は謝礼だの教材だのなんだのとわりと現金がいるのである。合計してもそんなにたいした額ではないが。
 当然、役所のことなので、はるか以前に決裁を上げて、必要な予算を確保して銀行へ振り込んでおいてもらう。金額によらず現金が必要なときは、たとえ百円でもそういう手続きを踏むのだが、当日下して後で精算報告をすればよいだけなのでなんら問題はない。
 というようなわけで、イベント本番に必要な現金は銀行に振り込まれていた。
 そして今日、本番前日であるにもかかわらず、私はお金を下すのを忘れていたのである。
 はっはー、オレ最高! 五時ごろ気づいたときには失神するかと思いました。
 明日アサイチで銀行へ行こうにも、土曜日です。うぇ~ん。
 半泣きで係長に相談すると、
「明日、(自分の金を)カードで下して立て替えとくわ」
 と言ってくれました。すばらしいです。殴られなくてよかったです。
 もうこうなったら、定年までヒラで行こうと思います。ていうか、ヒラで行かされそうな気がします。とほほのほー。


1999年11月20日(土)

 今日は昨日書いたとおりイベントというか催し物があったのだが、私は受付周辺の一番目に付くところで一日中うろうろしていた。
 会場全体に散らばる形で、細かな催しがいろいろとなされていたのだが、来場者の便宜のために玄関前に大きなボードを出して、会場の見取り図と催し物の一覧表を貼り付けておいた。玄関前どころか、入ってくるなり真正面の、油断してたらデコチンをぶつけようかというくらいのところにボードを立てておいたのである。
 でも、誰もそんなの見てくれないのである。たいていの人は、入ってくるなり、つかつかとカウンターまで来て、「○○はどこでやってますか」とくる。立て続けに何人も何人も。しまいに、「そ、こ、に、でかでかと書いたあるやろ!」と叫びそうになった。
 中には、そのボードをじーっと見つめて、我々に「お、こういう人もやっぱりいるんだ」と思わせておいて、おもむろに「○○はどこ?」と聞きに来る人までいる。脱力攻撃炸裂の巻である。そこで、「お前、今見てたやんけぇ!」と言いそうになるのをぐっとこらえて、にこやかに「あちらです」と言うのはやっぱり疲れる。

 そんなこんなで、指さして示したり、案内したりしていて思ったのは、「聞いた方が早い」という横着な考え方はあるにせよ、配置図や見取図にもやはり読み取る能力、リテラシーというものがあるのではないかということである。メディア・リテラシーやコンピュータ・リテラシーという言葉が人口に膾炙してきたので話は早いのだが、要するに情報なりツールなりを自分なりに咀嚼してコントロールする力のことである。ま、もともとは識字能力を指す言葉として輸入されたのだが。
 その人たちはきっと建物の平面図を見てもよくわからないのである。だから見ようとも思わないのである。
 誤解のないように言っておくが、これは何もその人たちを馬鹿にしているのではない。
 たとえば私たちは、巨大な百貨店の店内で売り場を探しながらも、呼吸するほどの労力しか払わず平面図から自分の位置を把握して目的のポイントへたどり着く。そこには何の困難もない。だから気づかないのである。その力は、訓練によって手に入れたものであるということに。

 その人たちはその力を身につける努力を怠ってきたのではない。マップ・リテラシーという言葉があるかどうかはともかく、それを身に付ける機会に恵まれなかったのであろう。
 とりあえず、今からでもがんばってほしいものである。(リテラシーの問題は奥が深すぎるのでまたいずれ。)


1999年11月22日(月)

 掲示板で、「新造人間キャシャーン」のオープニング・ナレーションを訊かれて、ひとまず、

 たったひとつの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体、鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる。

と答えはしたのだが、よく考えるとこの手のオープニング・ナレーションをいくつか覚えている。ちょっと書いてみよう。
(無論、以下はきちんと調べたわけでも、ビデオで確認したわけでもなく、すべて私の記憶に頼っているので素っ頓狂な聞き間違いや勘違い、記憶違いがあるかもしれない。それらはすぐに教えていただけると幸いである。私も他所で喋って無用な恥を掻かずにすむ。)

 それは、いつ生まれたのか誰も知らない。暗い音のない世界で、ひとつの細胞が別れて増えていき、三つの生き物が生まれた。彼らはもちろん人間ではない。また、動物でもない。だが、その醜い体の中には、正義の血が隠されているのだ。その生き物。それは人間になれなかった、妖怪人間である。

 このことからわかるのは、世に言われる如くベム、ベラ、ベロの3名は親子ではなく、むしろ一卵性の三つ子であるということである。「おいら、ベロってんだ。あやしいもんじゃないよ」。十分怪しいっちゅうねん。

 光あるところに影がある。まこと栄光の光の影に、数知れぬ忍者の姿があった。人よ、名を問うなかれ。闇に生まれ、闇に消える、それが忍者の定めなのだ。
 サスケ! お前を斬る!

 というのもある。子どものころ、突然これをぶつぶつ言い出す奴は多かったが、その後の行動パターンは2種類しかなかった。言い終わった瞬間に人の背中に後ろから蹴りを入れるか、中腰のまま走り出すかのいずれかである。

 僕はジェッター、一千年の未来から時の流れを超えてやってきた。
 流星号、応答せよ、流星号
 来たな、よし、行こう!

 となると古すぎて、さすがの私も記憶が定かではない。ただ、ナレーションの発音を明確にするのと、間奏部分の口笛を吹きこなすことができれば、その筋のカラオケでは受ける。その筋ってなんだ。

 仮面ライダー本郷猛はショッカーの改造人間である。彼を改造したショッカーは世界制覇をたくらむ悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ。

 有名すぎるか。「世界制服を目論む」と覚えている方が多いのが気になるところである。べつにどっちゃでもええ、と言われれば返す言葉はないが。

 のさばる悪をなんとする。天の裁きは待ってはおれぬ。この世の正義も当てにはならぬ。闇に裁いて仕置きする。南無阿弥陀仏。
 (あと忘れた。この仕事を証明する記録は一切残ってないとかなんとか、おまけがあった)

 たくさんのシリーズの中でも一番好きだった。山崎努の「念仏の鉄」と沖雅也の「棺桶の錠」がカッコよすぎた。25年も前の放送ではあるが、最終回は大奥突入でほとんど玉砕だったと思う。くやしくて悲しくて大泣きしたことを覚えている。
 うーん、今回は単なる記憶自慢になってしまった。
 でも、オープニング・ナレーションって、やっぱり印象に残るよね。主題歌のイントロまで頭の中を走り出したりして。
 他にもいろいろ覚えている人は教えてください。


1999年11月25日(木)

 昨日、十日ぶりに休んだせいで疲れが出たのか、朝から38度超の熱が出てちょっとびびった。節々が痛くて、喉の奥もどうも痛い。風邪かもしれない。げほげほ。咳も出る。
 それで、今も症状はかなりキている。それでも、ふらふらとはいえ、自分としてはそう大変であるとは感じていない。
 元来、私は熱に強い質で、37度5分程度ではなにほどのこともない。平熱のうちである。
 自分で決めた出勤不能ラインはおおむね38度5分というところである。それくらいまでなら、何とか出勤できなくもない。ただ、38度を超えると出勤しても仕事にならず、陰気な顔でぐったりしているだけなので、はた迷惑なことこのうえない。いやがらせのようなものである。
 というようなわけで、日記も掲示板のレスもサボり気味ですがご勘弁を。げほげほ。(←わざとらしい)


1999年11月27日(土)

 風邪はなんとか注射と薬と精神力で抑え込んだ。今は熱も37度台前半にまで下がって快調である。気持ちが緩むときっとぶり返すような気もするが。
 しかし私はよく風邪をひく。一年のうち3分の1は風邪をひいてるといっても過言ではない。たとえそれがインフルエンザであっても高熱で寝込むようなことはまずないが、37度少々の微熱はいつも引きずっている。虚弱体質というやつかもしれない。かもしれないというよりきっとそうであろう。でないと、これほどまでに仕事がはかどらない説明がつかない。会議中の居眠りが多いのもそのせいにちがいない。物忘れの激しいのも、ケアレスミスの多いのも、きっとこの虚弱な体質のせいなのであろう。なるほどそうだったのか。たしかにこれは困ったことではあるが、体質なのだから仕方があるまい。これからは上司にもそう説明することにしよう。
 それはともかく、「馬鹿は風邪をひかない」という命題が真であるとすれば、対偶命題の「風邪をひくものは馬鹿ではない」も真であるからして、私は実は馬鹿ではないという結論が導き出せるのだが、こういうことを本気で主張しようとするところが馬鹿の馬鹿たる所以かもしれない。
 そうなってくると、「『私は風邪をひくので馬鹿ではない』と馬鹿が言った」と、なにやら「クレタ人のパラドックス」めいてきて、なにがなんだかわからなくなってくる。わからなくなってる場合ではないが、「馬鹿も風邪をひく」という簡単な事実になかなか考え至ることができないのも私が馬鹿である証左といえよう。

 今日の結論:自分のことをあんまり馬鹿馬鹿と言ってると泣けてきます。


1999年11月29日(月)

 一応今日の更新は日記しかないのだけれど、他のところを、自分なりになるべく雑文の書きやすい、ため込みやすいものにしようと思って、バカエッセイとマジエリアの目次を少しいじってみた。あわせてファイル名とかもさわったので、またきっと個々のリンクが変なことになってしまったような気がする。切れてるのを見かけた方は教えていただきたい。
 そんなふうにしたからといって、じきに雲の如く着想が湧き上がって、指先からテキストがあふれかえったりするわけはない。まあ、ぼちぼちと増やしていこうと思う。
 ネット上で世話になってる友人のサイトのように、日記のうちから適当なものをすくい上げて埃を払い、別の棚へ収めるというのは、たしかによいやり方だと思う。
 日々の新鮮な感想や、忘れてしまうような細かな発想を日記のうちにとどめておき、そこから膨らませてひとつの文章にまとめるのである。
 うーん。軌道に乗るまでちょっとそれでやってみようかな。

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 一昨日の日記でもくだらないことを書いていますが、じつは土曜日は保育園の生活発表会でした。一般にはなじみのない言葉かとは思いますが、学芸会のようなものと聞けば、あああれかと思い当たるのではないでしょうか。
 これも運動会同様、ビデオを撮るのが親たちの最大の仕事です。当然、開場前から並んでよい場所を取らないとなりません。でも、あまりに寒かったので、サイの8時開場という言葉を信じて8時前に出かけました。開演は9時45分の予定なので1時間半以上待ってないといけませんが、まあ室内に入ってしまえばなんとでもなると、ゲームボーイと本2冊という重装備で向かいました。
 保育園には着いたものの、会場にはまだ入れないようでした。4、5人のお父さんが並んでいました。今年は少ないなあ、と思いながら寒さをこらえて足踏みしていると、顔見知りの先生が入り口の前に張り紙を持ってきました。見ると、「9時開場」と書いてあるではありませんか。
 私は即座にきびすを返して家に戻りました。クソ寒い中、外で1時間も待ってられません。先頭のお父さんは、7時から並んでますと言ってましたが、どうかしてますね。
 結局9時にもう一度出かけて、ながーい列の最後尾に着いて会場入りしました。野球場コンサートの右翼外野席みたいな席でした。

 下の子どもは0歳児クラスで、出し物は「きらきら星」です。「♪きーらきーらひーかーるー……」の歌にあわせて、上げた両手をくるくる動かす、とただそれだけの芸です。
 メロディが流れてくると、息子はそれには気づいた様子でしたが、微動だにしません。穏やかな表情でじっと座ったまま客席を眺めていました。両手は当然膝に置かれたままです。動かざること山の如しです。
 午前中のしめくくりにも、0、1、2歳児クラス合同の「アイアイ」(これも童謡にあわせて手を動かすだけ)というのがあったのですが、ここでも彼は動きませんでした。両隣の子どもの動作にもつられることなく、泰然自若として座っていました。徐かなること林の如しです。

 午後は、3、4、5歳児クラスです。上の子どもの出番になります。
 出し物は2つです。ひとつは「楽器演奏・合唱」で、もうひとつが、レコード劇「白雪姫」です。
 こちらの方はさすがに、きちんと仕込まれた芸を披露するだけの知恵はついています。ピアニカも器用に吹きこなしていました。口で息を吹き込みながら、指で押さえにくい音のところにさしかかると、体がよじれだすのは、見ていてほほえましいものがありました。
 合唱は英語の歌です。「ひっぴはっぴあんじゅどーくらっぴょはん、ひっぴはっぴあんじゅどーくらっぴょはん」というのを家では聞いていましたが、どうしても英語には聞こえませんでした。むしろこれは企画倒れでしょう。正解は「幸せなら手をたたこう」です。別に問題を出されたわけではありませんが。
 合奏は、「手のひらを太陽に」で、息子はシンバルの担当でした。家でもリズムをとる練習はしていましたが、シンバルを叩くのを見るのは初めてです。リズム感はともかく、シンバルを打ち鳴らすたびに、いちいち自分でびっくりするのはどうかと思いました。
 もうひとつのヤマが「白雪姫」です。息子は「小人Aの2番」だそうです。クラスの人数が多いので、小人だけでもABCの3組が出番を分け合うとのことで、息子は、白雪姫と小人が森で出会う場面に出てきました。黄色いチョッキと帽子をしつらえてもらい、歌と踊りも何とか覚えていたようです。

 サイは涙ぐんでいました。私は自分の気持ちにとまどっていました。
 小さな子どもにこんな風に芸を仕込んで、一日の見世物にしてどんな意味があるんだろう、とは常々思っていたところです。毎日毎日の練習より、学ばせるべきもっと大切なことがあるんじゃないか、そんなふうにも思っていました。
 じつは今でもそれは変わりません。それほどまちがってはいないと思います。
 けれども、それが一面的な見方であることに気づいたのも事実です。
 一生懸命、それは見事に役割を演じる息子の表情は、家の中では見られないものでした。家に帰ってからも、息子は本当に誇らしげでした。
 そして、私も妻も息子の舞台を見て、息子の頑張る姿を見て、胸打たれていたのです。
 刻苦勉励の尊さなど、保育園児に知らしめようとするのは、悪しき精神主義以外の何物でもありませんが、みんなで協力し合って何かを作ることや、それを発表することの快感、そして客を喜ばせることの面白さ、それらを知るのは悪いことではなさそうです。

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