マジエッセイ その2

「筆先三寸」で公開していた短文をいくつかまとめて上げる。



「守礼門」でいい

(1999年11月6日公開)
 産経新聞11月3日朝刊のアピール欄、評論家八幡某の指摘を受けて、今日の「産経抄」が、新二千円札の図柄に文句をつけている。
 「守礼門」は(殊に「守礼之邦」の扁額)は、「まさしく明(中国)への服従のシンボルであった」というのである。だから気に入らないらしい。さすがに産経新聞の中国嫌いも骨絡みの観がある。
 そして、「沖縄の図柄を新二千円札のデザインにすることに異論のある人は、恐らくいない。しかし一国を象徴する紙幣にはもっとふさわしい沖縄の風光がたくさんあるのではないか、という(八幡氏の)問題提起に注目する。」(括弧内引用者)と続く。

 それでも「守礼門」で、私はいいと思うのだが。沖縄にはそういう歴史があったということで。海上の小国がそうしてしたたかに生き抜いてきたということで。そこには海に向かって開かれていたたくましい国の姿があるではないか。
 たしかに、貨幣の発行は国家主権の重大な要件であるから、他の印刷物ならともかく、紙幣に「守礼門」はどうか、という料簡の狭い考えもわからなくはない。
 しかし、今や日本の一部とはいえ、そうやって長い歴史を生き抜いてきた沖縄(琉球)を象徴するものとして、「守礼門」は実にふさわしいと思うのだが。そして、それを紙幣の図案にするということは、政府が沖縄と沖縄の歴史をおおらかに尊重しようとする態度の現れであると受け取れなくもない。
 それに、「守礼門」がそんなに恥ずかしいものなら、そもそも「国宝」になどすべきではない。近年、韓国が朝鮮総督府の建物を毀ったように、沖縄返還と同時に片付けてしまえばよかったのである。
 ともあれ、私は「守礼門」を琉球の屈辱の歴史の象徴であるとは考えない。それは小国の外交の知恵であり戦略である。琉球にとっては、超大国である明の冊封を受けることより、中等国日本の、それも一州にすぎない薩摩からあれこれいじめられるほうがよほど屈辱的であったろうとも思う。それは、私たちが隣のおっさんに「税金じゃー」といって金を奪われるようなものではなかったか。

 そうはいっても「守礼門」は絶対いや、「もっとふさわしい沖縄の風光」がよい、沖縄の歴史を象徴するようなものがよい、と言い張る輩も多いかもしれない。
 なら、「ひめゆりの塔」にでもすべきであろう。もしくは「象の檻」。
 沖縄の人の意見を聞きたいものである。


日の丸と君が代

(2000年3月4日公開)
 入学卒業シーズンが近づくと、毎年のように国旗・国歌問題で新聞紙上がにぎわう。これについて、少し思うところがあるので書いておきたい。
 ただしここでは日の丸と君が代を「日の丸・君が代」とセットで論じる。両者の歴史的経緯が異なることや、君が代の歌詞内容については別に取り扱う必要があることもわかってはいるが、ここで述べたいのはそういうことではなく、より抽象的な概念としての「日の丸・君が代」であるからである。

 さて、私とて、自国他国にかかわらず、国旗や国歌に対する「大切に感じる気持ち」を国民の間に醸成する必要を否定するものではない。偏狭なナショナリズムに基づく「畏敬の念」などではない。親しみを感じたり、ほっとしたり、いいなと思ったり、どこの国旗や国歌であれ背後には常にそんな国民がいることを実感したりする、あくまでも「大切に思う気持ち」である。
 だから日本にもそんな国旗や国歌があればよいとは思う。
 けれども、今の日本には「日の丸・君が代」しかない。そして、私たち国民にとっても、「日の丸・君が代」にとっても不幸なことだと思うのだが、それらが国旗・国歌として法制化されてしまった。

 もし今突然、新たなものとして日の丸や君が代を提示されたとすると、私はそれほど強い感情で拒絶するとは思えない。日の丸はたしかに手を抜いたようなデザインではあるが、なんとか国旗に見えないこともない。また、君が代も陰気なメロディと釈然としない歌詞ではあるが、「ラ・マルセイエーズ」や「星条旗よ永遠なれ」のように、「殺せ」だの「銃を取れ」だの物騒でないだけましなような気もする。
 しかし、学校や政府の式典で掲げられ歌われる「日の丸・君が代」に対して感じる、この不快感はなんだろう。オリンピックで見る日の丸や、ボクシングの世界戦で耳にする君が代に感じるポジティブな(あるいはネガティブな)感情とは比べものにならない。

 私は思う。戦後五十年かけて、「日の丸・君が代」は汚されてしまったのだろう。
 保守主義者は言うであろう。汚したのは日教組であると。「日の丸・君が代」を、ことあるごとに侵略戦争と結びつけ、かつての日本がアジアの人民に与えた惨禍の象徴として否定し続けてきたせいであると。たしかにそれはまちがいではない。そういう面もないではない。
 しかし、私は保守主義者の側も同罪であると思う。そのような論調に反発するあまり、「日の丸・君が代」をナショナリズムに引き寄せようとしすぎた。国旗・国歌を敬わぬものは非国民であると言わんばかりに、「日の丸・君が代」を国粋主義や天皇賛美の道具として利用しすぎた。
 そして結局、「日の丸・君が代」は政治的な踏み絵となり、過剰な意味を担うことになってしまったのである。
 私が感じる「日の丸・君が代」に対する不快感は、きっとそれらの「過剰な意味」に対する反発なのだ。侵略戦争とアジアの惨禍を想起するからではなく、むしろそれらに対して口をぬぐおうとする保守主義者たちの卑しさに対する怒りなのだ。「日の丸・君が代」が、「国家の象徴」ではなく「国家主義を奉ずるものの象徴」として扱われることに対する違和感なのだ。

 論理的には差別用語と呼ばれるものの成り立ちにも似ている。
 たとえば、「めくら」である。もとがおそらく「目・暗」であることからもわかるように、それは単に「目の見えないもの」を指す言葉としてあったはずだ。しかし、「明きめくら」、「めくら蛇におじず」、「目明き千人、めくら千人」のように、「めくら」という言葉そのものにネガティブな意味が付与されるようになって、それは差別用語に堕し、盲者はそう呼ばれることを決然と拒絶するようになった。そして文脈がどうとか筆者の意思がこうとかいう問題を超えて、すでに目が不自由な人を指して「めくら」という言葉を用いることは許されなくなってしまった。
 「支那」も同じである。英語でチャイナであろうと、フランス語でシノワであろうと、すでに日本人が中国の呼称として用いるのは不見識であろう。かつて私たちはその言葉を蔑称として使いすぎたからである。いまさら歴史的な語源を持ちだして「支那でいいじゃないか」というのは、アメリカ人が「ジャパンなんだからジャップでいいじゃないか」と言うにも似て不遜である。

 話がそれているようだが、「日の丸・君が代」も同じである。かつて、それらはただの「日の丸」であり、ただの「君が代」であったはずなのだが、いまや本当に過剰なまでの意味を担わされている。それらはすでにただの国旗・国歌ではなく、左翼にとっては侵略戦争とアジアの悲劇の象徴、右翼にとっては国家主義の象徴かつ左翼シンパあぶり出しの道具に成り下がってしまった。
 そんなわけで、私は「日の丸・君が代」を素直には受け入れがたい。「日の丸・君が代」そのものより、それらをオーラのように包み込むさまざまな言説が不快で仕方がない。
 だから私は、「日の丸・君が代」の強制にはやはり反発する。たとえ国旗・国歌として法制化されていようと、それらを覆う息苦しい霧がはれるまで、いかなる場面でも「強制」を受け入れる気にはならない。
 私は「日の丸・君が代」を「強制」しようとする連中の性根が気に入らないのだ。

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