「筆先三寸」日記再録 1999年10月

1999年10月2日(土)

 今週の月曜日、下の子どもを水ぼうそうの予防接種に連れて行きました。知ってる人は知ってると思いますが、赤ん坊にはいろいろと予防接種をしとかないといけません。ポリオとかはしかとか狂犬病とか。で、一通りすむと玄関に保健所でもらったステッカーを貼るようになっています。丸の中に「子」って書いたやつ。うそだけど。
 なのに翌日の火曜日、保育所の先生にひょっとしたら水ぼうそうかもって言われてしまいました。
 まあ、たしかに今、保育所で大流行してますけど。がくぜーん。なんでやー。
 それで今、うちの赤ん坊は点々星人と化しています。おかげで昨日は仕事を休んで一日中子守りでした。それほど機嫌も悪くなくて、しんどそうでもないのが救いですが、外へ連れて行け、抱け、遊べ、おやつじゃ、ミルクじゃ、と父親を下僕のようにこき使います。かんにんしてほしいです。
 医者へも一応連れて行きました。予防接種は抗体ができるまで二週間くらいかかるということで、間に合いませんでしたねえ、と言われてしまいました。
 7千円返せ。

 それはともかく、私もえらい風邪を引いたようなのである。喉から胸にかけて温めたぞうきんを突っ込まれてるみたいで、熱っぽくてしんどいのである。
 でも、昨日無理言って休んだので、今日は仕事へでかけました。帰宅は11時を過ぎました。
 明日はさすがに休みですが、妻が休日出勤なので、この体調で一日中二人の子どもの面倒を見なければなりません。
 死ぬぞ。


1999年10月4日(月)

 じんどいー。がぜひいでじんどいー。だがら、日記も鼻声になるー。
 ごどもも、水ぼうそうがどでぼひどくなっで、熱も40度ちがくあっだりずる。
 医者へつでていっで、ぐずりをぼらっできたのでもうだいじょうぶとおぼうげど。
 まあ、ぎょうあずがビークだってごどだじ。
 あー、おでを診でもらうの、わずれだー。おでもじんどいのにー。

 だがら、こんな日記でずびばぜん。


1999年10月6日(水)

 がぜひいでじんどいー。ってそれはもうええっちゅうねん。

 それよりなにより、チビの水ぼうそうが大変なのである。高熱の上に疱瘡がやたら増えて、医者で薬をもらってきたら、どっちもおおむね収まったものの、今度はなんだか立たせてもフラフラで、ぐーすか寝てばっかりするのである。まあ、たぶん副作用かと思うのだが、相手は赤ん坊なのでどうも心配。
 だから明日は私が仕事を休んで一日看病することになった。といっても病人が病人の相手をするんだから、なんの足しになるのかよくわかんないけど。

 てなところで話は変わって、『Windowsのハッキングマニュアル』(データハウス)である。私もミーハーのご多分にもれず、データハウスの出してるハッキング系の本は一通り読んでたりするのだが、これはよい。多分一番よい。
 プロクシとかポートスキャンとかIP抜きとか、私のような初心者でもわかったような気になる。
 もちろん、おくわしい方にとってはたいしたことは書いてないんだろうけれど、私には面白く読めました。


1999年10月7日(木)

 トップページのコメントを毎回考えるのはとてもめんどくさいので、よいのが思いつかないときは「点取り占い」のフレーズを借りることにする。
 うーん、このところ体調が悪いので、イマイチ積極性に欠けるようなことですまん。て、誰に謝ってますか。

 昨日も書きましたが、今日は下の子どもと一日過ごしました。昼寝させたり、遊んでやったり、抱いてやったり、飯食わせたり、ミルク飲ませたり、忙しいのはたしかに忙しい。けれども、案外と退屈なのですね、これが。べつに話し相手になってくれるわけでなし、オセロのひとつもできるわけでなし、手ばっかりかかって、親に娯楽を提供しようとか、親の好きなことをして一緒に遊んでやろうとか、そういう殊勝な態度は一切見られない。これを親不孝といわずしてなんという。
 とはいえ、相手は赤ん坊ですから。となりのビーグル犬よりはるかにバカですから。仕方ないですね。
 そんなわけで、今日家を出たのは、コンビニへ週刊モーニングを買いに出かけた20分間だけでした。
 「沈黙の艦隊」と「ああ播磨灘」が終わって一時はどうなるかと思ったモーニングですが、「蒼天航路」と「バガボンド」で持ち直したようです。「バガボンド」はまだ全体に類型的な部分が目立ちますが、なかなか面白いです。この先、夢想権之助や佐々木小次郎がどう描かれるのか楽しみですね。柳生兵庫之介とか。


1999年10月9日(土)

 かつて、その第1位に『そして誰もいなくなった』や『Yの悲劇』が挙げられるようなミステリのベストテンというものがあった。しかしながら、ミステリもジャンルの細分化がすすみ、それぞれに口うるさい書評家が増えたおかげで、今やほとんど見かけない。
 とくに残念というわけではないけれども、3位あたりには『幻の女』、5、6位に『長いお別れ』、ついで『赤毛のレドメイン家』や『僧正殺人事件』が入ることになっていた。短編集が入るとすれば『シャーロック・ホームズの冒険』と『ブラウン神父の童心』が定番。そして、ちょっとひねって『ドーヴァー(4)/切断』か『警官嫌い』。
 ミステリマニアでは決してない私でも、そのような古典的ともいえる「オールタイム・ベストテン」に導かれて、このへんはざっと読んだ。もちろんとても楽しみながら。
 なんでこんな話を書いてるのかというと、そんなベストテンで必ずギリギリこぼれ落ちるところにあった『悪党パーカー/人狩り』を、今日やっと読んだのである。本屋で見つけた瞬間に学生のころよく見かけたベストテンを思い出して、思わず「あったー」と声を上げそうになった。あと、ギリギリ組では『郵便配達は二度ベルを鳴らす』や『マルタの鷹』のハードボイルド組と『月長石』なんかの古典組があるが、それは別のお話。
 で、リチャード・スタークの『悪党パーカー/人狩り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)である。訳者が小鷹信光とくれば完璧であろう。名のみ高くて古本屋でもなかなか見当たらなかったこの作品は、1966年にハヤカワ・ミステリで出て、それから76年に文庫化されたというが、私は熱心に探し回ったわけでもないので全然出会えなかった。
 それを今回やっと読めたのは、メル・ギブソン主演の映画『ペイバック』が公開されたからだという。これがその原作らしい。どうりで表紙はスチール写真だ。映画は見ていないのでわからない。あまり見ようとも思わない。なんでも、この映画はリメイクで、前作は67年、リー・マーヴィン主演の『ポイント・ブランク』という作品らしい。もちろんそれもこの本が原作で、映画もかなりの傑作だったと訳者があとがきで書いている。だからそちらの方はビデオ屋で探してみようかと思う。
 ちなみに、このごろ名作のリメイクがはやってるような気がする。『サイコ』とか。アンソニー・パーキンス主演、ヒチコック監督のあの名作を、同じ脚本でリメイクして成功すると思うんだからどうかしてる。ついでにいうと、原作はロバート・ブロックで、翻訳ははじめハヤカワ・ミステリから出た。訳者は福島正実。私はそれ以外知りませんが、改訳してどこかが出し直してると思う。だって、福島訳の邦題は『気ちがい』だもの。そのままやがな。
 話がそれまくってますが、リチャード・スタークの『悪党パーカー/人狩り』である。知らない人はもう少ないかと思うけれど、リチャード・スタークはドナルド・E・ウェストレイクの別名義である。ウェストレイク名義では『ホット・ロック』や『我輩はカモである』なんかの都会的で洒落たミステリが知られていると思う。ついでに、ウェストレイクにはタッカー・コウというペンネームもある。私はこっちの『刑事くずれ』シリーズが好きで全部読んだ。ミッチ・トビンという男が主人公の渋いハードボイルドである。ほんとはもっとたくさんペンネームがあっていろいろ書いてるらしいのだが、この多彩さっていうのは日本ではなかなか見られない。なんとか都筑道夫くらいか。
 で、やっと『悪党パーカー/人狩り』である。紹介っていうのならあらすじをさっとなぞって、どこが面白かったとか書くんだろうけど、私は不親切なので何も書かない。めんどくさい。ただ、犯罪小説っていうか、たくさん人が撃たれたり殴られたりするので、そんなのがわりと好きで読んでない人は絶対読みなさいとだけ言っとく。今どきのエルロイやレナードの好きな人は何が何でも読みなさい。文庫260頁で580円。これは安いと思いますよ。


1999年10月10日(日)

 そういえば、TOPページの一行フレーズは日記とかどこか更新するたびに必ず変えてるから、ここに立ち寄る人にとっては更新があったかなかったかの参考になるかも。といっても、そんなにしょっちゅう来るなんて奇特な人は、ほんの少しなんでしょうけれど。
 でも、いずれはJava Scriptとか使って、開くたんびに違うのがでるようにしたい。いわゆる“getMinute”とかでね。でもスクリプト書くのはともかく、そんなの60本もいっぺんに考えつかないってば。点取り占いを全面的に借用しようかな。あれは著作権もどうこういわれそうじゃないし。

 ところで、昨日今日と土曜日曜でしたが、みなさんはどこかへ遊びに行きましたか。とても涼しくなって、郊外へドライブなんて最高ですよね。
 私は2日とも仕事でした。ちくしょう。


1999年10月11日(月)

 今日はさすがに休みだったので、昼間は子どもと遊びました。正しい父親街道まっしぐらですね。
 で、晩飯食ってからは、速攻で風呂入って、「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」、「パパパパパフィー」、「ピーチな関係」と、久しぶりのテレビ三昧でした。普段はそんなにテレビを見るほうではないのですが、なんだか今日はだらだらしたくなってエンエン見てしまいました。
 で、「ピーチな関係」ですが、やはりTVドラマはコメディですね。昔から野島伸司系とか最近では「眠れぬ夜」なんかが話題になったり数字をあげたりしていましたが、やっぱりテレビというメディアに似合うのはコメディでしょう。だいたい見る方も、なんか食いながらとか電話しながらとか家族と一緒にとかなんだから、重苦しいのとか頭使うのはいやです。それにコメディこそテレビの王道でしょう。「てなもんや」にはじまり、コメディドラマやバラエティ一般につながる系譜は、本当に報道と対を成すものとして、「茶の間の中心にあるべき」テレビの根幹をなしていると思います。そういうことを、昔、関西テレビの三次面接で胸張って言い放って落とされたんですが。
 コメディといえば、最近の大ヒットはやはり「踊る大捜査線」でしょう。あれはたしかに面白いと思いますが、あれってR・D・ウィングフィールドの『クリスマスのフロスト』『フロスト日和』にインスパイアされてると思います。誰も言わないけど、私の勘違いなんでしょうか。いずれも創元推理文庫です。面白いので読んでみてください。本の方も英国ユーモアミステリの王道です。
 「王道」で思い出しましたが、缶コーヒーの宣伝で、仲村トオルが「邪道だぁー!」とか叫んだあとに、「缶コーヒーの王道、なんちゃらかんちゃら」とナレーションが入りますよね。でも、「邪道」の反対は「正道」だと思います。そして、「王道」の反対なら「覇道」でしょう。まるで揚げ足取ってるみたいですが、そのとおりです。
 このごろ、そんな風に話をあっちこっちそらすのに凝っています。
 と見せかけて、「ピーチな関係」に戻ったりもするんですが、松下由樹(年取った!)、渡辺満里奈(おニャン子!)、京野ことみ(塚原!)、桜井淳子(前に書いた!)等々と、好みの女優さんがいろいろ出てらっしゃるのはともかく、ラブコメの本道を突き進みそうな予感のする第一回でした。ヤンマガあたりのマンガっぽいのは狙いなんでしょうが、テレビらしい平板な照明といい、わかりやすいみなさんの芝居といい、来週も見ようかな、風呂上りにビール飲んでニュースステーションとザッピングしながら楽しめそうだな、という気になりました。もちろん、山田花子は大失敗ですが。
 なにを三流評論家みたいなこと書いてんだか。>俺。
 でも、たぶん二回目以降は見ないと思います。すいません。


1999年10月12日(火)

 私はこう見えても世に言う教育パパだと思う。小学校にもあがらぬうちからスパルタ式の塾へやり、私立小学校を目指してお受験態勢に入るとか、学歴だけは立派なものをと願って、朝な夕な子ども向けのドリル類を強要するとか、そんな類の教育パパではない。
 父の持てるものをすべて子に伝えたい、あるいは父親を真正面から乗り越えられるようになってほしい、そんな風に願っている。だから、他人の手は一切借りることなく、あらゆることを自分の手と口で教え、我が子を鍛えていきたいと思っている。
 上の子が3歳になるやならずのころ、私は教育を開始した。まだ言葉もおぼつかない息子に、私はある種の定型文を教えようとした。何事も大切なのは基礎である。基礎をおろそかにするものに、真の創造はありえない。
 私が教えようとしたのは、以下の会話文である。

「おい、鳩がなんか落として行きよったで」 「ふーん」

 まず第一に発音は明確にすること。会話であるからセンテンスごとに顔の向きは違えること。前者は右を向いて、空にも視線を向けること。後者はあまり急き込まず、余韻を持たせること。それらさまざまな注意と解釈を重ねながら、私は息子にみっちりと教え込んだ。むろん地口あるいは駄洒落の概念は年齢的にいまだ高度なので詳しい説明はせず、ただ精確かつ飄然と演じられるように教えることを心がけた。
 その後も学習は進んだ。「隣の空き地に……」にはじまる基礎的素養としての小噺群をはじめとして、父親のベタなボケに対する間髪を入れずの「なんでやねん」等のツッコミの基本動作、あるいは吉本新喜劇を教材とした簡単なギャグの模倣(「眉毛ボーン」「ごめんくさい」「うーん、チンチラポッポ」etc.)、などなどである。
 しかし、当意即妙の「ボケ」については教授を行うことは、これまでしてこなかった。なぜなら、幼児にとっては、言語的な創造性や展開を予測しコントロールする力の要求されるボケは、まだまだ学ぶには荷が重いと思われたからである。

 しかし、今夜ふと思い立って「魚屋のおっさんが……」というやつを持ちかけてみた。息子も今月の末には5歳になる。そろそろボケることを考え始めてもよい。そこでまずはネタフリの要素のない(ツッコミを要しない)純粋な言葉遊びからはじめようと考えたのである。ただ、息子のボキャブラリーはまだまだ貧弱なので、ここは「ポケモン屋のおっさん」ですすめることにした。

《私による作例》
「ポケモン屋のおっさんが、屁をこいた。……ブーバー」
「ポケモン屋のおっさんに、おこられた。……コラー、ッタ」
「ポケモン屋のおっさんが、よろこんだ。……ラッキー」
「ポケモン屋のおっさんが、転がった。……ゴローン」

 むろん、きわめてベタなつくりではあるが、幼い初学者にとってはこれで十分である。息子も大喜びした。キャーキャーいって笑っていた。そこで息子にも作ってみることを勧めた。

《息子による作例》
「ポケモン屋のおっさんが、爪伸びた。……サンドパン」
「ポケモン屋のおっさんが、こんな、紐いっぱいついた。……モンジャラ」

 残念ながら何ひとつ理解していない。私が厳しく叱ると、目に涙をためて訴えた。
「だってな、なおちゃんな、ようわかれへんねんもん」
 私は胸が痛んだ。小さな子どもが、一生懸命面白いことを言おうとして考えたのではないか。息子の理解の遅さに腹を立てる前に、自分の指導力を見直すべきだったのだ。「ぜんぜんおもろない」という前に、嘘でも微笑んでやるべきだったのだ。
 私が、「おっさん」の動作と地口との関係をどう説明しようかと悩んでいると、息子が小さな声で呟いた。
「ポケモン屋のおっさんが、手品見た。……フシギソウ」
 私は思わず小さな息子を抱きしめていた。よくわかっていなくてもいい。なかなかいい出来じゃないか。


1999年10月13日(水)

 今日の更新:バカエッセイ《雪国の世界(ウェブの文章編)》

 おお、久しぶりに日記以外の文章をアップした。面白いかどうかはちょっと自信がない。
 最近よくあちこちのホームページをリンクに任せて見て回ったりするんだけれども、なんかくだらない文章が多くてだんだんと腹が立ってきたので、その腹いせに書いたようなもんだから。
 (イエース。ジブンノコトハ、Put on the Shelf デース。)
 ま、いっぺんみてちょ。

 えーっと、それで日記ですが、今朝も子どもを耳鼻科に連れて行きました。おかげで仕事は昼から重役出勤です。ほんまにこんなことばっかりしてるので、しまいに怒られるような気がします。さすがに出世はあきらめてますけどね。
 でも、クビにはならないので、みなさん就職は地方公務員にしましょう。特に共稼ぎを目指す人は男女問わず。
 名もなく貧しくそこそこ幸せなクソ小市民まっしぐらの道が約束されます。私のようにね。
 なかなかいいですよ。


1999年10月14日(木)

 今日はさすがに朝から晩まで仕事だったので、たいして書くこともない。
 だから本の話でお茶を濁しとこう。
 今読んでるのは田中康夫と浅田彰の対談本、『憂国呆談』(幻冬舎)。二人ともバブルの申し子みたいなポジションにいたんだけど、いまや市民の立場で健全な暴論を吐きまくりで気持ちがよい。産経新聞の「斜断機」なんかは、「二人ともろくな小説も論文も書いてないくせにえらそうに」とか「欧米を引き合いに出して日本の悪口ばっかいいやがって」とか、相変わらず低いレベルで噛み付いてたけど、私に言わせれば「それがどうした」だね(否定はできない)。
 いやいや、「欧米えらい、日本人バカ」っていうのも、マークス寿子なんかとはちがいますから。
 議論の内容は、我々が酒呑んで話してるのと、じつは大差ない(神戸空港の話を除く)。「慰安婦も補償したれよ」とか「サマランチのぼけ」とか「菅直人もたいしたことないよね」とか「銀行に公的資金てどういうこっちゃ」とか。
 でも、ディテールが圧倒的に面白い。
 田中康夫は政治とマスコミの裏話(というか、トリビアルな情報を実にうまくつなぎ合わせる)にはやたらくわしいし、浅田彰は経済学が本職だけあって、世界経済や日本の経済構造を話の流れの中で実に見事に切っていく。読んでると物知りになった気がする。
 しかし、面白いのはディテールだけともいえて、「それをいっちゃあおしまいよ」的「身も蓋もない極論」をならべて批判相手を絶句させるのを楽しむようなスタンスは好きじゃないんだけど(たとえば呉智英なんてそんなのばっかしだよね)。
 ただ、神戸空港の話は、臨場感抜群で田中の興奮が伝わってくる。これはばっちり。


1999年10月15日(金)

 朝から悪い予感はしていた。

 今日は久しぶりにスーツで出勤することになった(まあ公務員でもそんな職場もあるということだ)。
 当然スーツはポール・スミス。ネクタイはロートレアモン。そして腕にはロレックス。
 ばっちりじゃんと自画自賛しながらいつもの調子で家を出た。駅まではチャリで10分。
 いつもの電車は必ず座れるので楽勝通勤である。今朝も座って鞄から読みかけの本を取り出した。
 そこで気がついた。
 無意識に鞄をつかんで家を出てきたので、靴が……いつもの……薄茶のデッキシューズ!
 しかも傷だらけ。
 今日一日そんな情けない格好で過ごしましたとさ。とほほのほー。

 しかし、そんなことはなにほどのこともない。

 夜には市民対象のセミナーがあった。担当はもちろん私である。講師はその道一流の大学教授。
 パソコン画面をプロジェクターで映写して話を進めるということだったので、私はビデオプロジェクターの用意を整えていた。
 そして開講の少し前に先生が現れて、ではセッティングを、となった。
 先生は私の用意したプロジェクターを見て曰く、
「VGAの使えるものってをお願いしてませんでしたか?」
 一瞬で血の気が引いた。そんなのうちにない。
「ビデオコンバータをお持ちいただけるものと……」
 とはいえ、後の祭り。
 定刻まであと10分。教室には受講者もそろいつつあった。先生の表情が険しい。
 そのとき私は心底ハルマゲドンを熱望した。
 結局、先生のノートパソコンの画面をカメラで取り込んでビデオ出力するという苦肉の策でしのいだ。
 画質が悪くて見にくいですが、と先生に講義中に5回ぐらい言われてしまった。
 仕事上のスカタンは、さすがに私でもこたえる。久しぶりの自己嫌悪。

 それだけですめばまだよかった。

 来週にお招きする先生である。講義は2回あるので、謝礼は、普通なら2回目が終わってからまとめて支払うことになっている。連続10回の講師なら、10回終わってからまとめて、とかが普通なのである。
 で、帰り際、連絡のために送ったメールを見返してみた。ちゃんと伝えたかどうか確認するために。
「○月○日に、2回分まとめてお支払いします」
 としっかり書いてあった。でも……その日付は……1回目の講義の日付やんけ!
 どうしよう。

 そんなこんなで、今日はこの数年でも最悪の一日だー、とか思いながら帰って来ました。
 電車に揺られて駅についたらすでに11時半でした。おまけに雨が降っていました。
 当然、私は傘を持っていませんでした。

 明日からの更新がなかったら首でも吊ったと思ってください。とほほのほー。


1999年10月16日(土)

 今日は休みだったので、一日中家族と過ごしたという以外に書くことは何もない。
 これといって本を読んだわけでもなく、それこそ一日まったりと過ごした。

 たとえば妻が食事の仕度をしている。上の子どもは食卓でぬりえかなにかをして遊んでいる。私は下の子どもを抱いて、のんびりテレビを見ている。
 そんな実感は特にないのだけれども、これが幸せというものなのかなと思う。
 村上龍あたりに言わせると、そんな貧乏人の、あるいは小市民の“幸せ”など、唾棄すべきもの以外の何物でもないのだろうが、それでもそんなものしかなくても私はこれを守りたい。

 私も若い頃は、そんな現状に安穏と暮らす大人たちを軽蔑したものでした。 
 しかし、大衆の愚かさや諸矛盾をすべて共有しながら、地道であることの覚悟を持つ。
 汚いとか、子どもに対して抑圧的であるとかいつも言われますが、結局大人になるというのはそういう覚悟を引き受けることかなとも思います。


1999年10月17日(日)

 今日も休みだったので、午後からは子どもの教育に専念した。

 『ごっつええ感じ』のビデオを第1巻から順に見せたのである。教育パパも大変である。
 やはり一番気に入ったのは「アホアホマン」のシリーズであった。もっとないのかとせがまれ、他の部分は早送りまでさせられた。次いで、「Mr.BATER」である。途中から、「また(店員は注文の品を)持って来えへんねんでー」といいながら、松本のノリツッコミを喜ぶこと甚だしい。
 子どもの笑う姿を私は頼もしく見つめていた。

 目利きにするには幼い頃から本物に触れさせよ、という。
 今日、私はそれを実践したに過ぎない。妻はあきれ顔であったが。

 じつのところ、私は「兄貴」シリーズの中の、今田耕司が「ポリス・ストーリー」だかなんだかの主題歌を初めて歌った回を探していた。見つかって、もいっぺん見て、笑って、だからどうだって話もあるが。

 そして夜、『笑う犬の生活』の特番があった。決してクオリティの低いコントではない。むしろ現在流通しているものの中では、出演者も含めてかなりレベルは高いと思う。それでも、昼間見た恐るべきコント群とは比較すべくもない。
 そんなわけで今ひとつ笑うことはできなかった。本当に今見ているものが面白いのかどうかもわからなかった。
 これをただ松本の天才に帰すべき問題であるとは思えない。言葉(関西弁と共通語)という要因もあるのだろう。
 今後の課題である。


1999年10月18日(月)

 あのなあのな、これはきのうの話やねんけど、みんなでおもちゃやさんへ行ってん。
 そしたら、「ポケモン金&銀、よやくうけつけちゅう」って紙はっててん。
 めっちゃほしかってんけど、お金いっぱいいるし、おかあさんに言うても、「クリスマスまで待っとき」ていわれるやろなあと思て、よお言わんかってん。
 ほんで、はりがみの前でゆびくわえてもじもじしとってん。
 ほんならな、ほんならな、おかあさんがな、「ポケモンのあたらしいやつほしいの?」ってきいてくれてん。
「うんっ!」って、ちからいっぱいうなずいてん。
 でも、金がええかなあ、銀がええかなあ、とか思ってまよってたら、またおかあさんがな、
「ふたつとも買って、なおちゃんとひとつずつにしなさい」って言うてくれてん!
ほんで、ふたつとも予約してくれてん!
 やったあー!

 おかあさん、だーい好き!!!

 ぼく、いま36さいやねん。あほかっていうなー。あほいうやつがあほじゃー。


1999年10月20日(水)

 きっちりと書くべきなのだろうが、自分自身いまひとつ考えがまとまっていないところも多いし、きちんと書くなら調べるべきこともたくさんありそうなので、感じたことなどをつらつらと書いてみることにする。

 もちろん今日の朝刊で報じられた、西村防衛政務次官の核武装発言等についてである。

 週刊プレイボーイを買い逃したので、情報源は今日の朝日新聞しか手元にないのだが、西村は核の抑止力を前提に日本の核武装についての検討も国会の場でなされるべきであると言ったという。また、国軍の創設が自らのライフワークであるとかも。
 笑止である。
 ただ、朝日新聞は例によって感情的に反発するばかりで、あわててかき集めたらしい「識者によるコメント」もそのようなものばかりであった。
 私も無論感情的な反発は感じたが、そのような考え方が必ずしも特殊なものではないということの背景、あるいは西村がそのような無防備な発言をしえたという世の中の「ゆるみ」について、もう少し自覚的に考えるべきではないかとも思った。
 戦後の右翼は周知のとおり、それまでの純皇国史観をGHQの占領政策によって微妙に修正させられ、親米反共を旨としてきた。つまり、「安保条約堅持・憲法改正・北方領土返還」(加えて、打倒日教組)である。酷な言い方をすれば、米国&自民党&資本主義体制を裏から支えさせられてきたといってよい。
 しかし、77年の経団連事件をきっかけに新右翼という流れがはじまる。野村秋介(惜しい人をなくした、というべきか)ら右翼を名乗る青年たちが財界の頂点を襲撃したのである。反体制右翼の嚆矢と呼ばれることもある。たとえば、異端の右翼団体、一水会では、「YP(ヤルタ・ポツダム)体制打倒・反米愛国・自然保護」がスローガンとして唱えられる。そこでは「民族主義」が声高に主張される。
 ちなみに、近ごろ世間の耳目を集める「新しい歴史教科書をつくる会」だの、小林よしのりだのは、自由主義史観を標榜し、いわゆる市民運動のノウハウも取り込みつつあるという点で、よりソフィスティケートされた新右翼の変種と考えられなくもない。
 話を西村の核武装発言に戻すが、「核の抑止力」と「日本の大国神話」を信じ、「安保条約破棄」、「強い軍隊」、「国連常任理事国入り」を望んだ時点で、そういう発言(日本の単独核武装)が生まれるのは当然である。相手がバカであろうが何であろうが、はらわたが煮え繰り返ろうが、とりあえずそれを踏まえないと議論は始まらない。
 「閣僚がそんなこと言うなんて信じられない。辞めろ辞めろ」で思考停止してしまう朝日のようではいけない。
 「核の抑止力」は幻想であること(実証的な研究も数多い)、大国としてのプライドは軍事力とは別の場所に求めるべきこと、国連の機能そのものの改革に努めること、安保条約についてはより実効性のある(外交政策中心の)対案を示すこと。核兵器の廃絶が人類の悲願であることは言うまでもない。それらをきちんと示すことによってしか、西村発言に対するシンパには自己批判する機会を与えられないと思う。

 蛇足ではあるが、西村がことあるごとに「強姦」の比喩を用いることについては、愚劣の極みとしか言いようがない。引用どころかコメントも書きたくない。


1999年10月21日(木)

 今日は仕事の関係で、集会というか、一日中大きなホールで話を聞く、というのに出かけてきた。
 座って話を聞いているだけなので、楽といえば楽なのだが、事前の準備も怠ることなく万全の態勢で臨んだ。
 カバンには、マンガ週刊誌一冊、普通の週刊誌一冊、文庫本を一冊、ハードカバーの小説を一冊、という陣容である。これだけあれば一日座らされようと退屈せずにすむ。
 また、睡魔に襲われることも考慮して、昨夜は無理をして2時半まで起きていた。睡眠時間は実質4時間弱である。これで、万一眠気を催した場合でも、中途半端な浅い眠りを繰り返すなどということもなく、最低でも2時間近くは熟睡できるであろう。
 服装も、しわが気になり肩の凝るスーツなどもってのほかである。リラックスできることはもちろん、たとえ椅子から転げ落ちてもそのまま床で眠れるよう、ジーンズとデニムのシャツを装備した。
 唯一省略したのは、席についたまま口にできるおやつ類と水筒であるが、必要であれば現地で購入すればよいと考えて持たなかった。
 そして、私はいつもよりもずいぶんと早い時間の列車で会場へ向かった。無論、今日の重装備を効果的に生かすことのできる席を押さえるためである。
 しかし、逆に会場に早く着いたのが災いした。会場へ着くなり、顔見知りの主催者に受付の手伝いを命ぜられたのである。これは致命的な誤算であった。
 会場に次々と吸い込まれていく参加者を見送りながら、私は焦っていた。私も早く入らなければ。よい席を取らねば。
 しかし、受付である。遅れてくる者も考慮して、開会後もしばらく受付に残らざるをえなかった。出席者も途絶え、私が会場入りを許されたときには、すでに開会後数十分が経過していた。

 懸念は的中した。200人ばかり入るホールにもかかわらず、最前列の中央しか空席はなかった。仕方なく座ってみたが、居並ぶパネリストのテーブルから3メートルほどしか離れていない。
 私はすべての用意が水泡に帰したのを感じていた。
 そんな場所で、どうやって週刊モーニングを読めるというのか。どうすればふんぞり返って文庫本を読めるというのか。
 私は頭を抱えた。
 それでも、頭を抱えたまま、私はいつの間にか眠り込んでいた。睡眠不足の力は偉大である。

 結局、本こそ読みはしなかったものの、最前列中央、真正面の席で、午前中2時間、午後2時間と、たっぷり寝てしまった。
 いやな汗をかいて目を覚ますたびにパネラーや主催者の方々と目が合ったが、なぜか険しい表情であったのが印象に残っている。
 そんなわけで付け加えるまでもないことだが、今日の話の中身など何ひとつ覚えていない。
 私の人生はこんなことでいいのでしょうか。


1999年10月24日(日)

 昨日から家族で実家へ行ってまして、今日の夕方に帰ってきました。
 特にここで書くようなことはありません。
 おばあちゃんは今も入院中で、ベッドの上でめそめそしたりしています。
 そんなおばあちゃんとのやりとりを面白おかしく書くことはとても簡単なのですが、おかしなものに決まっているアルツハイマー症の老人とのトンチンカンな会話でウケを狙うのは、やはり孫としてどうか、という気になります。
 だから、金土日と、いろいろあるにはあったのですが、今ひとつ日記のようなものにはなりません。

 本を読みました。京極夏彦の『巷説百物語』(角川書店)です。分厚い四六判のハードカバーですが、延べ2時間ほどで読んでしまいました。久しぶりの一気本です。小説の力というやつでしょう。
 人の罪も恥も行いも苦しみも、すべて言葉の中にあり言葉の中にしかない、というのは京極堂シリーズと同じです。主人公の小股潜りの又市も、言葉を最大の武器にしているところは、かの古本屋と同じです。
 ただ、こちらはコン・ゲーム小説風の趣があります。あるいは仕事人風の。
 そのせいか、背景に描かれる事件なり謎なりは凄惨なものが多いのですが、底流にはいくらかのユーモアが感じられます。その点では、こちらのシリーズも買いかと思われます。


1999年10月25日(月)

 今日は、仕事から帰るなり子どもになぞなぞを仕掛けられた。
 どうやら今日は遠足で、バスの車中で先生が子どものヒマを慰めようと、いろいろなことをして遊んでくれたらしい。
「あのな、あのな、星は星でも、洗濯物を乾かす星は?」
「物干しやろ」
「ピンポーン。なおちゃんもわかってん。お父さん、なんで知ってんのん」
 そのくらいわかるっちゅうねん。大人やっちゅうねん。
「ほんならな、ほんならな、月は月でも穴を開ける月は?」
「え? 月、突き……頭突き」
「ちがいました。答えは、きつつきでした」
 これは一本取られた(死語)。マジでわからなかった。

 そんなこんなで、息子もオリジナルを作りたくなったらしい。
「貝は貝でも火を吐く貝は?」
「さあ、わからん。火吹き貝?」
 それまでにさんざつきあわされて、父親も投げやりである。
「ちがいました。……かいじゅう、でした」
 うーん、なんか釈然とせんぞ、それは。
「ほんなら、鳥は鳥でも食べられる鳥は?」
「たいがい食べられるやろ、鳥は」
 だんだんと普通の会話になっている。
「食べられる鳥はって聞いてんねんやろ」
「怒ることないやろ。にわとりか?」
「ちがいまーす。答えは……とりにく」
 私は思わず自分の右手を左手で押さえていた。体罰はいけない体罰は。


1999年10月26日(火)

 今日はね、おっちゃんちょっと、お酒をのんれまーす。うーい。
 酔うてないですよ。酔うてないからね。いやね、断られへん人に誘われてね、ほんでね、酔うてないです。ひっく。
 いやあの、はじめはビールやったん。生中ひとーっつ、ちゅうてね、ねえちゃんにね、うん、ビールやったん。
 生中おかわりー、ちゅうてね、ビール飲んどったん。ビールっておいしいねー。あの、冷えて泡がね、こう、きゅーっと、いやね、ビール飲んでたん。ビール。酔うてないって、でんでん。このくらいで酔うかいな。うーっく、げっぷ、と。
 それでやね、途中から焼酎に変えたん。んん。お湯割りっちゅうやつやね。梅干入れてね。これがまたうまいんだ。コップに口を持っていくとふわっと、こう、焼酎の匂いがね、ほんで一口飲んだら、腹の底からね、ポーっとぬくもってくるん。それをこう、きゅーっと、うーっ、たまらん。コップの底の梅干を割り箸で、こう、ちょちょっとつついたりして。ほたらまた、梅の香りが口の中でぷわーっと。いや、せやから、酔うてないっちゅうねん。どこが酔うてますかっちゅねん。ここ、この道の細い線の上でもやね、はみださんと歩けるやろ。このくらい目ェつぶってても歩けるっちゅうねん。いや、なにすんねんな、引っ張りなっちゅうねん。あむないがな。え、なに、お前が危ない、そらセンターラインや? ああ、そらいかんわ、こらあぶない。トラック来たらひかれるがな。
 あんたもひつこいな、酔うてないて、酔うてまっせーん。うーっく、ひっく。
 ほんでやね、なにやったかいな、ああ、日記? そんなもん知るかいな。
 あんなちょっとくらい飲んだかて酔うわけないけど、そんなもん今日はよう書かん。書かんっちゅうてるやろ!
 いや、あの、すんません、大きな声出したらいけません。いけません。酔うてないねんから。すんませんね。
 おっちゃん、ねむとなってきたから。ちょっとらけやけろ飲んれるし。
 まぶたがね、なんやえらい重とうなってきたわ。こらいかん、もうちょっと起きててホームページのやね、更新を……


1999年10月27日(水)

 今日も例によって、私が仕事を休んで二人の息子を耳鼻科に連れて行きました。
 ま、一進一退です。三歩進んで二歩戻るです。二歩は反則負けです。一人の百歩より百人の一歩です。
 なんのことやらわかりませんが。

 午後は保育園で(兄貴のほうの)「親子体操」なるものがあるというので、出かけてみた。参観日の体育版のようなものである。
 雨が降っていたので、残念ながらお遊戯室での取り組みとなったが、なぜ子どもはああも走らねばならないのであろう。定刻の10分ほど前に親子ともども集合したところ、担当の先生からしばらく待つように言われたのだが、その10分間というもの、子どもたちは全力疾走しっぱなしで、それぞれ思い思いに部屋の長辺をダッシュで往復したり、大きな楕円状に駈け続けたりするのである。それも奇声を上げながら。
 なぜ走っていなければならないのか。子どもの習性なのか。
 だいたい普段でも、のんびり歩いてる子どもっていないような気がする。
 子どもにとって、「移動」とは「走る」こと、就中「全力疾走」を意味するのであろう。
 だからといって、家の中でトイレに行くのまでダッシュすることはないと思うが。

 それで、親子体操そのものは一緒に体操したり、ゲームをしたりでたいしたことはなかった。ただ、水曜日の午後1時半とかに始まるので、父親はさすがに私だけだったのである。これはつらい。
 幼少の頃「おーんなーのなーかにー、おーとこーがーひーとりー」と言っては友人を囃していたことを思い出した。たとえば、はじめの待ち時間など、お母さん方はまるで十年来の知己のように仲良く談笑なさっておられるのだが、私は誰に話し掛けることもできず、所在なげにボーっと立っていることしかできなかった。
 「場違い」とか「しまったー」とか「針のむしろ」とかいう言葉が走馬灯のように頭をよぎった。
 まあ、そんなことはおくびにも出さずに、笑顔を絶やさず親子体操はがんばったのだが。
 世の父親はもっとがんばってほしい。子どものために、いや、自分の楽しみのためにも、もっと保育園や学校の行事に協力すべきであろう。
 そして、私と一緒に手を取り合って、針のむしろに座っていただきたいものである。


1999年10月29日(木)

 ここだけの話なのだが、私には社会人としての大きな欠点がある。ボケがサムいとか、どこでも居眠りするとか、世間話ができないとか、引っ込み思案で電話が苦手とか、そのへんはもうお気づきであろうし、この日記にもたびたび書いている。ここで書くのは新しいやつである。
 物忘れが激しいのである。
 大事な会議の予定を忘れて見事にすっぽかしたとか、休みを取っているのを忘れて出勤したとか、そういう大技の話ではない。それらはさすがに数回しかない。それでも十分だが。
 もっと細かいやつ、伝言とか、ちょっとした頼まれごととか、ちょっとした事務仕事なんかである。
 それはもう、見事に忘れる。
 たとえば、昼一番に電話を取る。
「ああ、○○ですか。今席をはずしてますので、戻ってきたら電話するように伝えます」
 というのは、当然の応対である。
 でも、電話を切った瞬間にそんなことをすべて忘れてしまうのである。当然、その○○さんが戻ってきても電話の話など思い出さない。
 で、夕方になって業を煮やした相手から電話がかかってくるのである。

 今日もあった。出かけた先で、顔見知りの職員に、
「あ、このあと職場へ戻るんなら渡すものがあるんで、帰りに声かけて」と言われたのである。
 もちろん、「わかりました」と答えて、そもそもそこへ行った目的である会議に出た。
 で、会議が終わると、当然のようにまっすぐ職場へ帰ってきてしまったのである。
 もうほんま、電話して謝る謝る。

 ほかにも今日あったのでは、出かけた先へ持って行くものがあったのだが、もって出るのを忘れたとか、今日までの書類を書いてないのを言われて思い出したとか、そんなところである。ま、私にしては普通のペースであるといえよう。

 どうです? 安心しましたか?
 でも、公務員を気楽な稼業と思ってはいけません。私以外の人に失礼ですから。


1999年10月30日(金)

 「本の雑誌」11月号、p.62「西上エンターテインメント協会」(西上心太)より引用。

 さて叙述トリックといえば折原一だが、寡作ながら遜色のない作家がもう一人いる。
 四年ぶりに四作目『夜想曲(ノクターン)』(角川書店)を出した依井貴裕である。《中略》二作目の『歳時記(ダイアリイ)』(東京創元社)は、ぎくしゃくした文章がそのままトリックになっていた叙述物の極北ともいうべき作品だった。文庫化しないのかな。
 で今回の新作だが、記憶喪失を都合よく扱ったり、不自然なプロットの流れなど、いかにもという感じなのだ。そこに心をとめていれば、第一の関門を見破るのは容易かもしれない。しかし、そこを突破した者ほど、二段構えの備えにただ驚愕するのである。

 著者の狙いを多少読み違えていらっしゃるようですが、「本の雑誌」で(とくに誉め調子で)取り上げられることなんてなさそうな作家なので、とてもうれしく思いました。
 なぜ私がうれしいのか。それは私が書いたからですうそ。
 依井貴裕さんは役所の同期採用だったのでよく知っているのでした。もう辞めたけど。
 いやまあ、そんな内輪の身びいきじゃなくて、今度のもなかなか面白いですよ。マニア向けですが。


1999年10月31日(土)

 久しぶりに「新聞を読む」にひとつ書き加えようと思ったのだが、迂闊にもさっき古新聞をすべて結わえてしっまたので(明日が古紙回収の日なのである)、引用のしようがなくなった。
 だから、うろ覚えでここに書く。
 記事の内容は、とてもよくある「テレビやゲームの暴力シーンが子どもの行動に悪影響を及ぼす」という、統計に関するものだった。
 なんでも、広範囲なアンケートに依れば、暴力的なシーンを含むテレビ番組の好悪と、日常の実際の子どもの暴力行動や万引き、喫煙といった(いわば反社会的な)行動に正の相関関係があるということで、そこから「暴力シーンが悪影響を」という結論になっていた。
 あまりにもよくある調査と結論なので笑ってしまったのだが、いうまでもなくこの手の記事には調査する側や記事の書き手のバイアスがかかりすぎている。
 早い話、相関と因果律の区別がついていない(あるいは故意に混同している)のである。
 そういった「暴力シーンを好む子どもほど暴力行動が多い」という正の相関関係が事実であるにしても、それだけで暴力シーンが子どもの暴力を促進するなどという結論が導き出せるはずがない。「暴力的な子どもほど暴力シーンを好む」というだけのことかもしれない。
 ほかにもこういった混同はよくある。たとえば、「喫煙経験と学校の成績には負の相関がある」という統計から、「タバコを吸うと頭が悪くなる(成績が下がる)」という結論を導くなど、その最たるものである。それは「成績の悪いやつほどタバコを吸ったりすることが多い」というだけに過ぎない。
 これらは統計のウソと呼ばれることが多いが、虚偽と難ずるほどたいしたことではない。読み取る側の訓練の問題である。

 だからといって、私はテレビやゲームの暴力シーンが子どもに何ら悪影響を与えることはないとか、成績がよければタバコを吸ってもよいというつもりはない。
 何事であれ、中途半端な統計結果で牽強付会や我田引水としかいえない結論に持っていくよりも、きちんと科学的に調査して論理的に考察したほうが説得力があるのに、と少々馬鹿にしつつ惜しがっているだけなのだ。

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