「筆先三寸」日記再録 2001年1~3月


2001年1月1日(月)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 年頭に当たりまして、亭主より一言ご挨拶を申し上げます。
 皆様すでにご承知の通り、この正月は20世紀から21世紀への変わり目にも当たります。まさに本日ただいまより、新しい世紀が始まるのであります。「戦争の世紀」、「科学の世紀」と言われる20世紀の成果と蓄積を尊重する一方、国際政治、環境問題、福祉問題等々に関するさまざまな課題と教訓を踏まえながら、心新たに新しい21世紀の日本を作り上げて行かねばなりません。
 などという挨拶が巷間猖獗を極めておりますが、そんなもんあんた、心新たにも何も昨日が今日になっただけやっちゅうねん。
 時計の針もぐるぐる回るだけで、21世紀になったからといって倍速で回るわけでもなし、何が変わるわけではありませんし、自分の都合のよいように勝手に心新たになってはいけません。
 というわけで、私は本年も相変わりませず、同じようなくだらないことばかりをだらだらと続ける所存でございます。
 それでは、本年も「筆先三寸」に対しましての変わらぬご愛顧をお願い申し上げますとともに、皆様のご健康とますますのご発展を祈念いたしまして、ホンダのあのロボットすごいよなあなどとも思いながら、新年のご挨拶とさせていただきます。


2001年1月6日(土)

 親ばか話三題。

 いずれ子どもたちが大きくなったら、この日記を読ませてやりたいとも思っているので、彼らの話はなるべく小まめに書き留めておきたい。
 それだけの話なので、こういうのが嫌いな人は読まなくてよい。特に面白いわけでもないし。長いし。

《その1》
 この正月も暮れのうちから実家へ帰った。といっても車で小一時間、同じ大阪の下町なので帰省などというしゃれたものではない。
 お年玉のやりとりや、近くの神社での初詣、おもちゃを家中ひっくりかえして遊びたおしたこと、その他正月らしいことはここでは特に記さない。そんなものは小さな子どものいる家庭ならどこでも同じようなものであろうと思う。
 祖母の見舞いの話を少し書く。一昨年の9月19日の日記とほぼ同じような話なのだが。
 私の祖母は、実家から歩いて五分の病院に入院しているのだが、今年も正月には帰れなかった。寝たきりで動けない病状のこともあるし、痴呆が進んでいるということもある。正月といえども親類が一堂に会するということもくなったし、私の母が常に付き添っているので、ケアも行き届いて暖かい病院の方がいいだろうという判断である。
 そこへ兄の家族と一緒に、子どもたちを連れて見舞いに行った。
 下のチビさんは、ベビーカーでずっと眠っていた。
 お兄ちゃんと私たちが祖母の枕元に立った。
 祖母の痴呆は進んでいるというのか、止まっているというのか、かろうじで私の名前と孫であるということくらいはわかるらしい。私の顔を見るなり「よう来てくれたなあ」と涙をこぼした。
 その後のとんちんかんなやり取りは省略する。私が結婚したことも、子どもがいることもどうやら忘れてしまったらしい。
 思う出してもらおうと、一生懸命説明するのだが、
「おばあちゃん、頭くちゃくちゃになってなあ。みな忘れんねん」
 という言葉と悲しげな表情の前では無力である。
 祖母はベッドから私の息子に向かって言う。
「かしこいなあ、ええこやなあ」
「もっとこっちきて顔見せて」
 そのたびに息子は、ベッドに上体を乗り上げるようにして祖母に顔を近づけるのである。照れくさそうに微笑みながら。
 身の回りに高齢者もいず、見慣れていない彼にとって、皺だらけで痩せこけた九十歳の老婆など、同じ人間には見えないかもしれないのに。
 顔を両手ではさまれても、頭をなで回されても、はにかんだような表情でにこにこしているのである。

 この日は、いつもの見舞いに比べて短時間しかいられなかった。
 祖母とはたいして話すこともできないまま、早々に引き上げたのだが、病院のエレベーターの中で息子が言った。
「おおばあちゃん、いつも、もっーといっぱいお話するのになあ」
 どことなく残念そうに。本当に話がしたかったかのように。

 お前が一番心をこめてお見舞いをしていたのかもしれないな。

《その2》
 昨日のことである。仕事から帰って自室で着替えていると、上の子が近寄ってきた。
「今日な、ともちゃんに、トラックで目のとこたたかれてん」と言う。
 見ると、目尻が少し切れて血がにじんでいる。
「血ィ出てんけどな」
 ミニカーをつかんだ手で、それほどの勢い、数ミリずれればおおごとである。こればかりは、チビの首根っこをつかまえて、泣き出すまで叱らねばならない。
 しかし、お兄ちゃんはもじもじしながら言うのである。
「でもな、お父さん、ともちゃんおこらんといたってな。もう、お母さんがおこったから、おこらんといたってな」
 そう言って、私の返事も聞かずに部屋を出て行った。

 弟思いというのか、気が優しすぎるというのか。
 たいてい男兄弟というのはもっとがさつなものだと思っていたが、そもそも彼は弟に手を上げたことがない。わがままもよく聞いてやるし、遊び相手にもなってくれる。今日なんて、「ともちゃん、亀さんやったげる」と、進んで馬になって、弟を背中に乗せて部屋を這いまわっていた。

 ともちゃんよ、君がミニカーでわけもなくぶん殴ったお兄ちゃんは、世界一なんだぞ。

《その3》
 上の話の続きなのだが、いくらお兄ちゃんに怒るなと言われても、注意すべきはきちんと注意しないといけない。特に今回は、けんかでもないのに突然、物を持って目のあたりを殴ったということでもあるので、今後のためにも注意は必要である。
 そこで、怒るなと言われているので大声こそ上げなかったものの、かなり厳しく注意した。
 するとめずらしく、「はい」、「はい」と妙に丁寧な口調で、殊勝に頷くのである。
 しかも、「ともちゃんな、おにいちゃんな、トラックでな、たたいてん」と、進んで説明してくれるではないか。よほど、自分が悪いことをしたと思っているらしい。反省の色丸出しである。
 これが、ほかのこと(ジュースこぼしたとか、おもちゃ投げたとか、障子を破ってしまった)なら、叱られても反省するどころか、いつも逆に怒り出すのに。
「いやー、きらーい、いやー、ばかー、きらーい」と叫びながら、ポカスカ親をひっぱたきにくるのに。

「もうせえへん?」
「もう、せーへん」
「お兄ちゃんにごめんなさいは?」
「ごめんなさいゆーたー」
「顔とか叩いたりしたらあかんで」
「はい」
「わかりましたか?」
「はーい」
「よっしゃ、ほんだらまたお兄ちゃんと遊んどいで」
「うん」
 ツタタタタタタタタ……
「アンキーック!」(© アンパンマン)

 なんでやねーん。


2001年1月7日(日)

 新年を迎えて、サイトの更新や手入れもきちんとしていかないとなあ。
 と、いうことで、外部スタイルシートというのを使ってみることにしました。でも、統一のスタイルなんてほとんどないので、せっかくですがCSSファイルの中味はスカスカでーす。
 んで、懸案のリンク集をかなり作り変えました。サイト名を挙げるので精一杯で、コメントまではさっぱりですが、ひとまず義理は果たせたかと。コメントはおいおいつけていくつもりですけれど。とりあえず、深夜に舟を漕ぎながらいじってますので、間違いや苦情がありましたらお気軽にメールで。

 明日は成人式です。
 出席する方はそんなこと何も考えないと思うのだけれど、私は今日、このクソ寒い中、会場の準備で出勤してました。何百というパイプ椅子を並べて、飾り付けをして、こまごまとした下準備をしました(正確にはその手伝いだけれど)。ま、地方公務員にもいろいろ仕事はあるってことです。ほかには、選挙の世話とかね。国勢調査とかも。
 役場に座って、茶飲みながら新聞読んで、あくびしてるばっかりちゃうっちゅうねん。(<我ながらすごい古典的なイメージ)

 そんな肉体労働のおかげで、夜になって猛然と腰が痛くなってきました。
 明日本番なのに。
 でも実は、いまどきの新成人が見られるのは楽しみでもあります。世間の評判どおりめちゃくちゃなのかどうか。よく聞きますよね、私語しまくるとか、式典中に携帯鳴らしまくるとか、酒飲んでけんかするとか。
 面白い話があればまたレポートします。


2001年1月8日(月)

 今日は成人式でした。
 私はスタッフとして会場でバタバタしてたんですが、昨今メディアで報じられているようなハプニングはありませんでした。面白くねえ。
 参加者は、男女問わず茶髪も金髪も短髪も長髪もさまざまでしたが、総じて普通の若者でした。
 たしかに会場は終始ざわついていたものの、立ち騒ぐわけでなし、酔っ払いもけんかも、挨拶するお偉いさんが怒り出すような場面も、結局ありませんでした。

 もちろん大盛況かつ成功裏に終わったのはなによりなんですが、なんか期待はずれです。

 ただ、大阪という地域性もあるのでしょうが、チマチョゴリ姿の女の子が多くて、その衣装の美しさが印象に残っています。ああいう派手な色使いの透明感のある素材は、振袖には決してないので、よけいに印象が鮮やかなのかもしれません。


2001年1月9日(火)

 もう誰もが気づいていると思うのだが、文化・教養あるいはテクノロジー方面での大ヒットを保証するキーワードは、ただひとつ、「ちょっとかしこそう」である。
 古くは、浅田彰の『構造と力』。現代フランス哲学を明快に見渡せるマニュアル本を京大の若僧が書いたという売り文句に惑わされて、自分をちょっとかしこいと思っている人間や、ちょっとかしこくなりたい、ちょっとでいいからかしこく見せたいという人間がみんな買いに走った。私も買いに走った。
 少し下って、『サラダ記念日』。和歌・短歌など百人一首の二つ三つと啄木の下の句だけしか知らないような人間(私含む)が、三十一文字のまとう歴史と高尚さと深さの幻に魅せられて、われもわれもと群がった。おまけに、ライト・ヴァースなどという言葉を知らなくても、中味は平易も平易、むしろ「かわいー」の世界であるので、老若男女、受けに受けまくった。しかも、「私は短歌を読んでいる。私は短歌が理解できる」のおまけつき。そりゃ売れるって。
 ほぼ同じ頃だったか、『ノルウェイの森』。純文学を、「固い」(漱石、鴎外、教科書)、「暗い」(私小説)、「不良」(石原、村上龍)、「軟弱」(庄司、三田)、「どこに売ってんねん」(本屋へ行け)、と思っていた連中(私含む)が、とんでもないブックデザインと、帯の「100%恋愛小説」というコピーにつられて手にとった。むろん、俵万智同様こちらも中味は折り紙つきなので、「『ジュンブンガクもいいよね』と言う権利」というおまけつき。
 実はこの線で成功している作家は多い。吉本ばななを筆頭に(彼女の場合は、理解できなかった親父の仇を娘で晴らすぞという腹黒い動機で読む人間も多いはず。私がそうだから)、山田詠美しかり、川上弘美しかり。
 それ以降、書物の関係では、野口悠紀雄の『「超」整理法』、東大教養学部の『知の技法』(だっけ?)、『ソフィーの世界』(作者忘れた)、『ハリー・ポッターと賢者の石』(同左)、なんかが当てはまるのかもしれない。
 家電然り。ヒットの要因は「便利」でも「快適」でもない。それを持つことが、どのように購買者の自尊心をくすぐるかにかかっている。もちろん、商品の実態が外から見た「かしこそう」(「高級そう」ではない)というイメージとはうらはらに、平易で便利で快適でなければならないのは当然なのだが。

 さて、そんなある意味当たり前なことを思っていて、「ちょっとかしこそう」というフレーズが見え隠れしながら空前の大ブームを支えている商品に気がついた。
 携帯電話である。とくにメールやインターネットがらみで。
 もはや今となっては持っているのが普通になったので、そういうイメージもなくなりつつあるが、「インターネットで情報ゲット」、「メールもOK」、「着メロも待ち受け画面もダウンロード」、などという言葉に勘違いしている人間も多いにちがいない(私含む)。
 だって、頭悪そうな人間に限って携帯電話の流行とか機種ごとの性能とかキャリアの戦略とか、自慢げに話したがらない?


2001年1月15日(月)

「息子と映画へ出かけた日」

 日曜日、久しぶりに上の子どもと映画を見に出かけた。「ダイナソー」である。

 休みだというのに、朝7時半に家を出て、二人で駅まで歩いた。とりわけ寒い季節、息子はフードつきのジャンパーにマフラーの重装備である。背中の小さなリュックには、あたたかいお茶の入った水筒と、「おっとっと」と「ハイチュウ」を入れて持たせた。
 息子の脚なら、駅まで二十分以上かかる。保育園のこと、ポケモンのこと、ともちゃんのこと、いろんなことをとりとめもなく話しながら、手をつないで歩いた。
 息子はまだ小さい。私が普通に手を垂らして、やっと肩のあたりで手をつなげられるくらいだ。そうして半ば小走りでついてきながら、始終にこにこと話しかけてくる。私は小さな手を握りしめて適当に答えるのだが、よほど上の空で答えていたのだろう、昨日のことだというのにどんな会話をしたのか何ひとつ覚えていない。「寒いなあ」と問う私に、スキップしながら「ううん、さむないでぇ」と答える姿を覚えているだけだ。

 電車に乗ると彼はおとなしい。はしゃぎもせず、座席で脚をばたばたさせることもなく、おとなしく私の隣に座ってきょろきょろしている。「電車いっぱい乗る?」、「映画遠い?」と何を心配しているのか、ときおり私にたずねるくらいである。私は例によって、子どもをよそに文庫本を広げていたのだが。

 映画そのものは他愛もなかった。CG自慢というだけで、きわめて陳腐なストーリーと脚本だった。同じディズニーのフルCGでも、「トイ・ストーリー」シリーズとは比べるべくもない。
 息子にとってもそれは同様だったようだ。途中でトイレに連れて行かされたが、そのときも「ダイナソー、ながいなあ」とぼやいていた。それなりにおとなしく見てはいたのだが、「スターウォーズ」のときのような興奮は感じられなかった。

 そのあと、キディランドに立ち寄って、お決まりのように「遊戯王カード」と「ポケモンカード」を買わされた。ポケモンセンターにも行った。ここでは「ピカチュウのふしぎなコイン」とかいう手品セットを買わされた。ふだん父親の手品を見て面白がっているので、自分でもしてみたくなったらしい。「これ保育園に持って行ったら、みんなびっくりするで」と目を輝かせていたが、あとでタネを確かめると本人には少しむずかしかったようだ。

 昼食は、せっかく梅田まで出てきたのだし、おいしいものを食べに連れて行ってやりたかったのだが、ポケモンセンターの前にモスバーガーのあったのがいけなかった。「今日はともちゃんもいてへんのにー」という親の説得もむなしく、いつも通りのポテトとハンバーガーとなった。

 帰りに紀伊国屋書店に寄った。絵本を見たのだが、息子は『こげぱん』を手にとって黙々と読んでいた。何が気に入ったのか、「これおもしろいなあ」とくりかえすので、仕方なく買うことにした。こげぱんの孤独と世をすねた様子が気に入ったのかもしれない。六歳にしてそんなものに共感するとは、つくづく将来の心配なやつである。私は『シナの5にんきょうだい』を買った。(これは下のチビが大喜びした。「長男」が海の水を吐き出すところを何度も何度も読まされた。)

 帰りの電車では、あたたかいし、お腹もくちくなったし、息子はひざ元に絵本を広げて熱中してるし、私は眠ることにした。「駅に着いたら起こしてくれよ。あと〇コの、〇〇ていう駅やから」と念入りに教えて、窓に頭をもたせかけて目を閉じた。
 しかし、これがいちいち起こすのである。駅に着くたびに、「まだ? まだ? こことちがう? あとなんこ?」とか言って。生真面目なのは結構だが、これではうとうとするも何もあったものではない。

 駅からは、行きと同じように手をつないで歩いて帰った。昼下がりの道、あたたかい日なたを選んで歩いた。「たのしかったなあ」とくりかえしながら、はずむように歩く息子の手を引きながら、私は「ああ、楽しかった。本当に楽しかったな」と心から答えていた。
 でも正確にはちょっとちがう。
 お前とこうして手をつないで歩けて、お前と一緒に映画館へ行けて、ポケモンカードを買って、ハンバーガーを食べて、絵本を選んで、電車に乗って、またお母さんとともちゃんの待つ家に帰れて、

 お父さんは、「楽しかった」んじゃなくて、ほんとうは「うれしかった」んだ。

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 これは二、三日前の話。
 お兄ちゃんの親子遠足の写真ができたというので、保育園からもらってきた。
 みんなで輪になってお弁当を囲んでいる写真もあった。当然そこには、息子と母親のほかにも何組もの親子が写っている。
 そこで写真を見ながら、母親が息子に聞いた。
「なおちゃん、どのお母さんが一番好き?」
 すると、これがまたもや悩むのである。
「んーと、んーと…………」
 そんなもの悩んでどうする。そして彼は答えるのである。
「…………わからん」
 わからんて!
 息子よ。君は息子であるということの義務と責任とについて考えたことがあるか。


2001年1月20日(土)

 うちのまわりは今年初めての大雪で、積もっちゃって大変なことになっています。

 そんでもって私も、まじで風邪をひいておりまして、これまた大変なことになっています。
 ただまあ、マジ風邪の楽しみというものもないではありませんで、医者の処方する薬というものはたいてい市販の薬よりも効き目、副作用ともに強いというのが相場となっております。そこで、これを適量のアルコールとともに服用しますと、眠くもならず、気分よく、それはもうフワフワと半日過ごせることになります。これを、ワタクシ的には「プチラリ」と名づけております。
 ただし、ものの本によりますと、そういうことは肝臓腎臓に負担が大きいのでよしたほうがよいとのこと。したがいまして、決しておすすめはいたしませんのであしからず。

 話は変わりますが、サントリーのモルツのCMに、本上まなみがでておりまして、完璧な関西弁を披露しています。止まらなくなったバスの中で、彼女がにやりと笑って「大人の遠足や」と言う、あれです。テレビで彼女の関西弁を聞くのは初めてのような気がします。さすが大阪人というところですが、エセ関西弁が幅を利かす昨今、彼女ならもっといろいろ出番はあるだろうにとも思います。
 一方、同じくビールのCM(キリン「一番搾り」)で、完璧なエセ関西弁を披露しているのが中山美穂です。お好み焼き屋で関西人を気取ってねぎ焼きをひっくり返し損ねるという、あれです。これは、東京の女の子が大阪人のふりをするという設定なので、関西弁はでたらめでいいのですが。
 なんにしても、最近はお笑い芸人が出てこないようなドラマやCMでも、関西弁を耳にすることが多くなってきました。元をたどればマンザイブームのおかげで、関西弁が全国的に市民権を獲得したともいえましょうが(それまではたいてい悪役かお笑いか商売人の専用言語)、べつにそんなん共通語でええがな、と関西弁で思うこともしばしばです。
 それに、地方の言葉を使うなら使うで、北海道東北から九州沖縄までまんべんなく使えっちゅうねん。と、これまた関西弁で思います。
 肝心なところで方言に頼ってばかりいると、日本語がやせてしまうよ。(と、これは誰かさんの受け売り。)

 でもちょっと本上さんの関西弁にはドキッとしてしまいました。


2001年2月1日(木)

 すいませんすいません、ほんますいません。
 メールの返事も遅くなってすいません。
 雑文なんかさっぱり書けなくてすいません。
 それどころか日記の更新もろくにできなくてすいません。
 月が変わってもまた同じファイルですいません。
 このごろ毎日帰宅が遅くてすいません。
 朝も晩も子どもの寝顔しか見れなくてすいません。
 山のような仕事が全然こなせなくてすいません。
 おかげでフォローに上司をこき使ってすいません。
 ゴルフの誘いも断ってばっかりですいません。
 すいませんすいません、生まれてすいません。
 ていうか、モーニング娘。のベスト盤を買ってしまいました。
 ほんまにすいません。


2001年2月2日(金)

 今日、保育園に「鬼」がやってきたらしい。
 節分の催しということで、毎年この時期には「鬼」がやってくるのである。
 上の息子は怖がりの泣き虫でもあるので、これまでも必ずといってよいほど「鬼」を見ては泣いていたという。
 そこで帰宅して、
「どやった? 怖かった? 今年も泣いてんやろ」と聞いてみた。
 すると息子は、口をとがらせて、
「泣けへんかったわ。泣いたんは三人だけや。ハルナちゃんとー、マユちゃんとー、ショウキくんだけ。なおちゃん泣けへんかったもん」と反駁した。
「ほんまかー? でも、怖かってんやろ」
「うーん、ちょっと口ふるえとってんけど」
 めちゃめちゃ怖かったんやんけ。

「ほんまもんの鬼やったんか?」とも聞いてみた。
「ううん。ちがうとおもう。ほんまもんみたいやったけど」
 ほんまもんを見たことあるんか! と突っ込みたかったが、それはやめた。
「なんかな、目のとこが人間やったから」
 そら、お面かぶってるだけやからなあ。

「せやけど、去年のサンタさんは、ほんまもんやったんやろ?」
 すると、悩ましい顔で首を振りながら、
「うーん、あれはわからん。ほんまにわからん」と言った。
 そうか、わからんか。本物かもしれんのか。
 無邪気でよろしい。

 ちなみに、ともちゃんは、「おにこわかってん。ないてん、ともちゃん」だそうです。


2001年2月3日(土)

 モーニング娘(句点略)の話題が続いて申しわけないが、ここの日記を通じて最高のページを見つけた。
 「2ちゃんねる」のとあるスレであるが、「バトルロワイアル」のモーニング娘版のパロディ小説が途中(No.44)から展開する。
 筆者(バトルロワイアルな娘。さん)の言によると、初めての小説らしいが、筆力、完成度とも申し分ない。私がこのところ読んだ最良の一編に属するといっても過言ではない。思わずスレを丸ごとダウンロードして、小説部分をプリントアウトしてしまった。私にとって、あらゆるサイトの雑文を含めても初めての行為である。

 もし関心がおありなら、外野の野次や応援を含めた生ログで読まれることをおすすめする。
 なにかと評判の悪い2ちゃんねるではあるけれど、プレイヤーとオーディエンスの相互作用が伝説のギグを生み出すように、リアルタイムな読者の反応を含めたスレそのものが抜群の読み物になっている。2ちゃんねるのシステムがもたらす最上の成果のひとつであろう。

 しかしまあ能書きはともかく、こんなに興奮して小説を読んだのは久しぶりである。メンバーとキャラクターのあてはめ具合といい、それでいて先の読めない展開といい、細かな描写や小説上の工夫といい、本当に面白く読めた。モーニング娘ファンの書き込みは最高に面白いし(特に、ののファンの叫びには爆笑)。
 モー娘ファン、原作ファン、映画ファンのみならず、面白い読み物を探している方全員におすすめです(ただし下手すると全部読むのに2、3時間かかるので、そのへんは覚悟が必要)。


2001年2月4日(日)

 川上弘美の『おめでとう』(新潮社 1300円)の評判がやけにいいので、まあ基本から押さえとこうと『蛇を踏む』(文春文庫 390円)を買ってきた。ちなみに表題作が芥川賞受賞作品である。
 同じ芥川賞を取ったのには、ちょっと前に多和田葉子の『犬婿入り』てのもあったし、今さら生き物が人間になって家に押しかけてこられる話もなあ、などと思いながら読んでみた。
 なかなか面白い。この手の話はネタバレどうこう以前に、筋を紹介してもまったく意味がないので割愛するが、形式と内容の幸福な出会いというか、その“奇妙な感じ”は、他で得難いものがある。
 たとえばカフカや内田百閒を持ち出して、陳腐な比較をしてみるのは簡単なことだろう。あるいは椎名誠や筒井康隆の実験的な作品の線から攻めてみるのもいいかもしれない。
 まあ、早い話がそういう雰囲気を持つ話でもあるのだが、平易な文章と奇妙な登場人物、不思議なイメージの底のまだ向こうにある作者のクールなユーモア感覚がとてもいいと思う。


2001年2月8日(木)

 バカ親話2題。

 保育園での話。
 なんでも、遊んでる拍子にダイ君が息子に突き当たって、息子はその勢いでケンタ君にぶつかって跳ね返されて、またダイ君にぶつかって鼻血を出したという。なんという足腰の弱いやつ。
 それを見た先生は、当然ダイ君を叱ろうとする。
 すると息子は、鼻血を流しながらも、先生に懸命に訴えたという。
「わざとじゃないねん、わざとじゃないねん、ダイ君、わざとじゃないねん、せんせい、おこらんといたって」
 なんともはや。
 これを、友人をかばうやさしい心の表れであると見るのは早計に過ぎる。彼は誰が叱られようと、先生の怒る表情を見るのが嫌なのである。気が弱くて自分もびびってしまうのである。そういう気持ちもかなり含まれていると見てよい。なにしろ、3歳のころは、「クレヨンしんちゃん」でさえ、「しんちゃんのおかあさんおこるからいやー」と見ることを拒んだくらいなのだ。

 こんなやさしい息子が、将来、家の中で金属バットを持って暴れるようになるとは。
 って、決めつけてどうする。

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 最近、我が家では季節はずれのかるたが流行っている。セイカの「ウルトラマンかるた」である。
 当然、絵札はウルトラ兄弟と怪獣のオンパレードである。それにあわせて読み札は、「おそるべききょうてきゼットン」とか、「もとはにんげんだったジャミラ」とか、「ワイドショットはきょうりょくはかいこうせん」とか、「やみをてらすザンボラーのほのお」とかになっている。
 これがなぜ我が家で流行るかと言えば、字のわからない下のチビさんでも、怪獣やヒーローの名前を手がかりに絵札を取ることができるのである。「じゃみら、あったー」とか、「ぜっとん、これー」とか、なかなか素早く手を出してくる。
 ところが、最近はクソ生意気に読み手をやりたがるのである。ともちゃんの「と」も知らないくせに。
 でもまあ、あんまり主張するのでやらせてみた。
 すると、読み札を手に持って、とりあえず読んでるふりをするのである。もちろん口から出るのは全部アドリブである
「うるとらまんたろうがあんきーっくしてる」
「もじゃもじゃかいじゅうのウーがきたー」
「あんとらーにきをつけろー」
 おまけに、読むときは手元の読み札ではなくて、首を伸ばしてその絵札を見つめながら言うのである。
 そんなものゲームにも何にもなりませーん。


2001年2月9日(金)

 この年になってどうかとは思うのだが、たまにガチャガチャのフィギュアを買う。
 といっても、コレクターでもなんでもないので、HGシリーズのコンプリートをめざすとか、ウルトラマン関係については、同じ物でもバージョン違いまで集めるとか、そんな気はさらさらない。造型やキャラクターで気に入ったものがあれば買ってみるというだけの話である。
 ただ、近ごろは機械に200円入れてガチャガチャ回すということはしなくなった。いわゆる「単品買い」あるいは「セット買い」である。そんなことのできる店も最近は増えてきた。
 先日は、HGウルトラマンシリーズの「零下140度の対決編・6種セット」というのを買った。セブン、ビルガモ、バルタン星人Jrなんかは別にどうでもよかったのだが、ブルトン、ガンダー(ポール星人つき)、あぐらをかいたメトロン星人(ちゃぶ台つき)の出来があまりによかったので欲しくなったのである。
 セットで1600円。店先のガチャガチャを8回まわしてすべて揃うかどうかを考えると、決して損な買い物ではない。

 で、家へ帰って早速自慢することにした。とりあえず、ブルトンとメトロン星人を、子どもたちの鼻先に突きつけてみた。
「ほーら、ブルトンやぞー。こっちはメトロン星人の座ってるやつ。ええやろー」
 お兄ちゃんが、目を輝かせて飛びついてきた。
「あ、ほんまやー。お父さん、またガチャガチャやったん? 貸して貸して」
「ええやんけ、大人やねんから。あ、どっちもやれへんぞ、お父さんのやからな。貸すだけやぞ」
「わかってるて、お父さんのやろ」
 幼児のくせにすでに大人である。
 お兄ちゃんが人形をためつすがめつしていると、ともちゃんも気になってくる。
「ともちゃんもー! ともちゃんもー!」
 そう言って、当然のようにお兄ちゃんの手からひったくるのである。
「あー、それお父さんのやから、取ったらあかんで、お父さんのやから」と、これは私の叫び。
 でも、ともちゃんは、しばらくいじりまわしてから、私に手渡してくれた。
「はい、これ、おとうさんのん」

 嗚呼、やさしい息子たちに恵まれて、私はなんと幸せな父親なのであろう。

 それに引きかえ、サイは手きびしい。私が人形を取り出すなり、柳眉を逆立てた。
「また、あんた、そんなもん買うてきて。机の上にもう20個も並んでんねんで。ほんまにもう、しょうむないもんにばっかりお金使てから」
 今見せたのが、今日買った6個のうちの2個だとは、到底言えませんでした。それに、すいません、サイの知らない箱の中には、多分あと100個以上あります。

 しかし妻よ、お前には、この私のみずみずしい少年の心がわからないのか。あのころウルトラマンに胸をときめかせた、子どものころの目の輝きが、私の瞳にいまだ失われずにあるということが、どれほど素晴らしい……

 すいません。もう言いません。そんな目で睨まないでください。


2001年2月12日(月)

 またもやフィギュアの話で恐縮であるが、私は食玩には手は出すまいと心に決めていた。
 食玩というのは、食品玩具の略ででもあろうか、早い話がお菓子のおまけのことである。他愛もないプラスティック玩具がほとんどではあるのだが、最近のゴジラやウルトラマン関係ではラムネや飴のおまけといい条、デザインも造型も塗装も非常にすぐれたものが多い。チョコエッグの動物シリーズなんかを思い出してもらってもよい。
 そんなものにまで手を広げていては、いくら単価が安いとはいえ、小遣いも限られているのにたまったものではない。だから私は、「食玩一切無視。ガチャガチャ一本」と心に固く決めていたのである。
 しかし、ここに来てその決心も揺らぎつつある。
 原因は、フルタ製菓の「百鬼夜行・妖怪コレクション」である。
 なにしろ、飴のおまけの分際で、海洋堂プロデュースなのである。そして、造型総指揮が竹谷隆之、中の解説が多田克己と、どう考えても子ども相手の商売とは思えない。
 その10センチにも満たぬプラスティックの人形の迫力には驚くべきものがある。デザインはもちろん、塗装の細かさも申し分ない。それでいて定価が300円。

 小さいころ、私は怪獣マニアであると同時に妖怪マニアでもあった。親の肩越しに、おそるおそるテレビの「悪魔くん」を見、「河童の三平」を見ていた。「ゲゲゲの鬼太郎」は白黒のころから熱中した。各種妖怪図鑑は、大伴昌司版の怪獣図鑑類とともに、私の枕頭に常にあった。
 その血が騒ぐのである。フィギュアを手に入れよと叫ぶのである。

 売っているところが非常に限られているようでなかなか見つからないのだが、すでに第2期9種のうち5種類は手に入れた。ほしいのは通常塗装版だけなので(象牙色版とか金色塗装版とかもある)気は楽なのだが、第1期の分がもうどこにも見当たらないのでそのへんはかなり残念である。

 お母さんごめんなさい。なおちゃんともちゃんごめんなさい。お父さんはまたわけのわからないものに手を出しかけています。

 でもやれへんねんもん。妖怪はぜんぶお父さんのやねんもん。なんぼほしがっても、さわらしたれへんねんもん。


2001年2月16日(金)

▼バレンタインデーは当然のことながら素通りでした。とりあえずサイだけはチョコをくれましたが、私はマギーブイヨンのような生チョコを一粒食ったきりで、あとは全部自分でお召し上がりになりました。ていうか、食っちまいやがりました。

▼「百鬼夜行・妖怪コレクション」の第2期9種は、8種類までゲットしました。あとは九尾の狐を残すのみです。しかーし! こないだ久しぶりに難波のガチャガチャ屋に立ち寄ったら、9種セットを3600円で売ってました。力抜けまくりです。松屋町(注)までさまよい歩いて、すでに3900円をつぎ込んでいる私の立場はどうなるんでしょうか。どうもなれへんて。

注 読みは「まっちゃまち」。おもちゃ、人形、駄菓子、雑貨の一大問屋街。東京でいうと浅草橋のあたりにあたるか。

▼下のチビさんの話。自分は、お兄ちゃんの遊んでいるおもちゃをすぐにひったくったり、わけもなく蹴りをくれたり体当たりをかましたりするくせに、お兄ちゃんの危機はほっとけないらしい。
 私が、上の息子が貸してとせがむのに構わず、ヒーローの本なりおもちゃなりを手にしていると、チビさんはすかさず近寄ってきて、「なおちゃんがかしててゆーてるやろー!」と、私にぶつかって叫ぶのである。それで仕方なくチビさんにその本を手渡すと、チビさんはそれをお兄ちゃんに「はいっ」と渡して、私の方をじっと睨むのである。そんなに悪いことしたか。いつも、おまえ、そんな、自分、お兄ちゃんの……ええ、もうくそ、己のことは棚に上げやがって。
 先日も、ちょっとしたことでサイが上の息子を叱って、息子は泣き出したのだが、そのときもチビさんは、冷蔵庫の扉にかけてあるタオルを取ってきて、「もういい、もういい」と慰めながら、お兄ちゃんの涙をふいてやろうとするのである。
 それやったら、お前も普段からお兄ちゃんを泣かすようなことするなっちゅうねん。


2001年2月17日(土)

 ピンチです。なんでもトワックスの掲示板サービスが、この3月31日で終了するそうです。
 初期費用500円のみの、ただ同然にもかかわらず、そんなに重くも不便でもなく、大変重宝していたのに。残しやすいようにログは1本ずつメールで送ってくれたし。

 そこで相談です。どこかおすすめの無料(もしくはそれに近い)掲示板はないでしょうか。ODNは掲示板用のCGIを置けないらしいのです。
 * サーバが落ちない。
 * レスが付けられる。
 * ログはメールで転送してくれる。
 の3点さえクリアできれば、デザインがどうだの使えるタグがこうだの申しません。ま、とりあえず、クリアできてなくてもおすすめの掲示板があればお教えいただきたいと思います。

 情報お待ち申し上げます。


2001年2月19日(月)

 今日、仕事の行き帰りにドリカムを聞いていて、吉田美和の伸びのある声は、それだけでカタルシスのようなものを感じるなあとか思ったのだが、それだけじゃなくてずいぶん前に発見した事実があるので、それを書きとめておく。

 吉田美和は「かわいいコックさん」に似ている。

 いやまあ、それだけなんですけどね。


2001年2月22日(木)

 たとえば聖書に曰く、

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイによる福音書 6章34節)

 あるいは、反語的に座右の銘として、

「明日できることは今日するな」

 という感じで三十有余年生きてまいりましたが、このところ仕事に追われて大間違いであることに気づきました。
 前日のうちに思いわずらっておかなかったおかげで、毎日毎日思いわずらいまくりです。そして、一日の苦労はその日一日で十分だとは私も思うのですが、その日のうちにこなしきれなかった苦労があとへあとへとたまってきて、この年度末というものそんなもん、あんた、えらいことになっています。
 明日できることは今日するなというのも、とんだ食わせ物です。昨日の明日は今日であるということが、巧妙に隠蔽されています。巧妙なのか。前々からできたはずなのにしておかなかったおかげで、毎日毎日今日しないといけないことだらけです。明日できることまでさっぱり手が回りません。あれ、合ってるのかも。

 そんな私に、「マーフィーの法則」から。

「さあ、にっこりしろよ。明日よりは今日がましだ。」

 全然うれしないわそんなもん。


2001年2月26日(月)

 「HERO」というドラマが、関東では大変な視聴率をたたき出しているらしい。というわけでもないのだが、二度ほど見たことがある。今夜が三度目である。
 しかしまあ、なんというか。なんともいいようがないドラマである。
 あんな検事がいるものか、というツッコミは浅はかに過ぎる。それを言うなら、「遠山の金さん」だって、「あぶない刑事」だって同じである。突飛なヒーローを設定の中心に据えて物語を動かしていくのはごく当然の手法である。
 それより、良質のリーガル・サスペンスをほとんど読んだことがないであろうプロデューサーの、
・「名探偵コナン」売れてるよねえ。やっぱ、今は謎解きだよ。でも、「古畑」があったしなあ。それに刑事ものって陳腐だろ。
・そうそう、「カバチタレ」面白いよね。日常のって言うかさ、法律とかの薀蓄とかもあれば受けそうだよね。
・となると検事だよ検事。検事の仕事って知らないけどさ、自分で捜査したりもすんだろ。
・あと、やっぱ人間関係つか、惚れたはれたもいるでしょう。そんなの「アリー」パクっとけばいいや。
 というような安易な考えが透けて見えまくりで、テレビの前にいるこっちが気恥ずかしくなる。

 それに、なんかシナリオもくだらない。今日だって、クライマックスの偽証崩しの決め台詞、
「鎌田作次郎さんは、生後8ヶ月なんですよ」
 には、呆然としてしまった。そんなもの、何より最初に全員知っているはずの事実である。見てない人にはわからない話ですまんが。

 いやいや、このドラマについて書きたいのはそんなことでは全然ない。
 松たか子である。なんで、何に出ても、何の役をやっても、いーっつも同じなんだろう。

 ああ、いやいや、松たか子について書きたいのはそんなことではない。

 なんでかわからんけど、見てるだけで腹立ってくるんじゃー。

 私だけですかね。


2001年3月3日(土)

昔から、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」なんてことを申しますが、ついこの間正月を迎えたと思ったら、あっという間に3月になってしまいました。寒さがゆるむと同時に、今年度ももうおしまいです。

 このところのニュースの話題は、えひめ丸の沈没事故やKSD疑惑に絡めてのバカ首相の退陣問題など、もっぱら政局関係ばかりのようですが、私如きが日記で利いた風なことを書くのはどうかと思ってしまいます。そのへんはだいたい週一で朝日新聞に載る矢作俊彦のコラム(「eメール時評」)を読めば十分でしょう。ひねくれたアイロニーと斜に構えた文体で吐く正論は、なみのコラム(ウェブ上のごたくを含む)とはやはり一線を画しています。

 あと、最近はやはりプロ野球のオープン戦の話題ですか。私は野球のことはよく知らないので、どちらかといえばイチローや新庄の動静の方が気になります。
 その新庄ですが、日本では宇宙人だのなんだの、まるで電波系のような言われようですが、昨年、新庄がアメリカへ行くと言い出したときの落合のコメントが印象に残っています。
「日本一のセンターといえば、イチローだ、いや飯田だとみんな言うけど、やっぱり新庄ですよ。バッティングで成功するかどうかはともかく、守備は素晴らしいものを持っています。むしろ守備固め要員として起用されるんじゃないですか」
 というニュアンスのことを言っていました。
 まったく同感。


2001年3月4日(日)

▼今日も一日仕事でした。日曜だってのによ。公務員だってのによ。でもまあ、あらかたヒマな店番みたいなものだったので、久しぶりにモバギを持ってって雑文を書いていました。半分も書けなかったけど。

▼帰ってテレビを見ていると、プッチモニが新曲を歌ってました。相も変わらずつんくの楽曲はあざとさ丸出しですが(同世代なので70~80代のダンス・ミュージックのパクリようは気恥ずかしいくらい)、そんなことより新生プッチモニにはいまだ違和感をぬぐえません。市井の偉大さを今さらながら感じます。<そないたいそなもんか。

▼で、今のプッチモニですが、歌は保田が一番力強いです。ルックスは吉澤がずば抜けてます。でも、後藤が一番華があります。そんなもんなんでしょうね。ていうか、後藤ってなんかすっごい腹黒そうに見えるんだけど。私の思い過ごしでしょうか。

▼生粋の大阪人とはいえ、私は家でもほとんど駄洒落を言わない。自分に禁じているところもあるんだけれど。
 そのせいか、息子もどうも覚えが遅い。大阪の幼稚園児なら駄洒落の十や二十、とうにマスターしていないといけないのだが。
 今夜も突然話しかけてきて言うには、
「お父さん、ダジャレ言うたろか。“エンジン”」
「なんじゃそら」
「だって、“ン”が2個あるやろ」
 なんかえらい勘違いのしようである。
「そんなもん駄洒落ていうかいな。駄洒落ていうのは、音の似た言葉を意味をずらして……たとえばやなあ、“布団がふっとんだ”とか」
 なんとこれが大受けした。
「ふとんがふっとんだやてー」
 腹を抱えて笑っている。無邪気なことこの上ない。

 私にもこんなときがあったのだろうか。「布団がふっとんだ」で、涙が出るほど笑うことができた日々があったのだろうか。私はすっかり煤けてしまった自分の胸に手を当てて、ふと遠い目になった。<そないたいそなもんか。


2001年3月14日(水)

 今月一杯は、日記も雑文もちょっとお休みします。
 このところアクセスも倍増してて喜んでたんですが、どうもこのところ更新する、じゃないや、更新しなくちゃと思うのがしんどくなっちゃって。

 でもまあ、どうせネットには毎日つなぐので、掲示板やメールでは営業させていただきます。

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