私がはじめてインターネットをした日
はじめてインターネットを使ったのは、今を去ること28年前。1996年カナダに留学しましたが、その年の9月に、コミュニティカレッジに進学し、学校からメールアドレスをもらいました。
先生から届いたメール
このメールアドレスに、コンピュータのクラスの先生から届いたメールを読んだときが、私がはじめてインターネットを使った日です。37歳のときでした。
コンピュータのクラスの初日のことだったと思います。
メールの内容は、「これからコンピュータの授業が始まるからね、よろしくね」といったもので、エイブラハムという名の先生は、Have a nice day! という言葉でメールを閉めていました。
それ以前にもコンピュータをさわったことはありますが、インターネットの使用はこの時がはじめてです。
インターネットを使うまでの私とコンピュータとのかかわりを時系列で紹介します。
ドラマを見てパソコン通信にあこがれた
私がパソコンやインターネットを使い始めたのは、同年代の人より遅かったと思います。
でも、パソコン通信にはあこがれていました。1990年前後に、後藤久美子さんが主演するドラマで、パソコン通信が出てくるものがありました。
加藤治子さんがシスオペで、皆がパソコンをしながら、通信(チャット?)するグループを作っており、詳細はきれいさっぱり忘れましたが、結果的にパソコン通信で、病気の人を助けるドラマです。
クライマックスでは、はらはらどきどきしました。
このドラマを見たとき、私は派遣写真でしたが、派遣先で、仲のよかったほかの派遣社員に、「ねえねえ、あのドラマ見た? パソコン通信っておもしろそうだね。人助けもできちゃうなんてすごい」と言った覚えがあります。
ただ、当時はまだパソコンはかなり高価だったと思います。私の給料の大半は、英会話学校に消えていたので、パソコンを買うお金はありませんでした。
仕事でパソコンをさわる
90年の半ばに会計事務所に務めていたことがあり、伝票を見ながら数字をパソコンに打ち込んでいました。
でも、インターネットにはつながっていないパソコンです。会計事務専用機で、Windows 95ではなかったと思います。
私の仕事のほとんどは入力で、朝、事務所に行くと、大きなパソコンのスイッチを入れて、いろいろな会社の伝票を見ながら、数字と費目を入力していました。
当時、仕事の連絡にポケットベルが使われており、携帯電話が出始めた時期です。
会計事務所の先生の息子が、仕事の合間に、大学院に通っており、「授業中は携帯に電話をかけるな」と話していました。
会計事務所の先生(老人、今の私ぐらいの年齢か?)は、パソコンを使えば何でもできると思っていて、パソコン関連担当の清水さんという若い男性に、いつも無理難題を言っていたのを覚えています。
基本的な操作をスクールで体験
カナダに来る前に名古屋で英会話を習っていましたが、この学校は、1年分の受講料を払うと、英会話、ワープロ、コンピュータの3つの科目から好きなものを好きなときに受講できる仕組みでした。
私は、はじめはワープロを練習していました。ワープロのクラスでは、パソコンは使っておらず、ワープロ専用機(というものがあった)を使用していました。
その後、コンピュータのクラスでグリーティングカードを作りました。
このクラスではインターネットは使っていませんでした。カードを作るのに使ったOSは、Windows 95のはずです。
このとき、Windowsをスタートさせ、終了させることを学びました。
グリーティングカードを作ったあとは、プログラミングの授業がありました。
BASIC(ベーシック)というプログラミング言語を、パソコンの指示に従って学んでいきましたが、このプログラムも、インターネットは使っていませんでした。
ただスイッチを入れて、前回の続きをやっていく感じの初期のE-ラーニングの教材で、これをやったからといって、パソコンの操作はまったく身につきません。
率直に言って、おもしろくもなんともなく、なぜこんな勉強をしているのか、自分でも不思議でした。いつも隣で勉強していた若い女性が、「これからは、サーチャーの時代ですよ」と言っていました。
グリーティングカード作りは若い女性に教えてもらいましたが、ベーシックのクラスは、西川先生という色白の若い男性ともう1人女性がインストラクターでした。
私はこの学校に仕事のあとに行っており、たいてい西川先生のいる時間帯で、彼とベーシックとはまったく関係のない世間話をするのが楽しかったことしか覚えていません。
西川先生は新婚で、新婚の時期独特の幸せな雰囲気をただよわせていました。
夏休みにワープロソフトを練習
コミュニティカレッジに行く直前の夏に、カナダで、パソコンのワープロソフトを習いに、専門のカルチャースクールへ数週間通いました。
このときも、Windows 95を使っていましたが、インターネットは使いませんでした。
当時、皆が使っていたワープロソフト(WordかWordPerfectのどちらか)ができるようになりたかったので、数百ドル出して通ったのです。
学校が始まったら、エッセイなどの宿題はすべてパソコンで作成するに違いないと思ったからです。
私はほかの生徒に比べて英語の読解能力も、ライティング能力も劣るので、せめて文章作成スキルは身につけておきたいと思いました。
それ以前に行っていた、大学付属のESLの宿題は、すべて手書きでした(ほかの生徒も全員手書き)。
ワープロソフトの練習をしているとき、右クリック、コピー&ペーストなど、基本中の基本のパソコン操作を身に着けました。
自分のパソコンを買う
この夏休みの終わりに、自分専用のパソコンを買いました。私がはじめて買ったパソコンで、金額は忘れましたが、高価な買い物でした。
パソコン選びと買い物は、グレッグの弟のケヴィンがつきあってくれました。
グレッグは、カナダで最初に入居した家の家主です。
彼については以下の記事に書いています。
ケヴィンはコンピュータ関係の仕事をしているそうで、州立大学が導入するコンピュータ選びにも携わっていたとか。
彼に学生向きの手頃なパソコンとプリンタを選んでもらい、いざ購入しようとしたら、クレジットカードの1回の使用限度額を軽く越えていて(私の限度額が低すぎた)、支払いでもめました。
「この子は、日本から来たばかりだから、クレジットが使えないのはあたりまえ、だから、値下げしてあげて」とは、ケヴィンは言いませんでしたが、支払い方法で便宜を図るよう、店の人に言ってくれました。
結局、私はどうやって支払ったのか? 小切手を使ったのかもしれません。
このパソコンはそれから8年ぐらい使っていて、ネットで知り合った人に、「オンボロすぎるから頼むから買い替えて」と言われたとき、ようやく買い替えました。
授業でパソコン全般について学ぶ
一番最初に書いた、コミュニティ・カレッジの授業で、パソコン全般について、理論と実技を学びました。
このクラスは、はじめてパソコンを学ぶ学生のためのもので、内容はごく基本的なことばかりです。
私はそれ以前に、パソコンをさわったことがあったので、操作が難しいと思ったことはありませんでした。
先生に頼まれて、パソコン操作が異様にできないアンドリューという中国系カナダ人の学生に使い方を教えてあげました。
彼は、私より20歳ぐらい年下の男の子なのに、不思議なほどパソコン操作が苦手でした。悪い人じゃないんですが。
アンドリューは私のことを自分と同世代だと思っていました。
人生の鍵を握るインターネット
1996年の9月にはじめてインターネットを使ってから、インターネットを使わない日は1日たりともありません。
デジタルデトックスを心がけていますが、メールやテキストのチェックはするので、文字通り、毎日、インターネットの恩恵を受けています。
インターネットがあるからこそ、私の仕事が成立するので、インターネットはもはや、「娘の次に大事な家族」と言うのも変ですが、私の人生になくてはならないものとなりました。
大事な家族とのかかわりは私が死ぬまで続くでしょう。