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自閉症fuco:ファミリーのコミュニティ変遷


「障害がある娘と生きていく」その中家族だけではどうにもならないことも、一般的でない特性について、周りに知ってほしいと思うことも沢山あります。

私たち家族は転勤族で九州内を転々としながら、意識的にその場でコミュニティをつくってきました。fuco:が23歳になった今、私たち家族皆心身ともに健やかで笑っていられるのは、100%その時々出会ってくださった方々のおかげです!



幼児期、地域そして療育機関に並行した足場を持つ


fuco:生後10ヶ月の時、父親の転職に伴い宮崎市に引っ越しました。ここで史上最大のラッキー到来、アパートの隣の姉妹がとても愛されていた自閉症で、障害があるからといって不幸でないと知ったのは、もはや聞き慣れた話になっています(笑)。

私たちは近所の児童館で親しくなった、6.7の家族ぐるみの友達がいて、毎日毎日誰かの家に集まり、遊びに行き、バカみたいに楽しく過ごしていました。

2ヶ月の次女連れて真夏に河原でバーベキューしたり(ええ、勿論ずっと日陰でしたが顔真っ赤になりましたね…)、果敢にも小さな子供達連れて(うち3名自閉症w)宮崎から壱岐の友人実家まで泊まりに行ったり、持ち寄りご飯会もよくしていました。

我が家だけなら河原でバーベキューとか
一生しなかった経験(笑)
手慣れたお父さんたちにお任せの日!
壱岐、今思えば宮崎から結構遠くない(笑)?無謀すぎん?私たち



私はそのうち児童サークルの会長にもなり、公園で子育てビギナーっぽい親子を見つけるたび勧誘。50名を超える大規模サークルになり、左でfuco:を抱っこして、右手で拡声器を持って児童館に毎週集まっていましたね。

友達の子供も自分の子供も変わりなく、抱っこしてオムツを変えて、ご飯を食べて、毎日笑ったり泣いたり、喜んだり悔しがったり。自閉症の子供の幼児期なんて大変でしかないはずなのに、楽しい思い出ばかりで、その頃の話をし出したら今でも止まりません。

さぁ、ここは誰の家で、
誰がここの家の子でしょうか?
みたいな毎日(笑)


そんな地域コミュニティにしっかり属しながら私たちの日常はあり、fuco:は4歳の時自閉症の診断を受けます。そしてこだわりや睡眠障害の特性も強かったので、ありとあらゆる訓練に通うようになります。

そこで同じような境遇のお母さんたちと、様々な情報共有もしたのだと思います。ただ、そんなお母さんたちだから特別な安心感があるわけでなく、単にもう一種の居場所。不幸自慢みたいになるくらいならそんな場は今でも苦手です。


下二人は宮崎で生まれたのですが、
24時間経たないうちに
産院で皆んなに抱っこされています。
いつも家族より家族!


fuco:が地域の小学校に通うことになって、頼りになったのはいつも一緒に遊んでいた近所の子供達、児童館でお世話になっていた民生委員の方々でした。

子供達は学校で「ふうちゃんふうちゃん」と声をかけて気にしてくれたし、民生委員の方々は登下校の道中で見守ってくださいました。地域で生きていくということは、こういうことなんだと思いましたね。

ところが小3の夏、突然全く未知の土地佐賀県に引っ越すことになるのです!子供同士、母親同士、児童館や学校を中心とした地域、療育を通じたコミュニティ、はい、一度完全リセットです…



新天地でまずしたこと

fuco:は前回と同じく、地域の小学校支援学級に通うことになりました。学校はとても遠くて、子供の足で30分以上かかったと思います。しかもさらに遠い幼稚園に通う妹と弟もいて、彼女のことだけをみることもできません。

私はまず同じ学年の子どもたち、職員室、登下校を見守ってくださる地域の方々向けに、彼女の取説的なプリントを作り配布しました。

コミュニケーションの取り方、好きな遊び、嫌なこと、こういう行動をする時の理由などを細かく書いたと思います。小さい時からずっと知っていたわけでない、言葉でコミュニケーションのとれない娘ですから、この取説はマストでした。

同時に学校で妹や弟も抱いて、読み聞かせのボランティアも始めます(これはその後10年以上続く)。担任の先生以外の先生と繋がることができ、子供達と仲良くなれました。

私自身本が大好きなので
読み聞かせ楽しかったなぁ。


そして、妹弟たちを楽しませることができるように、彼女たちのコミュニティもつくります。小さくアットホームな幼稚園でのママ友たちです。夏休みには皆んなでおやつ作って食べたり、庭にプールを出したり、遠出したり、時には子どもたちを預かりあったりの助け合い。

当時療育先も片道1時間かかるところだったので、お迎えに間に合わない、行事に母が参加できないなんてこともどうしても出てくるのです。そんな時、妹たちが自分たちだけでも楽しめる場や人があるのは心強いです。転勤族はいざという時に頼れる家族や親戚が近くにいないので。

親子共にお世話になった懐かしの幼稚園
沢山の園行事、親子で満喫しました


実はこちらママ友だけでなく、学校や幼稚園の先生たちも個人的にめちゃ巻き込んでいます(笑)。飲み会後に家に泊めてもらったり、弟入院中にfuco:預かってもらったり、気づいたら2ヶ月前から車の免許切れてたなんてピンチ時、試験場まで連れてってもらったり(笑)、とにかく家族同様の人を遠慮なくやたらと増やしました。

とはいえ学校に通う中で、滑り台の上で小さな子を突き飛ばして転落させたり、教室でどついて怪我させたとかトラブルはつきません。彼女には彼女なりの理由があるのですが、勿論すぐお詫びに伺わなくてはいけません。

その時に「ふうちゃん」「ふうちゃんのお母さん」を普段から知ってくれている人がどれだけいるかは大きいです。「こうして欲しい」「理解して欲しい」だけでなく、普段から自分のできることをしていたり、信頼関係ができている人たちがいることは大事だったと思います。

子供が3人いると幼稚園、小学校、中学校それぞれで役員をしていることも多く(しかもなぜか会長とか部長、委員長が否応なく重なる…)、毎年えらいことになっていました。

手がかかることもあるけれど、
fuco:はいつも一緒に


息子の卒園式にfuco:を連れて行って、父母会会長として謝恩会の準備などで走り回る私が、fuco:にも翻弄されてるの見て、初めて知った園長先生が「瀬戸口さん大変だったんだね…」としみじみ同情。苦労が滲み出ない自分はつくづく残念だと思いました(笑)。そして、5年経った時また引っ越しです!!はい、きた!またリセット!頑張ったのに…(涙)



妹弟たちから再び地域につながる


この引越し時、fuco:は支援学校中等部2年、次女小4、息子小1でした。幼稚園までのママ友や先生たちとの密な関係は終わり、親同士の付き合いも少なくなる年齢です。そこでまず、妹や弟たちが学校や地域に慣れることを大事に、友達たちがよく遊びくる心地よい我が家を狙います(笑)。

男子が大集合して家のリビングでシャボン玉したり、帰宅したら玄関のドア全開でヤツらが遊びに出掛けてたり、間違えて私のこと「お母さん」て呼ぶ子がいたり、思春期次女の友達が学校いきたくないってうちにきたら、その子と2人ラーメン食べに行ったり、いろんなことがありました。卒業式我が子では泣けないけど、可愛がってきたよその子では泣ける泣ける…

毎日毎日飽きもせずに集まってた男子たち!
かわええの極みです
皆んなで花火もよくしました!


学校の運動会ともなれば、家族だけでなく
皆んなでのお弁当がまた楽し!


友達が来てても、fuco:はいつもの場所でいつものように過ごしていました。高校生でもアンパンマン見てるし、学校の行事にも普通に連れていくし、うちに来る子たちは自然に「ふうちゃん」を知っていきました。

余談になるのですが、ピンチ時サポーターが必要なこと、どうやら私は骨身にしみていたらしく、息子が2歳で県外の病院にて扁桃腺除去の手術入院した時は、同部屋4人全員同日に同じ手術、そりゃ意気投合して助け合いましたね。

交代でご飯調達したり、挙句のはてに他の部屋のお母さんがトイレ行く時にその子供見てたり(笑)。途中付き添いを夫と変わった時にはママ友(その時初めて会った人だけど)から、「パパ頑張ってるよ」と中継が届きました(笑)。



アートから社会と繋がる、fuco:が入り口のコミュニティ

妹や弟も中学生高校生になると、自然と友達がうちに集まることも少なくなります。fuco:も福祉事業所に通うようになると、ホントに限られた生活圏になりました。そんな時に新しいコミュニティは思いがけなくアートから始まります。

アートを使いたいと言ってくださる方々、販売してくださるお店の方々、マスコミ関係、プロダクトから彼女を知ってくださった方々。デザイナーさんやカメラマン、ディレクター、メーカーさん。あ、自治体職員の皆様。

マブダチメンバーズ、いつだってどこへでも!
靴下メーカーのイイダ靴下さん。
ホントによくしていただきました!
お仕事繋がりの幸せご縁が沢山!



そして今彼女に繋がる最大のコミュニティが何かと考えてみたのですが、数で見れば実は「ファン」の方々でないでしょうか。

それは今までと違い日本全国にいる人たち、リアルで知っているかどうかも関係しません。「ちょっと誰か手伝って〜」と私たちが言うとどこからともなく、誰かがやってきてくださって、そのままの彼女を知りたいと言われる、そんな夢システム、それが「ファン」です(笑)。


どこかに出かけると
高確率で遭遇するアート靴下!


小さな頃から何かにつけ、よからぬことをやらかして謝ったり、説明することが多かった家族ですが、最近ではコンビニやプールなどで「絵を描いている方ですよね、頑張ってください」とか「靴下持っています」と声をかけられることも多いです。

この日岩手で初めて会ったと思えないくらい
ワンピースと靴下が繋がる奇跡



転勤のたびにfuco:を地域に知らしめてくれた妹や弟たちは、現在では彼女から新しい体験をさせてもらっています。彼女の方がずっと広く社会と繋がっていますから。



かつてのコミュニティとの繋がり 

いつも新しい土地に旅立つ時は(見送る側になることだってあるけれど)、それはそれは不安だし寂しかったです。でも今思えば、それは関係が終わるわけではなく、離れていてもこの人たちが困った時嬉しい時は飛んでいこうと思える、そんな繋がりを確認するようなチャンスだったような気がします。

毎日家族のように一緒にいた友達たちは勿論、産院で同じ日に出産した人、学校や幼稚園、療育先、病院の先生方、一緒に療育をうけた友達たちやその子供たちとは、今もずっと親しくお付き合いがあります。

実は住んでた頃に生まれていなかった
子もいるのだけど、
そう思えないくらいずっと近しい


あの頃、自分たちより歳が上のお隣のおばあちゃん、児童館の先生、病院や幼稚園の先生たちが「よく頑張ってるよ」と声をかけてくれて、たっぷり甘えさせてくれました。

だからきっと全然性格も違う私たちは、安心して自分たちなりの価値観で、子育てをできたんだと思います。誰だってそれぞれ、必死に生きているんですから!違うことは私たちにとって、昔も今も全てリスペクトです。


噂の(笑)自閉症姉妹の母、
お隣に住んでくれていたナオコさん!


障害があることは特別でないとも思うけど、住む場所を転々とした私たちにとって、サポーターの存在はいつも必要不可欠。

障害や年齢、立場といったカテゴリーに限定しすぎないナチュラルなコミュニティが常にあったこと。喜びは倍に、困難は半分にしてくれた人たちの存在が、これからもずっと癒しで励みで未来の糧です。


今回も長文にお付き合いありがとうございました!珍しく次回のテーマは決めています。需要があるかわかりませんが、「fuco:の母yasuco:は何者か(笑)?」。それでは次回は3/1更新。お楽しみに!

yasuco:

#自閉症 #アート #知的障害 #アール・ブリュット


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