暮らしの「パーツ」として始まったアート
fuco:が高校に行けなくなった8年前、母親の私が「マル描いて」と言ってアートを始めたのは、かなり言い古されてきたエピソードになってきました(笑)。
でもそんな風に、あの時の一言で彼女は偶然描くことにハマります。元々絵を描くのが好きでもなく、学校の美術の時間も全く興味なかった彼女が。
「マルを描くこと」にハマったわけ
暇な時間、何をしたらいいかわからなくて苦痛な時、苦し紛れに紙とペンを渡してみました。
まず気づいたのは、今まで彼女が絵を描かなかったのは、どう描いていいかわからなかったからでないかということ。例えば同じ人の顔でも、日によって顔色も表情も洋服も全て違うし、どの向きから見るかで異なる。とてもハードルが高かったのだと思います。
彼女はすごく何でも詳細によくわかる人だから、「わかりやすさ」はいつも何かする時キーワードです。
それと同時に「スピード」というのも、このシンプルなモチーフを描く事にぴたりとハマった理由。シンプルであれば、描こうと頭で考えて、手が動くまでのギャップが少ないと思うのです。
とにかく、彼女は何でも早い(頭の中も常にフル回転)人。起きた瞬間から走っているし、飲み物は必ず一気飲み、スーパーなどで人にぶつかりそうになることも多く、いつも「ゆっくり!」と声をかけられがちです。自分のスピードを抑えて暮らさないといけないことが多々ありました。
もう一つ整然と並んだものが好きな彼女は、目につくものを勝手に並べ直すのも困った行動でしたが、描くことなら自由!
だから「アート」は彼女の好きなように、存分に作業できる数少ない場となったのです。それはもう嬉々として描きましたね。描きたいものを描きたいスピードで、これ以上なく整然と!
ただ元々自分で選ぶということが難しい特性があるので(買い物とかでジュース一つ買うのもなかなか)、最初は色もいくつかこちらが選んだものを渡しました。色のバリエーションがハッキリと違う時があるのはそのためです(今は自分で選べます)。
そのうち描くだけでなく、切るや貼るもしていきます。ハサミづかいはとても上手だったので、家族総動員(実家の父は仕事場で孫のために!)で紙を集め、マルを描きました。
アートでコミュニケーションすることを知る
そんな風にアートが暮らしの中に入っていった頃、転機が訪れます。それはまたしてもピンチの時!支援学校高等部を卒業して入った事業所で、支援がうまくいかず通えなくなったのです(その後改善していただき無事復活)。
描くことができたので、以前よりは時間は潰れましたが、気になったのはほとんど家族とだけの生活になり、部屋で1人の時間も増えたこと。
その時初めて「誰かと描く」ことを試してみます。それは自宅で家族との時もあったし、大学生が遊びにきてくれた事(ご飯一緒に食べたり!)も、イベントで誰かという事もありました。
試してみると、誰かと描くことは言葉が少ない彼女にとって、「コミュニケーション」そのものになったのが発見です。
相手が一つ描いたら自分も一つ、時に相手が描いているスペースに寄り添うように描いていく。一緒に描いている人にも、彼女のそんな気持ちの寄り添い方はしっかり伝わります。
彼女はとても人が好きで、誰かと一緒にいることも何かをする事も、本当は好きなのですが、それまで何をどうしたらいいかわからなかったんですね。それは向こうも同じです。それが「描く」という自分ができることで、対等に一緒に何かをする、そういう時間と関係性をもてました。
そして誰かと描くことができると、出かける場所やできることがぐんと広がりました。本人はすることがある方がいいので、「描く」「一緒に」ができると嬉々としますよね。
しかも、何を描こうかと迷わずとも「描く=マル」は安心なのです。それはもしかしたら相手にとっても。絵が苦手と言われる方も、マルを描くワークショップは参加しやすいようですから。
新しいモチーフや紙との出会い
障害がある人たちを対象としたアート教室はあちこちにあるようですが、fuco:はどこかで絵の描き方を指導されたということがないです。でも、自分からは新しいこと好きなことを選択できない(今は)。だから、その後のアート制作についての展開は、全てど素人母の思いつきです…
2、3年くらいマルだけだったかなぁ。嬉々として描く彼女に、ある時「サンカク描いて」「シカク描いて」と言ってみたら、「はいはい、あれね」という気軽さで、また新しいモチーフが生まれました(笑)。
わかりにくい、早く描けないもの(顔とか花とか)はそのうち却下されるので、結局残るのはいつもの面々となります。「初めての」という時には彼女の新鮮な感性がみえて、とても好きです。そう見えるんだ!って感じで。
また紙のサイズや画材を変えてみても、作品は変化します。あまりに描くのが早くて、紙がすぐなくなるので、できるだけ大きい紙をと探したのが10メートルロール紙でした。恐ろしいことにですね、最初はこれ2ヶ月かかってたのが、この前は4日間8時間でした…
刺繍で描く、塗る、縫う
こうやって沢山の「描く」を試しながら、ある日大量の刺繍糸をいただいたことをきっかけに「縫う」にもチャレンジします。
刺し子はしていたのですが、元々していたことを変えるのは、新しいことをするより難しいです。刺し子は布にガイドとなる線があってそこを縫っていくのですが、この時私はもっと自由にガイドなしで縫ったらどうなるだろうと思っていましたから。
それならと、まずネットで探して今使っている木枠と一番形も大きさも違いそうなものを探し購入。彼女ちょっと考えて縫ったのみて、面白かったですね!
まるでペンで塗りつぶすように縫っていましたから。あー、縫うのも描くのもきっと本人からすると全然変わらないんだなと思いました。
この縫うバージョンも枠の形や大きさで、本人なりの「ああ、そういうことね、オッケーオッケー」とバリエーションが生まれます。私はいつも渡すだけ。あとは終わるまでみています。
画材が変われば作品も変わる
彼女はとても好奇心が強く、賢い人です。ピアノの楽譜も新曲を私が準備しているといつも側でワクワクしています。変化が苦手なようで、新しいことを待っています。
狙いがあって、新しいことを試す事もありますが、気に入って使っていた水彩ペンがある日突然廃盤になってしまったなんて事もありました。じゃ、違う太さのペンを使ってみるかとなるとまた新しい発見も。
いつくらいからか絵を購入したいと言っていただくことが増えたのですが、その頃いつも使っていたのが染料の水彩ペン。これは日に当たると褪色してしまうのが課題でした。その解決から始まったのが実は鉛筆画です。
描いている時には、目の前の「描く」という作業に集中しているので、描きあがったものや全体は見てません。そのせいで鉛筆画は腕に擦れていくのが特徴になります。
その後ボールペンでも描いてみましたが、ボールペンだと鉛筆ほど擦れないので、面白いほど同じモチーフが整然と綺麗に並んでいます。「え?これ全部フリーハンドですか?」と言われるほどです。
色を並べていると思ったのが、実は単色でも良かったり、並べていくことにこだわっているようで、隙間ができて動いているようだったり、出来上がった作品から、彼女の見え方が見えるようで、捉え所は全くありません。
今は彼女の好きなものをもっともっと見つけたいと、日々試しています。道具を渡した後は、「こうした方が綺麗だから」などと口を出すことは一切なく、できる限り自由に描けるように、提案の仕方を試行錯誤しています。
彼女にとってのアートとは
いつも思うのは、彼女は特別に描くことだけが好きというより、パズルやピアノときっと同じなんだろうということ。「こうやったら面白いかな」「こうしたら新しいか」と一切考えず出来上がっていくものは、いつもその時の彼女そのものです。
偶然に描き始めて、それらをプロダクトにしていただき、「描く」ことが注目されましたが、その前から彼女はエネルギッシュで、スピーディで、整然としたものが好きな個性的な人でした。だから今、どんな時も彼女そのものみたいな作品を、多くの人に見ていただき、好きでいてもらえるのは特別感慨深いです。
普段こだわりが強いと思われていた自閉症のfuco:は、描くことについて誰よりも柔軟に、新しい画材も紙も場所も人もどんどん受け入れていきました。
母からの一言から始まったアートは、新しい一言や機会をまだまだ待っているのだと思います。それはまだ23歳の彼女自身の可能性とも全くのイコールで。
私たちのブランディングメッセージ「胸の内から溢れひしめく小さなマルで 世界が広がる 世界と繋がる」は8年間を経て今ここにあります。
毎月1.15日はnoteの日。次回は2/15更新予定です。まだテーマは全くの未定です(笑)。長文ファンの皆さま、またお会いしましょう!
yasuco:
#自閉症 #知的障害 #アート
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