自閉症fuco:と私たちを形づくる「select」とその課題
冒頭ズバッと情報解禁すると(笑)、来月私たちは東海地方を回って、イベントと作品展を行います。テーマは何にしようか一緒に企画するメンバーで考えたところ、「あらゆる選択の積み重ねで私たちの人生はできている」という一言で、「select」となりました。
私はというと、fuco:の癖つよ選択に毎日翻弄され、正直「受け入れ困難」の連続ではありますが(笑)、今回は私たちらしい選択について書いてみようと思います!
果たしてfuco:は「選択」が苦手な人なのか⁈
幼児期自分から遊ぶのが難しかったり、「自由に」がとにかく苦手な子供でした。それよりはルーティンが安心できて、この時間は何で遊ぶ、この人が来たらこうする、何曜日の夕方は何をする。そんなことは今でも沢山あります。
外食時も何がいいか選ぶことが難しいので、二つくらいに絞ってどっちかを聞きます。ジュースであればいつもオレンジジュース。
そういう意味で長らく「選択」が苦手な人だと思っていました。でも最近のアートから、周りの人たちが彼女の選択を理解したり、かなえる余裕がないだけなのではと思い始めたのです。なんせ意志がしっかりしていて迷いがない!!!
fuco:の選択基準・その1ビジュアル
心地よさよりも断然にビジュアルを重視する方です。我が家のものが機能性度外視できちんと並び変えられるのは、最大のトラブル要因(笑)。どんな些細なものもどこにあるか、驚異的な記憶力で覚えているので、輪ゴム一つ見逃しません。場所がわからないものはゴミとして捨てられます(笑)。
先日はfuco:父が暑いから、ボタンシャツを開けたまま羽織っていたら、「ボタンボタンボタン!!!」と猛烈抗議をうけていました。本人は真夏も靴下を必ず履きます。ボタンを開けたままもNO靴下も彼女にとっては着替えがコンプリートしてませんからね。そう、基準が違います。
最近のジュースが選べない事案についての考察
ヘルパーさんと時々、アトリエで絵を描いたりする合間にジュースを買いに行きます。ところが時々何も買わないで帰ることがあったんですね。行く前聞いたら「行く!」というのに…
ずっと理由がわからなかったのですが、最近聞いた「こうじゃないか⁈」がなるほどの面白さで!!!
スーパーにきちんと並んでいるジュースを、自分が一本とって欠けさせるのが嫌なのではという推測です。なるほど!あり得ると思いましたね。彼女はジュース以外のものの配置も全部見て、条件が揃ってないと買わないのでしょう。fuco:が見ている世界は、いつも私たちよりはるかに解像度が高いのです。
fuco:の選択基準・その2タイミング
タイミングも彼女が行動する時の大きな選択基準です。テレビのこのタイミングでお茶を飲む、夕飯を食べたらどんなに明るくても電気をつける、起きたら(いつも4時半ですが…)どんなに暗くても、リビングのカーテンは全て開ける、洗濯物を干す前は必ずトイレに行く…
必ず決まったタイミングでするのにはメリットもあります。私たちは「あとで」とか思って、すぐ忘れるじゃないですか(笑)。彼女は絶対忘れないです。
ただいつも思うのです。この両者かけ離れたタイミングに正解はあるのか!と…
最近の実験的アートでの選択
この頃また、新しいアート制作を試しています。彼女が好きなアクリル絵の具の自宅使用、遂に勇気を出して解禁しました(笑)。アクリルって高い画材なのにめっちゃダイナミックに使うんですよね。母はそれがとても嫌(笑)。
で、最初これなら(筆より)小さく塗るに違いないと、綿棒で塗ってもらったんですよ。小さな紙コップに少しずつ入れ、紙コップを沢山置いて一つずつに綿棒セット。
その次には割り箸。渡されたら最初綿棒探してたけど、ちょっと探して見当たらなかったので諦めていました。これはかつてないほど時間をかけて細かく塗れていてブラボー!
次はペインティングナイフ。これは形にときめいたらしく全く抵抗なし。描いていくものは混ざらないように描いていたのに、初使用の紙パレットも作品のようになっていき、色を混ぜたら作品本体の方も大混色となりました(笑)。
パンパステルも使ってみました。これはスポンジの感触がいつもと違って、その感触をしばらく嬉しそうに味わっていました。
アートの場での選択には迷いなし!
彼女はいわゆるアート教室に通ったことがなく、いろんな道具の使い方は知りません。私はこんなの好きそうかなという画材や道具を、いつも渡すだけ。どう描くかは自分なりの解釈で全く迷いなく始めます。与えられたものを、それはそれは上手に柔軟に選択していきます。
そう考えたら彼女は選択できないのでなく、周りに選択を受け止める環境ができていないのではと思ったのですね!しかしながらですよ、その環境づくりの難しいこと(笑)!!!
彼女なりの選択をどうしたら受け入れていけるか?
例えば濡れた洗濯物を時間になったからと取り入れ、たたまれ、タンスに片付けられる。濡れてさえいなかったら「ふうちゃん、ありがとう!!」と絶賛されるいつものお手伝い。それがタンスから発見された時のショックさ…
こんな時一番大事なのは周りにいる人の余裕!「ぎゃー」ってなりつつ、向こうの立場になって考える冷静さをなるはやで取り戻すこと。
次に彼女の選択をそのまま受け入れられるかどうかを決めること。例えば未だ続く朝4時半起き。最初は「まだ夜だから寝なさい」って部屋に連れ戻していたんですよ。眠すぎて腹もたちます…しかし、その後彼女の睡眠は私とは違うと受け入れ、そのままでよしとしました。ザ平和的解決!
障害が重いと、経験できることが少なくなってしまうけど、彼女にとってはどんな経験もとても大事と思っています。失敗したとしても、彼女に洗濯物たたみをやめさせるのは惜しい。生乾きはこっちに難ありなので(天気によって干す場所を考えるとか)作戦練り直しですね。
そうやって、改善を重ねながら、お互いが受け入れられる妥協点を探れたらベストです。毎回とんでもないことばかりですが、彼女の選択も余裕と経験の積み重ねで、受け入れるべきことはおおいにまだあると思います(きっと笑)。
fuco:母の選択が自分らしいものであるために必要なこと
また、私にとって「選択」という言葉は人生のキーワードに近いです。なにせ、重度自閉症の娘に紙とペンを与え、描いたもの世に出し、個人で活動をしていく。これって全然メジャーじゃない。一つずつ自分たちはどうしたいのか、自問自答して選択してきたのですよ。
選択を重ねていく上で何が必要だったか考えると、まずはチャンス。アート制作をしていく、展示してもらう。機会と人との出会いから全ては始まりました。
チャンスを発見した側の課題としては、実行していく勇気です。人と違うユニークな選択をすることはとても勇気がいるんだと、この数年痛感しています。でも、これなくしてはチャンスは活かせません。
そして、今勇気をもち実行する上で大事にしているのは、常に等身大で誠実であること。ありきたりの使い古された価値観でみてないか、そうでなくてはいけないと思ってないか。オリジナリティは外に向けては=存在価値で、うちに向かっては自分たちを守るものです。
「勇気」は今どこから来て、どこに向かうのか
勇気は随分、彼女のことを好きになってくださった方々からいただきました。私たちはヘラルボニーのアートドレスや、自分たちで作ったアート靴下があります。それらを購入してくださることも、数ある商品の中からまさに「選択」してくださったということ。皆さんの選択肢の中に入れてくださることはいつも大きなチカラです。
段々「勇気」は他者に対してでなく、自分に対してになってきて、さほど怖いものではなくなってきました。「選択」は自己責任と道徳感、好奇心、人生観で行っていく、完全オリジナルなもの。怖くて勇気がいると思ったのは誰かと比べていたからなのでしょう。
fuco:と私たちの「選択」に必要なファクター
彼女の選択にはいつも迷いがなく、それは自分の基準がしっかりあるからだと思います。一方私は迷うし、自分だけの基準で決められるほどいつも強くもないです。
お互いの選択に課題があるとすれば、彼女には「彼女の選択を受け入れてくれる人や環境、経験が必要」で、私には「チャンスをいかし、自分らしい選択をする勇気を持つこと」。そんな違いがあるように思います。
障害がある家族がいると、親子で選択肢がとても少なく感じていました。選択肢が多くある中、自分が選びたいものを自由に選択でき、お互いに尊重しあえたら、それが多様化社会の実現になるのでは。
自分らしい選択はユニークで、更に堂々としていたら魅力的、人と違うことは新鮮で刺激的。
私たちの9月ツアーはそんな「選択」をしてきた人たちとのトークイベントや作品展を予定しています!また徐々にお知らせしていくのでお待ちくださいませ!
それではいつものfuco:の揺るがない選択の数々を、「さてこれをどうやって受け入れよう」とアタフタする家族を想像しながらご覧くださいませ(笑)。今回も長文ファンの皆様、お付き合いいただきありがとうございました。次回は9/1更新予定です!
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