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沖縄本島を訪れた時のこと−私のパラレルワールド

ご質問の回答など色々と書きたいことはあるのだが、早く記録しておきたいと気持ちが逸り、綴っておきたいと思う。特にオチはない、ただの記録。

先月、那覇〜南城市(含久高島)〜恩納村〜国頭郡〜浦添市とあちこちドライブで巡る旅をしてきた。

思い立って旅立つ時、計画を綿密に前もって立てて旅に出る時、思わぬ流れで遠くを訪れること、などどんな時でも、今いる場所から離れたところにたどり着く時、何かしらの魂的・潜在意識的・宇宙的はからいが働くのをいつも感じる。訪れる前からワクワクすることも、土地に降りたってからそういうことだったのかと分かることも、帰ってきてから、えーそうだったのか、ということも、様々。

天気も関係しているように思う。晴れるだけがいい、ではなく・・・。私は過去世が絡んだ旅がとても多いので、曇天・雨天もとても意味が強いのを感じる。その過去世・パラレルワールドで私がやっていたことと、雨が降ることというのが関係していたり、雨や雪が土地からの歓迎の意であったり、天気の悪さに憂う必要はないなといつも思う。

さて、沖縄。本島は生まれて初めて(のはず)だった。
けれど、那覇空港に到着しレンタカーを借り、市内を走り始めた途端に「あれ、ここ、知ってる。夢で見た」。隣で運転してくれていた人はきっと「うわ、出たー。まただよ」と思ったに違いない。(それでいいのです)

写真には収めていないのだけど、坂の途中の普通の低層の住宅ビル?3〜4階建の戸建てのような、でも見た目がビルっぽい建物(都内の人間から見た感覚)。この坂を駆け上がった記憶。追われてそのビルの階段を駆け上がった記憶。恐らくぴったり同じその建物ではないとは思うけれど、市内を車で走ると、似たような建物がたくさん連なっていて、見れば見るほど既視感は強く、「やっぱりいたんだろうな」という気持ちにしかならなかった。

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(斎場御嶽)

ずっと悲しみの中にいた。
悲しみの中というよりも、悲しみの遠浅の海に足だけ浸かって歩き続けているような感覚だった。ハートはワクワクして、嬉しくて、楽しい。はずなのに、心の奥の奥のどこか、今の自分ではない何かが反応して、悲しみに暮れ続けているような感覚。美味しいものを食べて美味しい!と喚くし、きれいなものを見て嬉しくて「わーきれいー」と漏らす。なのに、奥底には悲しみが流れ続けていた。

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(久高島、イシキ浜)

パワースポットとされる久高島に行きたくて、着いた初日にそのまま港へ向かう。時間があって斎場御嶽に行けた。これは想定以上。でも、曇り。
この曇りであることにもすごく意味があるな、とその時感じていた。
琉球王国を作った神の降りた場所を見渡す祭壇。祈りの場。
世界遺産になる時に、どのくらいの痛みがあったのだろう。
触れる距離にあるけれど、触れないほどのエネルギーの高さ。
でもそれはエネルギーを感じるから「触ってはいけない」と思う。
感じない人は簡単にその柵をこえて触るのだろう。
遺産になることで守られることと、踏み荒らされることとの葛藤。
どの立場?何様だろうかと思いながら、そのエネルギーを感じる。
泣きたくなったけど泣かなかった。
切なさや懐かしさではなく、ただ、悲しさばかりだった。
それは少し不思議だった。旅の間も続いていたから。

「あいつ(あの子)が死んだ」「弔いにきた」

そんな気持ちも奥底に感じた。当たり前だけど確証はない。でも、過去世じゃない気がしていた。大枠でいうと確かに過去世にはなるけれど、パラレルワールドの一つの人生だと感じた。夢で見た時は、その人生に私の意識が瞬間的に入り込んだリアルタイムだったのだと思う。分かれた魂たちの一部の生が、同じ時期に那覇にいたのだと思う。その世界観の夢は何度も見たけれど、同じ場面ではなくて、入り込んだ人物が成長して、同じ区域の違う場所を歩く雰囲気だったから。珍しく、職業と性別がわからない。だからもう一人の自分なのだと思った。(まだ分からせてもらえないだけだと思うけれど、大体の過去世だと性別や何をしていたかなどが分かるから)

私の中にはおじさんが住んでいるので、グルメ(というかお酒)や観光も楽しんだ。海ぶどうとラフテーは何回食べたか分からない。南国育ちだから、辛いものも南国の食べ物も大好きで、天国のようだった。

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(最終日のホテルの部屋から、虹が見えた。
ばいばい、ありがとう、の合図)

滞在中、最終日以外すべて曇りと雨。しかも東京より寒い気温。
クライマックスの演出のように、出発の朝からピーカンで、さらに虹。

車を走らせて空港に向かう途中、寄る予定ではなかった首里城に立ち寄ることになる。晴れて強風、素早く流れる雲と美しい光。立ち寄ると決めて車を停めるまでの間、泣きたくて仕方がなくて、堪えていた。しかし、何故だか分からなかった。

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この場所でもまた「夢で見た!ここ、歩いた!この道知ってる!」(炸裂)
この木の左側に曲がって、またすぐ右側に歩いて・・・すごく眩しい光の中だった、という夢の場面を思い出した。順番である必要はなく、人はまばらに列をなして、向かう先があって。それは"祈り・儀式"のためだった。それだけは思い出せる。

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首里城が焼けていた跡を見てまた、涙が出そうになる。心の中では、「どうして?どうしてこうなったの?誰がこんなことをしたの?もうやめて。見たくない」と泣きたくてもういっぱいいっぱいの自分と「いやいや、なんでなんでなんで?なんで?なんでなんで?初めて初めて!沖縄の人でもないよ!なんで??」と不思議がる自分とで、混乱していた。

首里城を後に、帰宅。

東京に着いてから、この記録を残したいなと思うのに、奥底の悲しみが続いてなかなかストンと書けなかった。思うより長く続いたのは、感情解放を最後までしなかったからだったと思う。それによって仕事に影響が出ることはなかったけれど、その悲しみが引き金になって自分の奥底・過去世・パラレルワールドの癒しと浄化がとても進んだ。考えてみれば私は怒りや自己憐憫・自己否定のエネルギー解放は結構得意なのだけど(何度も何度もやってきたから)「ただ悲しい」は盲点だったのかもしれない。それほど恵まれてきた今世だったのだなと、どんなに辛い経験を思い出しても、それでも、幸せな今までだったなぁと感じる。恐らく、悲しみのエネルギーをその那覇での人生が請け負っていてくれたのだと今だから思える。

自分と自分の統合。
未知だった自分の違う姿を教えてくれた。

未知なる領域は、いくらでもズルズル出てくる。生きている間中きっと終わらないのだと思う。私はそれを楽しんでいる。不快感だっていっぱい感じるけれど、抜けた時にはとてつもないスッキリ感、知らなかった自分と再会した感動、その不快だった感情への愛おしさ、その幸せで「人間っていいな」と思い直す。

これを書き進めていくにつれ、左半身がザーっとクリアになっていく。ユーカリやペパーミントなどのアロマの香りを左半身だけまとっているような感覚。クリア。もう悲しくない。満たされた。そんな奥底の、自分だけど違う自分の意識。ありがとうをたくさん。

自分、自分、と自分語りみたいになったけれど、自分だけど自分じゃない。
そもそも、「自分」という意識自体、本当はあってないようなもので、一応、三次元的に区切ってもらっているというだけ。そして縁あって別人格たちと触れ合えるルールがある世界にいるということ。これは、だから良いとかだから悪いとかいうのではなくて、その本来の感覚があるかどうかだけで、なくても良い。私は私、あなたはあなた、がこの世のルールだから。だけど、もし、自分の中にある何か違うものを感じる時には、そんなふうに別の自分との統合のサインであることも意識してもらえたら、楽になれるのだと思う。それだけ。あっ、親しい人の意識や霊的な意識が入ることもあり得るので、一概にこれ、というものはなかなか断定しづらいところもあるのも、ご了承ください。

おかしなお話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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