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#7 遊びとは?ーホイジンガよりー

「プリミティブな教育」シリーズとして、太古の教育のことや自然とともにある教育について、調べ、感じたことを綴っています。

今までの教育の活動から、大事なものは引き継がれていくように。

また、子どもたちも、子どもと一緒に過ごす大人も、生活・時間・人間関係などの面で無理がない形(継続)ができるようにと願って集めたことです。

今までの教育の活動から、大事なものは引き継がれていくように。
#1はこちらからどうぞ(#1 狩猟民族の子どもたち

今回から、何度かに分けてホイジンガの思考したことについて書いていきたいと思います。

『ホモ・ルーデンス』、人間は遊ぶ動物であるという本をたよりに、遊びの根源的なことについて、まとめていきます。

今回は、そもそも遊びとはどういったものか?ということについてです。ホイジンガが著作の中で挙げていることを中心に、まとめていきます。

遊びの形式的な4つの特徴「1.自由な行動」

自由というのは、思い描きやすい要素かと思います。誰かに言われてやる、命令されてやる、というものは、遊びとは言えないということです。

自分の子ども時代を思い浮かべてみると、見かけ上は遊んでいたけれど、この意味では遊んでいなかったときがありました。

「今は、鬼ごっこの時間だからやりますよ」「天気がいいから外で遊ぶぞ」と言われて、重たい足取りで外へ出たりしているうちは、遊んでいる状態とは言えないのです。
(そのうち、楽しくなって<遊べている>ということはあると思います。)

幼児教育で、子どもたちと活動する導入の部分では、興味を引き出す段階を大切にします。じっくり時間をかけて。それは、お子さんたちの心を、遊びの状態へ導く大事な準備です。強制の中では遊べないからです。

遊びの形式的な4つの特徴「2.日常の生ではない」

これは、本来の生活の流れとは切り離されているということです。日常生活の中に、形式的に組み入れられているものは遊びではないのです。

また、その目的についても、例えば、どんぐりを拾う行為自体は遊びになり得るけれど、家を飾るものをつくるために拾おう、など、生活の用足しに目的を求めるものも、遊びではありません。遊びとは、必要性のないものです。

そのように考えると、プロジェクト型保育という連続性のある教育活動も、

<その先の目的のために、今遊ぶ>


という発想ではなく、

<遊んだ結果が見えた、振り返った。そうしたら、次の遊びが見えてきた>

という発想で考えなくては、いつの間にか遊びではなくなる、ということがありそうです。

そして、非日常のことに没頭すると同時に、「これは遊びだ」とどこかではしっかり分かっている、状態でもあります。ままごと遊びなどがわかりやすいかもしれません。

遊びの形式的な4つの特徴「3.完結性と限定性」

時間的にも、空間的にも、ある区切りが有る、ということです。

ある時間がきたら、完結して、終わりを向かえるということ。

あるいは、この場所の中だけで、この時期だけで、やりましょう、というルールのようなものが遊び手の間で認識されているものです。

遊びの形式的な4つの特徴「4.反復の可能性」

繰り返し、再現できるかどうか?というのが、「遊びの最も本質的な特性である」と、ホイジンガは言っています。

ただ、遊び全体を繰り返し出来るか?明日も同じ遊びができるか?ということもそうですが、内部的な要素(順番に◯◯する、これを繰り返す、というシステムのようなもの)についても、反復が可能かどうか?が遊びにとって重要であるという見解です。

なぜ、反復・繰り返しが最も大切なのか

これまでの4つを、遊びの形式的な特徴として、ホイジンガは挙げています。

今まで目にした遊びの定義の中で、一番わかりやすく、根源的であったと感じましたが、では、なぜ反復や繰り返しが最も大切なのでしょうか?

これは、次回にまとめていきたいと思いますが、その理由を求める先には、自然と人間のプリミティブな向き合い方があるようです。


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