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廃墟マニア 1/5 (2018/10 128枚)

 子どもの頃から、朽ちていくようなものが好きだった。道路に、車に撥ねられた猫の死骸をみつけたりすると、夜中に、そっと秘密の場所に移したりした。路上にほったらかしにしておけば、くり返し乗用車のタイヤに熨されて、パリパリの羽毛煎餅のようになってしまう。おなじ朽ちていくとはいっても、それではだめだった。秘密の場所は各所にあった。友達と共用のものもあれば、私だけしか知らないものもあった。猫の死骸などを見つけると、遠くまで運ぶわけにもいかないので、現場の近くにあたらしく増設することもあった。混みあった家と家のあいだのちょっとしたすきま、背の高い生け垣のものかげ、大人がほとんど立ち入らない空き地の草むら、猫の死骸ならそんな場所も秘密の場所となった。
 一六〇〇名を超える児童が通うマンモス小学校。その校舎のとある一棟の非常階段の脇、「火気厳禁」のプレートがあるブロックづくりの倉庫の裏。校舎と倉庫に挟まれた、そんなじめじめした狭い空間も、私たちの秘密の場所のひとつだった。子どもがふたりも入れば、窮屈になる。そこには白ちゃけた砂利がしかれていて、砂利をほると、饐えたような匂いがして、黒っぽい湿った土があらわになる。二〇分休みや昼休みになると、校庭のすぐ脇の用水路へ、よく採取に行ったものだ。草深い用水路での獲物は、トノサマガエル、アカガエル、ツチガエルなどのカエルの他に、シマヘビやヤマカガシ。そんなものを捕ってきて、殺し、秘密の場所に埋めておく。もちろん、埋葬などとは違っていた。埋めてからしばらくはほったらかしにしておいて、一週間か二週間ののち、秘密の場所を訪れ、砂利と土をほりかえした。そっと、慎重に……ただ、どんなに慎重に砂利と土を取りのけても、かならず、ただ見ているしかない仲間から「もっと丁寧に」「慎重に」とヤジが飛んだ。うまくいけば、黒い土のなかに、真っ白なカエルの骨や蛇の骨が見つかるはずだった。ことに、肋骨がトンネルのようにつづく蛇の白骨はうつくしく、見応えもあるすばらしいものにちがいない。子どもたちはそんな想像に胸を高鳴らせて砂利と土を掘りかえすのだったが、私には、そんな素晴らしい代物が手に入ったという記憶はなかった。なぜだろう? そんな狭い場所なのだから疑うべくもない、確かにここに埋めたはずなのに。でも、でてくるのは黒ずんだちいさな骨のかけらばかり。やっとみつけた大物といっても、カエルの大腿骨が一本。しかも、綺麗な白骨どころか、皮や肉の残滓なのだろうか、黒っぽいものがコリコリにこびりついていて、臭いもひどい。
 猫の死骸は、大人に見つかりさえしなければ、しばらくは朽ちていく様がたのしめた。いまのようにケータイだのスマホだのカメラ付きの携帯ゲーム機などのなかった時代なので、写真を撮ったりはできなかった。猫の死骸の朽ちていく様はとても興味深く、また、怖いもの見たさも手伝った。だが、白骨化するまで見たという記憶はなく、たいていは、三日か四日もすれば、どこかに姿をくらましてしまった。
 
 一八の時、母が亡くなった。四十六歳だった。火葬が終わり、炉から引きだされた台車のうえには、母の影がうつしとられ、綺麗な、白い骨が残っていた。ただし、えらく縮んで。顎や頭骨の一部、鎖骨、大腿骨、膝の皿など、大きくて丈夫な骨はまだカタチをとどめていて、あとは灰になっていた。清拭でふいた乳房など、どこにもなかった。ほんとうは、一糸まとわぬ母の姿を見るなんてなにかはばかられる気がしたが、これがしきたりだと父や親戚にたしなめられ、しかたなく、清拭に加わった。清拭は家族だけで行われた。母の体の隅々まで、細部までがくっきり目に焼きついていて、四十年近く経った今でも、忘れられない。思いのほか小さい掌と綺麗な指や爪、ふっくらした二の腕、乳房……やわらかい、白い肌や肉……。そういうものが、炉から出てきた台車のうえには何も残っていなかった。大腿骨のカケラを、私は、こっそりポケットに入れて持ち出していた。ただ、大腿骨とはいっても、まるで、ミニチュワのよう。もし骨にまで煩悩が染みこんでいたとしても、そんなものすら、すっからかんに蒸発してしまった、そんな軽くて白い塊。大腿骨のかたちはしているが、カルシウムのオモチャかレプリカのようだった。指でやさしくはじくと、澄んだ音がする。こんな澄んだ音がするのだから、母はどんなことがあってもすっかり成仏してしまったにちがいない、とそんな考えまで浮かんでくる。ちょっと触ったりすると、表面がほろほろと粉になって剥がれ、その粉はまるでなにかの薬のようでもあった。持って帰ったことはいいが、どうして保管したらいいか。最初は、ただ、ティシューにくるんで机の引き出しの中にしまっておいた。大学に進学して家を離れ、大学でなぜか茶道部などに入ってしまった私は、思いついて、母の大腿骨を肩衝きの茶入れに入れてみた。象牙の蓋をし、茶入れをやさしくゆすってみると、やはり、この世のなにものにも未練がないような、澄んだうつくしい音が聞こえてくる。

 朽ちていくものへの好奇心とそこに美を見いだす心。お茶の世界では、朽ちていく美が受け入れられ、ふつうのこととして様式化されていた。そのなかでも特に、釜に私は魅了された。たとえばこの万代屋釜。肌はゆず肌といって、その名のとおり、柑橘類の皮を思わせるこまかな凹凸がある。だが、そもそもは柑橘類の皮をまねたものではなく、朽ちていく鉄のある一刹那を表現しているのだ。長い年月、くりかえし水と火にさらされることによって風化していく鉄。はじめは、なめらかなで気品もある、艶めく、女の美しい肌のようだった表面が、錆び、ほろほろと剥がれ落ち、腐食し、朽ちていく……。その様に美を見いだした者が、あらかじめそんな肌をつくらせたのが、ゆず肌なのだ。ゆず肌に限ったことではない。砂肌、はじき肌、しぐれ肌、岩肌……などなど、釜の肌のおおくは朽ちていく鉄のある一刹那をうつくしく写しとったものなのだ。肌あいだけではなく、「荒らし」といってわざと欠けさせたりおおきく剥落した痕跡をつくってみたり、「虫喰」といって虫の喰ったような穴やくぼみをこしらえてみたり。朽ちていく鉄の描写はあげていればきりがないが、これらすべてにつうじるのは、そこに美を見いだしている茶人たちの心だった。美しいからこそ、わざわざ再現するのだ。愛おしいからこそ、あらかじめ朽ちさせるのだ。しかも、鉄のように、一般には、丈夫でなかなか朽ちていきそうにはないと思われているもの、あるいは、一見永遠に近いもの、そんなものに時間と風化の魔術を施す。それが、釜の魅力であり、醍醐味なのだった。
 ようやく釜の鳴りがはじまった。私は道具をととのえ、点前に入り、釜の蓋をあけた。こぉーと、静かな鳴りが部屋中にひろがった。
お茶をおえてから、viridiからメールが入っているのに気がついた。

 十数年前、日本各地の主要都市の博物館や美術館を巡る、ポンペーイ展というのがあった。ポンペーイ、そう、日本で親しまれている発音なら、ポンペイ。あの、ポンペイ。西暦七十九年八月二十四日、二十五日、ヴェスヴィオ火山の大噴火によって、一昼夜にして火山灰、火砕流に埋もれて、壊滅してしまった、古代ローマの都市。日本の景行天皇九年。景行天皇は日本武尊の父で、『古事記』や『日本書紀』といったころのできごとだ。ポンペーイ展では、そのポンペーイの遺物の一部やレプリカなどを展示していた。もちろん、あれら、石膏で復元した遺体も。これらは、今更説明するまでもないが、火砕流や火山灰で埋もれた遺体そのものは腐ってなくなり、残ったその空洞に、石膏を流し込んで遺体を写しとったものだ。発掘の時、不審な空洞が多数見つかり、なになのか確かめるために石膏を流しこみ、固まってからまわりの火山灰を取り除いてみたところ、人のかたちが現れた、というのが発見の経緯だという。不思議な、人体複製。これらポンペーイの苦しみ・恐怖の石膏復元像とヒロシマの原爆の遺体とが、オーバーラップした。中学の修学旅行でヒロシマの原爆ドームと資料館を訪れたときに見た、モノクロ写真。一瞬にして蒸発してしまった人をうつしとったという御影石や、また、白茶けた路上に放置された被災者の遺体。焦げているのか、どうなっているのか。よくわからないが、その様がこの石膏像とよく似ていた。かたや火山、かたや、人の作り出した兵器によって、一瞬にして、壊滅したふたつの都市と、命を奪われた、そこに住んでいた人々。もっとも、ポンペーイの方は二十四日の噴火の時に二万人いた住民の大半は避難して、被災したのはその一割にあたる二千人ほどだとか。一方、ヒロシマは、人口三十五万のうち被爆後四ヶ月以内に死亡したのは九万人から十六万人以上とも言われている。
 ポンぺーイ展の展示物のなかには、ポンぺーイの人々が日頃どんな暮らしをしていたか、ということをうかがわせる遺物もあった。家具やワインの壺や食器などの他にも、娼館への道しるべの石畳や娼館にあった壁画。娼館の壁画は、商業都市として栄えていたポンぺーイを訪れる外国人にも、一目でその店のサーヴィスの内容がわかる、いわば絵解きメニューだったという。そんな一枚に、仰向けで横たわる男の腰のうえに女がまたがり、手で男性器をしごいているものがあった。男と女は額をこすりつけて、見つめあっている。女には恥じらいはないが、体つきからまだ少年のような男の方には、なにかはにかみのような色が浮かび、見つめあっているかと思われた目もどこかさだまらず、あたりを泳いでいるようにも見える。苦しみと恐怖に、抱きあう、石膏像。石膏像のなかには、同性愛者だと推定される少年が抱きあっているものもあった。やわらかく、ほっそりしたからだの線からこの二人は女性だと考えられていたのが、詳しくしらべてみると男同士だということが最近わかったという。ヒロシマの写真にも、我が子をかばって包みこむように抱き、ふたりとも黒焦げになった母子があった。
 ふと、視線を感じてそちらを見ると、女が私を見ていた。少年の性器にあてたられた娼婦の手や指が、どのような手練手管を尽くして少年を逝かせたのか、そんなことを思うともなく思い浮かべていた私の頭のなかを、見透かしている目だった。そのくせ、女も、私とおなじことをかんがえていたといわんばかりの頭のなかを、なんの警戒もなく、筒抜けにしている目だった。私は、誘うともなく女に目配せした。女はうなずき、あとをついてきた。まるで、ここでこうして出会うことも、これからおこることも、前もって申し合わせて段取りがしてあったかのような、自然な成り行きだった。その日は、美術館から出てすぐのところで目にとまったホテルでとりあえずすました。事が済んでから、女は、「また、いい?」ときいてきた。
「うん、いいけど」
「じゃ、メルアド、交換しよ」
 Viridiとあった。
「ヴィリディ? ヴェルディじゃなくて?」と私はきいていた。
「うん、ヴィリディ」
 と、こたえた女は、深紅がまばゆいボディコンシャスなミニワンピースで身をつつんだ。
 帰宅してから、「viridi」とはなにか、ネットで調べてみた。Viridian、といえば誰でも心あたりがあるだろう。水彩絵の具のなかに、かならず入っていた、あの色。

 Viridi と みどり。どことなく音が似通っている感じもする。濁音の「ヴィ」と濁音にはならない「mi」。濁音にはならない「リ」と濁音の「do」。そして、また、濁音の「ディ」と濁音にはならない「ri」。彼女との最初の情事を逐一思い出しながら、「ヴィリディ」「midori」、「みどり」「viridi」、「ゔぃりでぃ」「ミドリ」と舌のうえでころがし、キスするときのように丸めた唇をこすっていくのは、とてもここちよかった。

 Viridiのルージュは、ボディコンシャスなミニのワンピースとおなじ、深紅だった。ブラジャーとショーツもおなじ深紅だった。ついに、唇だけに深紅が残ったviridiが言った。
 「あの壁画みたいに、しよ?」
 言われるまま、私は服を脱ぎ、ベッドに仰向けに横たわった。Viridiが私の腰のうえに跨がり、両手でつつむようにして、私の性器を愛撫しはじめた。生まれたままになったviridiに、唇の他にまだ、深紅が残っていた。十枚の爪。十枚の深紅の爪先がイソギンチャクの触手のように私の性器をやさしく愛撫した。からみつき、なで、おおい、ひっかかり、塗りたくり……私の亀頭もviridiの爪よりも鮮やかに、つやつやと輝いていた。
 「いい?」
 「ああ」
 Viridiは腰を浮かして、私の亀頭の先に自分の性器をあてがった。指先で押し広げたviridiの股間に、最後の深紅が隠れていた。Viridi の深紅が、私の亀頭の先にふれた。
 「あ……」
 Viridiの顔のなかの深紅がかすかに裂け、その裂け目から吐息が漏れた。五つの深紅が私の性器をつつみこみ、ほかの五つの深紅がviridiのしろい大きな茄子のような乳房にめりこんでいた。Viridiの深紅のふかみが私の亀頭をゆっくり、つつみこみ、のみこみ、染めていく。深く染まるほどに、目の前の深紅の吐息は熱くなっていき、五つの深紅は乳房にふかくめりこんだ。ついに深紅のふかみは私をねもとまで染めて、恥毛にまで吸いついた。五つの深紅が、五つの深紅の目をもつ蛇のように、私の上半身をつつみこみ、深紅が、私の額、まぶた、頬、……をなめくじのようにつたい、ついに私の唇にたどり着くと、とがり、勃起して私の唇をわりこみ、舌に絡みついてきた。腰のうえではあの深紅のふかみが、私の男性器を、リズミカルに、弾むように、ふかく、あさく、染めあげた。深紅が、かすかなあえぎ声をもらしていた。
 「アノ日モ、アタシタチハ、コンナコトヲ、シテイタノ」
 いきなり、息も絶え絶えに、深紅が口走った。
 「キノウノ、昼下ガリニ、ヴェスヴィオ火山ガ、噴火シテ、火山灰ガ、降リツヅイテル、ッテイウノニ」
 深紅の上下はすこしずつ激しくなっていった。
 「ナノニ、アタシト、アナタハ、アイカワラズ、コンナコト……」
 私は鷲づかみにすると、あの深紅のふかみのもっとふかくをやさしく突きあげはじめた。
 「あああっ、そう、そこっ、……ソウナノ、避難モセズ、アイカワラズ、……真ッ昼間カラ、コンナコト……」
 底なしの上下運動はさらに激しくなり、私ももっともっとはげしく深紅のふかみを、突きあげつづけた。
 「あっ、あっ、あっ、あああっ! ほらっ、ゆれてる……大地ガ、カスカニ、振動シテル……伝ワッテクルワ、ヴェスヴィオ火山ノ震動……モウスグ、ナノヨ、火砕流ガ、一気ニ、一瞬ニシテ、アタシタチヲ、ノミコミ……」
 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
 深紅は狂ったように腰を跳ねあげつづけ、私も操られるよう突きあげつづけた。
 「クルッ、クルッ、くるのっ、あっ、あっ あああああっ」
 私の皮膚に点在していた十個の深紅の目があつく溶解して私とひとつにとけあった。ふっつりとviridiの時は静止していて、私も射精していた。しばらくして、ふっと、深紅のひとつが息を吹きかえした。
 「……きっと、発掘調査団は驚き、セキメン、したことでしょうね。遺体ノ石膏像ノナカニ、コンナアタシタチヲ発見シテ……」
 「うふふっ」
 つづいて、深紅の輪っかが恥ずかしそうにすこしひずむのが見えた。
 
                          つづく


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