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1月 日記

フリーペーパー1月号は、本屋スタッフざきの日記です。今月は心が沈んでしまってとにかく大変でした。そんな人も多いと思うので、気持ちが晴れやかな時に読んでもらえたらと思います。日々付けている日記をほぼそのまま載せているので、かなり自分中心の内容になっています૮ ⚆ﻌ⚆ ა!

2024

1/1

0時、静かな年明け。今年はひとりで新年を迎えたいという気持ちが強く、部屋で決意を反芻しつつ静かに新しい年を迎える。ひとりと言いながらも、年越しの前後数分以外は友だちたちと「今年もよろしく〜」とラインで言い合ったり、テレビの実況をしたり、なんだかんだ楽しく賑やかな感じで過ごす。

昼過ぎまでゆっくり寝て、やり残していた仕事をしていると、夕方にぐらりと身体が揺れる。東日本大震災を思い出して嫌だな、と思いながらニュースを見ると、本当に大変なことになっていて、どんどん被害が広がっていく様子が流れ込んでくる。SNSも同時に見ていると、どんどん心が辛くなっていく。見るのを止めるべきと思っても見るのをやめられない。結局仕事も手につかず、一日中ずっと情報を追っていた。

1/2

情報を追っていたら思っていた以上に心が疲弊していたらしく、ベッドから起き上がれなくなる。

誰かと話したい気もするけど、罹災した後に家が流されて悲しいと真面目に気持ちを話したら「○○ちゃんはネタにして面白く話してたよ」と言われた経験が引っかかっていて、そこからネタっぽくしか悲しい気持ちを表現することが出来なくなって、今日もまた人に話すことを諦める。悲しい時は悲しいまま話す選択もあるのに、それをすることが難しい。

募金先や出来ることを探しながらSNSをみていると、被害のことと同時に性的な暴行から身を守ようにという声が多く上がっている。そのことに心強さを感じると同時に、非常事態にそのような注意をしなければいけないことが悔しくなる。私も避難生活をしていた時、母に強く注意を受けた。そのとき私は18歳で、年齢の割には性的な悪意に対して鈍感だったように思う。だから夜中に起こすのも悪いなあと思って一人でトイレに行き、戻った瞬間に母が血相を変えて怒ったことにも過保護だな〜としか思わなかった。いまになると、あの時、母がどれだけ私を守ってくれようとしていたかが分かる。

年を重ねて、特に自分より若い子になんとか無事で幸せに過ごして欲しいという思いが強くなった。自然に湧いて来た感情だと思っていたけど、周囲の大人が自分を守ってくれていたことに気がつき、そう考えるようになった自分があるのだと思う。祈りなんて無意味に思うほどの現実だけど、いまは無事を祈り、あとは募金をする。自分に出来ることを淡々とやるのみ。寄付や募金で心を落ち着けようとする自分が情けないけど、お金はお金としての価値があるのでこういう時はやっぱり助かる。

1/3

今日も落ち込んでいる。それでも早めに進めたい仕事があるので、仕事に神経を向けるといくらか気持ちがマシになる。気を抜くと悲しい気持ちが押し寄せてくるけど、自分が落ち込むより元気に過ごして出来る支援をする方が大切だと思うので、過去のことをこの機会にゆっくり思い出して立ち直ることを試みる。

会えなくなった人、近所の犬、泣きながら食べた硬いおにぎり、体育館に響き渡るおじいさんのいびき、将来への不安、全てが冷たい記憶として残っている。家族が無事だったから、きっとそれ以上のことは無くて、だから悲しいと思わないようにしていたけど、やっぱり自分は悲しかったのだと思う。

悲しさを認めると、家族が自分を守ってくれたこととか、当時の恋人が優しかったことを思い出す。特に当時の恋人は、食事を分けてもらうことに遠慮する私にぐちゃぐちゃに咀嚼した食事を口移しで与え、一週間ほどお風呂に入っておらずにおいを気にして距離を取る私の身体中を嗅ぎ「いい匂い〜!」と叫んでいた。他人に愛されていると思ったのはあの時が初めてだったなあ。

最近、愛されていた記憶が自分を救ってくれることが増えて、愛は永遠だって信じたくなる。愛が持続することは無くても、愛する/愛される瞬間が残り続けるのなら、それは永遠だと思う。

1/8

仕事で嫌なことがあって最悪だったけど『ベター・コール・ソウル』を見たらどうでもよくなった。何回みても面白すぎる。

1/10

自分と自分以外を区別することが苦手だ、と改めて感じている。ここ5年ほど意識して切り離すようにしていたのに、地震以降また上手く出来なくなってしまった。震災も戦争もめちゃくちゃな政治も、起きていることと自分の感情を混ぜこぜにして混乱している。

1/11

朝3時頃に仕事をしていると友人から連絡が来て、始発まで作業をしているらしいので、5時頃に落ち合うことにする。いつもの待ち合わせ場所に向かうため外に出ると、空気が冷たくて、自分と世界がしっかり分けられる感じがする。寒い日が案外好きだ。

普段連絡を取り合わないぶん、仕事のことをお互いばーっと話して、頑張っていることを確認する。どれだけ連絡をまめに取るより、それぞれの場所で頑張っていると信じられることが私にとって大切なこと。なんだか安心しきっていたのか、震災でいろいろ思い出してしんどかった〜と気がついたら言っていた。ちょうどいい相槌を聞いて、ケラケラ笑って、昼頃までぐっすり寝た。

1/12

本屋を通して仲良くなったお姉さんのHさんとスピッツのライブに。昨年も連れて行ってもらって、今年も声をかけてくれて本当に嬉しい。

前回は、うわ〜スピッツだ!うわ〜!うわ〜!と思っているうちにライブが終わってしまったけど、今回はしっかり噛み締めることができて、横をみると本当に嬉しそうにライブをみているHさんの姿があって、幸せだなあと思う。

ライブが終わってからゆっくり家の最寄りに戻って、居酒屋でご飯を食べる。Hさんと感想を言い合ったり、スピッツの曲との思い出を聞いたり、楽しい時間。好きなものがある人は素敵だなあ。

話していたらあっという間に1時近くになっていたので解散。少しだけお酒を飲んだのでフワフワした気持ちで帰りながら、最近、自分が楽しい時間を持つことすらダメなような気がしていたけど、自分の光を持つことは絶対に悪いことじゃなくて、そういうものを手放さずにいたいと思った。ああ〜いい声、いい演奏、いい空間だったなあ。

1/16

思い立って朝方に産婦人科の予約を取ったので、仕事の合間に病院に行く。病院の中でも特に気が重いのが産婦人科なので気分はどんよりとするけど、勢いがある日に行くしかない。

今回は子宮頸がん検診とピルを飲んでみたくて予約。生理前後の眠気がほとんど気絶に近くて、仕事にも支障が出るレベルなのでピルに頼ってみたい気持ちになった。あと食欲も凄まじくて、夜中にポテチを二袋食べたり、シュークリームと甘いカフェラテを飲んでしまったり、自分をコントロール出来ないことが怖い。

初めて来た産婦人科はプラセンタ注射なども行っているようで、どちらかというとそちらの利用が多いらしく、緩い雰囲気。なんだか気が抜けて、言われるがままにパンツを脱いで、座るとパカっと両足が開く椅子に座って、大きく足が開かれ全開の股が天に向かって登る光景は、恥ずかしさと同時に愉快だなあとか思う。

羞恥心と不快感を感じつつも診察はあっという間に終わり、会計を待っている間にインスタを見ていると、さらささんがライブの告知をしていたのでチケットを買う。何年もタイミングを逃して行けていなかったのでご褒美だ!

1/17

打ち合わせで褒められて幸先のいい日。

昼過ぎにNとカフェで待ち合わせて、ご飯を食べる。誕生日プレゼントにかわいい花の模様の靴下をもらい「かわいいし、茎が長いのが面白くてこれにした」と言われて靴下を広げてみると、確かに茎が長くて、「長い〜!」と笑う。穏やかな時間。

話しても話し足りないので、もう一件喫茶店に行って話し続ける。Nはもうすぐ海外に行くので、それに関連したことを聞くのが楽しい。面白いし、行動力があって尊敬している。海外に行くと言っても特に変わりなくいつも通り。だって絶対大丈夫と思っているし、友人との物理的な距離については元々あまり気にならないタイプだ。冷たいのかなとも思うけど、それが自分の良さなのでまあ良いや。

原宿でいつものように軽い感じで別れて、渋谷まで歩く。次々に移り変わる広告やビル、人の流れを感じるたびにひどく安心する。自分が落ち込んでいても、街は動き続けていて、その容赦の無さと早さに気持ちよさを感じる。私は東京という街が大好き。

映画を観たくなって『枯れ葉』を観る。戦争への向き合い方が好きだった。(映画が始まる前に藤原ヒロシそっくりな人が入ってきて、藤原ヒロシだと思ったけど、黒髪だったので藤原ヒロシじゃないかあと思っていたら映画が始まった。)

1/20

本屋営業の合間にるかちゃんの能登半島チャリティーイベントへ。俳優をしているるかちゃんが現地の方や実際に炊き出しに行った方の言葉を朗読するという内容で、行動力と自分の持つものの使い方がかっこいいと思う。

最近の、心が乱れたいまの状態で朗読を聞くことに対する不安もあったけど、いざ始まると、るかちゃんが真剣に声を届けていること、周りの人が静かに声に耳を傾けていることに救われる思いがした。そして、そういう場を体験したからこそ、笑いに変えながらしか話せない時も、そういう言葉しか聞けない時も必要なことだったと理解することが出来た。

人と生きていくことの意味を再確認するような時間だった。カポーティの『ここから世界が始まる』というタイトルをなんとなく思い出す。

1/21

打ち合わせ帰りに坂道を自転車で登っていたら、月がピカーっと光っている。立ち漕ぎでぐんぐん上に向かうと月に行けてしまう気がする。こんなとき、死んだお父さんに会えるような気がしてしまうのはなんでだろう。どれだけ進んでも一定の距離のまま近づくことが出来なくて泣きたくなる。

1/22

チャンスの時間をみていたら31歳になった。31歳の初笑いを永野に捧げる。

ひとしきり笑ったらなんとなく自分のために詩を書いてみたくなって、言葉を繋げていく。30分くらいそうしているとSから電話が来て、家の前に着いたとのこと。

やあやあと言いながら車に乗ると、少しげっそりした顔のSが誕生日おめでとう!とはしゃいでいる。顔と声のギャップがすごい。「何してたの?」と聞かれて、詩を書いていたと言ったら、それは絶対いま書き切らないとダメと、走らせていた車を止めてノートを渡される。長い付き合いの友だちだけど、いつでも創ることに抜かりがない。書き終えて、ドライブしながら「今年の新曲行きます!」という宣言の後に曲が流れる。毎年、弾き語りした曲を贈ってくれるけど、今年はバンド編成でレコーディングまでしていて、やりすぎだよとふたりで爆笑する。

昼には洋子から本と手紙が届いて、普段静かなスマホも賑やかで、取引先の人がでっかいパフェを食べさせてくれて、私のための歌があって、胸がいっぱい。

1/23

「怖い」という思いはどこまでも自分を追い詰めてくる。身体のおおきな男性になりたい。怖い思いをしたくない。

1/24

本屋営業日。少し前に上間陽子さんの本を買ってくれた方がまた上間さんの本を買ってくれた。嬉しい。

1/25

友人と朝のニュースを見ていたら、急に抱きしめられた。耳に入るニュースの内容で、この前しんどかったと言ったことを覚えていたのかな、と思うと目の前に広がった色が優しくて仕方がなかった。こういうことばかり覚えていたいよ。

1/26

15年ぶりくらいに『限りなく透明に近いブルー』を読んだら具合が悪くなった。15年前はグロいものを読む自分に酔っていたし、やっぱり幼かったので細部を理解していなかったけど、かなり強い本だ。でもやっぱり好きで、いい本だなあと思う。解説が綿矢りささんになっていて、「世界がどんなものか知るために、わざわざ血と暴力の世界にアクセスして、見るだけなら大丈夫だろうと思っていたら、知らないうちに積み重なり体を侵食していた。」「眼全体が汚れてしまったかのように、なかなか拭い去ることができず、代償を払う日々が始まった」(意訳)と書かれていた。そのことに対して、「再び元の世界に戻るためには、もう一度世界の美しさを信じるしか方法がない。」と締められていて、美しさを信じるという結びにした強さが綺麗だなあと惚れ惚れした。

1/27

最近TVブーム。TVerで番組表を見ていたら、アメトーク「イカ大好き芸人」という回が出ていて、なんかそれだけで楽しくなって満足した。

1/29

あまりに悲しいニュースに心が砕かれる。

眠れなくて、『砂時計』をライン漫画で読み返す。一時期、縋るように読んでいた漫画。自分のことを分かってくれるような、繊細で優しくて、現実的で、現実を美化しすぎない実直さを信頼していた。悲しいよ。悲しくて、やり切れない。

1/30

目が恐ろしいほど腫れている。今日はもう無理かも、と思いながらメールを確認すると、打ち合わせする予定だった編集のSさんから、心が疲弊してしまい打ち合わせを別日にして欲しいと連絡が来ている。時間を見ると朝5時頃で、何度もお詫びの言葉が書かれている。心配していたし、辛いときに無理されるような相手になりたく無いので連絡をくれてよかった。

私は外に出た方が自分の気持ち的に良さそうだったので、予定通り朝イチで産婦人科に検査結果を聞きに行く。子宮頚がん検診、血液検査共に問題ないとのことでひとまず安心。ピルを飲み始めるので、看護師さんに副作用や注意点の説明を受ける。一通り説明が終わると、「体に合えば本当に楽になりますよ。」と嬉しそうに言ってくれて気持ちが軽くなる。友だちに相談したときも、体験を明るく話してくれて、身体のことを分かり合えることって何にも変え難いありがたさがある。『セックス・エデュケーション』の世界だ〜。

そのまま渋谷に行って少し仕事をして、タルコフスキーの『ノスタルジア』を観る。映るもの全てが美しく、うっとりしながらエレベーターに乗ると、乗り合わせたおばさま4人組が「全く意味が分からなかった!」「あんな火だるまになって危ない!」などと元気よく大悪口を言っていて愉快な気持ちになる。全部を好きになる必要はないし、そうやって明るく話せるのは健康だ。

新宿に移動して、喫茶店で仕事をしたりぼーっとしてから『哀れなるものたち』を観る。心がしんどくなると、本か展示か映画のどれかを異常にみる傾向があるけど、いまは映画のターンらしい。

映画は、衣装やセットが素晴らしく、豪華で華やかで景気がいいなあ〜とまた元気になる。映画を観た!!という感じの豪華さだった。でもやっぱり他の作品の方が好みなので『籠の中の乙女』と二本立てとかで観たかったかも。

相変わらずTOHOを出た後に通る歌舞伎町は最悪だけど、今日はそこまで嫌な気持ちにならなかった。

1/31

天気が良くて気持ちがいい。仕事をして、散歩をして、近所の犬を撫でて、感情が乱れないというただそれだけで満たされる。誰もがそうだといいのに。

今月は心が沈む日が多く、ゆっくりと過ごしていました。本屋のSNSなどもあまり更新できずすみません。2月からはぼちぼち頑張りたいと思っています。みなさんもよく休み、よく遊んでください。

〈お知らせ〉

昨年末に『労働日記 vol.2』というzineを作って販売中です


『労働日記 vol.1』の縮小版はnoteで読めます


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