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世界遺産を見にいきたくて、アンコールワットに行った20歳の春

私は国内外問わず旅行が好きなもんだから、よく旅行どこいった?って聞かれるのだけれど、女子で行く人があまりいないし、100%話のネタにもなる旅先がある。
アンコールワット(カンボジア)だ。

2020年の春休みもまた、どこかに行きたいなと考えていた。
夏はシンガポールに行って、次どこにしようかなと。
そんな時Q様で世界遺産の問題があって、アンコールワットが出てきた。
これだ!!即座に思った。
ちょうど、世界遺産検定の勉強をしており、行きたかったのだ。
実をいうと本当はマチュピチュに行きたかったのだけれど、そんな勇気・体力・金銭がなく、東南アジアで割と行きやすいアンコールワットを選んだわけである。

さて、同行者を見つけなければならない。
ちょうど、小中学校の仲間との集まりがあった。
旅行好きな子もいるし、イチかバチか
「アンコールワット行かない?」聞いてみた。
「いいよ!時期と金額は考えてからだけど、行きたい!」
まさかの賛同者が2人も集まった。
なんと!!即座にラインで予定表とHISから捜した旅行パックを共有し、
プレゼン。
カンボジアは直行便がないので、タイかベトナムを経由するのだけれど、
タイは行きそうだ(事実タイ旅行には行った)となり、ホーチミントランジットで”アンコールワット&ホーチミン灼熱の東南アジア盛り沢山ツアー”
に決定。
いやあ、最高ね。アンコールワットを面白そうじゃん!って言ってくれる友人。大好きよ。

さてさて当日。6:30に成田空港に着き、ベトナム航空でまずはホーチミン空港までGO。
約7時間かな。久しぶりの長期フライトにワクワク。

ホーチミン空港についたら、危険物検査だけしてトランジット。
「まじで、これ大丈夫なんか?」レベルの成田ーホーチミン間とは比べ物にならないほどのボロさ。
約1時間でアンコールワットがあるシェリムアップ空港に到着。
離着陸場が2つしかないコンパクトな空港。
空港の内装はクメール調になっていてカンボジアにきた感がありワクワクした。
空港を出るとベルトラで予約していたガイドのお姉さんがいた。今回は2日間滞在するのだけど、全部お姉さんと一緒だ。心強い。

私達は初の東南アジアということで少しビビッてスタンダードホテルにした。中華系のホテルからか、中華の団体客がとても多い。ウェルカムドリンクのオレンジジュースを頂く。
ネクターのような濃い風味が喉を潤す。
その時、既に16時を回っていたため+次の日がアンコールワットの朝日を見よう!!となっていたため、近所のコンビニでカップ麺を調達し、就寝の準備。アイロンの出力を間違えてブレーカーを落としたり、ポットのお湯が沸かずにほぼ乾麺のままトムヤムクンを食べたりと前途多難だったが、なんとかベットに入る。

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うるさいアラームと蒸し暑さで目が覚める。
横を見ると二人はもう準備中。
「あと5分だけ。。。。」
「だめだよ。起きて」
しっかり者の二人が起こしてくれた。
4:30AM出発で今4:15。
やばい。急いで準備をして、ロビーに向かう。

ロビーには大勢の宿泊客とバスが止まっていた。
朝から中国のマダムたちは威勢がいい。
バスに乗り込み、眠気眼のままアンコールワットのチケット売り場に到着。
信じられないほどの人の数。
やはり大人気スポットなだけある。
私達は入場券と証明写真を撮り、チケットを作成した。
仏教なので、過度な露出は禁止されており欧米人は露店で販売しているスカーフを購入していた。
こんな朝早くから、カンボジアキッズたちは露店で働いていた。

さていよいよ、アンコールワット遺跡に入る。
入り口に大きな堀?のようなものがあり、橋を渡らないといけない。
大きすぎて、どこからがアンコールワットなのかいまいち分からないまま歩く。朝に散歩をするのは気持ちがいい。
そうこうしているとかの有名なシルエットが見えてきた。
気分が高揚してくる。
思わず、写真をとる。パシャリ。

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実際はこの写真の何倍も綺麗で、澄んでいて、神秘的だった。
これは実際にリアルで是非とも見て欲しい。
その後に西日が出てくるので、それまで待つということでみんなで待機。

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いいねえ。国籍関係なく、その辺の遺跡に座って、待っている。
手前にはイラストやスカーフ、ミニマム仏像などを販売している露天商がいる。実際に購入する人はいるのだろうか。そんな考えが過ったが、購入している人がいるから成り立っているのだろう。
それ以上は考えるのは辞めて、待つことにした。
意外にも日本人の団体客が多くいた。
ただ、10人前後で手を繋いでジャンプしたりだとか、自撮り棒でひたすら写真ばかりで嫌になってしまった。
せっかく、リアルにいるんだもの。フィルターを外して空気・匂い・空を感じればいいのに。と思うのであった。
1時間ほど待つと西日が出てきて、綺麗なシルエットが見えた。

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なんと素敵なことか。ちょうど晴れてくれたのでしっかりと写真もとることができた。ガイドによると晴れるのは1/2の確率らしい。ラッキー。

只今の時刻7:00。
一旦、ホテルに戻り朝食を食べる。
とにかく、クロワッサン、スクランブルエッグとおかゆを大量に食べていた。
というか、8割方が中華料理で得体のしれない食べ物だったのだ。
隣の姐姐達はおいしそうに食べているので、ポピュラーなものなのだろう。
まだ挑戦する勇気はなかった。

9:00から観光開始。
といっても、ひたすら遺跡の観光だ。
遺跡は日よけがなく、直射日光をそのまま浴びるため熱中症になる。
そのため遺跡の随所にコーヒースタンドやカフェ、露店があり休憩できるようになっている。
私はカンボジアキッズから水を毎回購入した。合計3Lは飲んだと思う。
午前の部を終え、お昼となった。
私達はカンボジア料理をいただけるレストランへ向かう。
ここで、表題のランチの登場だ。
メニューは魚のすり身に納豆の風味のソースをつけて食べる(後に魚醬だと知る)、炊き込みご飯、排骨茶(バクテー)のようなスープなどなど。
中々美味しかった。タイ料理ともベトナム料理とも違う、なんなら日本人に馴染みのある味付けだった。
クメール料理なのだろうか。
相変わらず、スタッフのお兄さんは呼ばないと奥でスマホゲームをしているし、異常にクーラーが聞いているけど、居心地がいい。まるでテーマパークの中にいるような、俄かにカンボジアにいる事実を信じることができなかった。
食事を終え、ガイドの待つバスへ向かい、午後の部へ。
午後はラピュタのモチーフとされているベンメリア遺跡へ向かう。
とにもかくにも遺跡。
中ではディスコのような煌びやかな衣装を着たお姉さんが写真チップをしている。また突然地元の人がいたかと思うと、下半身や右足が無い人が地雷の物乞いをしている。
目を背けたくなる事実。
カンボジアは1970~1993まで内戦状態にあり、ポル・ポトにより当時の1/4の人口が虐殺された。
当時、地雷が埋められ、それが不発弾として残っており、被害があるそうだ。実際に、バスの中から”DANGER”の看板がいくつも見えた。
まさかと最初は思った。自分が生まれるたった4年前の出来事だ。
いかに日本が平和な国で、自分は恵まれた環境にいることを痛感した。
文字通りだ。
ただ、そんな悲しい辛い過去を経て、今は観光業を中心に再建しようとしているのだ。そして、同時に物乞い、万引きなど観光客をターゲットにした犯罪も存在する。
世界遺産を見に行きたいなんて甘い考えできてしまったが、あまりに考えさせられるものが多すぎた。
そんな、遺跡観光の一日だった。

けれども、ナイトマーケットや街中のカフェなどおしゃれで楽しいスポットもある。フランス人のお姉さんが経営しているカフェでサルサとtacosを食べた。夜はバーとしてあるみたい。
このあたりは華やかで楽しく、リゾートのようだった。
大多数は観光客だったけど、現地の若者もいたから、たまにのデートで使うのかしらなんて思いを馳せた。

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こうして、カンボジアNIGHTを過ごし、次の日の昼過ぎにホーチミンへ帰った。
総2日強の弾丸アンコールワット。「世界遺産を見てみたい」から始まったが、見えたもの、感じるものが多すぎて消化に時間が掛かってしまった。
それぞれの遺産には付随して歴史がある。
是非、感受性豊かな若い時に行ってみて欲しい。
また直射日光の中、寺院を歩くのはとても体力を消耗する。
事実救急車は必ずいたし、年配の方は日陰で休憩しながら回られていた。
登る場所も限られる。
このような理由もあり、私は若いうちに行ってみて欲しいのだ。

最後にシェリムアップの街中の写真を添えて、締めたいと思う。
軒先の文字はクメール語かな。
おじちゃんたちが昼過ぎ、集まっておしゃべりして。
朝から晩までAM8:00~PM10:00 まではたらくことなんて
彼等の中には無くて。
そんな生活を羨ましくもあり、微笑ましくもあるのだった。

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どう?みんなカンボジア行きたくなったでしょ。
中々、行く人もいないから話の話題にもなるわよ。
ちなみに、私は就活でカンボジアにインフラを導入したいって話をしていました。

ជម្រាបលា។。チョムリアッリィァ。goodbye



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