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アテネの民主政からコミュニティついて考える -読書編-


最近オンライン上で様々なコミュニティに所属するようになって思うのが、オンライン上であってもコミュニティは一つの小さな「社会」が形成されているということです。


「社会」が形成されている以上、そこでは経済的活動が行われるのはもちろん、政治的活動(コミュニティ内でのルール作りなどを指します)も行われます。
このとき、どのようにしてコミュニティでの政治的意思決定はなされるべきだと思いますか?ぼくは、民主主義的になされるのが一番だと思います。
なぜなら、コミュニティのオーナーに依存した意思決定は必ずしもメンバーの意思に沿うものではなく、コミュニティ存続の観点からも健全でないと考えるからです。


では民主主義的なコミュニティの意思決定とはどうあるべきなのでしょうか?そのヒントを得ようと思い、この本、『民主主義の源流』を読みました。

この本を選んだ点は下の3つです。

民主主義の原点はアテネの民主政にあり、まずは原点から知るべきだと思ったから。
・アテネの民主政の特徴として、抽選制直接民主制が挙げられ、現代社会とは異なる点があるので、どのように運用されていたのか興味があったから。
・最終的にアテネ民主政が衰退していった原因がコミュニティでのメンバーのあり方を考えるうえでヒントになると思ったから。

では、実際読んでみて気付いたことなど書いていきたいと思います。


アテネの直接民主制は、地形や運営方法によりスクリーニングの機能が果たされていた

アテネ民主政での最高機関は民会という市民全員(といっても市民権が付与された成年男子のみですけど)が参加するもので、そこで国政の重要事項が多数決により決定されていました。民会では、だれでも自由に発言することができたと言われています。
ここで気になるのが、そのような運営方法で建設的な議論が民会で行われたのだろうかということです。今の日本は間接民主制で、国政を任せるのにふさわしいと思った人々が選挙で代表として選ばれて国会に参加しています。
とすれば、直接民主制になると、国政に参加するのにふさわしくない者(題目に対して十分思考できていない人など)が直接参加できてしまったり、他人任せになってだれも会議に携わらなくなるといった事態が起こりうるという懸念が考えられます。
しかし、民会は、直接民主制だったのにも関わらず、これら懸念点に関する問題は生じませんでした。その理由は以下の4つです。

・民会の開催頻度が多く、自然と参加する人が都市周辺に住んでいる富裕層に限られた。
・民会では自由に発言できると形式上はなっていても、実際には、実績のない市民が発言すると野次が飛び交って民会の収集がつかなくなるから、実績のある市民しか発言できないようになっている。
・民会に参加すると市民はお金がもらえる
・民会において強い影響力を持つのが市民のステータスとなっていた。

このように、アテネ民主政は直接民主制を取っていましたが、実質的には代表民主制と直接民主制の中間のような形を取っていました。


直接民主制、抽選制を支えたのは「参加と責任の両立」にある

直接民主制や抽選制により、アテネでは国政の中枢をアマチュア市民が担うことになります。アマチュア市民が国政を担うのは、能力的に懸念されるところですが、アテネ民主政では、役人の能力不足よりも、役人の固定化による汚職や不正の常態化の方が懸念されていました。というのも、アテネの民主政は、僭主政という独裁政治の破壊によりもたらされたものであるため、再度そのような事態になることを回避したいと強く考えていたからです。また、アテネ市民は共通認識として政治に対する知識や役人となるに必要な教養を備えていることを当然としていたので、能力が過度に不足するといった事態は起こりえませんでした。
そして、アテネの民主政の下では、アマチュア市民が国政を担う場合は不正や汚職、職務怠慢をしていないか年に何度も監査がありました。実際に監査に引っかかった場合、解職されるだけでなく、裁判にかけられ実刑を受けることもありました。
このように、アテネの民主政は、政治への市民の参加を確立するため、参加した市民には責任を負わせるように、つまり、「参加と責任の両立」を図ることで民主政を発展させていきました。


アテネ民主政の崩壊の原因は専門化、集権化にある

アテネ民主政の崩壊の外的要因はマケドニアの侵略にあるとされていますが、内的要因としては民主政の進展による専門化と集権化が逆に民主政を退廃させたと指摘してあります。
民会の制度が充実化したことで、役人のそれぞれの役目が専門化し、それが個人に定着することで、官僚制のような状態が生まれました。本来なら様々な議題について知識を有していても有していなくとも議論を交わし、各々が賛否を決めるのが民会のあるべき状態であったのに、専門化・集権化により議題について知識を有している者のみが議論を交わすだけで、知識を有さない者は参加せず、「全員参加」の民主政が形骸化しました。


以上になります。次回はこの本を読んでみた上で、コミュニティの運営のあり方について考えたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました!


ふっくん

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