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ゼレンスキーの本質を抽出する力に、脱帽した話〜オードリータンに思うこと

ゼレンスキー大統領の演説を見るたびに、本当に演説が上手いなぁと思う。彼は、様々な事象から一つの本質を抽出する力に長けている。

日本にも、話がうまいと言われる人がいる。ここで名前を出すのはアレなので控えるが、彼らの話はなんか聞き入ってしまう魅力がある。一つの話から、大きく広げる力があるからだ。その能力も、良い。でも、それだけだ。

人を行動させる力はない。だから、人を団結させる力のある人に凄さを感じる。

話は変わるが、以前どこかの記事で読んだオードリータンに対しての日本のインタビュアーのインタビューが心に残っている。

「日本は●●に対して、台湾より遅れています。どうしたら、日本は変われますか?」
日本のマスコミが好む、「日本は遅れすぎ」という会話の切り口。そこかしこで、毎日こんな単語を耳にする。

これに対して、普通の人は「日本は、●●すれば良い」と回答する。これは、良いアドバイスだが、どうにも上から目線に見える。もちろん彼らは悪くない。聞かれたから答えているだけなのだから。

オードリータンは、とても聡明さを感じる切り返しで、尊敬する。「日本は遅れてはいません」と上から目線を回避し、「みんなで協力する社会を作ること」という方向に向かうからだ。


先日、電力が足りないという出来事が起こった。しかし、それは何とか停電にならずに済んだ。私はホッとしたのだが、その後なんとも言えない感情になった。私の節電が果たして意味があったのか、効果的だったのか、わからないからだ。

「みんなの協力があったから」「昨今では、私たち一人ひとりの力が無力に感じる出来事が多いですが、私たちは一人ではない。みんなの協力があったから、この事態は乗り越えられたのだ。みんなが、日本で支え合って生きていきましょう」ということがあれば、幾分慰められたように思える。

もしかしたら、私が知らないだけで、そういったことがあったのかも知れないが。

件のゼレンスキー大統領は、私たちにまだやれることはあるという、希望を与えてくれているように感じた。

その反面、今起こっている様々なことに、私は無力感に苛まれている。それは、私だけではないだろう。
どうしても、最近のニュースを見ると、「私、一人くらいは…」「私一人の力なんて…」と思ってしまいかねない。

そんな今だからこそ、「私たちは、それらの問題を解決できる!君は一人ではない。私たちは支え合おう!」という声を求めている。

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