言葉摂取の近況報告

良質な言葉たちと接触することは健康に良い食事を摂るのと同じだとはよく言われることだが、それをわかってはいてもジャンクフードに手が伸びてしまうのは怠け者のさがだろう。かくいう私もその一人だ。
もう中年なのでTikTokこそ見ないものの、Twitterやその他のSNSでの発信、某掲示板での書き込み、Youtubeの素人配信などジャンキーな「摂取」ばかりしてしまう。 もちろんプロの発信でなければ価値はないなどと狭量なことを言うつもりはない。親近感の湧くような「近所の女の子」的視点はそれはそれである独自のマーケットを築きあげているし、その魅力も、中年のスケベ心を加味したうえでだとしても理解できる。
だからといって菓子類を主食にしては強靭な肉体を形成することはできない。
私はいつしか国内エンタメ小説すらなんだか読みづらくなってきてしまった。エンタメ小説は当然のことながらエンタメ性がその本質である。だから読みやすい簡単な文章、読者を飽きさせないめくるめくストーリー展開が必須だ。しかし、私にはそれが読み進める上で足枷となる。
ビジネス書もそうだ。読みやすさ、軽さ、わかりやすさ。この種の文章に私は正直辟易し、本を放り投げてしまう。
スルスルと読めてしまう文章が逆に苦痛だということだ。
それ自体が芸術作品のような荘厳さを帯び、返り読みでもしないとなかなか理解できない、でもしっかり読めばちゃんと筋が通っていることがわかるような、非難にも負けず、曲解にも負けず、強健な論理構造を持ち、余分な装飾はなく、みんなに読みにくいと言はれ……そういう文章を私は読みたひ……。
こういうことを書くと傲慢に思われるのはわかっている。わかりやすい文章を馬鹿にするのか!「本当に頭のいい人は」小学生でもわかるように書くものだ!等々。
Twitterの投稿とビジネス書を同列に言うのは適切ではないが、「売れる」のはどちらも「わかりやすさ」が土台にあるということは言えるはずだ。
この記事のメインテーマは近況報告なので、私は最近「わかりやすい」文章をあまり読むのが好きでなくなったと言うにとどめて筆を置くことにしたい。

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