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グミ・チョコレート・パイン

大槻ケンヂの大作、グミ編を出した2年後にチョコ編、そして8年もの歳月をかけ書き上げた青春3部作、それがグミ・チョコレート・パインである。
表紙は一貫して漫画家の江口寿史(ひさし)が担当。シンプルな線、色で描かれた少女がどうも艶っぽく、特にチョコ編、美甘子の才能そして性の解放を強調するかの如きエロを前面に押し出し、しかし下品さは一切ない表紙はドグラマグラと同じ畏怖を感じさせる。
 控えめに言わなくても、オーケンは天才である。天才だああと自転車をこぎながら爆走したくなる、そんなパワーを他者に芽生えさせるのが非常に得意だ。
 特に思春期の、いやこれは大人になってもある、自我とは、つまり自分とは一体何なのかという自問自答を描くのがめちゃくちゃ上手い。オーケンの作り出すものは当事者である自分の葛藤と、第三者のどこか冷めた冷徹な目で淡々と情景が流す、まったく視点の違う目線で出来事を表すから、物語としての深みが増す。
 と、拙い文体でオーケンを解説しようなど百年は早い。ということで、これからは普通に感想を書こうと思う。
 まず、グミ編。
 このグミ編では何もおこらない。最初読んだときは自伝的小説だと書かれていたし、オーケンの高校生活が3冊に渡って綴られるとはどこまで赤裸々なんだ!?彼は!?とおっかなびっくり読んでいた。主人公であり、オーケンのことだと思っていた賢三が映画やら漫画やらの知識、そしてそれを面白いと思える感性により高校の同級生たちとは違うんだと、選ばれた人間だと思いつつもじゃあ何が違うのか、何が出来るのかと悩み遂にバンドを結成するが…とにっかくバンドが結成できない。なんとこのグミ編ではギターを弾かないどころか名前すら決まらない。美甘子という少女との淡い恋に浮かれたり、おなったり、酒を飲むことに忙しく、そして結成すればすぐに何もかもが上手くいくはずさ、なぜなら俺らは他のやつらとは違うんだからと根拠のない自信に満ち満ち溢れていたから。このグミ編は特に胸を打たれたかもしれない、賢三の自問自答、これは誰しもがぶち当たるという、俺は何者で、なにができるんだ?というどこにも答えがなく、自分で探さなくてはならないそれを見た時私自身と重ね合わせてしまった。自分は他人とは違う!違う、が、じゃあなにができる?それに自分が誇っていたもの以上のものを持っている人間が現れ、そしてその人物に追い付くにはどうすればいい?グミチョコレートパインは恋愛的側面よりそうした自己を確立していくことに重点を当てた作品だと思う。
 チョコ編ではグミ編のラスト、憧れでありライバルであり、恋のお相手である美甘子が女優デビューし退学することから物語が始まる。遂に動き出した美甘子と対象に賢三らのバンドはようやくメンバーがそろったというのに、名前すら決まっておらず練習もなくただやはり自分たちには何かがある、という思いを胸にバンドを見学したりオナニーしたりして日々を過ごすこの賢三の空回り具合と住んでいる世界が元から違ったのだということがはっきりわかるシーンがあるのだが、そこは本当に胸が締め付けられて仕方ない。こんなに差を付けられても、賢三は呑気にでも連続でチョキを出せばいつか追い付けると思っているのが読者に憐憫と同情と嘲る感情を嫌でも引き出してくる。しかし、遂にバンド活動は始まり、転がりだした石の如く賢三らも遅い歩みながら美甘子に確実に近づいていく。と、思いきや石は思わぬアクシデントで空中に舞い、茂みの中に落ち動くのをやめてしまった。バンドのメンバーである他の3名はそれぞれ作詞、作曲、ベースと役割を見つけ出せたが、賢三だけ、何もできなかったことに気づくのだ。そして自分は人一倍映画を見てきたというだけで、何にもないことに絶望し、自暴自棄になり美甘子のブルマでおなろうかと悩みチョコ編は終わる。なんという斬新で、そして心の奥底を抉ってくる話だろうか。年が同じと言うだけで、好きなものが一緒であっただけで、交われるわけがない存在に必死に追い付こうとするもそのための自己表現の武器が何もないんだと、絶望する。そしてその存在を汚すことにより自我を保とうとする浅ましさまでしっかり描くオーケンの容赦なさとこの非常に気になる続きから8年もよく待たせたもんだなと唖然とさせられた。しかも最終巻であるパイン編のあとがきでは本の内容はさらっと、バンドの○○します、応援してね敵な内容で終わらせているのだ。実にオーケンらしい。続編がどうたらと書かれてもいたが、もう書かないだろう。てかまあ忘れてるねこれ。
 さて何年も賢三のちんぽこを握らせたままにしたパイン編、これはすごかった。美甘子という存在はスカッとジャパンさながらに痛い目見ることもなく何度も欺き、舌を出しながらゴールした。この先もしかしたら彼女は落ちぶれるかもしれない、しかし、オーケンはもうこの先を書かない。だから彼女は上がったのだ、賢三、アイドル、色んな男の人生を狂わしたことに自覚もないままに、彼女は無邪気にグミチョコレートパインをして終わる。それが本当にすごいと思った。グミ編の、美甘子のあまりに物語的すぎる出会いから想像がつかない程容赦ない現実を賢三に突き立て、そしてそれを解消せず終わらせたのだから。普通の小説ならなんやかんや笑い合ってとかやんわりあの頃はよかったよみたいな感じを演出するのだが、この作品は全く甘くなかった。賢三が大事にしていて、ドギマギしていた美甘子とのやり取りは美甘子にとっては友達との他愛無い会話の一つでしかなく、何一つ覚えていないという無邪気であるがゆえに残酷である少女の言葉に悲しいけどこれが現実だよなと思ってしまった。賢三が悩み、追い付こうとしていたが、相手にもなっていなかったことに愕然とする。ただ、賢三も自分なりに出来ることを見つけ、オーケンがチョコ編のあとがきで言ってた通り、皆が皆自分なりの幸せで物語を終わらせている。ただ、エピローグの最後、最後の数ページに全てを持っていかれる。ああ、この本は悶々とした17歳の少年の自伝的小説ではない、男を惑わすファム・ファタルな少女が駆け上っていくシンデレラストーリーだったのだ…。
 そうそう、小説の中には孤島の鬼とかオーケンの作詞した曲の歌詞がたまに出たり、オーケンの膨大な映画バンドの知識、愛も見どころ。チョコ編の56pからはペンが走り過ぎだろ。

 おまけ
グミチョコレートパインラノベ風に描いたやつ。美甘子の雰囲気絶対聖子ちゃんとかなんだろうな

グミチョコレートパイン


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